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2009/06/16

追悼! 三沢光晴

テーマ:追悼! 三沢光晴 

今日のジャンル
プロレス&ナレッジマネジメント
エモーショナル・ブランディング

教科書:ナウエコノミー―新・グローバル経済とは何か 野呂 一郎


価格:¥ 3,465(定価:¥ 3,465)

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参考ページ:P174 なぜ、最近の米企業CMはプロレスといわれるのか

■やりきれない誤解

 三沢選手のこと、テレビである放送関係者の方が

「プロレスは受身のスポーツ。受身をうまく取れば、かけた技が映える。

三沢は受身の天才で今回は外した」などと言っていましたが、そんなことは

プロレスに対しての偏見でしかありません。

プロレスに愛のない人の言葉は、プロレスファンは敏感に察知するものです。

要するにプロレスをある種の偏向的な枠にはめてみている。その言葉に、

プロレスを軽く見ている価値観が入り込んでいることに気がつかない。

プロレスというジャンルは、偏見にさらされ、虐げられてきたけれど、

その実、隠れファンが非常に多いジャンルです。最近文化人と称する人たちが、

その人気に迎合してファンを気取るけれど、にわかファンを、

プロレスファンはわかってしまう。そんな人たちに、プロレスについて

テレビで語ってほしくない。三沢のことを軽々しく言うな、

そう思ったファンは多いはずです。


■プロレスとは受身にあらず

 プロレスを受身、という人がいるが、それは下手をすればプロレスはやらせ、

に聞こえる。公共の電波でのこういう発言は、プロレスを貶めることになり

かねないのです。だからこういう不用意な発言をすることは、プロレスに対して

愛がないということになるのです。プロレスとは真剣な攻防が基本の競技で

あり、受身とは基本的に見せるためのものではなく、自分を守るための

技術なのです。プロレスとは技の掛け合いではなく、勝つための

シュミレーションであり、勝つための戦略です。かの発言者に代表されるような、

したり顔の世間の誤解は、そこなんです。作られたものではなく、自然で

リアルな競技、それがプロレスなのです。本物のプロレスは、わざと技に

かかるなどはしない。なぜならば、作られたわざとらしさは、カスタマーを

打たないからです。感動させないからです。

リアリティ、リアルこそが、プロレスの命であり、技を見せるための受身、

などという不自然さは、実はプロレスではないのです。

これは拙著でいっているエモーショナル・ブランディング

(感情に訴えて消費者を動かす)に通じることであり、その意味でプロレスは

現代の経営の本流を行っているのです。リアルな攻防でなければ、観客は感動

しないし、プロレスがここまで人気を博してきたのは、

リアルだからこそ、なのです。


■間違ったナレッジ(知的価値レッテル付け)に負けたプロレス

 何がいいたいかというと、プロレスとはナレッジ(知的なソフト)の塊である

ということです。さまざまな側面があり、一言ではくくれない、奥深い世界で

あり、その本質は知であるということです。真剣な攻防を本質としますが、

その全体像は一言では言い表せません。

 三沢選手の悲劇は、明らかにプロレス全体の地盤沈下にあります。

そのきっかけは、心ないプロレスに対してのいわゆる暴露本でした。

プロレスは筋書きのあるショーであるというのが、その本の主張でした。

全部を否定するつもりはないけれど、明らかな事実誤認に基づくことも多く、

また完全に文脈が欠けており、一般の人が見ればやはりプロレスは八百長か、

とおもわせる悪意に富んだ内容でした。かくしてプロレスの威信は傷つけられ、

プロレス界は大きなダメージを負いました。

三沢さんの殉職もそれが遠因だと、野呂は考えています。間違ったナレッジ

(知的な価値)をくっつけたジャンルは、その呪縛から抜け出せず、

もがき苦しみます。マスコミ(本を含め)が恐ろしいゆえんであり、

他のジャンルもマスコミという怪物にやられないようにすることは、

現代の経営で非常に大事です。

個人的には、なぜ「プロレスの経済学」の続編を書いて、誤解を世間に

正さなかったのか、という後悔があります。遅ればせながら、

生意気だけれど、三沢選手の追悼の思いをこめて・・・今年こそは


■愛がなければそのジャンルは死ぬ

 ジャンルに愛がなければ、そのジャンルを壊すことは簡単です。

だから表現にたずさわるものは、相応の責任があると思うのです。

ジャンルを壊すような悪意に満ちた一冊の本を出版した著者、出版社に

対して本当に見識を疑うし、それは今の企業の社会的責任を厳しく問う

ナウエコノミー、こころの時代であるナウエコノミーの時代にはもっとも

そぐわない行為でしょう。こうして駄文を書いている、野呂だって細心の

注意が必要です。これでも、今日の文章だって、好きには書けない。

責任があります。


■派手さを嫌う三沢選手のリーダーシップこそ、真のリーダーシップ

 かつて野呂は「プロレスの経済学」という本の中のの一章で、三沢選手の

卓越したリーダーシップについて書いています。三沢選手が亡くなったことは、

プロレス界にとって大変な痛手です。三沢さんが卓越した組織のリーダー

だったからに他なりません。アントニオ猪木と対照的に派手なことは大嫌い、

そこに三沢さんのリーダーシップの真髄があります。

地道にしっかり、こつこつ、当たり前のことをやってきた、これがノアと

いうプロレス団体がここまで生き延びてきた秘密です。

努力している選手には、必ずチャンスを与える、これが三沢さんの

人的資源管理の基本でした。イギリス遠征など組織のグローバル化にも

抜かりなく手をつけていました。先週号でも触れましたが、日本的な経営が

見直されているのは、その地道なところにあるのではないでしょうか。

それを体現しているのが三沢流経営でした。


■知性と愛にあふれる三沢のプロレス流マネジメント

 三沢さんは、本質を見抜いた、現代の経済を先取りしたようなマネジメント

をやっていたと思います。それはプロレスという世界がまさに経済の縮図であり、

その小宇宙は経営のすべを教える教師だったからではないでしょうか。

しかし、カンのよいもの、人間性にあふれたものにしか、その教えは届かない。

プロレスとはそんなジャンルではないでしょうか。プロレスは経済の

教科書であり、それも現代にあった教科書であり、その教科書をもっともよく

マスターして実践してきたのが、選ばれた三沢さんだったように

思えてなりません。

常に自分が犠牲で、組織を優先、自分は後回し。

決して目立とうとしない。若手を優先し、頑張っている社員にチャンスを

与えるけれど、自分は無理をして屋台骨を支える。

そんなつけが回ってきたのが、今回の悲劇でした。


 プロレスファンの読者の方々とともに、三沢選手のご冥福を心から

 お祈りしたいと思います。


 「ミサワ、ミッサワ、ミサワ、ミサワ、ミッサワ」 あぁ。


                                以上
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