2009/08/20
金大中先生へ
「韓国通信 第31号 2009年8月20日」 金大中先生へ 何回か死の直前に生き返られたことがあるので、今度もまた立ち上がられるだろうと思いました。 しかし、8月18日午後1時43分、延世大学セブランス病院の担当医者の発表を聞き、べたりと 座り込まずにはいられませんでした。 ノムヒョン前大統領の死に対する哀悼の気持ちが消えない内に、またその衝撃と悲しみに触発され、 民族指導者と言われた先生まで逝去された現実。これをどう受け取ればいいか、息が止まるような 気持ちで茫然自失です。 これからだれが民主主義のため先頭に立ってたたかってくれるでしょうか。だれが南北和解や、労 働者農民などの貧困層の福利増進のため叫び続けてくれるでしょうか。私は人権と平和、そして社 会正義の実現に先生ほど献身的であった人を知りません。 先生は全斗煥軍部独裁勢力に死刑判決まで下されたにも、和解の手を差し伸べ彼を容赦しました。 市民に対して銃を発砲し、国民の権利を強奪した独裁者を許すことに寛大な人は世の中にほとんど いないと思います。しかし先生は「罪を憎んで人を憎まず」という精神を身をもって実践されました。 ノベル平和賞はそのような精神によって齎されたものであるに違いありません。 思い返してみると、先生の言葉にはいつもユーモアとジョークが入っていました。ところがそれは、 全羅道の方言と混じって非常に庶民的で、親近感に溢れるものでした。時代の激浪に揉まれながら 生涯を民主発展と「行動する良心」のため、一貫して信念の哲学を具現してきた先生の言説を慎重に 受け入れない国民はいなかったはずです。一方、先生のユーモア豊富で庶民的な姿にみんな格別な 愛情をそそいでいたのも事実です。 そのような親近感が人権を尊重し、その価値を実現するため、全ての努力を傾けた先生の顔にその まま表われていたことを御自身は知っていますか。北朝鮮の人々もおそらくそうした先生の人間的な 面貌に共感していただろうと思います。 先生の未発表の演説原稿(先月7月14日、駐韓EU商工会議所の招聘演説の原稿。用意されたが、 肺炎で入院、発表されなかった。)を読んだ瞬間、私は如何に先生が民族問題に洞察力を持った 指導者であったか、あらためて実感しています。 多くの人々は北朝鮮が決して核を諦めないだろうと言っています。しかし、それは事実とは言え ません。証拠があります。北朝鮮は1994年の米朝ジェネバ合意を通じて核を諦めました。しかし クリントン政府を受け継いだブッシュ政府は、当時合意した軽水爐建設、国交正常化、経済協力など の約束を破棄しました。そして米朝間実質的な合意に近づいた長距離ミサイル問題の協商もブッシュ 政権によって破棄されました。 これに反発して北朝鮮はNPT(核拡散防止条約)を脱退し、IAEA(国際原子力機構)の監視要員を追放 させ、核実験まで強行しました。北核問題はまた硬く凍りつくような状態となりました。ブッシュ政 府は6年間北朝鮮にあらゆる圧迫を加えましたが、成功できませんでした。 結局アメリカは態度を変え、2005年9月19日、6者会談の合意を通じ核問題解決の道を開き ました。「北朝鮮は核を完全に諦める。アメリカは北朝鮮と国交を正常化し、経済支援をする。アメ リカと北朝鮮は協力して朝鮮半島に平和体制を実現する」などの内容が合意されました。(略)しかし、 また核査察問題、エネルギー支援中断などで混迷した事態が繰返される中にブッシュ政権は退きました。 その後、北朝鮮の指導者と直接対話を通じて核問題を解決すると言ってオバマ政権が登場しました。 「金大中平和センターが17日に公開したもの」 オバマ政権に入ってまだ成果は見えない状態ですが、現状を把握する目はさすが鋭く、北核問題の背景と 原因を診断する深い思考に頭を下げざるをえません。そのような見解に多くの人々は共感を示しているし、 北朝鮮の金正日委員長も先生の逝去に心から哀悼の心境を表しています。 先生が韓国の大統領として初めてピョンヤンに入り、金正日委員長と握手をしたことは、平和とは何か、 民族同質性とは何かを世界の人々に歴史的教訓として指し示すものであったと思います。 昨日(5月19日)、北朝鮮の中央通信は、「金大中前大統領が逝去されたという悲しい便りに接し、 李姫鎬女史と遺家族らに哀悼の意を表する」、「金前大統領が惜しく逝去されたが、彼が民族の和解と 統一念願を実現するための道に残した功績は民族と共に永遠に伝えられるだろう」という金正日委員長の 言葉を伝えています。朝鮮労働党の主要幹部らは金委員長の金前大統領への手向けの花を持って葬式に 参席するというので、二人の関係は先生の死後にも続いていると言っていいでしょう。 先生の逝去を契機にイデオロギーや年齢や階層を超越した、統合と和解の雰囲気が拡散しています。先生と 対立した今の与党勢力とハンナラ党議員らも先生を追慕する運動に参加しているし、ノベル賞受賞者は勿論、 世界の著名な方々からも哀悼の言葉が続々と届いています。 37日間病床についておられたとき、お見舞いに来た人らの中には政敵と言われる人もいれば、先生が 激しく抵抗した軍部クーデターの主役もいました。しかし、その期間が東西和解(全羅道と慶尚道)、 理念と階層の克服の時間であったことを否認する人はいません。 先生は生前地域的限界を乗り越えることを目標としましたが、それを実現することはできませんでした。 ところが病床に民主化同志、金永三前大統領を呼び寄せることによって、劇的な和解を成し遂げたとも 言われています。 1987年大統領統一候補の話し合いに失敗し、野党の分裂の責任を追究されながら、金永三氏(政治的 基盤は慶尚道)とは反目と嫉視の関係を見せてきました。だが、病院を訪れた金永三前大統領の和解宣言 によって、二人の対立関係に終止符は打たれたとも見る人が少なくありません。 逝去するまで和解と容赦の精神を実行した民主主義の巨木金大中。そのように聞かれるのは、多くの国民が 先生の一生に価値を付与し、評価していることの証拠ではないでしょうか。 先生の故郷は私と同じく務安でしたね。しかし、私は先生を同郷出身の大統領として認識したことはありま せん。先生の名声を下げるような失礼なことだと思ったからです。 ノムヒョン前大統領の永訣式のときに見た先生の痛恨の表情は一生忘れられないでしょう。「私の体の半分が 崩れたような心境」だと述べましたが、その心境がどのようなものか、よく理解できます。 どうか天国で見守ってください。 先生が念願し続けられた南北和解と民主主義の時代はきっと到来するでしょう。 民族指導者として我々の心に永久に生き残り、民主主義と平和の道に我々を引導してくださることを信じます。 金大中先生、くれぐれも安らかに永眠してくださいませ。 発行者 金正勲 http://kjh.rakurakuhp.net


