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学校・教育とは何か…子どもの視点から教育を捉え直し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは信頼と希望を語ること。いじめ、不登校、ひきこもり、進学進路をはじめ、障害や疾患、ケアやカウンセリング等、トータルに発信します。

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2009/06/14

子どもの心と命のために…「ウニの運動会」 から思うこと

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「知ることは共に生まれること」(ポール・クローデル)
 connaitre = con + naitre

 ■「ウニの運動会」 から思うこと

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 読売新聞(6月13日)の「NEWSなおにぎり」というコラムで、徳島県の
「漁師さんの水族館」での「ウニの運動会」の話題が紹介されている。
イルカやオットセイならぬウニの「輪くぐり」の話である。ただし、彼
らのような「知的」なレベルの演技の話ではないので調教はいらないら
しい。ウニの習性をうまく利用するらしいのだ。

 話によればこうである。「直径10センチほどのウニ」が、「自分より
より小さい8センチの輪の中を、器用にトゲをたたみながら、ごそごそ
動いてくぐり抜ける」、そのスピードを競うらしい。「磯の生き物の面
白さを子供たちに知ってもらいたい」ことから、飼育員が思いついた芸
らしい。

  どうも「鮭の切り身のようなものが海を泳いでいる」と誤解する子ど
もがいるというのは、単なる笑い話の類ではないらしいのだ。で、コラ
ム氏は言う「百聞は一見にしかず。常識を養うにはやはり、現場が必要
なのだろう。(…)さあ夏だ。出かけよう、海へ。」と。

 見方によっては他愛もないこの話だが、重いエピソードとして感じら
れる。新型インフルエンザがついに「フェーズ6」(パンデミック)の
レベルに引き上げられた、というような話題は、どう報道しようと現実
の持つ意味の重大さがカバーする。そのため、マスコミ人の中には、大
企業に属していることが己の実績のように思い込むことがあるように、
現実の重い報道が優れた報道のように錯覚する御仁もいるようだ。

 しかし、ありふれた物体の落下という常識的な現象から万有引力を発
見したニュートンのように、失敗とみなされた実験から導電性ポリマー
を発見しノーベル賞を受賞した白川英樹博士のように、必ずしも見た目
の重大さが大事だとばかりは言えまい。確かに一面のトップを飾るニ
ュースは大事かもしれないが、このような何気ないコラムのような話題
もそれに劣らず重要である。

  「ウニの運動会」の話で、思い浮かべることがある。私は現在、フ
リースクール(ぱいでぃあ)を運営しているが、当スクールには校則ら
しい校則は何もない。あるとすれば、それは「自分がされて嫌なことは
人にしないこと」と、「社会人としてのルールを守ること」くらいなも
のである。ところが、不文律がある程度浸透していれば、事はスムース
に行くかというと、ことはそう簡単には運ばないのがこの世の常という
もの。

 特に、子どもというのは、どこかで述べたことがあると思うが、「遇
されたように育つ」のである。平易な言葉に言い換えると、「子どもは
言われたように育つのではなく、されたように育つ」のである。ある程
度の大人、例えば親として振舞わなければならなくなった年齢の大人で
あれば、不足している部分があったとしても想像力や常識的な感覚で補
完して行動することも可能である。しかし、まだ成長期にある子どもに
はそれができない。育ちの環境に欠けたものがあれば、その子はその部
分が欠落したまま育つのである。だから、その子が十全に育つには、フ
リースクールのようにそれなりに子どもの思いが満たされた環境が是非
とも必要である。だが、それでも子どもの周りにいつもそれがあるとは
限らない。

  それに、頭では分かっていても、実践となるとなかなか難しい。特に、
フリースクールにやって来る子ども達は、被害感情や自己否定の感情で
一杯であり、何よりも自己救済を求めている。他人のことを考える精神
的ゆとり等まるでない。場合によっては、かつて加害者の側であったの
が廻り回ってその矛先が今度は自分に向かってきたとか、過剰な自己防
衛行動が加害行為となり本来は被害者でありながらとんでもない加害者
となっていることもある。

  例えれば、全身これ悩めるハリネズミのような子がいる。かつては学
校という集団の場が怖いとてもひ弱ないじめられっ子であった。自分で
は分からなかったが、なぜかいつもいじめのターゲットにされた。そう
いう中で、その子はその子なりの仕方で必死に自分を支えてきた。しか
し、その結果、幾つものトラウマを抱え、安んじて心を許せる相手はど
こにもおらず、誰も入り込めない暗い世界に身を潜め、全身ハリネズミ
のように毛(神経)を逆立て生きてきた。そこだけが逃げ込める唯一の
安全地帯であった。でも、いつも孤独に飢えていることには変わりはな
かった。

 その子はやはりフリースクールでも上手くいかなかった。最初の所で
は友だちも先生も好きになれなかった。相手の欠点ばかりが見えた。す
ぐに対立が生まれ、話し合いの結果、追放の憂き目にもあった。相手の
子達は素直に謝ったが、その子は頑として謝らなかったからである。自
分にはどこも問題はないように見えたし、今の自分が行き着いた究極の
姿であり、変われと言われてもこれ以上変わりようがないように思えた
からである。それでまた別の施設に変えた。

 そこでは友だちも先生も好意的だった。過去は問われず、今までとは
違って、友だちともに親しくなれそうだった。でも、なぜか自分が親し
くなればなるほど人が離れていくように思えた。そして、自分の与り知
らないところで、自分の言動が問題になり、自分に対する子ども達から
苦情が訴えられ、それまでは一緒に行動していたのに、自分とのことで
スクールに来れなくなる子まで出てきてしまった。そしてある日先生に
呼ばれた。

 私が「ウニの運動会」から思い浮かべたのはこのことである。不登校
の子どもの中には、このハリネズミのような自分を抱えた子どもがたま
にいるのだ。ハリネズミという生き物を図鑑で見ると、全身毛を逆立て
ている画が載っていることが多い。でも、それは外敵から身を守るとき
にする特別の仕草らしい。いつもそういう格好でいるわけではないよう
だ。それに、相手と仲良くなりたい時は、毛を寝かせて寄って行くらし
い。ウニも小さな輪をくぐる時はトゲをたたむように。

 だが、トラウマとなった子どもは、それができない。TPOに従って柔軟
に対応することが難しい。その結果、どうなるか。 可哀想に、その子は
毛を逆立てたまま相手と仲良くなろうと近付いていくのである。本当は
一番救ってやるべきはそういう傷ついた子どもかもしれない。相手の子
ども達もできるなら仲良く接したいと思っているはず。でも、近しくな
ればなるほど、その子の針が相手に突き刺さる。

 先に述べたように、子どもは「言われたように育つのではなく、され
たように育つ」。だから、いじめられたという経験は豊富でも自分が本
当に愛されたという経験(自覚)がなければ、人に対しても同じように
する。「いじめる」ことと「愛する」ことの区別がその子にはない。結
果としていじめるような行為をしておいて、その子を愛しているとさえ
思うのである。

 子どもの人権を尊重し、どの子にとっても安心できる居場所となり、
自立に向けて自分作りに励める場所がフリースクールであったとしても、
残念ながら、その子は当面、そこで同じ行動をすることはできない。本
当にその子を支援するには、その子だけに的を絞った対応が必要になろ
う。だが、その子が「自分は変わりたくない、変わるつもりはない」と
言ったときにどうするか。その子への「教育」という行為はとても難し
くなる。

 子どもの医学の専門家は、当然のように服薬による変化を想定するか
もしれないが、寡聞にして服薬で完全に良くなったという人を私は知ら
ない。精神的な療法では、薬で症状を抑えたり高めたりする対処療法的
なことはできても、それで完全に治すということは可能なのだろうか、
という疑問が絶えず私の中にある。そもそも「治す」という行為はどう
いう意味合いの行為なのか、私には答えが出せない。医療とパターナリ
ズムの問題も無視できない。

 願わくば、そういう状態に至る前に、そういう状況の子ども達を救済
することはできないのだろうか。もう太い幹を形成しつつある子ども達
の姿を見て、若い苗のうちの、早期の関わりを望まずにはいられない。



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