2008/03/16
~わが冠詞洞察の日々~
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
発信日:3月16日
マガジン:第34号
私はこうして『冠詞力』をつけた!
〜わが冠詞洞察の日々〜
総合:英文スケッチ(2)
--------
0■はじめに■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■SOGO■2
--------
「総合」の第二回目になります。今回も先回に引き続き「格言」を眺めな
がら、どのようにしてこのような言い回しが作られたのか、英文にはっきりと
見えて和文には何が見えないか、英文の見える部分を和文に反映するとどうな
るか、などを検証しながら考察を進めてゆきたいと思います。今回の格言は以
下の五つになります。
6. A picture is worth a thousand words.
百聞は一見にしかず。
7. A rolling stone gathers no moss.
転石苔を生ぜず。
8. A book that is shut is but a block.
宝の持ち腐れ。
9. An apple a day keeps the doctor away.
一日にリンゴ一個で医者いらず。
10. Let bygones be bygones.
過去は水に流せ。
和文だけで見ると、別の英文表現を思い浮かべたりしますが、それも同時に検
証してゆきたいと思います。
講師K
------------------
1■百聞は一見にしかず■■■■■■■■■■■■■■■■■■■SOGO■2
------------------
------------------------------------
A picture is worth a thousand words.
------------------------------------
この和文に対応する英文は
Seeing is believing.
の方が有名かもしれません。「見ることは信じること」と直接に訳せ、「何も
見ないで説明を聞くよりひと目見たらすべてがわかる」という説明が課題の格
言です。これを直訳すれば「一枚の絵は千の言葉に匹敵する」になります。
Seeing is believing. を文法的に見れば、動名詞の主語と動名詞の補語
がBe動詞によってつながれている、至極単純な構造をしています。しかし、語
尾が同じ ing で終わっていますから、軽快なリズムを作っており、非常に覚え
やすい構造にもなっています。
「見ることは信じること」は、「見ないうちは信じるな」という意味にも
解することができ、「百聞は一見にしかず」が表すニュアンスとはまた違うよ
うな感じがします。A picture is worth a thousand words. の方がより和文
に近くなるでしょう。但し文字通りに訳せば「千聞は一見にしかず」ですね。
本題に移る前に、Seeing is believing. に見られる動名詞の術を味わって
みましょう。動名詞は不定詞と比較すればよくその根本がわかります。不定詞
と動名詞の大きな違いは、
不定詞 = 未来を示す
動名詞 = 現在/過去を示す
という時制の隔たりに見られ、同じように名詞的に使えるのですが、決定的な
違いはこのような時制の動きがあるところです。
Seeing is believing. を、To see is to believe. に変化させてみましょ
う。こんな格言はありませんが、「見ることは信じること」がどのように変わ
るのでしょうか?
不定詞が未来ということで考えるなら、名詞であるにもかかわらず、すで
に出来上がってしまった「見ること」という定理ではなく「これから見れば」
という未来的条件を作ることになります。述部も同じように「信じること」と
いう既成の定理ではなく、「信じてしまう」という未来的結果を生むと考える
ことができます。
つまりまったく新しい To see is to believe. は、主語が「条件」とな
り、補語が「結果」を生むという因果関係の構造を作っていることになるので
す。そこで新しくこの二つの表現を、文法の特質を生かしながら訳してみます
と、
Seeing is believing. = 見ることは信じることに等しい。
To see is to believe. = 見れば信じてしまう。
となることでしょう。これを言い換えれば、
Seeing is believing. = 信じるために見ろ。
To see is to believe. = 信じたくなければ見るな。
というとらえ方もできます。どちらでもほとんど変化がないように見え、こん
なに細かい使い分けをしなければいけないのか?と問われると、「どちらでも
いいと思う」と答えたくなるかもしれません。しかし、「幽霊」の存在を信じ
たくない人に Seeing is... を使うのは酷だと思うし、宝くじが当選したぞ!
と家人に言われて番号の確認を怖がっている人に To see is... を使うのも意
地悪のような気がします。状況により英文法は動く例がここにも現れているよ
うですね。
さて、本題に戻ります。A picture is worth a thousand words. です。こ
の A picture が中々「物語っている」とは思えませんか?先ほど「一枚の絵」
と書きましたが、私たちが特別な英語の訓練をしなければ、ごくふつうに「一
枚の絵」になることを確認する意味でそう訳してみたのですが、絵でなければ
「写真」という表現になるので、いったい「絵」なのか、「写真」なのかどっ
ち?と聞かれて返答に困ってしまいます。
picture は元来「絵」や「図」など、イメージを理解できるように表した
もの、という意味が原義です。具象物としては「絵」「写真」「映画」などの
はっきりした媒体を表しますが、抽象的な意味だと「目で見て何かを理解させ
てくれる」こととなり、ここで「目に訴えてくる」ことが読みとれます。
目で見て判断すること、に不定冠詞の "A" がつくと、「絵」や「写真」だ
けにこだわるのではなく、どんなものでも「目で見れば」という意味としてと
らえることができます。すると A picture は、
「とにかく目で見れば」
となり、A look と同じ意味なります。不定冠詞の特徴である「とにかく」を出
して考えるのです。とにかく目で見ればどうなるかというと、 is worth a
thousand words ときます。これは数の単位が入ってきますから、one thousand
words に限りなく近いのですが、これは「比ゆ表現」ですから、「千」という
単位でなくても「気の遠くなるほどの数の単語」として思い浮かべばよいので
す。決してきっちり「千語」耳にすることを意味しているのではないのです。
ようやくここでエキスを抽出してもう一度訳出することができそうです。
A picture is worth a thousand words. は、
-----------------------------
ひと目見れば千金の言葉の重み。
-----------------------------
といったような意味合いになるのではないでしょうか。
--------------
2■転石苔を生ぜず■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■SOGO■2
--------------
--------------------------------
A rolling stone gathers no moss.
--------------------------------
この和文は「職業をよく変える人は金持ちになれない」という意味で、す
でにかなりの程度和語でも「例え」られているのですが、英文を見るとさらに
比ゆの趣が面白く感じ取れそうです。アメリカでは価値観の多様化から、「一
箇所に定住しない活動的な人は新鮮」という意味にも用いられ、同じ格言ひと
つをとっても視点がまるで異なるから興味深いものです。
「ローリング・ストーン」と冠詞を抜いて発音したら、あの伝説的ロック
バンドを連想しそうですが、後者は The Rolling Stones と定冠詞の The に複
数形の s がついています。「転石」は不定冠詞の単数名詞なので、決定的に違
うのですが、私たち日本人にとってこの「差」を如実に感じ取れないからむず
かしい、とすぐにボヤいてしまうのです。
しかし、この「差」はあまりにも「ちがいますよ!」というヒントを出し
続けているので、この恩恵に私たちは授かったほうが賢明だと思います。
私がアメリカ留学時代によく飲んだビールに "Rolling Rock" というのが
ありました。安いので手軽に飲め、しかも適度に美味しかったのでたくさん飲
みました。名前が気に入って、バーモント州の山肌を流れるきれいな小川の
「転石」を想像し、また、その小川でキンキンに冷やしたビールをイメージし
ながら飲んだものです。Rolling Stone にしなかったのは、ロックバンドと混
乱するためだったのでしょうか。冠詞がついていませんから、「転がる石」で
はなく「転石」というに相応しい名前です。
さて、格言の英文には形容詞である rolling が限定的に使われています。
石は石でもただの石ころではないのです。常に転がって丸くなった石のことを
言っています。石が転がり続ければ、当然「苔」はつきません。転がるのをや
めたときに苔なり異物がつくものでしょう。格言はこの苔を「お金」に例えて
いるようで、転石が「職変え」を意味することになります。
なぜ職変えがお金を貯められないという意味になったのでしょうか?ここ
でこの格言の語源を辿ってもいいのですが、「言語感」を養うにはいきなり源
泉にあたるのではなく、自分なりに「なぜ?」を問い続けることが肝要です。
結局、誰かが例えたのが慣習となり、格言となったわけですから、身の回りを
常に観察する習慣さえあれば様々な発見ができるでしょう。
日本的な意味合いで考えれば、何事も「長く続ける」という忍耐を伴った
生活態度が道徳的によいとされているような感じがします。これは昔、主君に
仕える侍の忠誠にもあらわれ、末永く勤めあげることが清く正しいのです。つ
まり、侍が主君に仕えるように、社員が会社に勤めるが如く、忠誠を誓い何事
にも会社を第一に考えて行動することが「信用の置ける人間」という格を授か
り、その格が高ければ高いほど会社にとり「重要」になりますから地位も高く
なり、それがお金につながることになります。
ところが、会社を変え続けると「人望」が得られず、信用を勝ち得るため
にはある程度の時間の長さを必要としますから、日の浅い勤務経験では中々金
運が開けません。だから「転石」ではうまくいかないのでしょう。
しかし、これがアメリカの価値観であると、「固定」が不活動のようなと
らえ方をするようで、動きのない石に苔がつきだすと、まるで食べ物にカビが
生えたような気持ちになるのか、苔が人間で言えば「垢」になるのか、とにか
く新鮮さとは縁遠いものに例えているようです。
日本語に「渋皮がむける」という表現があります。垢抜けて美しくなる、
という意味ですが、ひょっとするとアメリカ人は「転石」のことを渋皮がむけ
るような美しさに近い、白くきれいな丸い石をイメージしているのかも知れま
せん。深緑のねっとりとした石はあまり気持ちのよいものではないでしょう。
さて、格言の主語が単数であり複数でないことは何を意味しているのでし
ょうか?自然の摂理から考えれば、川底にある石が強い水の流れを受ければ一
個どころか相当な数の石が転がるはずです。自然描写なら Rolling stones に
したほうがいいのでは?と思えてきます。
しかし、私たちは「比ゆ表現」を今考察しています。例えの表現とは、た
んなる自然描写とは異なります。体験した場面の一部を切り取るか、またはス
ポットライトを当てたように話者の中で焦点を設けるのです。つまり伝えたい
メッセージは、例えるモノがひとつあれば十分な場合、自然描写とは異なって
もよいとするのです。視点をある一点に絞り、そこから世界を描く、というの
は、イタリア・ルネッサンスの絵画描写に見られる「遠近法」とまったく符合
が同じで、冠詞をもつ言語の大きな特徴なのです。
A rolling stone はしかし、「一個の転石」のみを意味しているのではあ
りません。One rolling stone ではないからです。やはり「とにかく」調が感
じられるもので、「転石なら」という波長でとらえたいところです。
苔を表す moss は、ふだん「べったり」と存在していますから、不可算名
詞の世界にあります。それがあたり一面に広がる「苔の園」であれば mosses
と複数をとるのは、 waters / sands / ashes と同じ性格をもっているからで
す。
知る人ぞ知る京都の「苔寺」は見事な苔の庭園が目を驚かせますが、まさ
に mosses の世界ですね。
格言は石につく苔ですからあたり一面ではなく、不可算の状態を保ってい
ます。否定語の no がありますが、否定語が決定的に単数のみをとるという法
則はないので、moss が可算か不可算のどちらになるのか少し不安になります。
しかしここでも、石につく苔は石から切り離して「独立」したものではありま
せんから、床にこぼれた水と同じ考え方で形のない不可算としてとらえればよ
いのです。
さて、そろそろ和訳を試みてみましょう。
A rolling stone gathers no moss.
-------------------------------
転がる石なら苔はつくはずがない。
-------------------------------
-----------------------------------
活動的な人なら垢抜けしているものだ。
-----------------------------------
でも、
The Rolling Stones gather no moss.
------------------------------------
ローリング=ストーンズは垢抜けている!
------------------------------------
も名言であると思いますが、どうでしょう?
------------
3■宝の持ち腐れ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■SOGO■2
------------
-----------------------------------
A book that is shut is but a block.
-----------------------------------
「宝」とはどこにも書いてありません。この英文を「ふつう」に訳すと、
「閉じられた本は所詮塊にすぎない」
となるでしょう。つまり、「開けない本は何の役にも立たない」ということに
なります。なぜ「本」で例えたのか、その原義は知りません。が、ここでも言
語感を生かすために考えてみますと、本はとにかく知識の宝庫となりうる情報
源であり、口承伝統だけでは間に合わない、覚えきれない量の情報を本から得
ることができる点を考えれば、重宝な必需品であったことは容易に想像できま
す。
具体的にどんな本かと考えれば、グーテンベルグの「印刷技術」の革新
により、様々な言語で様々な読み物が普及したのですが、もっともよく読まれ
たのはやはり「聖書」だったろうと思われます。
聖書が一切開かれず、ただの物体としてどこかに置かれてあるのであれ
ば単に邪魔な存在というよりは、せっかくの聖書が、ギリシャ語やラテン語で
書かれた、教養のある人間しか読めない本ではなく、印刷技術により自国の言
葉で書かれた聖書が読めるのに、開かないとはもっての外!・・・とは言わな
いでしょうが、もったいないことには変わりありません。
本が「宝」になるのは、聖書という人間の生活、生き方、教訓、道徳など
人間が進むべき指針になる必要不可欠の本という意味もあるのでしょう。しか
し、もし英文の本が聖書を表すのなら、きっと
The book
となっているはずです。定冠詞で「聖書」を指すようになるはずなのですが、
英文の主語は不定冠詞ではじまっています。なので、この「本」は聖書である
とは限定できないのです。
すると、聖書だけではなく、「本」というものを包括的にイメージしてよ
いことになりますから、読者は自由に想像すればいい。日本語の「宝の持ち腐
れ」は、やや貴重なものをムダに所有しているときにやや自虐的な意味合いも
込めて語るような感じがしますが、この英語の格言にはさらにロジカルなポイ
ントをつくことによって、「有効利用」を説いているようです。
それでは訳出してみましょう。
A book that is shut is but a block.
-------------------------------------------
せっかくの本も閉じたままだとただの塊である。
-------------------------------------------
---------------------------
4■ 一日にリンゴ一個で医者いらず■■■■■■■■■■■■■■SOGO■2
---------------------------
-------------------------------------
An apple a day keeps the doctor away.
-------------------------------------
この格言もリズムをうまく考えた流れをもっています。まず主部の終わり
方と述部の終わり方をみると、それぞれ day と away になっており、韻を踏む
心地よい音の遊びを楽しんでいます。
この英文には冠詞が三つも盛り込まれています。"An" apple, "a" day,
"the" doctor ですね。和文をみると不定冠詞のところに「ひとつ」という単数
の意味が明確に書かれ、定冠詞がある医者の部分は訳に反映されていません。
「その医者」と指示代名詞風に書いてしまうと、「"その" とはいったい誰
のことなのか?」という余計な題材を持ち込んでしまうことになります。日本
語には指示代名詞をつかわなくても、与えられた情況から察してみて、たいて
い理解することができる。
しかし英語には日本語には表れない、日本語では書く必要のない文言が少
なくなく、日本語をベースとして英語を考え続ける習慣にあると、とにかく英
語の動き方が異様でむずかしい、という印象面ばかりでとらえようとしまう。
まず主部から片づけてゆきましょう。An apple a day です。リンゴがひ
とつであることは自明ですね。そして日も一日です。さて、これがなぜ
「一日にリンゴ一個」
になるのか、ですね。よく慣用句的に a day で「一日で」として覚え、副詞的
に使うことを学ぶのですが、どうしてこの簡単な名詞句が「副詞」などになる
のか、それが不思議に思うことでしょう。
実は、名詞(句)は形容詞にも副詞にもなる便利な品詞なのです。上の英
文を書き換えると、
An apple every day keeps the doctor away.
となり、文句なく every day が副詞的役割を果たしていると思いたくなるので
納得のゆくところですが、よくみると every day も「形容詞+名詞」なので、
立派な名詞句です。
ただし!この every day は副詞的というよりは「形容詞的」な動き方をし
ているようです。ではもう一度上の英文を以下のように書きかえてみましょう。
An apple per day keeps the docotre away.
つまり前置詞である per と day を横に並べると、「前置詞+名詞」という流
れになり、an apple per day は「名詞+形容詞」ということになります。
新聞の英語などを見ていると、よく on Friday という「前置詞+名詞」の
形がくすれ、Friday と単語ひとつになったり、また、Fridays と複数の "s"
を取っていることがあります。前置詞のついた名詞は文句なく副詞か形容詞か
の波長をもっていますが、では名詞ひとつの場合どうなるのか。
これも英文中の「位置」により名詞のまま、形容詞または副詞に変幻する
ということになるのです。例文の場合、An apple のすぐ後ろに a day があり
ますから、An apple per day と同じように「名詞+形容詞」と考えるのがもっ
とも自然でしょう。「一日のリンゴ一個」という書き方になっています。
さて、述部に進みましょう。動詞 keeps のあとには目的語が来ますが、こ
れが the doctor と定冠詞がはられています。いったいこの the doctor とは
だれのことなのでしょう?
それよりまず a doctor で考えてみるとおもしろい。a doctor は「とにか
く医者」になりますから、「一日のリンゴ一個」がなぜ「医者なら」と呼ばれ
る人を遠ざけてしまうのか、よくわからないのです。医者と呼ばれる人は、リ
ンゴと聞けば(見れば)アレルギーになってしまうのでしょうか?遠ざけると
いう表現がどこか可笑しくなってしまうのです。
そこで the doctor です。間違っても「限定されている医者」などと言っ
てしまっては英語の語感を感じ取ることさえできなくなります。つまり、この
the は「医者にかかるのであれば、私はいつも○○○先生のところで診てもら
う」とキッパリ主張していることになります。ふだんお世話になっている医者
というとらえ方がもっともふさわしいのではないか、と思うのです。
それでは訳出してみましょう。
An apple a day keeps the doctor away.
-----------------------------------------------
日にリンゴを一個かじれば、主治医に会わずにすむ。
-----------------------------------------------
--------------
5■過去は水に流せ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■SOGO■2
--------------
-----------------------
Let bygones be bygones.
-----------------------
これとよく似た表現に "It is no use crying over spilled milk." とい
別の格言があります。「覆水盆に返らず」、つまり、こぼしたミルクに泣いて
も仕方がない、という意味から「過去にこだわるな」という同じ教訓を感じと
ることができます。
spilled milk になにも冠詞がついていないのは、興味深いところです。実
際の場面を想定するなら、「自分が」こぼしたミルク、というように特別なミ
ルクとして想像しやすいのですが、定冠詞がないのでそのような具体性をもっ
たミルクではないことになります。するとこれは、誰がこぼしても構わない、
ということになり、より一般性が濃くなります。
でもよく考えると、こぼしたからこそ「どうしよう!」と目の前に広がる
ミルクの海をみてうろたえるわけですから、the spilled milk となっていない
ところが腑に落ちない、と思われるかもしれませんね。
ところがこの英文は「忠告」をすべき内容をもった格言です。「格言」で
あるということは、目の前で実際に起こっていなくても、過去のあるとき、実
際に起こったことがあるので、それを例に例え、一般概念化に努めたのだと思
うのです。
さて本題の例文です。Let bygones be bygones. の bygones をよく見て
ください。bygones はもともと bygone であって、形容詞でした。ひっくり返
して gone by と考えると、過去分詞に前置詞がくっついて固定化された形容詞
であることがわかります。形容詞に "s" をつけて「名詞」を作ったことを考え
れば、なぜ good が goods になるのか、rich が riches になるのかがわかる
ような気がします。
なので bygones は「過ぎ去った」を名詞化して、過ぎ去った「もの」とし
て表れています。"s" をつける行為というのは、とにかくふわふわと浮いたイ
メージを強力に「モノ化」することが容易にできるのです。
さて、訳出です。
Let bygones be bygones.
---------------------------
過ぎ去りしものはそのままに。
---------------------------
今回はこの辺で。
---- ---- ----------------
■■■■■■TO■BE■CONTINUED■■■■■■■■■SOGO■3
---- ---- ----------------
発行人:講師K
URL:http://i-am-koushi-k.cocolog-nifty.com/blog/
http://eigakyokoushik.blog96.fc2.com
--------------------------
■■■■■■■■SOGO(2)の英文スケッチ■■■■■■■■SOGO■2
--------------------------


