疲れた身体、疲れた心を癒す呼吸法!  RSSを登録する

今ある「健康法」に不満・「呼吸法」についての明確な方法論を知りたい・現代というストレス社会の中で「本当の自分」を取り戻したい。そんな悩みを抱えている方々に解決法を実践する場が「湧気塾」です。塾長のインタビューや稽古内容をお届けします。

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2009/07/17

身体哲学からの提言(旧 「疲れた身体、疲れた心を癒す呼吸法!」)

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身体哲学からの提言
(旧 「疲れた身体、疲れた心を癒す呼吸法!」)


身体哲学研究所
http://body-mind-philosophy.org/

湧氣塾
http://www.you-ki-juku.co.jp/

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<身体哲学研究所通信第4号>

□■―目次――――――――――――――――――――――――――――――――■□
1.【第3回 身体哲学研究所活動報告】”身体の専門家は誰か”
2.所長と研究員との対談 <研究員:堀井一弘>3
3.湧氣塾からのお知らせ
4.塾長の著書の紹介

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みなさんこんにちは。
身体研究所研究員兼湧氣塾塾生のKです。
本日もメルマガをお楽しみください。


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1.【第3回 身体哲学研究所活動報告】”身体の専門家は誰か”
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こちらのコーナーでは、今回からしばらく、
身体哲学研究所とはなにか、について
お伝えしていきます。
今回は、” 身体の専門家は誰か”についてです。

身体について知りたいことは誰に聞けばいいのでしょうか。
いい換えれば身体の専門家は誰でしょうか。
こう聞かれると現代社会では多くの人が医者だと答えるのではないでしょうか。
本当にそうでしょうか。
私たちは必ずしもそうは思っていません。
次の立体図を見て下さい。

http://body-mind-philosophy.org/wordpress/wp-content/uploads/2009/03/constellation_bmp1.jpg



これは人間の世界の中で身体の関係する領域を表わしたものです。
そこでは医者は身体の極限られた領域しか知らないのです。
私たちは健康を考えるためにも医者、
少なくとも西洋の近代医学者の専門とする
身体の領域の外にまで関心を延ばしていかなければ
ならないと思っています。
なぜなら、西洋医学には、近代科学をベースにしていることから
機械論的身体観から出られない、
一般性(普遍性)を追求し個別差を捨象するという方法上、
個体差に応じた治療が十分に出来ない、
などいくつかの本質的な欠点があるからです。
また、武道や行法の長い歴史を持つ私たち日本人は、
欧米から取り入れた近代(現代)のスポーツ、
アスリートの世界も見直さなければならない時期に来ているでしょう。
西欧の近代スポーツは、100年から150年前ほぼ同時期の
イギリス、フランス、ドイツで起りました。
そこでの選手たちの身体育成法は富国強兵をめざす
近代国家の兵士強化法とほとんど同じだといっていいでしょう。
ひと言でいえばスポーツ選手の身体はある意味で
国家および資本主義社会の消費財(使い捨て)とみなされているのです。
こうした前提のもとでは、機械論的な筋肉強化法は
確かにこの上なく合理的な選手育成メソッドだったといえます。
しかし、機械論的な筋肉強化法だけに頼るトレーニングが、
本来、有機的な身体を害する方法だということは
徐々に明らかになってきました。
例えば、その弊害として、
1.呼吸への負担とエネルギーの消費効率の悪さ
2.身体への苛酷さ(やりすぎると疲労骨折などをまねく、選手生命を短くする)
3.薬物依存性
を挙げることができましょう。
トップ・アスリートは、自由主義社会のヒーローでありながら、
実はその裏側で健康の象徴どころか人間として
不健康の象徴でもあったのです。
もちろん、あらゆる意味で身体が危機に陥っている現代、
青少年にとって身体の育成は急務ですし、
大人にとっても健康管理法としてのスポーツへの期待は
日に日に高まっています。
多くの人の願いがなんとか1日も早く誰にでもできる
健全な身体育成法を開発してほしいということだと思われます。
身体哲学研究所では、健康管理、体力増強のために
従来の筋トレとは180°異なる呼吸法をベースにした
骨を強化するメソッド(呼吸身法)を提案しています。
また、身体哲学研究所では、心身の調整法として
現代人のための坐禅(坐禅身法)を創案し実践しています。
さらには、より幅広い身体文化を養成するため、
踊りや音楽も積極的に取り入れて、呼吸や身体との
コラボレーションのワークショップやセミナーを
定期的に実施しています

http://body-mind-philosophy.org/wordpress/wp-content/uploads/2009/06/chirashi.jpg



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2.所長と研究員との対談 <研究員:堀井一弘>3
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このコーナーでは、所長とともに
身体哲学に取組もうと研究所に参画した研究員と、
所長との対談をお送りします。
今回は先週に引き続き、堀井研究員との対談です。
堀井研究員については、こちらから。
http://body-mind-philosophy.org/member/

K:「所長と堀井研究員は、前回、前々回のメルマガに載った
お二人の対談の後にも何度か、西洋哲学と仏教、
あるいは東洋の行法について、また、ハイデガーと西洋哲学、
言語について話をされたと聞いていますが。」

所長:「はい、よくそうした話はします。
それで、この間メルマガに載った対談について話をした時、
ハイデガーに関してよく話題になる“ハイデガーとナチス加担問題”
について私がちょっと自分の意見をいったのです。」


K:「それは興味深いですね。
ぜひ私も所長の“ハイデガーとナチス加担問題”についての考えは
聞いておきたいですね。」

所長:「簡単にいうと要旨はこんなことです。
哲学というのは、時に形而上学というように
現実の中で生きている人々には気がつかないことを
現実を超えたメタレヴェルで考察することでしょう。
つまり、人間には現実レヴェルと超現実レヴェルの二つの世界をもっている。
そして、この二つの世界は本来位相の違う世界なので、
どちらかの規準で他の世界を測ろうとすると無理が生じる。」


K:「でも一般には、哲学という高い普遍的なレヴェルの知は
現実の世界にも通じる。
だからこそ哲学者は知者、賢人として尊敬されてきたのではないですか。」

所長:「その通りです。
一般には確かにそう信じられていますね。」


K:「でも、本当は違うのですか。」

所長:「K君もよく知っているように“知”とはそんな単純なものではない。
少なくとも近代に入ると、“知”というものが、そんなに一義的にすばらしい、
“道徳”や“倫理”の規範になるものではないということが分ってきたのです。
頭のいい、よく勉強をした人が必ずしも立派な人、賢者や聖人ではない
ということが分ってきてしまったというわけです。」


K:「所長がよくいう、近代の社会では頭のいい人は、
善良な人というより、狡知にたけた人になりやすいということですね。」

所長:「そう、だから東洋では行(修行)をさせて、
頭とは別の観点から、つまり身体という観点から“知”を
育てようとしたのです。
それで、近代に入ると西洋では哲学者イコール賢者・聖人
という図式は完全に崩れてしまいましたが、東洋ではまだ残っている。
正確にはかすかに残っている(笑)。」


K:「なるほど、それでハイデガーは確かに哲学者としては優秀だが、
そのこととは別の次元で現実世界に生きる人間として
ナチスに加担してしまったと。」

所長:「まあ、そういうわけです。
それで、よく文学系の人たちが批判するような感情的、情緒的な批判は
哲学者ハイデガーには必ずしも当たらないよと…。」


K:「哲学レヴェルではナチス加担問題とは別にハイデガーの業績は
それなりに立派だと。
でも、本当は哲学のレヴェルとナチス加担の問題は全く無関係なんですか。」

所長:「そこがむずかしい所で、全く無関係ではないんです。
仏教的にいうと、その二つの世界がやはりつながっていないといけない。
その辺の話をちょっと前に堀井君としたのです。」


K:「ここにあるメールが、その直後に堀井研究員から所長に
送られたものなんですね。」

所長:「そうです。
そこには、堀井君のハイデガーと言葉の問題も書かれています。」


K:「では、今回はその堀井研究員からのメールを
ここに載せたいと思います。」

勇崎先生

こんにちは、堀井です。
いつもお世話になっています。

先日のハイデガーと倫理の話は興味深く
聞かせていただきました。
ハイデガーが現世的な次元を超えて
形而上学的な高みに登っていけば行くほど、
倫理的なものからは切り離されてしまうということ、
そのような断絶とハイデガーのナチス加担、
あるいは現実の誤認は無関係ではないということ、
それに対して仏教は、超越的な次元は
現世的な次元と対立するものではなく、
むしろそれを包み込むような智慧を備えている
ということだったと思います。
このテーマについては、またあらためて
お話できる機会があれば嬉しく思います。

さて、先日の対談の原稿を何度か読み直すうちに、
ハイデガーの話が出てくる箇所に少し補足できればと思い、
メールを書かせていただきました。
もちろん原稿の内容は、大筋ではまったく同意できるもので、
ハイデガー哲学、西洋哲学が、結局ロゴスへの執着を
捨てることができず、ロゴスから身体を解放できずにいる
という点は、僕の問題意識とまったく符合しています。
そして東洋の行法にこそ、その可能性を開く鍵があるはずだと。

ただハイデガーを曲がりなりにも研究してきた者としては、
かわいそうなハイデガーのために一矢報いたい
気持ちもあります(笑)。
擁護するというわけではもちろんありません。
ただ、ハイデガー哲学は「ロゴスの哲学」と
一言で済ませられるほど単純なものではない
とも思いますので、少し補足説明させていただければ
と思った次第です。
もし可能なら、別の機会に何かのネタとしてでも
使っていただければと思います。

僕の見るところ、ハイデガー存在論は、言語に対して、
2つの側面から光を当てようとしていると思います。
ひとつは「存在は言語によっては捉えることができない」という、
言語の限界を指摘するような箇所。
もうひとつは、「言葉は存在の家である」と言ったり、
詩的言語を考察したりする場面など、
存在が言葉のうちに到来する、宿るということを強調する箇所です。

ここで注目したいのは前者です。
あれほど言語に執着しているように見えるハイデガーも、
一方では言語の限界に気づいていたと僕は考えています。
言語の限界に気づくということは、たとえばヴィトゲンシュタインなどに似て、
語り得ぬものの前では沈黙しなければならないという
スタンスを取ることでもあります。
事実『存在と時間』では、言葉の最も根源的な様式は「沈黙」である
とハイデガーは考えていました。
第二の主著と言われる『哲学への寄与』という著作では
こんなことも言っています。
「沈黙こそ、哲学の『論理』である」。
伝統的形而上学においてlogosについての学が
Logik(「論理学」)であるとされるのに対して、
存在の思惟はSigetik(「沈黙の学」)なのであると。
これはギリシア語のsigan(「黙する」)から作られた造語です。

結局ハイデガーとしては、世俗的なおしゃべりであれ、
学術的、あるいはどんなに高尚な形而上学的な言語であれ、
それらをいったんご破算にして、言語からそもそも逃れ、
沈黙したところからはじめねばならず、そうすることではじめて、
ダーザインは存在の真理を受け取るいわば器としての資格を得るのだ、
ということを言いたかったのではないかと僕は思います。
そして「言葉は存在の家である」という有名なテーゼは、
これを経てはじめて出てくるもののはずです。
すなわち沈黙のなかで開示された存在の真理を、
今度は逆に言葉の中に納めていくことであり、
ここに詩的言語や芸術、宗教の領域が登場します。
(たとえば多くの神秘主義者が、一方で、神は言語を絶するものだ、
語り得ないものだという点を強調しておきながら、
他方では神についてきわめて多くの言を費やすということがありますが、
構造としてはとてもよく似ていると思います。
この構造を仏教の文脈に置き入れるなら、往相と還相の関係、
掃蕩門と建立門の関係ということになるでしょうか。)

さてそうだとすると、ハイデガーにとって、哲学が言語を扱うというのは
そもそもどういうことかが大きな問題になります。
哲学する者は「沈黙」にまで突き進まねばならない。
しかし哲学とは何よりロゴスを駆使する営みです。
ここにはある種のジレンマが横たわっています。

これに対するハイデガーの戦略は、実にあっけないものでした。
(少なくとも僕にはそう思えます。)
すなわち、哲学の言語とは「形式的指標」にすぎない、という発想です。
これはどういうことかというと、哲学の言葉には実質的な意味などない、
いわばインデックスのようなものであって、合図や暗示をする役割しか
持つことができない。
肝心なことは、哲学の言葉によって喚起され、
読者みずからの実存をもって、そこに指し示された道を歩むこと、
空っぽの入れ物(形式)を充実させることであると。
ハイデガーのレトリックを借りるなら、
哲学の言語作法とは「言わないという仕方で言うこと」です。

しばしば言われることに、実存的/実存論的の区別というのがあります。
現存在、世界内存在、気遣い、不安、本来性、時間性等々、
『存在と時間』のなかで見られる概念装置は、すべて「実存論的」です。
これら実存論的概念も、やはり「形式的指標」的です。
しかし、そこに個別的で生身の「実存的」次元が
欠けているからといって、観念的・思弁的ということに
なるわけではありません。
それは各自の実存によって充実されることを求めているだけです。
僕は、哲学の言語を敢えてこのような空虚な代物にすることによって、
むしろハイデガーは、聡明な研究者のような人々が
単に頭だけで概念操作し、問題を適切に処理して分かった
気になってしまう危険から、哲学の固有の領域を守ろうとしたのではないかと
考えています。

したがってハイデガーは、哲学は言語使用において「何ができないか」
ということをしっかり見抜いていたのだと思います。
しかしそれにもかかわらず、彼は言語への信頼をどこまでも
捨てようとはしません。
あたかも言語を最後の砦とするかのように、言語を放下し、
その外に出ることができないのです。

哲学に代わるものとして、あるいは哲学を補完するものとして、
ハイデガーは何か積極的なものを示していたかと言われると、
残念ながら(というか当然の帰結ではあるのですが)
どこにも見当たりません。
そこから先は何と言っても「身体」の領域に属する事柄でしょう。
ハイデガー哲学、ひいては西洋哲学が、そこにおいて限界に達するところ、
「沈黙」せざるを得ないところ、そこから、東洋的な行法の世界、
身体の領域が始まるわけです。ロゴスの力によってはロゴスを
超えられないということだと思います。
先生もご存知のとおり、僕がハイデガー、西洋哲学から
離れていかざるを得ないのは、やはりこの地点においてです。

以上、生意気にもハイデガーの立場からささやかな抵抗(?)
をさせていただくとともに、また僕がハイデガー哲学と
袂を分かつところについて述べさせていただきました。
もちろん最終的には勇崎先生のおっしゃるとおり、ロゴスから身体
を解放するというところたどり着かざるを得ません。

西洋哲学を学んだ身として、今後ともいろんなテーマで
お話しする機会を持てれば嬉しく思います。
長い文章となってしまい恐縮しておりますが、
これからもご指導のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

堀井一弘 拝




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3.湧氣塾からのお知らせ
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4.塾長の著書の紹介
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『脳ひとり歩き時代 ヴァーチャル脳を身体が救う』(河出書房新社)
『「阿修羅」の呼吸と身体-身体論の彼方へ』(現代書林)
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http://www.you-ki-juku.co.jp/chosho_info.html


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●発行者
身体哲学研究所
http://body-mind-philosophy.org/

身体哲学道場 湧氣塾
http://www.you-ki-juku.co.jp/index.html

●バックナンバー 
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