2009/04/25
第109回 「愛」の反対
☆―――――――――――――――――――――――――――――――――☆ ばなな先生の おとなとこどものための おきらく 作文教室 No.109 2009.4.25 ☆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−☆ こんにちは、 「自分科塾ばなな」 の講師 「ばなな」ともうします。 本日もどうぞよろしくお願いいたします。 今週から、週に4回ほど、 公立小学校に通い始めました。 書写や図工を教える 非常勤講師になりました。 あいさつ代わりに 担当するすべてのクラスで 「○△□の物語」をしました。 子どもたちは、すばらしい。 それが率直な感想です。 こちらが楽しそうに授業していると、 一緒になって楽しんでくれるのです。 そして、表現されたものも、 じつにユニークで独創的です。 こちらに紹介できないのが本当に残念です。 そしてシンクロなのでしょうか? 勤務先(二校)には田んぼも畑もあり、 非常に農業的な環境に恵まれたところでした。 これから楽しみです。 ■□■ 目次 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■ □ □ ■ ■ □ ♪ 「愛」の反対 ♪ □ ■ ■ □ □ ■ ♪ 編集後記 ♪ ■ □ □ ■ ■ ■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■□■□■□■□■□■□■□■ =================================== ♪ 「愛」の反対 ♪ =================================== これは、最近読んだ本の一説です。 読み終えて「はっ」としました。 その本は、問いかけています。 「愛」の反対って何でしょう? わたしは、 「怒り」 「憎しみ」 だと思っていました。 ところが違うようです。 「罪悪感」 なんだそうです。 「怒り」や「憎しみ」は、 自己愛が根底にあって、 自己愛が刺激されたときに 生じる感情なんだそうです。 愛は「与える」という行為なのですが、 怒りにしても憎しみにしても 「与える」という積極性を伴う以上、 愛の一種なんだそうです。 ところが、 「罪悪感」というのは、 自分が「与える」に値しない という自己否定から始まるので、 愛の対極なのだそうです。 読み終えて、 その通りだ、と思いました。 以前にも書きましたが、 わたしは小さい頃 「母親の子どもである」ということに 罪悪感を持っていました。 「ぼくがいなければ」と思っていました。 また、「男性である」ということも 否定していました。 つい最近まで、わたしの書いたものなんて……、 と思う自分もいました。 わたしのこうした考えは罪悪感です。 子どもたちにも「どうせわたしなんて……」 と思う子がいます。 それは、自分であることに 罪悪感を持っています。 親の期待や願いに応えたい、 でも応えられていない、という ジレンマを感じています。 しかし、よく考えてみると、 罪悪感のある子は、 両親に「与えたい」という 強い願いをもっています。 ですから、 「君にも十分誰かに与えることができるんだよ」 ということを気づかせることによって、 「愛ある子」にシフトできるはずです。 光を描く為に影を濃く描くように。 罪悪感のある人ほど、 自分にある「与える愛の力」に 気づけるはずなのです。 ================================== ♪ 編集後記 ♪ =================================== わたしの下の子が、 この春幼稚園に入園しました。 三日めから 「もう行きたくない」 と言い出し、 ぐずくずしていました。 先日、とうとう体調を崩し、 二日間休みました。 二日間、たっぷりママと一緒に過ごしたら、 昨日「がんばってみるよ」 と言って出かけていきました。 新学期、皆様もお子様も色々あると思います。 でも罪悪感を持たないでくださいね。 そして罪悪感をもつ人には、 大きな「愛」を与える力も備わっていることを 忘れないでください。 最後までお読みいただきありがとうございました。 ☆☆★★☆☆ ☆☆★★☆☆ ☆☆★★☆☆ ☆☆★★☆☆ ☆☆★★ http://www.youtube.com/watch?v=lQXYspIPlqc



