2009/10/05
映画批評0132「東のエデン総集編 Air Communication」
┏ 映画批評と物語構成論0132 ┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏ 『東のエデン総集編 Air Communication』 (09) ┏┏┏┏ 関東ではフジテレビで深夜に放送された アニメ「東のエデン」(09)が 完結編として劇場2部構成(09冬・10新春)で公開されるのに先立ち、 まずはテレビ版全11話が、劇場用映画として「総集編」化されました。 アニメ「東のエデン」が、どのような作品であるかは ネットで調べていただくか、 実際にDVDかブルーレイで本編を見ていただくとして、 本作を手掛ける神山健治監督の著書 「神山健治の映画は撮ったことがない~映画を撮る方法・試論」 (2009年、INFASパブリケーションズ) は、監督指南本・作劇ハウツー本であると同時に、 諸々のハリウッド映画を冷静に分析する── 今年いちばんの映画評論本でもあり、 今年4月に放送された「東のエデン」第1話は、 背景(雰囲気)と、 キャラクターの表情(雰囲気)と、 台詞のニュアンス(雰囲気)で、 物語を物語る──これも今年いちばんのTVアニメでした。 色彩や音楽の使いかた含めて「新しい時代のアニメが誕生したな」と そう実感させる本当に素晴らしい作品でした。 舞台はアメリカ、ワシントンDC。 ホワイトハウスにむかってお賽銭を投げ入れようとする日本人女子大生。 とうぜん現地の警官に呼び止められる。 するとそこに「素っ裸」の、しかし「拳銃とケータイ」を持った 謎の日本人青年があらわれ、気軽に彼女に声をかけてくる……。 しかもどうやらこの美青年は「記憶」を失っているらしい……。 「なにか大きな事件がおこっているらしい」──のと同時に 「この春に新社会人になる若い女性の揺れる気持ち」が描かれる。 相反する2つの要素が、少ない台詞で、過不足なく両立している。 しかもその第1話の終盤で、ミサイル投下された東京が映し出され、 「どうやら本当に大きな事件がおこっている」とゾクゾクさせられる。 繰り返し見るに値する「映像の楽しさ」に満ちた30分(正味23分)でした。 しかしこれが「劇場版」として「総集編」化されると、途端に 過剰なナレーションが加えられまくり。 余計な解説が加えられまくり。 結果としてオリジナル版の雰囲気が木っ端みじん!! テレビ版を見ていた人たちもまた楽しめる、 ただの「棒つなぎ」ではない、オリジナルな「総集編」にすべく、 新規にナレーションを付け加えたのでしょうが、 それはたぶん建て前であって、 実際は「よく分からない」という意見が多く寄せられたせいなのでしょう。 なぜヒロインはホワイトハウスに向かってコインを投げようとしたのか? なぜ女性警察官は青年の股間を見て「見逃して」くれたのか? 今回の総集編ではこれらの行動に「親切な解説」が付け加えれています。 もっと分かりやすくしなくてはいけない! これから完結編に向かっていくにあたって(より間口を広げるために) いまいちどそんな必要に迫られたのでしょう。 オリジナル版を見ていない、新規の層を取り入れるためには それでいいのかもしれません。 しかしオリジナル版をこよなく愛し、 だからこそ劇場にも足を運ぶファンには、余計な解説でしょう。 しかもそのナレーションがいかにもな「アニメのラジオドラマ(風)」で 聴いているだけで少し恥ずかしい(=劇場内の観客の温度が下がる)。 (アニメ作品のラジオドラマ=劇中キャラクターの掛け合い漫談は 「自宅」で聴くぶんには自由に(勝手に)笑える) (しかしこれを劇場で大勢で聴くと、遠慮して、笑うに笑えない) (「ここで笑ったら、わたし、オタクだと思われちゃうッ」) (結果として劇場全体・観客全体の温度が下がる) (=みんな黙って映画を観つづける) (=ナレーション上のギャグがすべてスベる) (舞台挨拶つきのテアトル新宿の上映回で、 舞台挨拶つきだったのに、上映後に誰も拍手をしなかった!) ならばいっそその「収録場面」をワイプ画面にして (ビジュアル・コメンタリー風に)スクリーンに映し出して欲しかった。 (そんな映像特典をブルーレイに収録希望。オン・オフ機能つきで) そんな残念な「総集編」です。 しかし残念なことばかりでもありません。 テレビ版では11週に分けたことによって 散漫になりがちだった伏線が、 2時間の映画としてコンパクトに編集されたことで より分かりやすくなっています。 (けっきょく分かりやすくなっている) (でも分かりやすいのはいいことです) このアニメには古今東西の様々な映画ネタが(それなりに)登場しますが、 (マニアックにならないように慎重に取捨選択されているのでしょう) (それでもどうやら「分からない」という意見が多いらしい) (製作者側と視聴者側に隔たり。いかんともしがたい世代の差※) 第1話で台詞としても出てくる『タクシードライバー』が、 ロバート・デ・ニーロが出ているあの映画のこと、だけではなく、 そのまま「タクシー運転手」という意味で この物語の重要な要素になっている。 そんな伏線が、今回の映画版では、より明確になっています。 100億円の電子マネーを手にした11人のプレイヤー(「セレソン」)と それを熱狂的に応援しつつ厳しく監視する1人の「サポーター」の、 計12人が「100億円を使って日本を良くしろ」という 謎のゲームに参加させられる。 テレビ版の全11話ではその「セレソン」11人が全員は登場せず、 「誰がセレソンなのか?」 「誰がサポーターなのか?」 「誰がこのゲームに勝利するのか?」 「このゲームに勝利すれば本当に日本は良くなるのか?」 「そもそも誰がこのゲームを仕掛けたのか?」 多くの謎は、完結編に持ち越されてしまいました。 ゲーム上の謎だけではありません。 ヒロインと姉夫婦とのギクシャクしてしまった関係。 青年の出自。 学生たちは就職するのかしないのか? いろいろとまだまだ残っています。 完結編を楽しみにして辛抱強く待つしかありません。 ※補説: ゲームに強制参加させれた青年「滝沢朗」も、ヒロインの「森美咲」も、 どちらも「昭和64年生まれ」という設定で、 (劇中には少なくとももう1人「昭和64年生まれ」がいる) このアニメに登場するメインの若者たちは「若い世代」ではあるものの、 「昭和世代」という意味では昭和41年生まれの神山監督と「同じ世代」。 20歳以上も「若い世代」だけども 文字どおり「ギリギリ同じ世代」でもある、と。 「共感すべき」ギリギリの「若い世代」に設定されてあるわけです。 (記憶を失った滝沢は自らの意志で「昭和64年生まれ」を選ぶ!) しかしながら劇中で滝沢朗が、 ヒロインが『ニューヨークの恋人』を知らないでガックリする、 さらには『ドーン・オブ・ザ・デッド』を知らないでガックリするように 「世代の差」=「共通する映画体験の無さ」は、 この映画の隠れたテーマの1つでしょう。 (実際に「映画ネタが分からない」という指摘を受けてもいるわけで、 これから先さらに若い観客・スタッフと組むことになる 神山監督のなかではより切実な問題と化しているはずです) (コミュニケーションがエア(空振り)になっている可能性) (だからこの映画の副題がAir Communication! オー・マイ・ガーッ!) しかし「世代の差」というよりは、むしろ世代とは関係なしに現前する 「共有体験の有無」こそが問題なのでしょう。 (「滝沢朗」と「森美咲」のあいだには「世代の差」が無い!) しかも「映画ネタ」ということではなく、「共有体験」全般。 (「映画ネタ」はこの作品の重要なテーマではない!) つまりはコミュニケーションそのもの。 この映画が副題に“Air Communication”を付けた意味は 意外に根深いです。 ┏┏┏┏ ┏┏┏┏ ┏┏┏┏ ┏┏┏┏ 来週はペ・ドゥナ主演『空気人形』を取り上げます! ──桂楽珍がベランダから落としたヤツでしょ? ──あぁ、それとはちょっとちがう ┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏ Copyright(c)Tsuruhara Akihiro. All rights reserved.


