境界例の世界 RSSを登録する

情緒不安定性パーソナリティ障害(境界性人格障害)の患者の視点から見た世界にご案内します。「境界例の患者からは、こう見えていたのか!」境界例の世界を、わかり易い言葉でガイドします。臨床心理士、精神科医を目指す方にも一役貢献する内容だと思っております。

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2008/06/21

あの山を越えたら、海が見える

この記事を取り寄せる

あの山を越えたら、海が見える 
私、やっぱりうちの会社で
ある一種の「疎外感」を
この半年感じてきたような気がする。

うちの会社はアメリカの企業で、
「diversity(多様性)」という
価値観を掲げている。

多様性こそが、
クリエイティビティ(想像力)
を生み出す、という考えに基づいている。

当然、会社は多国籍だ。
でもだからといって、
皆が均質に交ざりあっているわけではなく、
さまざまな文化を身にまとう人々が、
自分たちのハビトゥスを作って、
そこに安全におさまって暮らしている。

ハビトゥス同士は、
それぞれにとって
心地のよい距離感をお互いに保ちあい、
バランスをとりながら会社という
小社会をつくりあげている。

そこには何か、ハビトゥスという枠組みを守る、
求心力のようなものがはたらいていると思う。
それは決して企業が詠う謳い文句
「diversity]「inculusion(抱合的な)」
などというきれいごとではない。
回る駒が、触れたものを外側に弾くように、
その求心力の輪の外にいる人間には、
孤独と疎外感が待っているような気が
私にはしてならない。

では日本人の輪の中に入れるか
というと、そうでもない。

暴力にさらされた家庭環境で育った。
「この親さえいなければ」
と、毎日念仏のように唱えていた。
「お前みたいな根性のひねくれた奴は
大きくなったら殺人犯になる」
と叫ぶ親の横を無表情に通り過ぎる
女の子だった。

職場の女の子は、
私の「奇異」さを敏感に感じ取る。
そして離れていく。
人種が違うのだから仕方ない。

いつか私は、彼らを追いかけるのをやめた。

中学校のときの国語の教科書に
こんな文があった。

「あの山を超えたら、海が見える。
少年は、朝からずっと歩いていた」

嗚呼、いつ海が見えるんだろう。

いつか…

この記事を取り寄せる
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る