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正法眼蔵を20歳位から読みたかったのですが、なんとか読めるようになったのは50歳。紀野一義先生のおかげで読めるようになりました。西嶋和夫老師、岸沢惟安老師のご著作にもお世話になっています。

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2009/09/22

177 高遠小説  4まい 師匠作

**大奥小説 お邪魔虫 **

閑話休題(アダシゴトハサテオキ)

絵島が高遠に流罪になると同時に、生島は伊豆の三宅島に流された。
この事件、<絵島と生島>・・語呂もいいので後々まで記憶され、
やがて二人は<引き裂かれた恋の主人公>として数々の芝居や小説に登場することになった。

婿沖田さんによると、10年ほど前の『高遠タイムズ』に、

「悲恋の美男美女、絵島と生島の霊を慰めようと、
 遠く離れた二人の墓所の土を少しずつ採り、それぞれ相手の墓に撒き、
 270年ぶりの再会を果たさせた」という記事が出ていたという。


旦那愚案するに、絵島・生島のお二人にとっては、こんなの、まったくの
《おせっかい》、
《ハタ迷惑》であったに違いない。


疑獄事件の起こるまでは、江島は絶大な権力を持っていた。
だからこそ、
「貴賎をえらばず、よからぬ者ども(複数である)」と遊びあかすことができたわけだ。
彼女にとっては、生島はそのお遊び相手の<よからぬ者ども〉の一人にすぎなかった。
ああ、それなのに、その一人に与えた、たった2時間弱の<お情け>のために、
地位を失い、寒い所に流され、たった一人の兄は首を切られてしまった。

一方、生島の方から言えば、人気役者の取扱い業務の一つとして、
横柄な<姥桜>の酒席・枕席に侍り、優秀なホスト役を勤めた抱けなのに、
ああ、それなのに、脂の乗り切った44歳の男盛りに、
江戸でのあらゆる快楽を奪われ伊豆の離島にながされてしまった。

絵島は、それから27年間、信州の山奥で生涯を暮らし、そのまま帰らぬ人となった。

生島は、絵島の没後2年たって、やっと許されて江戸に帰ってきたけれど、
その時はすでに73歳。

三宅島にいる時、生島は、こんな句を作っている。

・初鰹からし酢もなき涙かな

<からい>のは酢なしで食べる鰹に落ちる涙の味だ。


   **寒くなかった江島さん** 

江島さんの墓前で妄想にふけっていると、下の方からケラケラ笑い声が昇って来た。
姿を現したのは、さっき逃がした3人のギャル。

「さっきは惜しかったね。冷たいビ~ルもあったのに」
そうジャブをだすと、岡田茉莉子さんに似た、一番年上らしいのが、
「あたりたかったけれど、変なおじさんがいたから」

<あたりたかった?>・・・金沢弁で<もらいたかった>だ。

江島さんのことはあまり知らないらしいので、<遅刻>の顛末を話してやったら、
みんなロ~ションの香りを振りまいて喜んでくれた。

別れ際に、彼女たちの<ウツルンデス>のフィルムが切れたというので、
僕の<オ~トボ~イ>で記念写真を撮り、出来たら送ると約束した。

茉莉子さんの家は金沢の郊外で果樹園をしているとのことで、
「写真あたったら、秋にリンゴ送るし(送るから)」
妙齢の女性は、見知らぬおじさんには方言を使わぬものだが・・ニタリ。

境内にある資料館を観た後、受付に立ち寄り、
<メタ宗教学会居候>の名刺を出したところ、住職はご不在であったが、
世話人の甘木さんという方に招じ上げられ、抹茶とどら焼きを御馳走になった。

資料館に展示されていた、絵島の死後に検屍に来た幕府の役人と藩の担当者の問答書に、
『下帯は如何に候や?』
『木綿相用ひ候』
と言うやり取りがあった。

甘木さんに、
「ずいぶんエゲツナイこと聞くんですね」
「それは、幕府の指示通り、木綿を用いていたかどうか調べる、誘導尋問だったのでしょう。
 でも、幕府の役人だって、わざわざこんな遠くまで来て、悶着は起こしたくなかったはずです。
 きっと前もって、藩の担当者から接待を受け、
 『こう聞くから、こう答えるのがよろしかろう』
 なんて、耳うちしておいたんでしょう」

さらに、甘木さんによれば、ミズ絵島、高遠に来て最初の4年間は、
城から遠く離れた場所に幽閉され、規則も厳重に守られていたようだ。

しかし、幽閉18年目には当たるミズ42歳の時には、内藤家の家老から赦免の願いが出され、
翌年には幕府からその内諾も得ていたらしい。

それ以後の記録はないけれど、好きな時に湯に入り、暖もとれたらしい。
そう言えば、資料館にミズの使った<布団の皮>と言うのがあった。
使った時には、たっぷり木綿の綿が入っていただろう。 


     **お座敷アルプス **

高遠の花と味と歴史を堪能した旦那たちは、
沖田酒店でしばらく休ませていただくことになった。

沖田酒店は、町のメインストリ~とにある。4階建ての建物だけれど、
街並みに調和するように、白壁に能登瓦をのせた和風建築。
美しい建物だ。

4階の住まいまで、ゆっくりと登っていくエレベ~タ~。
その中に籐の腰掛けがひとつおいてあった。この家のご隠居が使われるものだそうだ。
案内されたのは広々とした和室。40畳あるだろう。


明るい光のいっぱいに射し込む、おおきなガラス窓。
その外には青空にくっきりと稜線を描いている雄大な南アルプスの峰々。
それを、居ながらにして
眺めている自分。
こんな贅沢な気分を味わったのは、いつのことだったろう。

奥さんが冷たいおしぼりを出してくれた。
汗ばむ陽気の中を歩いてきた旦那衆にとって、これはなによりありがたい。
さらに、
「ビ~ルがよろしいですね」

みんなギョッとして顔を見合わせた。
花見のビ~ルと、<三千円弁当>が、三時間もたったのに、まだこたえている。

「それでは…」

奥さんは、熱いお茶を淹れてくれた。まさに、甘露。
お茶受けは、胡瓜と野沢菜の漬物、高遠煎餅に高遠饅頭。

さらに、
「軽いものなら…」
と、テ~ブルの上に現れたのは、
大きなハンダイに盛られたカッパ巻、タクワン巻、野沢菜巻、鉄火巻エトセトラ。
そして、チメタ~イび~る。

午後4時20分、沖田邸辞去。蓼科のクラス会場に向かう。

花は観た。昼酒は飲んだ。弁当も食った。食い盛りの坊主への土産<高遠饅頭>も買った。
ミズ・果樹園とのコネもつけた。

後は、今夜、松本から会場へ愛車ジャガ~を飛ばしてくるという、
我らの青春のマドンナ・ペコちゃまと再開するまで、な~んにも楽しみはない。

運転を退職官吏Sに任せ、後部座席に横になった旦那は、
卒業を前にペコチャマをめぐってKとNの繰り広げたスッタモンダが、
きっと今晩、また蒸し返されるに違いないと、楽しみにしながら、
いつのまにか大いびきをかいてねてしまったのであった。     

               (お終い) 

1)参考文献 
 高遠・絵島関係
 中央公論『日本の歴史』(17)


  補足ーー:: 帰宅してカメラを開けたらフィルムが入っていない!
         墓場のナンパ…絵島さんが怒ったのかもしれない。 

(以上 原文を ひんぱんに行変えをしています メルマガのために

  読まないといけないしね^^::

 おもしろかったっす^^::)

(なお このはなしは 掲示板に載っていたもので

 このはなし 14回ほどにわたってーー何日間かはわすれたっすーー

 続いたものです

 ゆえに 間で バカなやりとりもあるのですが

 それは 省略しています

 もちろん バカな質問をしているのは わたくしでごじゃります^^)

(ついでながら   絵島疑獄 という 小説を買いました

 そこには 絵島 生島 の お墓については 余計なお世話だと 書いてありました^^

 まだ 読んでいません ~~


 読む本が多すぎる~~)


    最後に 師匠 こと クラノイさん ありがとうございました

                                       たいみそ拝
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