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2007/04/07

4月7日 連続ピストル射殺事件犯人 永山則夫逮捕される 

前年10月から東京・京都・函館・名古屋で起っていた連続ピストル射殺事件の
犯人として永山則夫が逮捕された日。  
新聞各紙は「類似事件の再発を防ぐため」として、未成年(19)でありながら、
犯人の実名・写真入りで報道した。(1969)

永山 則夫は、1968年から1969年にかけて連続ピストル射殺事件
(警察庁広域重要指定108号事件)を引き起こした元死刑囚である。

1969年の逮捕から1997年の死刑執行までの間、
獄中で創作活動を続けた小説家でもあった。


生い立ち

1949年6月27日、北海道網走市呼人番外地に生まれる。
博打に明け暮れる父親の放蕩生活によって、家庭は崩壊状態であった。
1954年(当時5歳)に、母親が則夫を含む4人兄弟を網走の家に残し、
青森県板柳町の実家に逃げ帰ってしまう。

残された則夫を含む4人兄弟は屑拾いなど極貧生活に耐えて
ギリギリの生計を立てたものの、1955年に、4人を見かねた近隣住民による
福祉事務所への通報をきっかけに、板柳の母親の元に引き取られた。

1965年3月、板柳から東京に集団就職する。
上京後は職を転々とし、どこも長続きしなかった。


米軍宿舎から盗んだピストルで、1968年10月から1969年4月にかけて、
東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺し、
「連続ピストル射殺事件」(広域重要指定108号事件)を引き起こす。

この事件は、1965年に起こった少年ライフル魔事件に刺激されたのではないかという見方もある。

1969年4月(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕された。
1979年に東京地方裁判所で死刑判決。

1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、
1990年に最高裁判所で、
「家庭環境の劣悪さは確かに同情に値するが、彼の兄弟たちは凶悪犯罪を犯していない。」
として、死刑判決が確定する。


獄中で、読み書きも困難な状態から独学で執筆活動を開始し、
1971年に手記「無知の涙」、「人民をわすれたカナリアたち」を発表した。
この印税は4人の被害者遺族へ支払われ、
そのことが1981年の高等裁判所判決において情状面で考慮され、
無期懲役への減刑につながった。

獄中から手記や短歌を自ら発表する死刑囚は多い。
しかし、自らの罪を認める一方で、
自己の行動を客観的にふりかえるという手法で創作活動を行い、
文壇において一定の地位を獲得するまでに至った永山は、
死刑囚としては珍しい存在といえる。


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