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米国シリコンバレー、熊本へ単身赴任した時に感じた文化の差、エピソード、日常生活で感じた身近なこと等を面白おかしくレポートします。ほのぼの、癒し系マガジンです。「わくわく単身赴任日記」なる本も出版しています。本マガジンは、その続編、番外編です。

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2009/02/22

わくわく単身赴任日記 No.68受身形

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      メルマガ 「わくわく単身赴任日記」
            
           by 住田正彦

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'88-'90の米国、'00-'06の熊本の単身赴任時代に感じた文化の差、
身近なできごとを中心に綴ったショートエッセイです。

No.68受身形       2009.02.22

呉善花さんの「日本人を冒険する」(PHP新書)という本を読んでます。

その中の一節では、彼女によると、日本語の特質として受身表現が非常に多いことが
あげられるそうです。これは、日本人の生活態度、考え方が現れているのでは、と
いうのが彼女の意見です。

受身表現で一番荒唐無稽なのが、「誰それに死なれる。」というものだそうです。
どうして、死ぬという現象が、他の人にとって受身形になれるのか、他の言語では
これはありえないものだそうです。

成るほど、言われてみると、死ぬというのは自殺はともかく、行為というよりは現象
です。英語で、I am died by him.では意味が通じません。彼に殺されたというような
意味に取られかねません。「彼に死なれた」、というのは、彼に先立たれた(これも
受身形)私のことをどうしてくれるのか、というような意味合いがあるのかと思い
ます。これは、人生そのものが他人まかせということで、考え方自身が既に受け身
ですね。このあたりを呉氏は指摘しているのでしょう。

 また、〜れる、という助詞は、受身の他に、可能、尊敬とか色々な使い分けがされ
ます。受身が可能とか尊敬になってしまうのも偶然ではなくて、これも、日本人の
精神構造が反映されているのでは、という彼女の意見で、なかなか面白いものです。


この、「〜れる」が色々な意味を持つことの疑問の回答を下記のメルマガで見つけ
ました。

伊勢雅臣 国際派日本人養成講座 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/

もともとの出展は下記の本です。
金谷武洋『日本語に主語はいらない』★★、講談社選書メチエ、H14
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062582309/japanontheg01-22%22

この本も読みましたが、日本語の最大の特徴、「主語が必要ない」理由が解き明か
されていて非常に面白いものです。例えば食堂で、「僕はうなぎだ」と言ったりし
ますが、「僕」を主語と捕らえると大変なことになります。

*****伊勢雅臣氏のメルマガからの抜書き******

2007/9/17

■8.「受身」「尊敬」「可能」「自発」に共有されているもの■
「ある」は受身形にも潜んでいる。
止める(tom-ERU) / 止められる(tom-ER-ARERU)
始める(hajim-ERU) / 始められる(hajim-ER-AREURU)
変える(kaw-ERU) / 変えられる(kaw-ER-ARERU)
伝える(tutaw-ERU) / 伝えられる(tutaw-ER-ARERU)
 末尾の「-ARERU」に、また「ある」が潜んでいるのである。
この点は、英語での受動文が、"The train is stopped."など
と「ある」表現のBe動詞を用いて表現されるのと似ているが、
そのニュアンスは微妙に違う。

能動文: 熊が太郎を殺した / A bear killed Tarou.
受身文: 太郎は熊に殺された / Tarou was killed by a bear.

 英語では受身文は能動文の単純な裏返しだが、日本語では
「その状況下では太郎は無力だった」という無念さが籠もる。

 日本語の受身形の持つ、自らの意志や能力を超えたものに何
事かをなされる、というニュアンスの例としては、以下が典型
だろう。

祖母に死なれた。/ 赤ん坊に泣かれた。/ 雨に降られた。

 これらをそのまま、英語に直訳してたら、とんでもない事に
なる。
 さらに日本語の受身形である「れる」「られる」は、

尊敬(先生が話された)
可能(その野菜は生のまま食べられる)
自発(亡父のことが思い出される)

にも使われるが、これらは「ある行為が人間のコントロールを
超えたところでなされる」という共通のニュアンスがあると考
えると、「受身形」と同じ表現を持つ理由がよく理解できる。

全文は
伊勢雅臣 国際派日本人養成講座 http://archive.mag2.com/0000000699/20070916060000000.html?start=80 
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