2009/10/27
【歴史・一日一話】2009.10.27 第902話 霧社事件。日本統治下の台湾・霧社で原住民が武装蜂起。
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第902話 霧社事件。日本統治下の台湾・霧社で原住民が武装蜂起
1930年(昭和5年)10月27日、日本統治下の台湾・霧社(むし
ゃ)で原住民が武装蜂起し、日本人100人以上を殺害しました。
『原住民』とは、日本人が『高砂族(たかさごぞく)』と呼んでいる人
たちです。
言語、身体的特徴から、現在のマレーシア、インドネシアの地域から黒
潮にのって、台湾へ移住した人々の子孫といわれています。
中国大陸から漢民族が渡来するまでは、平地に住んでいましたが、漢民
族に追われて、山地へ移住を余儀なくされました。
現在でも、大部分は山地に住んでおり、国民党政権時代は『山地同胞(
略称は山胞)』と呼ばれていました。
現在は『原住民』が正式名称です。
この名称は、彼が要求して、政府に認めさせました。
1895年(明治28年)、日清戦争の勝利により台湾は日本領となり、
台北に台湾総督府が置かれました。
原住民の住む山地には駐在所が設置され、警察官が常駐しました。
警察官は山地の行政権を握り、原住民に君臨しました。
警察官のなかには、原住民の文化、風俗、習慣を理解せず、彼らを劣等
視するものもいました。
霧社事件の原因は、つきつめれば、そのような警察官への不満、反感が
原住民に蓄積され、ふとしたきっかけで爆発したものと思われます。
原住民の行動を『反乱』と呼ぶか、『蜂起』とよぶか、又は別の呼び方
があるのか、人それぞれです。
事件の現場は、台湾南部の霧社にあった霧社公学校(公学校は小学校と
同じ)でした。
事件当日、霧社公学校では運動会が始まろうとしていました。
その運動会場に蕃刀(ばんとう)で武装した一団が乱入し、日本人は老
若男女の区別なく犠牲者となりました。
一団の指揮者は、霧社に住む『タイヤル族』のリーダの一人であるモー
ナ・ルーダオでした。
彼の指揮下に1200人が参加したといわれています。
事件に驚愕した台湾総督府は、軍隊、警察、そして事件に参加しなかっ
た『タイヤル族』を動員して鎮圧にあたりました。
非参加の『タイヤル族』を、台湾総督府は『味方蕃(みかたばん)』と
呼びました。
いわゆる『骨肉相食(こつにく・あいは)む』悲惨な光景が繰り広げら
れたのです。
山岳地帯の戦闘が得意なモーナ・ルーダオらの『タイヤル族』も、近代
兵器による攻撃の前に敗退を重ねます。
そして、700人が戦死、自殺し、500人が鎮圧軍に投降しました。
生き残った『タイヤル族』を『味方蕃』の『タイヤル族』が襲撃しまし
た。
この襲撃は『第二霧社事件』と呼ばれました。
この襲撃で生き残った300名は、台湾中部・濁水渓(だくすいけい)
中流域の川中島(当時の地名、現在は清流)に強制移住させられました。
これまで、治安が良いといわれた霧社での事件は、台湾総督府のこれま
での原住民対策を修正させました。
新たな対策の第一が『原住民の生活向上』、第二が『皇民化』でした。
『皇民化』の成果は、太平洋戦争で発揮されました。
『高砂義勇隊』となって、祖先発祥の地である南方へ送られたのです。
彼らは、密林での戦闘に高い能力を発揮しましたが、連合軍の物量作戦
には勝てませんでした。
国民党政権下で行なわれた反日教育では、事件の首謀者、モーナ・ルー
ダオは『抗日英雄』となり、その石碑が霧社に建てられました。
1990年(平成2年)以降の民主化の進展により、『霧社事件』は原
住民の名誉と誇りのための戦いであったとの評価がなされています。
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(第902話)(2009年10月27日号)
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