2008/07/04
ベルサイユのばら画像集
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ■ベルサイユのばら研究所■メールマガジン 発行日:2008年7月4日 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ∞∞ このメルマガは、配信許諾を頂いたお客様のみお届けしています∞∞ ………………………………………………………………………………………… 本┃日┃の┃記┃事┃ ━┛━┛━┛━┛━┛ ┌────────────────────────────────┐ │■ 美貌の革命家サン・ジュスト│ └────────────────────────────────┘ ☆フロレルという愛称で呼ばれているサン・ジュスト。 本名:ルイ・アントワーヌ・レオン・ドゥ・サン=ジュスト 1785年、ソワソンのオラトリオ派の学院を修了後、 1788年にランス大学法学部に入学。入学後1年を経ずして学士号を取得した。 1789年にはエロティックな風刺歌「オルガン」を地下出版し、 伝統、権威、カトリック教会、国王を批判。追われる身となる。 この時、ベルナールとロザリーの家にご厄介になっている。 1790年には23歳で国民衛兵隊長となり、その年の7月14日の連盟祭に参加。 1791年には「革命及びフランス憲法の精神」を発行し、 革命の最中にあって最も若い理論家となる。 その生涯において数々の名演説を残すが、もっとも有名なものは 1792年に8月10日の革命後に行われた国王裁判での‘処女演説‘。 サン・ジュストは25歳の若さで国民公会議員として参加。 その痛烈かつ冷徹な演説により、ルイ16世の処刑を決定付けた。 しかし、運命の‘テルミドール9日‘(1794年7月27日)の翌日、 最後の演説を反対派に妨害されて果たせぬまま、 ロベスピエールと共に26歳の若さで断頭台の露と消えた。 その美貌と冷厳な革命活動ゆえに ‘革命の大天使 (Archange de la Revolution)‘との異名をとる。 ちなみに、テレビ版では反王政の冷酷なテロリストとして描かれている。 自称、‘花のサン・ジュスト君‘だそうです。 画像はこちら↓ http://berubarabarabara.up.seesaa.net/image/sanzyusuto.jpg ………………………………………………………………………………………… 次回は、‘若くして自殺したシャルロット‘です。 ポリニャック夫人の愛娘です! お楽しみに☆ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ―[サイト情報]――――――――――――――――――――――――――― 【ベルサイユのばら研究所 ▼サイトURL▼ http://xn--u9je9ezesd9jmdrb.qooin.com/


