平成20年7月18日 第332号
仁和寺は、先帝である光孝天皇の意思を継がれた宇多天皇が、仁和4年(
888年)にその造営を完成され、先帝から受け継がれた「仁和」の年号を
もって寺号と定められ、大内山仁和寺(おおうちやまにんなじ)と呼ばれる
ようになったそうである。1467年に始まった「応仁の乱」により焼失した
が、約180年後に徳川家光の命により再興されることとなった。皇室とゆか
りの深い寺で、出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」(おむろごし
ょ)の別名がついている。宇多法皇の後も、明治維新まで歴代門跡は皇室出身
者が務めている。皇室出身者が出家して住職となった時は、住職ではなく門跡
(もんぜき)と呼ぶそうである。その歴史を継承し、明治維新以降も仁和寺の
住職は門跡と呼ばれている。今、仁和寺は平成6年(1994年)にユネスコ
の「世界遺産」に登録され、新たな歴史を刻んでいる。
一方、泉佐野にも仁和寺とゆかりのある慈眼院というお寺が日根野にある。
慈眼院の歴史は仁和寺よりも古く、天武2年(673年)天武天皇の勅願寺と
して創建された泉州の最古刹である。宗祖弘法大師のご留杖により多宝塔、金
堂等が造営された。その後は、たび重なる戦火に盛衰を繰り返すこととなった
が、江戸初期に岸和田の領主岡部候の帰依を得て、一山の大営繕が行われた。
その時、総法務官であった京都仁和寺の門跡性承法親王より「慈眼院」の院号
が下賜され、仁和寺の末寺となって今日に至っている。多宝塔は国宝として、
金堂は重要文化財として指定され、当市の誇るべき歴史を伝えている。その慈
眼院の住職である南揚道氏が、この度仁和寺の門跡となられた。先週から入山
され、今は知事や市長への挨拶、数あるお寺への挨拶で多忙な毎日を送ってお
られるようである。これも泉佐野市の誇りである。京都へお出かけの折には、
是非とも仁和寺を訪問されたらいかがでしょうか。


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