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古代から現代までの美術・アート作品について、作品の魅力や楽しみ方などを、ランダムに紹介していきます。

  • 発行周期 不定期
  • 最新号 2009/12/30
  • 部数 146部
  • メルマガID 0000255369
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2009/12/30

アート案内人 第54号

アート案内人 第54号をお送りします。


○ 明治の絵画 四 ○


今回は、明治時代後期の画家たちを紹介します。


明治時代末頃になると、あっちへ迷い、こっちへ迷いしていた日本美術界も少しずつ
安定してきます。そうなる前には、波乱の一つ二つはもちろんありました。
明治時代後期は新しい日本画の時代でもあります。かの有名な横山大観や、菱田春草
(ひしだしゅんそう)らが活躍するようになります。
その前に、洋画でも独自の表現を会得していく画家が現れるようになります。
代表的なのが、藤島武二と、青木繁の二人です。


藤島武二(1867~1943)は黒田清輝と同郷ということもあり、黒田の推薦で明治29年
(1896年)29歳の時、東京美術学校の助教授になります。若いですねー。
始めのうちは黒田の模倣が多く、アカデミックと印象派を足して2で割ったような折衷
表現でしたが次第に独自の表現になっていきます。
彼の特徴は、装飾的で浪漫主義的ということです。日本画にあるような花鳥風月を画面に
取り入れて、写実的に描きながら日本的な雰囲気のある洋画になっています。
日本人的には、こってりしてない油絵なので安心して見られる感じでしょうか。
藤島は38歳の時にヨーロッパに渡り、フランス、イタリアで学びました。大学の先生に
なった後に留学するのも今から見ると順番が逆のような気もしますが、当時はそうそう
外国にも行けなかったでしょうから、行くチャンスがあるときにわっと行ったのでしょう。


藤島武二はヨーロッパでゴッホやゴーギャンの作品を見るチャンスがあり、その影響も受けて
います。彼が見たのは「遺作展」で、ゴッホ、ゴーギャンがようやく評価され始めた頃だった
ようです。
帰国した藤島は、油彩画法を日本画の装飾的な表現に使いこなすことを目標に作品を次々と
描いていきます。彼の日本的装飾表現は、次の世代にも受け継がれることになります。
もう一人の画家、青木繁(1882~1911)は若くして才能を認められています。
彼は、黒田清輝たちが立ち上げた白馬会に21歳の若さで入賞しています。
青木繁の作品で最も有名なのが「海の幸」です。裸の漁師たちが獲物のサメを担いで
歩いている姿を描いたもので、美術の教科書には必ずといっていいほど載っています。
この絵画は未完成の状態なのですが、それがかえって力強さを画面から放っています。
若さと躍動感あふれる作品を描いた青木でしたが、29歳という若さで病死してしまい
ます。彼は自身の画業を完成させること無く亡くなってしまいました。もし、もう少し
生きていたらまた違った作品を見ることができたのかもしれません。


明治時代の美術を語る上で欠かせない人物の一人がフェノロサですが、もう一人重要な
人がいます。それは東京美術学校設立の中心人物となった岡倉天心です。
岡倉天心(本名覚三)(1862~1913)は横浜で貿易を営む福井藩士の子として育ちました。
家の仕事柄か、英語に堪能だったそうです。今でもそうですが、当時としたらものすごい
スキルですね。
岡倉天心は最初、政治・文学に興味を持っていたそうですがフェノロサに感化されて
日本美術に興味を持つようになります。明治19年(1886)にフェノロサと欧米美術を
見てまわった後、すぐに東京美術学校を設立し、27歳で校長に任じられます。この歳は
数え年なので現在でいうと26歳です。若いですね~今26歳で大学の校長はまず考え
られません。


岡倉天心は、日本で初めて「日本美術史」の講義をしたり、現在まで続いている美術雑誌
『國華』を創刊したりと活躍しました。が、天心さんは少々強引なところがあったらしく、
独断専行ぶりがまわりの反発を呼んで、美術学校の校長職を追われてしまいます。
しかし、そんなことぐらいでへこむ岡倉天心ではありません。一緒に辞職した教職員と
共に日本美術院を創立し、院展を立ち上げます。パワフルですね。
この院展に横山大観、菱田春草らが出展し、評判になります。彼らは精力的に作品を
描いていきます。彼らは、天心の「西洋絵画のスケールに負けない日本画を」という
課題に立ち向かい、新しい手法を工夫、研究したり、さまざまな努力を重ねていきました。
その途中で、描線を描かない彩色画を西洋かぶれの「朦朧体」(もうろうたい)と
酷評されて活気を失うこともありましたが、画家たちはさらなる研鑚を重ねて独自の
日本画を作り上げていくことになります。


岡倉天心にずっとついていった横山大観は、日本画家の第一人者として生涯を送ることに
なります。多少問題があっても、岡倉天心はすごい人だったのだなと思います。
横山大観はいわずと知れた日本画の巨匠で、現在も人気のある画家です。彼と友人だった
菱田春草は、大観に「菱田君のほうが絵は上手いよ」といわれた人で、大観とは違う
静かな美しい日本画を描いています。彼はこちらも残念なことに37歳で亡くなっています。
筆者は代表作の「落葉」を見たことがあるのですが、すごい作品でした。木々の幹と落葉が
描かれている作品なのですが、静寂感と空気感が感じられて圧倒されましたね。


明治40年(1907)に文部省美術展覧会(文展)が発足します。これは、当時日本画・洋画
でいろいろな会ができてごちゃごちゃしていたからです。そのまとめ役として文展が出来た
わけです。
これが日本のアカデミズムの始まりといわれています。近代以降どこの国でもアカデミズムは
反発される運命にあったらしく、日本でも同じように反発を受けていました。とはいえ、
ここからたくさんの名作が生まれていきます。


明治の絵画は今回で終ります。また詳しく掘り下げていきたいと思っています。
来年からは20世紀の美術を紹介します。


今年も一年、メルマガを読んでいただきありがとうございました。来年もよろしく
お願い申し上げます。
それでは皆さま、よいお年を。



◎発行責任者 旗 浮子
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