疲れた身体、疲れた心を癒す呼吸法!  RSSを登録する

今ある「健康法」に不満・「呼吸法」についての明確な方法論を知りたい・現代というストレス社会の中で「本当の自分」を取り戻したい。そんな悩みを抱えている方々に解決法を実践する場が「湧気塾」です。塾長のインタビューや稽古内容をお届けします。

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2009/07/05

身体哲学からの提言(旧 「疲れた身体、疲れた心を癒す呼吸法!」)

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身体哲学からの提言
(旧 「疲れた身体、疲れた心を癒す呼吸法!」)


身体哲学研究所
http://body-mind-philosophy.org/

湧氣塾
http://www.you-ki-juku.co.jp/

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<身体哲学研究所通信第2号>

□■―目次――――――――――――――――――――――――――――――――■□
1.【第1回 身体哲学研究所活動報告】”Vision and Mission”
2.所長と研究員との対談 <研究員:堀井一弘>1
3.湧氣塾からのお知らせ
4.所長の著書の紹介

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みなさんこんにちは。
身体研究所研究員兼湧氣塾塾生のKです。
本日もメルマガをお楽しみください。


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1. 【第1回 身体哲学研究所活動報告】”Vision and Mission”
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こちらのコーナーでは、今回からしばらく、
身体哲学研究所とはなにか、について
お伝えしていきます。
まずは身体哲学研究所の、”Vision and Mission”についてです。


■なぜ身体か
ここ数百年の先進国の歴史を振り返ってみると
20世紀の半ばまではまさにデカルト的二元論の支配した時代でした。
二元論とはいうまでもなく精神と物質という異質のものの織りなす世界です。
しかし、デカルトの意図とは裏腹にこの二元論の世界において
身体は排除または宙吊りにされてしまいました。
身体はデカルトの考えたような機械論的な物質界には
属していないからです。
数理哲学者ホワイトヘッドが1920年代から
科学的世界観(機械論的自然観)を批判していたように
人間の身体も動物の身体(animal body)も
ニュートン的な物理学の世界では理解不能なのです。

正確にいえば20世紀に入り、
人文学の領域でようやく心や精神と同じように身体についても、
単なる物質としてではなく考察しなければならない
という傾向が表われてきました。
いい換えれば、精神や心の世界と身体は
相補的な関係にあるとようやく気づき始めたのです。
このことは、20世紀の入り口で近代的な精神(自我)を
極限まで追いつめたポール・ヴァレリーが、
同時に身体についても深い洞察をしていたことからも明らかです。
また、D・H・ロレンスも『精神分析と無意識』や『無意識の幻想』において
身体と心の世界の即相的な関係について直観的に洞察しています。

思えば、長きに渡ってキリスト教の
強い影響下に置かれていた西欧社会では、
身体は精神や魂に比べてはなはだ低い位置に
落としめられていたのです。
この近・現代史における身体の復興は、
1953年のワトソン、クリックによるDNAの二重ラセン構造という
生物の根本原理の解明で決定的になったといえます。
このことはマルクスの唯物論とは位相を異にしたレヴェルで、
人間はそもそも他の動物と同じフィジカル(身体的)な存在だ
ということを明らかにしています。

1970年代の分子生物学者ジャック・モノーの『偶然と必然』や
動物学者コンラート・ローレンツの『攻撃』はこうした流れを
より明瞭にしました。
しかし、様々な制度的な仕組みの中で生きている人間の常識(頭)は、
常に先端を切り開く知から大分遅れて軌道修正されます。
したがって、高度な情報化社会の中で脳に振り回されている現代が、
実は身体の危機に陥った時代だと正しく認識している人は
非常に少ないといえましょう。



■脳トレブームと日本人の身体の危機
日本には長い歴史の中で、坐禅(仏教行法)や武道をはじめ、
能やお茶、舞踊に謡(うたい)といった多種多様な芸能や
職人文化によって培われた高い身体性(身体知)がありました。
そのすぐれた特性をもつ日本人のデリケートな身体が、
今、決定的な危機に瀕し、確実に亡びつつあります。
例えば、秋葉原事件などに象徴される現代の異様な事件の続発は
端的にそうした日本人の身体の衰弱を表わしているといえましょう。

この日本人の身体の虚弱化の背後には脳化社会があります。
もちろん情報量が増し、知識が広がることは人間の知性にとって大切なことでしょう。
また脳科学の発達もそれ自体は大変望ましいことです。
しかし、日本人のすぐれた身体性を忘却し、
なおかつ、脳の身体全体おける位置づけを逸した
唯脳論(脳還元主義)的な脳科学者たちが
商業レヴェルの脳ブームに安易に便乗する最近の事態は、
この身体の衰亡を一気に速める憂慮すべきことだと
私たちは考えております。
そもそも機械論的な脳還元主義者たちが前提にしている
“心脳同一説”は哲学の世界でも脳神経生理学や
心理学の世界でもひと昔前の不備の多い仮説として
現在完全に否定されています。

少し考えてみれば当り前のことですが、
老人や子供たちに筋トレと同じ発想で脳トレをさせても
総合的に老人が健康になることも、子供たちが賢くなること、
すなわち、思考力そのものが増すこともありません。
筋トレ神話はスポーツの世界でも徐々に崩れつつあります。
(脳と筋力は共に外胚葉由来の体壁系に属し、類似的性格があります。)
これは脳だけを特別のものと考えずに
身体と脳を常に相補的なものととらえる
私たち身体哲学者にとって自明なことです。
現代社会に生きる虚弱な身体の老人や子供たちに一番必要なことは、
身体の一パーツにすぎない脳や筋肉の特定の部分を無理に鍛えることではなく、
身体を総合的、有機的に正しく使わせることなのです。
しかし、この身体を機械のようにではなく
いかに総合的に正しく使えるように教えるかという
実践的な問題に対する答えを、現代の身体の専門家
といわれる人たちは完全に見失っています。
いい換えれば大人たちが子供たちに
正しい身体の使い方を教えられなくなっているのです。

また、苛酷なストレス社会に生きるビジネスマンの心身を、
回復させる方法なども、実質的に身体文化を喪失しかかっている
現代の日本人には見つけだすすべがほとんどなくなっているのです。

身体哲学、すなわち、現状を変革する力としての
身体の知性を探求する身体哲学研究所は、
こうした問題に対してどこまでも本格的で
実践的な方法を提供していきます。

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2.所長と研究員との対談 <研究員:堀井一弘>“呼吸身法と悟り(上)”
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このコーナーでは、所長とともに
身体哲学に取組もうと研究所に参画した研究員と、
所長との対談をお送りします。
まずは堀井研究員の登場です。
堀井研究員については、こちらから。
http://body-mind-philosophy.org/member/

K:「今回より装いも新たにお届けしますこのコーナーでは、
身体哲学研究所の研究員たちの
研究テーマについて、所長と一緒に
研究員がディスカッションしていきます。
第1回は堀井研究員です。堀井さん、
よろしくお願いします。」

堀井研究員:「堀井です。よろしくお願いします。」

K:「堀井さんは、大学と大学院で哲学を専攻され、
最後はドイツに留学してドクターコース(博士課程)で
確かハイデガーを研究されたんですよね。」

堀井研究員:「ええ。ハイデガーを研究してきました。
まさしく哲学的ロゴスの世界であり、
そのハイデガーの哲学用語が
日常のドイツ語にもつながっているというのは、
日本では感じられない新鮮な体験でした。
しかし同時に、その西洋哲学の限界もドイツで
痛切に感じることになりました。」

K:「どのような点に限界を感じていたんですか。」

堀井研究員:「結局、常日頃所長がおっしゃっている
身体からの観点と実感が、西洋哲学では
決定的に欠けてしまうんです。」

所長:「それは無理もないことで、
身体の感覚は哲学(言葉)の概念のように安定しない
常に微妙にゆらいでいますから。
哲学、特にドイツ系の哲学はそれを嫌いますよね。
身体の感覚を優先させると詩(文学)になってしまいますから。」


堀井研究員:「でもハイデガーも詩にあこがれているところがあって
よくヘルダーリンを引いてくるんですよね。」

所長:「でも詩のようなアンビィギュアス(両義的、多義的)な
言葉では満足できない。
哲学者ですから(笑)。
ギリシアから生じた西洋哲学においては、
ともかく概念と論理をエッセンスするロゴスが
圧倒的に重視されてきました。
というか、ハイデガー的にいえば、古代のギリシア語と
近代のドイツ語は“哲学できる言葉”として、
特権的に信じられていたのです。」


K:「言葉を超えたものを身体でつかむ
東洋の行法的な世界とは、まったくちがいますね。」

所長:「ソシュールの言語学から生れたフランスの構造主義は、
レヴィ=ストロースにしてもラカンにしても
ロゴスのから解放されようとして
ある意味では仏教的世界に近づいていますが、
哲学の本場ドイツではなかなかそうはいかないですね。」


K:「ああ、確か中沢新一さんも、ラカンやレヴィ=ストロースは
仏教の世界につながっているとどこかで書いていました。
自分が20代に仏教に転向したのは構造主義がきっかけだと。」

所長:「だから、ヨーロッパにもロゴスから解放される道は
皆無ではなかったのです。」


堀井研究員:「でも、ドイツ哲学は難しかったと…。」

所長:「アドルノのようにロゴスをとことん相対化した人もいるし、
一時分析哲学も盛んになったりで、ロゴスの批判も起った。
つまり、ドイツ人でもロゴスから解放されることは
不可能ではなかったはずなのですが、
ともかく、ハイデガーは哲学的造語を駆使し、
極限までロゴスの道を突き進んでしまい、
それが二十世紀最大の哲学だともいわれたわけです。」


K:「これまでの哲学史上のすべての形而上学を批判して
唯一の哲学として“存在の哲学”を打ち立てたが、
それもひとつの形而上学(ロゴスによる仮想世界)
以上のものではないと…。」

所長:「そう簡単にいってしまうとハイデガーが
少しかわいそうかもしれないですが、ともかく私にいわせれば、
人間の存在の根源は身体以外にはないのだから、
ハイデガーにしてもコクスキュルなど生物学者の影響を受けて
人間は“”に帰属するとかいっているのですから、
人間をダーザイン(現存在)や世界内存在という観念性ではなく、
身体そのものとしてもう少し追求してほしかった。
それは結果的に人間をロゴスから解放することになる。」


堀井研究員:「私の問題意識もまさにそこです。
哲学の世界において、
身体を言語から解放したいんです。
でないと哲学には“救い”がないということになってしまう。」

所長:「“救い”というとキリスト教的になってしまいそうですが、
もっと広く仏教的な解脱や人間性の解放や超越という意味でも、
西洋の近代哲学にはもう“救い”はないんです。」


堀井研究員:「例えば、もっと素朴にいって
キリストは最後磔にされ、
ソクラテスは毒を煽って死にました。
それに対して、お釈迦さまは菩提樹の下で悟り、
そして安らかな死を迎えたとされています。
このあたりが西洋と東洋のちがいを
象徴しているように感じるんです。」

所長:「まさしく身体に対する
西洋と東洋の捉え方のちがいですね。
もっとも、仏教以前のインド哲学でも身体は不浄なもので、
魂は清いものと思われていました。
そこにおシャカさんが登場して、
仏教では身体を粗末にしてはならない、
と教えるようになったのです。」


堀井研究員:「私もいわゆるお寺での行をいろいろやってきたのですが、
正直あまり得るものはありませんでした。
明確な指導がないし、教えそのものもなんとなく
煙に巻かれているようでシャク然としなかったんです。」

K:「そのあたり、具体的に話していただけると
ありがたいんですが。」

堀井研究員:「例えば、“無を腹に置いて坐れ”といわれたりしました。」

所長:「確かに、それでは何をどうしたらいいか分りませんね。」


K:「所長の指導する坐禅とは全く違いますね。
観念的というか…。」

所長:「でも、そういう指導が多いのですよ。」


堀井研究員:「ムーと声を出しながら坐るということもさせられました。」

K:「“ムー”って、無になれってことですか。」

堀井研究員:「そういうことだと思います。」

所長:「ダラニや声明を唱えるというのは、
それなりに意味があるのですが、
“ムー”と唱えて無になれというのは無理がありますね(笑)。」


堀井研究員:「そこでひとつ所長にお尋ねしたかったのですが、
苦行と呼ばれるものについてなのですが、
本来苦行というものは、必要なのでしょうか。」

所長:「それは堀井君らしいとても本質的な質問ですね。
まず、単に身体をいじめることを
目的とした行は釈迦も否定しています。
ただ堀井君の場合は、行をした寺にも
問題があるかもしれません。
もっというと、行が定型のものとなったとたんに
行の本質が失われてしまうという難題が
そこにはかくされているのです。」


K:「それは普通の人は気が付かないことですよね。」

所長:「そう、普通の人は行ということも頭で観念的に考えますから、
何か真理に至る決定的な方法がひとつあって、
ただそれをやっていればいいと。
しかし、それは誰にでもできる簡単なものではないだろう。
だから、それは難行苦行であるはずだと。
でも、身体の真理、つまり悟りは、頭の世界とは根本的に違うのです。」


K:「だから、頭の世界や言葉の世界を
乗り超えることができる世界なんですよね。
まだ僕の場合半分は言葉で分ったふりをしているのですが(笑)。」


所長:「誰でも悟れるひとつの方法なんてない。
なぜなら、身体はひとりひとり違うし、
同じ人でも刻一刻変化している。
しかも、身体の上達にはプロセスがあり段階がある。
それぞれの段階にふさわしい身体の問題意識も
大切になってくる。
私がいつもいうように、身体は機械ではないのです。
だとすれば、どうして、これをやれば誰でも、
どんなレヴェルの人も悟れるなんていう
魔法みたいな方法があるんですか。」


堀井研究員:「そういわれればその通りですね。
私の質問は愚問だったかもしれません(笑)。」

所長:「いや、決して愚問ではないのです。
根本的な盲点を明らかにしようとするいい質問なのです。
そのひとつの真理を体現する方法が誰にでもできるものではない、
つまり、苦行だといったとたんに真実味を帯びてきてしまう。」


K:「そういうトリックがかくされていたのですか。」

所長:「トリックというといい過ぎかもしれないけど、
ともかく、死ぬ可能性がある苦行ということにしておけば
だいたい普通の人は信じてしまう。」


K:「その言葉の虚構にだまされてしまうんですね。」

所長:「K君はリアリストだから、だまされてしまう、ウソがあるというけど、
もうひとつ、そこにある真実も確かに含まれているので
話はさらにややこしいんです。」


K:「段々所長の話らしくなってきましたね。
それで、そのある真実とは何ですか、とお聞きしたいところなんですが、
紙面の関係で、この続きは次回掲載させていただくということで
今回はひとまずこの辺で終らせていただきたいのですが。」

所長:「そうですか。
では次回は堀井君の研究テーマにつながる“行と悟り”について、
さらに突っ込んだ話をしてみたいと思います。」


堀井研究員:「よろしくお願いします。」


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4.所長の著書の紹介
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『「阿修羅」の呼吸と身体-身体論の彼方へ』(現代書林)
詳しくはこちら
http://www.you-ki-juku.co.jp/chosho_info.html


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●発行者
身体哲学研究所
http://body-mind-philosophy.org/

身体哲学道場 湧氣塾
http://www.you-ki-juku.co.jp/index.html

●バックナンバー 
http://blog.mag2.com/m/log/0000239398/

●お問合せ:info@you-ki-juku.co.jp
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