2009/10/18
第139回 自分の作文なのに……
☆―――――――――――――――――――――――――――――――――☆ ばなな先生の おとなとこどものための おきらく 作文教室 No.139 2009.10.18 ☆---------------------------------☆ こんにちは、 「自分科塾ばなな」 の講師 「ばなな」ともうします。 今回もどうぞよろしくお願いいたします。 茂木で行われている田んぼ塾 「仲澤塾」で収穫された新米をいただきました。 とっても美味しくできました。 収穫のヨロコビ。 自分たちが手がけたものが、 こうして結実することって とっても嬉しいですね。 そして、同時に 「まかない種は収穫できない」 ということを、当たり前ながら思います。 今、様々なところで 「努力」「失敗」 という種をまいている方がいることと思います。 その種は、いつか収穫のときをむかえることを 強く信じていてくださいね。 目次 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■ □ □ ■ ■ □ ♪ 自分の作文なのに…… ♪ □ ■ ■ □ □ ■ ♪ 編集後記 ♪ ■ □ □ ■ ■ ■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■□■□■□■□■□■□ =============================== ♪ 自分の作文なのに…… ♪ =============================== 場所によっては、 10月期の作文講座の案内が、 カルチャークラブのチラシに紹介されています。 3月までの半年、 楽しんで実践していきたいと思っています。 わたしは、 子どもに想像力を持って欲しい、 という意図から、 よく、ファンタジーを書いてもらっています。 想像したものは、 創造されるからです。 創造はすべて、 想像されたものによって生まれます。 そして、どんなに辛く、苦しいときも、 想像力があれば、 明るい未来を創造することができるのです。 そのファンタジーを読んでいると、 ある傾向があります。 読み終えると、 「正しいなぁ」と感じるのです。 そして、 「正しいけれどなぁ……」 と思うのです。 例えば、 登校したら、学校がなっていました。 という話の「まくら」に続きを書くとします。 子どもたちは、作品の中で遊びはじめます。 それぞれが好きなこと、 やりたいこと を書きます。 ところが、何人かの子どもは、 作品の「オチ」に。 家に帰って宿題をしました。 先生がやってきて叱られました。 学校が引っ越していてみんな勉強していました。 お母さんがやってきて、家に戻され勉強をしました。 と現実的な、そしてある種「正しいオチ」を書きます。 それが楽しければいいのですが、 たいてい 「書いていてだんだんつまらなくなってきた」 といいます。 なかには、イライラして、 ささくれだってくる子もいます。 関わっていてとっても悲しい瞬間です。 「正しい」ということは 必ずしも「書きたい」こととイコールではありません。 自分の作品でありながら、 誰かの顔色を気にしているのです。 わたしも、創作をしていると 「どうしたら賞に入るんだろう」 「編集の人が好む作品って何だろう」 と囚われることがあります。 そんなとき、 やはり外側の目を気にして 文章を書いています。 その賞をはずしたとき、 ものすごく自分を責めます。 あるいは、受賞した作品をねたみます。 だから、ものすごく 子どもたちの気持ちがわかります。 ================================== ♪ 編集後記 ♪ =================================== 外側の目に意識が囚われてしまったとき、 わたしは、子どもたちに 「それでも書きましょう」 と言います。 違う作品を。 あるいは、 本当に書きたいものが 書けるようになるまで。 囚われていても かすかに芽生えている 「書きたい気持ち」 を大切にしましょう、 と言います。 小さい頃、 わけのわからない絵を 親に見せて つばがとびそうな勢いで、 その作品の世界を説明したことと思います。 そのとき、 親の望んでいるようなものは 描かなかったはずです。 とにかく種をまきましょう。 まかない種は育ちません。 とにかく書きましょう。 書かない文は、何も伝えないのです。 最後までお読みいただき ありがとうございました。 また次回もよろしくお願いいたします。


