2009/02/22
わくわく単身赴任日記 No.68受身形
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ メルマガ 「わくわく単身赴任日記」 by 住田正彦 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ '88-'90の米国、'00-'06の熊本の単身赴任時代に感じた文化の差、 身近なできごとを中心に綴ったショートエッセイです。 No.68受身形 2009.02.22 呉善花さんの「日本人を冒険する」(PHP新書)という本を読んでます。 その中の一節では、彼女によると、日本語の特質として受身表現が非常に多いことが あげられるそうです。これは、日本人の生活態度、考え方が現れているのでは、と いうのが彼女の意見です。 受身表現で一番荒唐無稽なのが、「誰それに死なれる。」というものだそうです。 どうして、死ぬという現象が、他の人にとって受身形になれるのか、他の言語では これはありえないものだそうです。 成るほど、言われてみると、死ぬというのは自殺はともかく、行為というよりは現象 です。英語で、I am died by him.では意味が通じません。彼に殺されたというような 意味に取られかねません。「彼に死なれた」、というのは、彼に先立たれた(これも 受身形)私のことをどうしてくれるのか、というような意味合いがあるのかと思い ます。これは、人生そのものが他人まかせということで、考え方自身が既に受け身 ですね。このあたりを呉氏は指摘しているのでしょう。 また、〜れる、という助詞は、受身の他に、可能、尊敬とか色々な使い分けがされ ます。受身が可能とか尊敬になってしまうのも偶然ではなくて、これも、日本人の 精神構造が反映されているのでは、という彼女の意見で、なかなか面白いものです。 この、「〜れる」が色々な意味を持つことの疑問の回答を下記のメルマガで見つけ ました。 伊勢雅臣 国際派日本人養成講座 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/ もともとの出展は下記の本です。 金谷武洋『日本語に主語はいらない』★★、講談社選書メチエ、H14 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062582309/japanontheg01-22%22 この本も読みましたが、日本語の最大の特徴、「主語が必要ない」理由が解き明か されていて非常に面白いものです。例えば食堂で、「僕はうなぎだ」と言ったりし ますが、「僕」を主語と捕らえると大変なことになります。 *****伊勢雅臣氏のメルマガからの抜書き****** 2007/9/17 ■8.「受身」「尊敬」「可能」「自発」に共有されているもの■ 「ある」は受身形にも潜んでいる。 止める(tom-ERU) / 止められる(tom-ER-ARERU) 始める(hajim-ERU) / 始められる(hajim-ER-AREURU) 変える(kaw-ERU) / 変えられる(kaw-ER-ARERU) 伝える(tutaw-ERU) / 伝えられる(tutaw-ER-ARERU) 末尾の「-ARERU」に、また「ある」が潜んでいるのである。 この点は、英語での受動文が、"The train is stopped."など と「ある」表現のBe動詞を用いて表現されるのと似ているが、 そのニュアンスは微妙に違う。 能動文: 熊が太郎を殺した / A bear killed Tarou. 受身文: 太郎は熊に殺された / Tarou was killed by a bear. 英語では受身文は能動文の単純な裏返しだが、日本語では 「その状況下では太郎は無力だった」という無念さが籠もる。 日本語の受身形の持つ、自らの意志や能力を超えたものに何 事かをなされる、というニュアンスの例としては、以下が典型 だろう。 祖母に死なれた。/ 赤ん坊に泣かれた。/ 雨に降られた。 これらをそのまま、英語に直訳してたら、とんでもない事に なる。 さらに日本語の受身形である「れる」「られる」は、 尊敬(先生が話された) 可能(その野菜は生のまま食べられる) 自発(亡父のことが思い出される) にも使われるが、これらは「ある行為が人間のコントロールを 超えたところでなされる」という共通のニュアンスがあると考 えると、「受身形」と同じ表現を持つ理由がよく理解できる。 全文は 伊勢雅臣 国際派日本人養成講座 http://archive.mag2.com/0000000699/20070916060000000.html?start=80



