鶴原顕央の【映画批評と物語構成論】  RSSを登録する

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2009/05/18

映画批評0112「グラン・トリノ」

┏ 映画批評と物語構成論0112 ┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏


    『グラン・トリノ』
      Gran Torino (08)


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 イーストウッドの最後の出演作品という触れ込みのこの映画、
 本国アメリカでベストテン入りしたのは今年の1月ですが、
 限定公開として上映自体は昨年12月に始まっていたので、
 厳密には「08年の映画」ということになります※。
 (※12月12日にロサンゼルスで上映がスタートしているので
   資格的にも昨年度のアカデミー賞選考対象作品ということになります)

 それなのにアカデミー賞にはノミネートもされませんでした。
 いまのアメリカが求める方向性とはちがっていたのか?
 ワーナーとしては他に推すべき作品(『ベンジャミン・バトン』)が
 あったというだけなのか?
 そもそも賞を狙うつもりだったのなら公開時期がギリギリじゃないのか!
  (=賞を狙うつもりは甚だ無かった?)
 いったいどういうつもりだったのか。それは謎です。

 ……まあ、それはともかくとして、
 「イーストウッドの最後の出演作品」という触れ込みで
 全米拡大公開されるや興行収入1位を獲得した経緯は、日本でいうところの
 宮崎駿監督の『もののけ姫』(97)の爆発的ヒットに良く似ているし、
 セルフパロディが垣間見える余裕は『千と千尋の神隠し』(01)にも
 似ています。

 宮崎駿監督のほうは実際には全然「最後」じゃなかったわけですが、
 『グラン・トリノ』の「最後の出演作品」というのは
 たぶん本当なのでしょう。

 健康なまま半引退状態と化しているジーン・ハックマン(1930-)と同じで、
 この年齢で演じられる映画のキャラクターがそうそうあるわけじゃない。
 そういう現実や覚悟を含めての「最後の出演」という意味なのでしょう。

 ストーリー展開は、いたってシンプルです。
 観客の予想を裏切る展開は一切ありません。
 「あー、タバコの吸いすぎで、肺ガンなのかなあ」
 「あー、最後には死んじゃうんだろうなあ」
 「銃は持っていないんだろうなあ」
 予想を裏切りません。
 それなのに面白い。なぜでしょうか?

 イーストウッドの出演前作『ミリオンダラー・ベイビー』(04)と比較
 してみると、その面白さの秘密が判ります。

 『グラン・トリノ』の主人公コワルスキーは、妻に先立たれ、
 2人の息子とは上手くいっていない。
 これは『ミリオンダラー・ベイビー』の主人公とほとんど同じです。
 実の娘が遠方に1人いるけども、仲たがいしていて音信不通状態。
 
 そんな主人公が疑似的な父子関係(『ミ』父娘・『グ』父息子)を築く。
 そこも同じです。

 『ミリオンダラー・ベイビー』と同じ話だったからアカデミー賞に
 無視されたのではないか? そんな気がしないでもないです。

 しかし主人公の孤独度と老人度がグッと上がっている。
 そこが違います。

 『ミリオンダラー・ベイビー』のほうには 
 モーガン・フリーマン演じる同年代の相棒が常にそばにいましたが、
 『グラン・トリノ』には(軽い)飲み友だちがいるだけで、
 基本的にはずっと1人です(=孤独度プラス1ポイント)。

 そして家族構成──。
 実の子どもたちには会えているけど、心はかよっていません。
 『ミリオンダラー・ベイビー』の主人公は、会えぬからこそ
 娘に幻想をいだくことも可能ですが、
 『グラン・トリノ』のコワルスキーは剥離したその現実に
 苦虫を噛みつぶすしかありません。
 家族と上手くいっていない。それが目に見えて現実にある。
 これも孤独度を引き立てるのにプラス1ポイント。

 そして『ミリオンダラー・ベイビー』の主人公はジムを経営していますが、
 コワルスキーはすでに仕事を引退しており、
 面倒をみるべきは飼い犬と車と自宅と庭だけ。
 会話の相手は犬だけです。しかも犬のほうも老いています。
 この犬の存在が主人公の孤独感をいっそう引き立て、プラス1ポイント。
 計3ポイントも『ミリオンダラー・ベイビー』よりも
 孤独です。
 
 そして歳をとっている──。
 イーストウッドが現実に4つ歳をとっているというだけではありません。
 設定上、グンと歳をとっています。
 『ミリオンダラー・ベイビー』のほうには娘に子どもがいるのかどうか、
 つまり主人公に孫がいるのかどうかは不明ですが、
 『グラン・トリノ』は出だしから孫が次々と登場し、
 おじいちゃんであることが強調されています。

 さらに、
 『グラン・トリノ』には神父が(比較的)重要な役として登場しますが、
 神父なら『ミリオンダラー・ベイビー』にも出ています。
 しかし両者のベビーフェイス度がまるで違います。
  『ミ』の神父……http://www.imdb.com/name/nm0639928/
  『グ』の神父……http://www.imdb.com/name/nm1542291/
 演じている役者の年齢も10歳以上も、つまり1世代以上も違います。
 これも主人公の年配度を引き立てるのにひとやく買っています。

 すべて当たり前のことではありますが、こうして書き連ねてみると、
 『ミリオンダラー・ベイビー』をより純化させ、より強調させた
 人物配置になっていることが判ります。
 
 結果的にイーストウッドのスター性、
 それもイーストウッド1人だけが引き立つ映画になってしまっています。

 『許されざる者』(92)であれば
 ジーン・ハックマンがいて、モーガン・フリーマンがいた。
 『ミリオンダラー・ベイビー』には
 ヒラリー・スワンクがいて、モーガン・フリーマンがいた。

 でも『グラン・トリノ』にはスターがイーストウッド1人しかいない。
 それがアカデミー賞にノミネートされなかった理由の1つかもしれません。

 しかしイーストウッド1人が映画全体をしょって立つ構造は
 『ダーティハリー』(71)と同じであり、
 本作の主人公コワルスキーがハリー・キャラハンの老後に見えるという
 指摘は、その仕草や台詞まわしだけではなく、
 「イーストウッド1人が引き立つ」その映画の構造そのものにあるのです!

 イーストウッドの俳優としての代表作が『ダーティハリー』であるならば
 その『ダーティハリー』とは正反対の結末を迎えることで
 「最後の出演作品」が「代表作」と円環を成す。
 しかも「多民族国家」というアメリカの今後までをも示している。
 フィルモグラフィー的にも、メッセージ的にも
 巧くて、ニクくて、完ペキな映画です。


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  次週は──
     観ようじゃないか! 『GOEMON』!!


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