2009/04/17
第107回 教えない教育(3)
☆―――――――――――――――――――――――――――――――――☆ ばなな先生の おとなとこどものための おきらく 作文教室 No.107 2009.4.17 ☆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−☆ こんにちは、 「自分科塾ばなな」 の講師 「ばなな」ともうします。 本日もどうぞよろしくお願いいたします。 まほろば自給自足塾の様子を ブログにまとめはじめました。 http://plaza.rakuten.co.jp/bananajyuku/ 塾の宣伝や紹介、 とわたしのような農業未経験者への 情報提供もありますが、 自分へのフィードバックを兼ねた表現 というウェイトの方が大きいかもしれません。 よろしければお立ち寄りください。 ■□■ 目次 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■ □ □ ■ ■ □ ♪ 教えない教育(3) ♪ □ ■ ■ □ □ ■ ♪ 編集後記 ♪ ■ □ □ ■ ■ ■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■□■□■□■□■□■□■□■ =================================== ♪ 教えない教育 (3) ♪ =================================== 学校の先生を辞めて、 新しい教育を始めよう、 塾を開こう、 と勇み立ったものの、 いったい自分に何ができるのかな、 と悩み続けました。 いまだにその答えは出ていません。 しかし、たくさんの切り口は見つかりました。 循環の中に身をおき、 自分たちを取り巻く循環に気づく。 すると、わたしたちが 努力して特別な存在になることなどなく、 ありのままを表現していいのだ、 と気づかせてくれます。 そして、周囲の人間は、 母親がわが子を見守るように、 表現したものを無条件に認める。 学問は、ありのままを表現するときに 使う手段に過ぎないような気がするのです。 例えば、自分に起こった感動を ある者は数式で表現し、 ある者は絵画で、別の人は文章で、 そしてそれを共有する。 それが本人にとってワクワクするものであれば、 ツールはなんでもいいような気がします。 勉強は、苦手なものを知るためにある、 ワクワクするものを見つけるためにある そんな気がします。 大人は、できるだけ教えこまず、 そのきっかけだけを準備する。 必要なタイミングで提示する。 ここにくれば「何かある」と伝える。 今後の教育がそうなっていくことを望みます。 しかし、これだけ教えこんでしまうと、 そのきっかけだけ用意している場では、 子どもたちが混乱します。 わたしの作文教室でも、 どうしていいのかわからず、 わたしに答えを求めたり、 とにかく手持ちの荷物を降ろすように 遊びまくったりします。 わたしもなんだかんだ言っても 模索しています。 反省と落ちこみと喜びのスパイラルです。 たまにしかあわないので、 子どもたちに遊ばれてしまうのは わたしからすると、 哀しくもありますが、 以前お話した 「セイタカアワダチソウの歌」 なのでしょう。 わたしへの問題提示と、 そして本人たちの浄化でもあるのです。 ================================== ♪ 編集後記 ♪ =================================== まほろば仲澤自給自足塾は、 農的な実践もさることながら、 夜に講義があることも 魅力です。 (単発での参加も可能です。 お問い合わせは、メダカのがっこう Tel:0422-70-6647 Fax:0422-70-6648 e-mail:npomedaka@yahoo.co.jp までどうぞ) 以前紹介したスタッフの井村さんは、 講義の場で、 「農と芸術の共存した場をつくりたい」 とおっしゃっていました。 これからの教育の大きなヒントとして、 わたしの心を揺さぶる言葉でした。 最後までお読みいただきありがとうございました。 ☆☆★★☆☆ ☆☆★★☆☆ ☆☆★★☆☆ ☆☆★★☆☆ ☆☆★★



