2009/06/19
身体哲学からの提言(旧【疲れた身体、疲れた心を癒す呼吸法!】)
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*==*=*=*= 身体哲学からの提言 (旧 「疲れた身体、疲れた心を癒す呼吸法!」) 身体哲学研究所 http://body-mind-philosophy.org/ 湧氣塾 http://www.you-ki-juku.co.jp/ =*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*==*=*=*= <身体哲学研究所通信第1号> みなさん、こんにちは。 2週間ぶりのご無沙汰です。 湧氣塾、塾生のKです。 前回号で、本メルマガは100号を 迎えることができました。 読者のみなさま、本当にありがとうございます。 そして本メルマガの内容について、 今後のメルマガを読者のみなさんにとって、 より有意義なものにするという観点から、 塾長といろいろと検討してきました。 そしてメルマガでも度々ご紹介しておりますが、 この度我々湧氣塾の塾生を主要メンバーとし、 塾長を所長とする、 「身体哲学研究所」を立ち上げました。 http://body-mind-philosophy.org/ 詳しい内容は、是非上記ホームページを ご覧頂けたらと思います。 本メルマガは、タイトルも、 『身体哲学からの提言』 と改め、 次号からは身体哲学研究所での研究内容を中心に、 新しい内容でお届けしますので、 お楽しみに! それでは最後に、所長が6月16日に 「頭脳の知恵から身体の知恵へ」という題で 福岡で行った講演のレジュメを所長より 『身体哲学からの提言第一号』として載せることにします。 「頭脳の知恵から身体の知恵へ」−元気が出てくる植物性身体って何?− 勇崎賀雄 私はこれから、“頭脳の知恵から身体の知恵へ”という テーマのお話をさせていただきたいと思います。 しかし、そのお話しをするだけではなく、私が実践し、 指導している“身体哲学”というのは頭の中だけであれこれ、 例えば「人間とはどんな存在か」だとか 「人間としてのよりよい生き方はどんな生き方か」だとか考える 従来の西洋流の哲学ではありませんので、 皆様にもぜひ私と一緒に身体を使って、 「自分にとってよりよい生き方」を探っていただきたい、 哲学探究していただきたいと思います。 では、まず初めに3分間、姿勢と呼吸を整えて、 “黙想”していただきたいと思います。 この黙想という身体の調整法、 正確にいえば身心の調整法を私は50年以上前、 小学校に入学した頃に通い始めた柔道の道場で教わりました。 柔道の稽古の最初と最後に1分ぐらいだったと思いますが、 師範の先生の「モクソウ!」という号令と共に、 ともかく正坐をしたまま黙って目をつぶるのです。 その時は“黙想”という字も、「黙想」と「黙禱」の違いも知らぬまま、 ともかくじっとして儀式のようなものだと思い目を閉じていました。 これが私のいわゆる心身を整える“行法”に出会った最初でした。 そして、この“黙想”が単なる儀式ではなく、 坐禅に通じるものであり、西洋ではメディテーション(瞑想)と呼ばれる すばらしい行法的意味があるのだと気づいたのは、 それから30年近くたってからのことでした。 その間、団塊世代、あるいは全共闘世代の私は、 西洋から借りてきた大学の学問、つまり、 頭脳で築き上げた合理的な理性としての知が、 いかに内部矛盾をもち、脆いものかを実感しました。 これは、40年後の現在、皆さんが目にしている サブプライム問題に端を発したアメリカ経済の破綻と 本質的にはほとんど同じ事態だったといっていいでしょう。 私は大学では哲学を学ぶつもりでいたのですが、 頭で都合よくつくった観念的な知が音を立てて 崩れるのを目の当りにした後だっただけに、 借り物の知に頼っていては始まらないと思い、 結局ほとんど独力で必要な領域の学問をコツコツ 勉強することにしました。 私が「頭の哲学」ではなく「身体の哲学」を始める きっかけになった話をしましょう。 学生の時に素朴に思ったことは、 自分の哲学や生き方に身体を張れていない学者はダメだ、 信用できないということです。 東大や早稲田など、一流大学の哲学の教授たちは、 大学闘争が起きた時、ほとんどが逃げ出しました。 そう思って見れば、日本の学者は総じてそこそこ勉強をしているし、 頭は確かに優秀なのですが、簡単にいうとひょろひょろしていて 存在感がなく、腹が出来ていないのです。 その点欧米の学者はもう少しドッシリしています。 少なくとも多少のアグレッシブな衝突にも耐えられる体力、 いい換えれば氣力や胆力、もう少し正確にいえば、 身体(腹・丹田)の力にささえられた知力や精神力があるのです。 でも本当はこれはおかしなことではないでしょうか。 長い歴史の中で、氣力、胆力という東洋的身体性を 文化の要として知性を育ててきた日本人が明治以来、 頭中心の合理的知性の受容を急ぐあまり、 気がついたら一番大切な身体性(氣力、胆力)を失ってしまい、 むしろ西洋人の方が知的な人間にとって必要な氣力、 胆力をもっているというのですから。 私は、学生の時、ぶざまで虚弱な大学教授を前にして考えました。 昔の日本人の知者ならこうはならないだろう。 では一体、昔の代表的な知者とはどんな人だろうと。 そこですぐ目の前に浮び上ってきたのが、僧侶でした。 弘法大師でも道元でも沢庵和尚でもいい。 昔の坊さんは、肝もすわっていて、知恵もあり、 一般の人からの人望もありました。 そこで立ち上がってきた一番本質的な問いは 今の大学教授と昔の坊さんの違いはどこにあるかということです。 答えはすぐ出てきました。 昔の坊さん達は勉強だけをしているのではない。 むしろ一番大切なこととして常に行(ぎょう)をしている。 分りやすくいえば、いざという時、より自分らしく 生きられるように普段から身体を鍛錬(たんれん)しているということです。 しかし、ここで注意しておきたいことは、 「鍛錬」の「鍛」が鍛(きた)えるという字なので、 現代風に筋肉トレーニングと短絡してとらえては いけないということです。 筋肉は、脳と同じ外胚葉由来の“体壁系”という 身体の分類に属しています。 私が重視している身体は内胚葉由来の腸を中心とした “内臓系”であり、これを植物性身体と呼ぶ学者もいます。 だから、私のいう僧侶の身体の鍛錬とは、 “体壁系”の身体(動物性身体)を強化する “筋肉トレーニング”ではなく、“内臓系”の身体(植物性身体)を 活性化させる“呼吸法”だということです。 したがって私の身体哲学の基盤は呼吸法を中心にした 行法の実践研究ということになります。 しかし、これだけでも納得のいく成果を出すまでに 20年以上の歳月がかかりました。インドから始まったヨーガや 仏教行法を始めとして中国の道教や神道、武道、武術も 修得しなければならなかったからです。私は幸いなことに 様々な縁に恵まれ、ほとんど最短の時間で最高の結論に たどりつくことができたと思っています。 そこでの最大の苦労は、長く言い伝えられるものの中に、 間違った俗説が含まれていて、それを実証的、 また実践的に訂正しなければならなかったことです。 端的な例は、かなり広く行き渡っている 「おシャカ様の呼吸法は吐きを強調したもので、 呼吸において大切なのは、吸いではなく、吐きだ」という俗説です。 これは、少し考えればおかしいことがすぐ分ります。 吐くことだけが大切ならば酸素などいらない ということになってしまいます。呼吸とは人間が生きていく上で 何よりも欠かせない酸素というエネルギーを取り入れることが 一番大切で、そのために使用ずみのエネルギーである 二酸化炭素を吐く必要も出てくるのです。 このあたりは、実践の中で具体的に説明したいと思います。 最後に、21世紀の人間の知恵を切り拓くものとしての 私の身体哲学の要点をまとめておきたいと思います。 日本には本来、坐禅(仏教行法)や武道をはじめ能やお茶、 舞踊に謡(うたい)といった様々な芸能や職人文化によって支えられた 高い身体性(身体知)がありました。それが明治以降、 近代化の嵐の中で合理的、理性的な頭の知(計算能力)と それが生み出すテクノロジーによってほとんど見失われてしまいました。 敗戦とその後のアメリカ経済への追従、物質主義、 情報化社会の到来が、さらに日本人の身体性を稀薄にしました。 そして日本人は気がついたら<頭脳知>絶対主義に 追い込まれていたのです。 しかし、アメリカ型の冷ややかな金融資本主義が 破局を迎えた今こそ、日本人は本来の人間味のある 身体文化を取り戻す必要があるのです。困難な時代を 前にすると頭はたやすく悲観主義に陥ります。実際、 自殺者が絶えないのは悲しいことです。 一方、身体が元気ならどんな時でも楽観的に 生きられるものなのです。生命エネルギーとはそうしたものです。 具体的、実践的な話でまとめましょう。 日本人の生活の中に伝統的行法である呼吸法と坐禅、 あるいは黙想、メディテーションを取り戻す。また、 それらを単に取り戻すだけではなく、現代的、 普遍的な観点からより積極的に導入する。 具体的にいえば、骨を呼吸運動によって強化する方法を 組み込むことによって、忍耐力、持続力ができ、 感性や直観力にあふれた本来の日本人のように 寡黙(かもく)で(言語に振り回されない)ねばり強い“植物性身体”を 確立しようということです。 (最近巷で虚弱な男性を「草食性人間」、「植物性男性」と いったりしますが、私のいう“植物性身体”とはこれとは全く異なります。 詳しくは拙書『脳ひとり歩き時代』−河出書房新社をお読み下さい。) ストレスの多い脳化社会に生きていて、 脳に集ってくる欲望に毒された過剰なエネルギーを浄化し、 鎮静化することは至難の技です。その最良の方法は、 姿勢を整え、正しい呼吸をして黙って坐ることです。 これに勝るものはまずないといっていいでしょう。 頭から出る毒は身体で浄化しなければならないのです。 では最後にもう1度3分間黙想して終りたいと思います。 ------------------------------------------------------------------------ ●発行者 身体哲学道場 湧氣塾 http://www.you-ki-juku.co.jp/index.html 身体哲学研究所 http://body-mind-philosophy.org/ ●バックナンバー http://blog.mag2.com/m/log/0000239398/ ●お問合せ:info@you-ki-juku.co.jp ----------------------------------------------------------------------------- この情報はまぐまぐの無料メルマガ配信システムを利用して、 ご希望いただいた方に配信しています。 万が一ご登録の覚えがない場合は、 お手数ですが以下のページにアクセスし、 配信を解除してください。 http://www.mag2.com/ * ご意見、ご感想など、ぜひお気軽にお寄せください。


