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みるみる「冠詞力」をつけるマガジンです。講師歴20年の「講師K」による「ネイティブ・スピーカーも知らない」体験的冠詞学習法をお見せします。

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2007/08/11

~わが冠詞洞察の日々~

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発信日:8月11日     
マガジン:第20号
          
          
       
          私はこうして『冠詞力』をつけた!
         
             〜わが冠詞洞察の日々〜

               アップ(9)
              
              
              ------------------
              無冠詞2 課題演習
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    --------
0■はじめに■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■UP■9
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   今回の課題は「洋画の原題」が六題、映画のタイトルがかもし出す意味合

 いを眺めてみたいと思います。常々、洋画の「邦画タイトル」が気になったり

 しないでしょうか?人の名前や地名などの固有名詞がタイトルになっているも

 のは、そのままカタカナでなぞればよいのですが(『ロッキー』や『タイタニ

 ック』のように)、原題と邦題が幾分食い違っていたり(ダスティン・ホフマ

 ン主演の『卒業』"The Graduate" =卒業生)、原題の英語がそのままカタカナ

 になったり(トミー・リー・ジョーンズ主演の『メン・イン・ブラック』"Men

  in Black" =黒服の男たち)、また、原題にはないのに邦題でつけくわえられ

 たもの(トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ/一期一会』"Forrest

  Gump" )など、映画鑑賞者には少し不可解なところも少なくはありません。

 *詳しくは→


   映画タイトルは映画の「顔」です。その顔を見てさらなるプロフィールを

 知りたくなるのです。作品を見てもらうために、映画製作者はタイトル選びに

 は慎重になるはずです。映画に誰が出演しているか、誰が演出しているか、は

 映画を見ようをとするファンにとり鑑賞への第一条件でしょう。しかし、映画

 ファンでなくとも、「タイトル」が映画の中核を示すことは間違いなく、見る

 ものの期待値を直接反映しうる大きな要因になると思います。


   以下の六題を眺めながら、冠詞の有無、名詞の単数複数を含め、英語の映

 画タイトルがどのような可能性を秘めているのか、考察してゆきましょう。


                                講師K

 
----|今回の課題|--------------------------------------------------------


      1)  Panic Room  (パニック・ルーム)
      
          A Panic Room
          
          
      2)  A Streetcar Named Desire (欲望という名の電車)
      
        Streetcar Named Desire
        
        
      3)  Seven Samurai (七人の侍)
      
          The Seven Samurai
          
          
      4)  Scent of a Woman  (セント・オブ・ウーマン/夢の香り)
      
        The Scent of a Woman
        
        
      5)  American Beauty  (アメリカン・ビューティ)
      
        The American Beauty
        
        
      6)  fantastic voyage  (ミクロの決死圏)
      
        a fantastic voyage
        

1■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■UP■9


      ◆ "Panic Room"  「パニック・ルーム」


   豪邸に引越ししたその日の夜半に窃盗三人組みに押し入られてしまった母

 親(ジョディ・フォスター)とその娘が、「パニック・ルーム」に逃げ込み、

 窃盗団と対決するお話です。パニック・ルームとは、いかなる緊急事態にも自

 分たちの身を守ることができる「非常用室」のことで、外部との連絡をとりな

 がら豪邸内を監視し、救助がくるまで数週間(あるいは数ヶ月)篭城すること

 が可能な設備が整っているのです。


   "panic" の原義は「恐怖、恐慌」で、「恐慌部屋」と訳すとやや意味が異

 なってしまいます。邦題には面白そうですが、英語学習面から考えると、誤訳

 になってしまいます。「恐怖部屋」や「恐慌室」などと書いてしまうと、その

 "room" 自体が「恐怖の対象」になってしまい、映画のように緊急時に駆け込

 む「唯一安全な場所」とはまったく反対の意味になってしまうからです。


   辞書で調べると、"panic" の形容詞的定義があり、「小学館ランダムハウ

 ス英和大字典」によれば、形容詞定義の四項目に「非常用の」とあります。第

 一項目には「異常な」とあり、名詞の意義をそのまま受け継いだ形容詞となっ

 ていますが、意味が徐々に派生していったものと考えられます。なので、この

 定義によっても「非常用室」とするのは正当な訳出であると思われます。


   しかし、なぜこのような意味の派生がおきたのでしょうか?しかも名詞が

 形容詞化しているのです。ここで再び名詞の可算性と不可算性の世界に立ち戻

 ってみる必要が出てきそうです。


   "panic" は辞書によれば「可算」「不可算」のいずれの場合にも使用でき

 る説明が施されており、英語の初学習者であれば、なんのために可算・不可算

 のふるいわけが行われるのか、その理由がわからなくなってしまうことでしょ

 う。可算・不可算どっちでもいいよ、などと言われれば、じゃあどうして可算

 だの不可算だのと言うの?と返したくなるのは十分に理解できることです。


   本来、可算・不可算という一見絶対的な世界でモノを見るのではなく、名

 詞は非常に感覚的にその意味の枠組みを変えうるものなので、その変化の証を

 単数・複数、または冠詞の有無で表現していると考えてはどうか、と提案して

 みたいのです。ではその変化の証を以下の例で考察してみましょう。


   上記のランダムハウス英和大字典で "panic" を調べると、


   "people in (a) panic"


 を「恐怖状態に陥った人々」と訳出してありました。カッコに閉じられた不定

 冠詞は、in a panic の場合もある、と示唆しているのでしょう。説明はこれで

 完結したように見えますが、読者にはよくわかりません。どうして、不定冠詞

 が必要だったり、必要ではなかったりするのか。これ以上、辞書が直接教えて

 くれることはありません。ここから、読者、学習者の「洞察の域」がはじまる

 のです。


   "people in panic" と "people in a panic" では、恐怖状態がやや異なり

 ます。前者がなんの固有性もない「恐怖状態」であれば、後者は「ある特別な

 意味合いをもった恐怖状態」であることになります。不定冠詞 "a" をステップ

 (4)で「a+主語」として詳解し、ステップ(5)で「a+目的語・補語」と

 して解説しました。in a panic の場合は前置詞の目的語にあたりますから、

 「a+主語」のときほど「一般性」は見られません。一般的ではなく「ある意味

 特別」なのです。

 *詳細は→


   結果、"panic" はその扱いにより可算的にもなるし、不可算状態でもあり

 ます。可算的になる、とは、不定冠詞や複数の "s" がつきやすくなる、という

 意味で、不可算状態ということは、それらの信号がない状態だということがで

 きます。さて、ここでもう一度次のような特徴を再認識しておきましょう。


   「名詞は不可算状態であるとき、形容詞的なはたらきをする」


 一層のこと、名詞の不可算状態は「形容詞」と考えてしまっても差し支えない

 と思います。なので、"panic room" の panic は形容詞だと見るのです。形容

 詞だから名詞の原義である「恐怖・恐慌」から「形」がとれてしまい、panic 

 のエッセンスである「異常状態」が残っていると考えてみるのです。「異常」

 が「非常」につながり、"panic room" は「非常用室」という意味に落ち着くこ

 とになります。


   と同時に問題がひとつ生まれます。panic が形容詞なら、どうして無冠詞

 になっているのか、なぜ "a panic room" とならないのか、なのです。


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   ◇ A Panic Room

  
   原題 "Panic Room" を「これは固有名詞だ」とする意見があるでしょう。

 実際この意見に賛同する人の方が多いと思います。それが証拠に "Panic Room"
 
 と二語が大文字の頭ではじまっています。しかし、固有名詞と考えると、どう
 
 しても Panic も名詞であると考え、「恐怖部屋」とする傾向が強くなってしま
 
 うのでは、と懸念してしまうのです。


   "Panic Room" は「固有名詞」で結論づけてよいと思いますが、それでも 

 Panic は名詞の形を脱ぎ去り、形容詞になっていると理解してみたいのです。


   さて A Panic Room は何を意味するか、です。これで完全に Panic は形

 容詞としての立場を確保したようなものですから、母体となる A Room は何か

 を考えればよいのです。


    小文字の a room に直してみましょう。これで「部屋」ですが、厳密にい

 えば、ただの「部屋」ではないことも考えなくてはなりません。文節ではない

 ので、主語なのか目的語なのかはわかりません。テーマであることには違いな

 いのですが、このテーマを支える述語がないので、意味深な「部屋」になるの

 です。


   その「部屋」に「非常用の」が加わります。たんに「ある非常用の部屋」

 としても7割のメッセージは届きそうですが、英語で a panic room、そして

 それがタイトルとなり A Panic Room とまでなると、単純に「そうか」と考え

 てはしまいたくないのです。「非常用なんだけど、いったいどんな非常時に備

 えられた部屋なんだろう?」とホラー映画を期待するときのような気持ちにさ

 えなりそうなのです。タイトルとしては「売れそう」ですが。


 拙訳: 「非常用特別部屋」


2■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■UP■9


   ◆ "A Streetcar Named Desire" (欲望という名の電車)

 
      テネシー・ウィリアムズの同名戯曲の映画化、主演マーロン・ブランド、

 演出エリア・カザンの名作です。マーロン・ブランドの名前を一気に世に知ら

 せたこの映画は、題名通りムンムンとする「欲望」を汗ばむ暑さのニューオリ

 ンズの街角に感じさせるような見事な演出で彩られています。共演のヴィヴィ

 アン・リーも見逃すことができません。


   「欲望という名の電車」は、もちろん主演のコワルスキー(ブランド)を

 指すタイトルになっています。ホンモノの電車に「欲望」という名がつけられ

 た、と考えるのはあまりにも愚直すぎるので、読み手は「何か別のもの」を想

 像するはずです。


   なぜ電車か?となりますが、比ゆ表現はジョークと同じで、からくりを教

 えた途端に存在意義がなくなってしまうので、これは見るものの判断に委ねら

 れることになります。なのでできればここでも解説は避けたほうが無難なので

 しょうが、冠詞と名詞のお話をしているので、ある程度解説をしなくてはなり

 ません。


   電車はふつう猪突猛進のごとくまっすぐに突き進みます。この動物的動き

 は誰にでもわかるイメージなので、わざわざ「欲望」と結びつけるほどのこと

 でもないでしょう。肝心なのは、この電車が「路面電車」と書かれていること

 です。英語の streetcar ですが、実はこの street という言葉が意味深なの

 です。a woman of the street と言えば「売春婦」の意味になり、このほか

 "street girl" "streetwalker" "street-meat" はすべて「街娼」という意味

 になります。"go on the street" で「売春の生活をする」、in the street

  だけでも「売春をしている」という意味になりますから、この "street" と

 いう言葉はかなり現実感たっぷりに「欲望のはけ口」の対象になるところを

 語っていることになります。


   それから「電車」は乗るもの、という実際的な使用方法も「欲望」を感

 じさせる要因になっています。英語で「乗る」は "ride" ですが、これは男

 が女に乗る、または女が男に乗る、という物理的詳細を感じることができる

 かなり直裁的な表現なのです。


   少なくともこのふたつの要因が織り交ざって、「欲望という名の電車」

 は、かなり映画の中核部分をえぐっていることになります。そして問題は、

 なぜ不定冠詞がついて A Streetcar となっているか、ですね。


   議論を少し前に戻しますが、この「電車」はホンモノの電車である可能

 性を残しているものの、エリア・カザンが「電車映画」を作るとは想像しに

 くいので、この電車は何かのたとえである、と識者は理解します。英語で書

 く "A Streetcar" は小文字で書いて "a streetcar" としても同じで、「一

 般的な電車」という「a+主語」の意味、そして「ある種特別な意味をもつ

 電車」という「a+目的語」の意味が考えられるのですが、ここでは、当然

 エリア・カザンが一般的電車を語りたいわけではなく、それを人間に当ては

 めていることは容易に察することができます。


   主語なのか目的語なのかがわからない映画のタイトルでは、この分類は

 あまり意味をなさないことになります。a streetcar は「電車」というより
 
 「電車のようなもの」と考えるほうがより正確だと思います。


   なので、うまい邦題(売れる邦題)にはなりませんが、"A Streetcar

  Named Desire" の訳出は「欲望という名の電車野郎」となりそうです。もし

 この不定冠詞が定冠詞になって "The Streetcar Named Desire" にすると、

 唯一欲望という名がついたホンモノの電車、になるのか、もともと電車とい

 うニックネームをもっている男が「欲望」という名前になってしまったのか

 のどちらかでしょう。「欲望って名がついた電車くん」みたいに。


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   ◇ Streetcar Named Desire


   となれば、無冠詞はどう解釈すればよいのでしょう?ステップ(9)で

 お伝えした「すでに指すものがわかるので冠詞を省く」はどう適応されるこ

 とになるのでしょうか?Streetcar に冠詞がないのは、固有名詞化したと考

 えてもいいのですが、その前になぜ固有名詞が冠詞をとらないのか、を少し

 考えてみればわかると思います。


   目の前に「電車」があって、その電車と別の電車を比べているわけでは

 なく、眼前の電車だけに話の中核があるのなら、これは冠詞を使う必要があ

 りません。すると、これは人にたとえた電車ではなく、電車そのものですか

 ら、その電車の名前が「欲望」である、と結論づけたらよいと思います。


 訳出:「電車欲望号」



3■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■UP■9

        
      ◆ Seven Samurai (七人の侍)


      いうまでもなく、黒澤明監督の代表作のひとつ、「羅生門」と共に世界の

 多くの監督の手本にもなっている不朽の名作です。この映画の英語タイトルが 

 "Seven Samurai" です。


   もう、劇場だけで50回は鑑賞したでしょうか。ボストン留学時期だけでそ

 のほとんどである45回を数えますので、相当内容は「覚えて」しまい、セリフ

 を全部72ページ分のノートに書き出したほどです。別にシナリオを修行してい

 たわけではありませんが、いい映画はどうして作られているのか、と常に映画

 製作には関心を持っていましたから、シーンを思い出し、音楽を再生し、画面

 がほとばしるのを抑えつつ、全セリフを書き出したのです。


   黒澤映画の特徴でしょうが、よくセリフがはやくて理解できない場合があ

 りました。そんなとき、アメリカ人用につけられた英語字幕が役に立ったので

 す。セリフがはやすぎるのも、ある緊張感を高めることにより、現実でもよく

 わからないところがある生々しさを再現できるのでしょう。子供をさらって小

 屋に立てこもったときの賊(東野英治郎さん)の声がはっきりきこえないので

 す。しかしそのうわずった声は異様なまでの説得力があり、わからなくても違

 和感がほとんどない(とは筆者の感想)。


   違和感といえば、タイトルでした。45回アメリカで見た「七人の侍」には

 すべて "Seven Samurai" と英語タイトルがついたのですが、どうして複数を

 表す "s" がないのか、ずっと疑問だったわけです。友人に聞くと、"samurai" 

  は英語ではないから、英語的な活用変化をしないのだ、と教えてくれたのです

 が、釈然としません。大字典で調べると、samurai はちゃんと複数形をもって

 おり、samurais と変化するとあるのです。無変化の samurai もありますが、

 当時の筆者にとりどうして変化したり無変化のままであったりがわからないで

 いたのです。


   つまりこういうことです。友人が語ってくれたように、samurai は日本語

 であり、英語ではないから英語的な語の変化は生まれない。つまり、複数であ

  っても "s" をつけず、まるで集合名詞のようにそのまま使い、動詞で受ける

 ときに気を使うだけでよい、となります。


   しかし、名詞により "s" があったりなかったりと、一定性に欠くので、

 辞書に複数形の形があるのなら一層のこと "Seven Samurais" と書いてはどう

 かという話になります。しかし、それには「待った」がかかるのです。


   "Seven Samurai" と「七人の侍」に "s" がない理由、それは、この映画

 に出てくるような "the magnificient seven" (素晴らしき七人=映画「荒野

 の七人」の原題)は、現代社会に存在しないからです。もし「七人の侍」が複

 数の "s" をとったとしたら、この現代社会で見える人たちを指さなくてはい
 
 けないのです。「七人のビジネスマン侍」みたいに。"Seven Samurai" は、映

 画の中でしか会うことができない人たちなのです。



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      ◇ The Seven Samurai


      定冠詞がついた「七人の侍」。目立って大きな変化はなさそうですが、大

 ありなのです。この映画は、野武士に襲われ、収穫と女を奪い去られてしまう

 農民達が、考えた末「浪人」を雇って野武士の襲撃から村を守ろうと立ち上が

 るところから映画がはじまります。


   紆余曲折の末、「七人」が雇われることになるのですが、この侍たち(う

 ち1人は農民出身の自称侍)がすべて "The Seven Samurai" が示すように、

 「典型的武士」になるかといえば、そうではありません。これら七人は個性豊

 かで侍魂を十二分にもっていたとしても、「唯一の侍七人」とやることはでき

 ないのです。


   それは、この映画が描こうとしている「風のように勇敢な七人の侍と土の

 ように粘り強い農民」というテーマからそれるものであり、英語タイトルを担

 当した人(誰だか知りませんが)は "The Seven Samurai" と題して「よく見

 ろ。侍とは彼らだ」と声高に言いたいのではないと確信しています。黒澤明監

 督にしても、そのような意図はなく、これは筆者の勝手な想像ですが、この映

 画の製作や演出の新境地を考えても、「侍はどうやって日々生活をしていたの

 か」を描くことが動機であると、シナリオ作家橋本忍氏の「複眼の映像」に書

 かれてあります。


 拙訳:「高貴たる七人の侍」



4■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■UP■9


   ◆ Scent of a Woman  (セント・オブ・ウーマン/夢の香り)


   アル・パチーノがアカデミー主演男優賞をとった、その賞に値する演技で

 見る者を圧倒させる映画です。盲目の元米軍将校の役なのですが、同じ盲目の

 役で世界的に定評のある座頭市の「勝新太郎」に並ぶ迫力を感じました。


   タイトルは少し気になりますね。原題にはない文言が邦題に加えられてい

 ます。「夢の香り」の原義は「女の香り」から拝借したものなのでしょうが、

 なぜこのような「すり替え」が行われたか、筆者は知りません。それに英語を

 そのままカタカナに直してみたようなのですが、"a" が反映されていません。

 本来、「セント・オブ・ア・ウーマン」とすべきところなのです。


   筆者はカタカナにするにしても、冠詞を一切抜くべきではないと訴えたい

 のです。普段の英文法のクラスでも冠詞の存在が軽んじられている上、別の場

 所で冠詞に触れても、冠詞の妙味に感化をうける時間と空間がないため、せめ

 て映画のタイトルだけは冠詞を抜かさないよう考えてほしいと願っているので

 す。


   一時日本でグループサウンズが流行ったとき、グループ名にすべて「ザ」

 をつけていたわけですが、ステップ(8)でもお伝えしたように、「ザ」の応

 酬を毎日聞いていたおかげで「the 感覚」が出来上がったのです。なんとなく

 ですが、この感覚は英語の語感に貢献することになったのです。


   さて、頭の言葉 Scent には何も冠詞がついておらず、複数の "s" もつい

 ていません。これだけで、Scent はいわゆる「不可算名詞」であることがわか

 りますが、辞書で調べると可算・不可算のいずれにも使われることがわかり、

 再び「可算なのか不可算なのか」というジレンマに陥ります。


   この場合、Scent には「"a" もなければ "s" もない状態」だと考え、従

 来の言葉でいうなら「不可算状態」にあるわけですが、その不可算の無形状態

 であると「感じれば」いいのです。Scent は「ほのかに香る匂い」ですから、

 それが女性のものであるとなると、ちょっと官能的な部分も含み、読み手は一

 気にタイトルの世界に踏み入ることができるのです。


   映画を見ていただけたら、この scent がなんであるか、その「犯人」が

 わかります。女性が使う石鹸のことです。目が見えない主人公フランク(パチ

 ーノ)にとり、男女の識別は聴覚か嗅覚に頼らざるを得ないのですが、女性の

 存在はすべて嗅覚で判断している設定になっています。聴覚がそれを追いかけ

 る。ほんのりと香るわけなので、はっきりした「形」はなく、"a" もなければ

 "s" もない理由がよくわかると思います。


   もし、不定冠詞をとり "A Scent of a Woman" になれば、どうなるのでし

 ょう? "Scent" は動物が嗅ぎわける重要な手がかりなので、a scent は形を
 
 もつことにより「手がかり」「直感」という意味に発展します。すると、この

 英語は「女性だとわかる手がかり」となり、官能さがより色濃くなることとな

 りそうですね。


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   ◇  The Scent of a Woman


      "A Scent of a Woman" の不定冠詞が定冠詞になる。ただそれだけのこと

 のように見えますが、これが「ただ」事ではないのはもうおわかりでしょう。

 The Scent とは、「もうこの匂いしかない」というのと同じで、究極的な女性

 の香りを想像しなくてはならないのです。


   これは本当にタイトルだけでほんのりと匂ってくるような強さがあります

 ね。官能美を嗅覚で示したような・・・これには個人差がありそうです。しか

 し、個人差があっても、メッセージを送る側は「この香りしかないよ」と語っ

 ているので、読み手はそれにしたがって、個人差はあれど、それぞれが理解に

 努めることになるのです。なので邦題も直接的表現が相応しい。


 拙訳:「女体の匂い」
 
      

5■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■UP■9

        
   ◆ American Beauty  (アメリカン・ビューティ)
   
   
   サム・メンデス監督の意欲作、そしてアカデミー賞受賞作品です。作品の
   
 内容が手伝ってか、評価が真っ二つに分かれる映画です。もっとも批判的な意
 
 見は、内容が「不可解」というものらしく、タイトルにも不満を漏らす人は少
 
 なくないようです。
 
   
   "American Beauty" をそのまま訳せば、「アメリカの美」となります。い
   
 ったいこの映画のどこが「アメリカの美」なんだ?という声が聞こえてきそう
 
 です。この映画でもっとも目立つドラマは、中年の主人公であるレスター(ケ
 
 ビン・スペイシー)が、自分の娘の友人アンジェラから性心理的ランデブーに
 
 火をつけられてしまい、興ざめていた自分自身に新たな「自己陶酔的魅力」を
 
 見つけ、肉体を鍛えて変身を遂げようとするところでしょう。アンジェラの魅
 
 力が「アメリカン・ビューティ」の具現者であることは容易に察することがで
 
 きます。
 
 
   アンジェラだけではなく、娘自身も具現者のひとりであるように映画は配
   
 慮しています。いつも自分の「胸」ばかり気にしており、自信タップリの友人
 
 アンジェラとは対照的な性格なのですが、2人とも「肉体賛美」という点にお
 
 いては同じ方向を向いているのです。
 
 
   そんな薄っぺらいものが「アメリカの美」なのか?と見る者にとり疑問が
   
 次々とわいてくるのでしょう。イギリス人監督であるサム・メンデスがアメリ
 
 カ的美的感覚について「問題提起」したのでは、という声もあるようですが、
 
 筆者はそのような論には同調しません。なぜなら、それはタイトルにもあるよ
 
 うに、「アメリカン」という固有なる形容詞があるにも関わらず、この映画は
 
 様々な「美」を見せつけてくれるからです。
 
 
   "American" が形容詞で、そのあとの "Beauty" が名詞、しかも抽象名詞の
   
 意味をもつ「美」ですから、形がありません。美しいと感嘆できるものはすべ
 
 て「美の対象」ですから、形があって当然ですが、「美しいと感じる心」は無
 
 形になります。"Beauty" には冠詞がついていませんから、「美の対象」とは
 
 なりません。あるとき、ある場所で、見たり聞いたり感じたりしたときに宿っ
 
 てくる「ああ、これがアメリカの美か・・・」という無常感がこの "American
 
 Beauty" に隠されているのではないか、と思います。
   
 
   この映画のドラマは、拙訳的に解説すれば、先ほどお伝えしたとおり、新
   
 しい自分を見つけた主人公の性心理的「美体験」を中心とし、意識を向ければ
 
 「感じられる美」があちこちにちりばめられている、と考えるのです。だから
 
 見る者もどこに美があるのか、突き止めて感じなくてはならない、という見方
 
 によれば「負担の大きい」映画です。内容が不可解だというのは、このような
 
 「負担」が要因だったのかも知れません。
 
 
    ジェーンの恋人になる隣人の高校生リッキーも、美の具現者でしょう。
    
 この青年は「美しいもの」をビデオカメラにおさめることにより、美の紹介者
 
 となるのです。リッキーは常に「よく見れば、美しいものがこの世の中にはた
 
 くさんある」と観客に向かって叫んでいるのも同然だと思われます。
 
 
   "American Beauty" は、その「決定していない」アメリカの美、という意
   
 味から、映画を見る者が自分なりに美を発見して感じてくれればよい、という
 
 懐の深さを感じさせてくれるタイトルだと思います。
   
   
------------------------------------------------------------------------

   ◇ The American Beauty
   
   
   こうなると、もうひとつしか「アメリカの美の対象」がなくなることを意
   
 味します。「美の対象」とは、美しいと感じさせた人間、物に相当しますから
 
 早い話、なんでも「美」になるわけです。つまり、不定冠詞のレベルから、美
 
 の対象を考えることができるのです。
 
 
   "a beauty" といえば「美しきもの」ですが、人となるとたいていの場合、
   
 「美人」となって女性を指します。男性にも "a beauty" とはいえなくもない
 
 のですが、かなり外的美貌が優れ、美しさが強調されているものでなければな
 
 らないようです。
 
 
   これが "the beauty" となり、そして "The American Beauty" と発展して
   
 行くのでしょう。この映画で「これぞアメリカの美」と言い切れる対象とは、
 
 どうしても主人公の心を揺り動かしたアンジェラになるのですが、そうなると
 
 今まで以上にこの映画は賛否が激しくなることでしょう。
 

 拙訳:「最高のアメリカ美女」
 
 
6■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■UP■9
           
   ◆ fantastic voyage  (ミクロの決死圏)
   
   
   SFの古典的名作、人間がミクロになって人体に入り、疾患部分を治療する
   
 という、考えただけでも映画になりそうな構想をそのまま映画化した画期的作
 
 品です。今から42年も昔に作られたこの作品は、CGグラフィックがない時代に
 
 も関わらず、「実写」で撮影された貴重な映画ですが、その迫力は衰えを見せ
 
 ません。撮影は現在でも「謎」の部分が多く、見る者を引きつけて離さないの
 
 です。
 
 
    タイトルがすべて「小文字」なのは、この時代の流行りで、出演者に上
    
 下関係はなく、すべてが主役である、という意味がこめられている、というこ
 
 とをアメリカの友人から聞いたことがあります。「12人の怒れる男」(1957) あ
 
 たりからはじまったということらしい。12人の陪審員がすべて主役である、と
 
 いう意味がこめられているそうです。
   
   
   タイトル "fantastic voyage" は形容詞である fantastic が大きな鍵を
   
 握っています。fantastic は fantasy(空想)から派生した形容詞です。つま
 
 り、「空想航海」というのが原題ですが、よく会話で使う fantastic は「すば
 
 らしい」という意味なので、「すばらしき航海」というタイトルにもなるので
 
 す。voyage は羅針盤を頼りに方角なき方角を進むという「航海」を人体の神秘
 
 になぞらえたのだと思います。
 
 
   しかしこれは fantastic がもつ様々な意味の交錯を愉しむようにつけら
    
 れたタイトルのような気がします。空想的であったり、前代未聞であったり、
 
 すばらしくもあったりと、そのときに応じて意味を変える不思議なタイトルで
 
 あるような気がします。
 
 
   実際映画を見てみると、辞書に載っている定義すべてが当てはまりそうな
   
 映像になっているのです。なので "fantastic voyage" としか言いようがない
 
 のですが、疑問がひとつ残ります。なぜ "a fantastic voyage" とならず、無
 
 冠詞の "fantastic voyage" なのでしょうか?
 
 
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   ◇ a fantastic voyage


   不定冠詞をつけると、いままでの議論でも理解いただけると思いますが、
   
 大きくわけて二つの可能性が考えられます。ひとつは船で海を渡る「航海」そ
 
 のものを形容した視点、そしてもうひとつは比ゆ表現として何か別のものに例
 
 えた視点です。訳出で違いを出せば、前者が「ハラハラドキドキ海の大航海」
 
 後者が「夢のような長旅」となり、いずれも「具体的すぎる」のです。
 
 
   やはりこの映画はこの映画ならではのタイトルが必要なのです。それは今
   
 まで見たことも考えたこともない、純粋にして「空想上」の旅、という意味合
 
 いが欲しいのです。何でも具体化してしまえば、「遊び」の余裕がなくなり、
 
 言語を介して心に自由さを愉しませることができなくなってしまいます。
 
 
   "fantastic voyage" は「固有名詞」である、と簡単に結論づけてもいいか
   
 もしれませんが、fantastic は voyage を形容すべくしておかれているわけな
 
 ので、単に「名称だ」と割り切るのは、これから映画を見るのにとっておきた
 
 い「童心のような期待感」を捨て去ってしまうような寂しさを筆者は感じてし
 
 まいます。まずはこの映画のタイトルのように、空想に耽ってみるのもいいの
 
 ではないかと思います。言語学習者のみなさんが fantastic voyager にあられ
 
 ることを筆者は切望しております。
 
 
   原題の "fantastic voyage" はそれゆえ、どういう邦題が可能なのか、筆
   
 者にも簡単に解答が出せません。筆者自身、空想的に遊んでいる状態なので、
 
 結論めいたことが言えないのです。"a fantastic voyage" については、上記の
 
 通りですが、もう一度以下に書きます。
 
 
 拙訳:「ハラハラドキドキ海の大航海」
   
    「夢のような長旅」
 
   
   
   アップ(9)はこれで終わりです。
   

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