鶴原顕央の【映画批評と物語構成論】  RSSを登録する

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2009/04/13

映画批評0107「ワルキューレ」

┏ 映画批評と物語構成論0107 ┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏


    『ワルキューレ』
      Valkyrie (08)


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 実際にあったヒトラー暗殺計画(&失敗)の映画化。

 タイトルの『ワルキューレ』とは
 ナチスドイツ軍が非常事態時に発動させる既存の作戦名で、
 非常事態時には予備軍が招集されてベルリンの中枢を守るという、
 そのワルキューレ作戦を逆手にとってクーデターに利用しようとするのが
 トム・クルーズ演じる主人公です。
 ヒトラーを暗殺し、その混乱に乗じて、予備軍を使って中枢を奪取する。

 彼は、レコードでワーグナーの『ワルキューレ』を聴いているときに
 この計画を思いつきます。
 そしてそのレコードのラベルに貼られているのが
 ビクターの商標マスコットとして有名な“His Master's Voice”※で、
 物語の終盤、どちらの側につくべきか迷った予備軍指揮官が
 電話越しに聴くことになるのがこれまた「彼の主人の声」。
  (総統は生きていた→作戦失敗)
     ※http://ja.wikipedia.org/wiki/ベルリーナ・グラモフォン

 His Master's voiceに始まり、His Master's Voiceで幕を閉じる。
 イカした物語です。

 これで
  「どうして我々に味方しなかったのだ!?」
  “Because I heard my master's voice.”「総統の声を聞いたから」
 ……というようなやりとりでもあれば完ペキですが、
 史実に無いからでしょう、
 そんな台詞はありません。

 可能な限り実際の会話を再現しているという触れ込みですし、
 とことん史実に忠実な映画、なのでしょう。

 それなのにトム・クルーズ演じるドイツ人将校が英語をしゃべっている。 
 しゃべっている言語が史実と異なる。
 これのどこが史実に忠実なのだよ、と、そう思って当然です。

 いちおう配慮はなされています。
 出だしはドイツ語で、トム・クルーズ自身がドイツ語をしゃべっています。
 そこに早々に英語がかぶさります(ボイスオーバー)。
 あとはずーっと英語。
 つまりは「トム・クルーズ自身による英語吹替バージョン」という
 ヤヤコシながらも配慮がなされた設定なのでしょう。

 ハリウッド映画なのだから、アメリカンスタンダードで、英語。
 それはしかたがないことなのかもしれません。
 ドイツ人俳優を集めてドイツ語で撮れば文句はありませんが、
 ブライアン・シンガー監督がナチスを題材にするのはこれで3度目であり、
  (『ゴールデンボーイ』と『X─メン』)
 ナチスに対して強い思い入れがあるのでしょう、
 トム・クルーズを主演に迎えることで念願の企画を実現させた、
 そう考えれば、今回のキャスティングにも納得できます。
  (そういう諸事情)

 しかし脇を固める俳優たちが
 ビル・ナイ、テレンス・スタンプという
 いかにもな「イギリス人」俳優たちなので、
 アメリカを代表するトム・クルーズと
 イギリスを代表するビル・ナイらが
 揃ってドイツ人を演じている。
 その顔ぶれは、もうムチャクチャです。

 「だれがどう見たってドイツ人じゃないじゃないか!」と憤慨するいっぽうで
  (アメリカ人なのだから、イギリス人なのだから)
 「そりゃあナチスに対して不満を持つよな」とも思えるわけで、
 ひょっとしたら意図的な、
 メリハリを効かせた親切なキャスティングなのかもしれません。


追補:
 徹底したリアリティーを追求し、
 古代マヤ語をきちん(?)としゃべる
 『アポカリプト』(06)のような映画は
 ハリウッドのなかでも例外中の例外であり、
 非英語圏の人物が、英語をしゃべっている。
 それを当たり前のこととして、逆にその違和感を観客に気づかせない、
 そんな自然な流れを巧く作っている映画も、あるにはあります。
 たとえば『レッドオクトーバーを追え!』(90)がそうです。

 ショーン・コネリーのロシア語は下手ですが、
 ベストのタイミングで英語に切り替わり、
 ベストのタイミングでロシア語に戻る。
 物語上の重要な(かつ自然な)場面で切り替わり、
 そのタイミングは惚れ惚れするほどです。

 それに比べると『ワルキューレ』は平凡です。
 ただ英語に切り替わっているだけであって、それ以上の意味はありません。
 むしろ英語を押し通したことで、無理が生じています。
 特定の人物(=軍関係者)だけが英語でしゃべっている──
 英語に聴こえるけど(設定上は)実はドイツ語──
 その暗黙の了解的な、大前提を崩さないための代償として
  ●ドイツ人以外が出てこない
   (=ドイツ人以外を出すわけにはいかない)
   (=英語以外の言語、あるいは「本当の」英語を出すわけにはいかない)
  ●街の人々がしゃべらない
   (=市街の様子を詳細に描写するわけにはいかない)
   (=ここがドイツであることを意識させつづけるためには
     一般市民に英語をしゃべらせるわけにはいかない)

 結果として
 国外逃亡せざるをえなかった同志たちの逃亡の様子も描写されないし、
 主人公の妻子がどうやって逃げおおせたかも分からない。
 非常に限られた範囲内でしか物語が展開しません。
   (世界情勢や市井の状況は無視。一方的な描写に終始する)
   (終始せざるをえない)
 ハリウッドが英語を強いることの一長一短が垣間見えます。
 
 
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  春の「史実に基づく映画」第2弾、
     次週は『フロスト×ニクソン』を分析!!


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