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2008/02/29

ウミガメのサンラン#006

〈日常〉

自分の生まれた環境が自分の求めるように
完璧に調っているという人はあんまりいないんじゃないか
と思う。

私ももちろんそのうちの一人で
愛情が欲しいとかそんなことを言って
自分の両親や祖父を責めてきた。
責めてきたのだけれども、
自分でも実のところなんで責めているのかが言葉にできずに
突き上げる不安と不快感をどうしたらいいのかわからず
ただひたすら反発してきた。

実家にいた頃の自分と、実家を出てからの自分の悩みを
一言で言うと
何をどうしたらいいのかわからない、だった。
日常生活をどう送ったらいいのかわからなかった。
家で生活をする上で色々と注意されてきたけれど
それが何故だめなのか全くわからなかった。

なぜ部屋を片付けなくてはならないのか?
なぜ布団はたたんでしまわないといけないのか?
食事中なぜ話してはいけないのか?
なぜ服はたたんでおかないといけないのか?
なぜお手伝いをしなければならないのか?
なぜ決まった時間に起きて顔を洗って
歯を磨いてからご飯を食べなければならないのか?
挙げだせばきりがないけど
私はその全てになんとなく戸惑いを感じていた。

生活の流れ、とその行動に移る動機、というものが
全くわからなかったのだ。
実家では自分を無視したところでその日常大会は
行われていて、それの参加を強要されていたのだと思った。

大学に入学して一人暮らしをはじめた時
自分の頭の中に何も浮かんでこないので焦った。
やばい、私はこの日常をどう生きていいのかわからない。
そう思った。
20代はカウンセリングを受けながらも
次の行動をどうしたらいいか?と
いうのがわからなくて混乱していた。
部屋は乱れていて、洗濯も食器もそのまま何週間も放置していた。
そうじもほとんどしなかった。
なんとなくご飯を食べて、シャワーを浴びて、外に出て…
というのの繰り返しだった。

ある日、友だちが家にきた。
私がむいた林檎をいつまでも食べないので
食べていいよ?
と言ったら、家ではむいてくれる人を待ってから食べてたから
と言われて待っていてくれたときに、
大げさじゃなく、夢みたいだなぁと思った。
そこには明らかに思いやり、という気持ちの流れがあった。

待っていても待っていなくてもいいのだ。
なんでそこまでその友だちの行動にガーンときたのか?と
思っていたけど
そこに気持ち、心が作用している事に私は感動したのだな
と今になって思う。

30代になっても
食器洗いが苦になってしょうがなく苦しくて考えたり、
そうじ力に傾倒してみたり
でもそうじの仕方を完璧にしようとしすぎて途中で挫折したり
自分なりにいろいろあがいている。
行動を自分に合わせて生活スタイルを変えて行くにつれ
自分が育ってきた段階で違和感を持っていた日常での行動が
私には無理だったと思ったり
意外と自分も強要されてきた部分と
結果的に同じ事をしているなぁと感じたりして
自分の中で比較できるようになってきた。

同じ事をしていても自分がその行動の中で生きているか
死んでいるかで生きる気力は全く違ってくるように思う。

私自身もそうこうしているうちに
次の行動にうつる、これがしたいという気持ち。
その行動をすることが快いという気持ち。
その行動が苦痛なときは苦痛でない方法を考えること。
などが自分の内に少しづつ湧いてくるようになった。

気持ちひとつひとつが自分に湧いてくるというのは
本当に嬉しい。
それを大事に抱えたい。手放したくない。

私がずっと欲しかったのは、こういう
自分の伴った普通の日常だったのだと思った。

調わないことだらけだとずっと不満に思っていたけれど
自分の日常がなんとなくわかってきたときから
生きる事が前より苦ではなくなった気がする。

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