2008/10/22
世界のトピックス(天気)Vol_68 2008年10月22日 カンボジア(バッタバン)
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世界のトピックス☆天気☆
2008年10月22日 カンボジア(バッタバン)(Vol.68)
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明日、10月23日は二十四節季では、霜降
(そうこう)と呼ばれています。
朝夕の気温が下がり、霜も降り初め、冬の
到来が感じられる頃、なのだそうです。
でも、まだ、それほど冷え込んでもいません。
さわやかな、秋晴れが続いています。
朝、電車を待っていると、幼稚園児が列を
つくって、電車を待っていました。
遠足なのでしょうか。にぎわっていました。
冬の鳥であるヒヨドリが、庭に来ていました。
秋も中盤から、後半にさしかかったようです。
10月15日は、満月でした。知り合いと共に、
近くの温泉に平日の夕方に行ってみました。
空いていたので、2人で、露天風呂につかり
ながら、月の光を浴びてきました。
調子にのって、長湯して、後が大変でした。
読者の皆様は、いかがお過ごしでしょうか。
食欲の秋、と行きたいのですが、今年は物価
の上昇が気になるところです。
先週は、日本人科学者のノーベル賞受賞の
明るい話題で盛り上がりました。物理学賞と
化学賞であわせて4人という快挙でした。
発見から、長い時間が経って、評価された
研究でした。時間をかける大切さを感じる
ことが出来ました。
さて、今週注目する国は、カンボジアです。
2007年4月18日(Vol_11)で一度、注目しました。
この時は、首都のプノンペンでしたが、
今週、注目するのは、バッタバンです。
バッタバンは、カンボジア第2の都市です。
カンボジアの正式名称は、カンボジア王国。
カンボジアでは、自分の国を「カンプチャ」と
呼ぶそうです。建国者といわれるインドの
バラモン僧「カンプー」とその子孫を意味する
「チャ」に由来するそうです。
バッタンバンの夕方には、セパタクロー(蹴鞠)
を楽しむ人々が見られるそうです。男性に
人気がある遊びだそうで、 女の子達の間では、
ゴム飛びが人気なのだそうです。
それでは、しばらくカンボジアを見てみましょう。
今回も、編集後記の歴史については、今までの
ものに加筆するスタイルにしています。
あまりに、長くならないように、ポイントを加える
スタイルにして、少しずつ、レベルアップです。
→アジアの国々の歴史まとめのページも参考に!
http://ashita.yu-yake.com/asia-history.htm
「創刊号から、回を重ねるごとに内容を充実させていき
たいと思っています。よろしくお願い致します。
読者の皆様が、気持ちの良い毎日を送られますように!」
それでは、少しの間、日本から視点をずらしてみましょう。
◇今週のカンボジア(バッタバン)の天気◇
今週は、雷雨→雷雨→やや曇りです
Yahoo MSN Cambodia より!
カンボジアは、インドシナ半島にあり、反時計周りに、
タイ、ラオス、ベトナムと国境を持っています。また、
シャム湾に面しています。国土の面積は、18万1035km2
日本の約半分になります。
はるかチベットに源を発するチベットに源を発する、
国際河川のメコン川が国土を北から南に縦断し、首都
プノンペン付近で、西側から合流するトンレサップ川と
合流しています。カンボジアの中央に広がっている、
トンレサップ湖は、東南アジア最大の湖です。雨期と
乾期でその大きさが大きく異なり、雨期は乾期の3倍
もの大きさになるそうです。漁業、農業の支えとなる、
生活の要の湖です。360度の水平線の見渡せるそうです。
国土の大半を森林(密林、疎林)が占めています。
東側の海岸地帯にはマングローブ(海岸沿いの海水と
淡水が混じりあう場所に生育する植物の総称)の林が
発達しています。
カンボジアは、熱帯モンスーン気候に属しています。
乾季(11-3月)と雨季(4-10月)があります。南西の
季節風のため、多湿な雨期が4月から10月まで続きます。
最も暑い月は4月で、気温は、なんと38度!まで上がる
ことがあります。涼しくなる乾期は、11月から3月です。
12月から1月が、最も涼しい期間です。なお、雨期と
言っても、日中、ずっと降り続けるものではなく、
定刻に強い雨がまとまって一気に降るようです。
(つまり、東南アジアに多い、スコールの季節です)
今週は、カンボジアの第2の都市、バッタバンです。
10月20日の朝8時30分における、バッタバンの天候は晴れです。
(今日の最低気温 25℃、最高気温 32℃です)
気温 28℃
湿度 79%
風 ほとんど無し
視界 0km?
結露温度 24℃
日の出 5時58分
日の入り 17時45分
バッタンバンは、カンボジアの北西部に位置し、
トンレサップ湖につながるサンケイ川べりの、
カンボジア第2の都市です。
バッタンバンは「棒を失くす」という意味で、
実在したタダンボン将軍の伝説にちなんだもの
なのだそうです。お米をかき混ぜる棒を、敵に
投げつけたそうですが、その棒が落ちた場所が、
バッタンバンだそうです。だから、特産物は米
なのだそうです。
首都のプノンペンから鉄道で6時間、高速バスで、
約5時間、いろいろな遺跡や見所があります。
蓮の花の池を手漕ぎボートで、ゆっくりクルーズ
したり、ミニ・アンコール・ワットと呼ばれて
いる、ワット・バナンという遺跡も良いそうです。
アンコール・ワットのある、シェムリアップより
見所は少ないけれども、観光客が少なく、とても
のんびりできるそうです。
カンボジアサーカスもあるそうです。
ですが、キリング・ケイブと呼ばれる洞窟があり
ます。ポル・ポト時代には、この洞窟で大虐殺が
行われたそうです。
<カンボジアの季節行事>
カンボジアのお正月は、4月なのだそうです。
4月が丁度一番暑い時期なので、働くにも大変と
言う事で休日も兼ねてのお正月なのだそうです。
カンボジアでは、秋の味覚の、キノコ狩りは、
乾季から雨季に変わる5月頃か、雨季から乾季に
変わる9月、10月頃だそうです。(しかし、
不発弾や地雷には、要注意なのだそうです。)
また、カンボジアでは一般的に乾季の12月頃が、
稲刈りの最盛期です。
ちょっと、日本とは違いますね。
<カンボジアの地雷犬と地雷について>
カンボジアには、今もまだ、沢山の地雷が
埋まっているので、危険と隣り合わせの
生活が続いている地域があります。そして
その地域では、地雷犬が活躍しています。
火薬のにおいに、反応するので、金属探知機を
使う、地雷撤去のように、反応する金属を、
いちいち、確認する必要がないそうです。
けれども、驚くべきは、その犬の値段で、
1頭が200万円以上もするそうです。
地雷探知犬として働いている犬は、スウェーデンで
訓練され、連れて来られたそうなのですが、
スウェーデン語、英語、そして、カンボジアの
クメール語の3ヶ国語を理解できるそうです。
高価な犬なので、自国で繁殖、育成する取り組みが
始まっているそうです。
バッタンバンには、カンボジア地雷撤去キャンペーン
(CMC)というNGOの現地事務所があります。
→http://cmc-net.jp/
戦争で残された地雷が、現在70カ国以上の国々の
農地や森、道路などに、推定6千万個も埋設されて
いるそうです。
特にカンボジアでの地雷被害者は多く、一般市民が
日常生活の中で地雷の被害にあっているそうです。
被害者は、生計をたてることさえ困難で、さらに
義肢(義手・義足)は、靴と同じように、2〜3年毎に
交換をしなくてはならないそうです。
バッタンバン義肢センターへ支援を行っています。
今週の気温は
最低気温: 24〜26℃ 最高気温: 30〜33℃でしょう。
◇日本の天気◇ MSN Japanより!
全国概況 (10月20日 5時発表)
千島近海には高気圧があって北日本に張り出しています。
日本付近は大陸から高気圧に覆われるでしょう。
沖縄や九州はスッキリと晴れそうです。
中国、四国から東北にかけては、雲の広がることも
ありますが、だいたい晴れるでしょう。
北海道は前線の影響で、午後は所々で雨が降りそう
です。
最高気温は、関東から北は20度前後で、過ごしやすい
でしょう。東海から西は25度を超える所が多く、
汗ばむ陽気が続きます。
(Livedoor天気)
<紅葉開始>
昨年の残暑が厳しかったせいか、遅かった気が
しますが、今年は、秋の紅葉は、順調のようです。
日本有数の多雨地帯で、原生林が広がる特別保護
地区の大台ケ原(奈良県上北山村)の紅葉が、
ピークを迎えているそうです。
大台ケ原ビジターセンターによると、今年は秋口の
気温の下がりがよく、色づきがいいそうです。
好天に恵まれた10月19日には、県内外から行楽客
約6500人が訪れたそうで、道路には観光客の車が
ずらりと並んだそうです。見頃は、今月いっぱい
までになりそうだそうです。 (参考:MSN)
ところで、この大台ケ原は、ニホンオオカミが、
最後に目撃されたところです。絶滅したニホン
オオカミのはく製は、国内に3体だけあるとか。
関西でも指折りで、星がきれいに見える場所で、
夜間は、夏でも、冬の服装が必要になります。
♪トピック(太陽の活動を動画で配信)♪
穏やかな、秋晴れの日には、日差しも強めに
感じます。そのような晴天の日には、太陽の
表面の活動は、どうなっているのか、専用の
望遠鏡で観察してビデオに録画しました。
太陽の表面から立ち上がる、赤い炎の高さは、
実に、地球の数倍にも及ぶものです。
これだけのエネルギーが有効利用出来れば、
石油の問題などは、なくなるでしょう。
炎の形は、刻々と変化するので、数時間後に
見ると、全く違った感じになります。
→天体観測のページ(心から宇宙を感じてみましょう)
http://homepage2.nifty.com/totto-ohnaka/sun-suface081008.htm
◎編集後記◎
<カンボジアの歴史> 結局、長くなって済みません!
1世紀〜6世紀にかけては、クメール人による、扶南
(フナン、又はフーナン)王国がカンボジアの大部分を
支配してたと中国の書物に書いてあるそうです。
3世紀までは未開の地だったそうですが、インドと中国の
中間地点にある水路の要衝だったので、商業国家として
繁栄し、稲作も発達していたそうです。インドの影響を
強くうけていた文化だったようです。
6世紀には、カンボジア国家の起源とみなされている国、
北方クメール人による真臘(しんろう、チェンラ)国が
興りました。(古代カンボジアとも呼ばれます)
7世紀には扶南を滅ぼし、ジャヤーヴァルマン1世(657〜
681年)の治世の頃に最大となりました。インド文化の
影響を受け、サンスクリット文字を使用したそうですが、
クメール文字も使われ始めました。
しかしジャヤーヴァルマン1世の死後、古代カンボジアは、
北と南に分裂し弱体化し、8世紀にはジャワ王国の支配下
に入ったそうです。
ジャヤーヴァルマン2世(802〜854年)は、ジャワ王国から
の独立を果たしましたが、これが、アンコール王朝
(クメール王朝)の始まりだと言われています。
9世紀の末、ヤショーヴァルマン1世がアンコールに都を
築き、13世紀にかけて、アンコール文明が栄えることと
なりました。
1113年には、スールヤヴァルマン2世が即位し、国内を
統一し、チャンパ王国 (ベトナム周辺のマレー、ポリネ
シア系の国) や、大越国 (ベトナムのハノイを首都とした
王朝) へ攻め入りました。
その結果、王国の範囲は、タイ、マレー半島、ベトナム
などに広がりました。王は、寺院建築にも熱心で、
自身の墓でもあるアンコール・ワットを始め、多くの
ヒンズー寺院を建築しました。
スールヤヴァルマン2世死後、王位を巡り争いが続きま
した。ジャヤーヴァルマン7世は、病院や、主要街道に
宿場を建設し、庶民の生活も重視しましたが、大規模な
寺院建設と領土獲得の遠征のため、王の死後は、国力が
衰退したようです。
13世紀に入ると、元の侵攻が始まり、さらに隣国タイの
アユタヤ王朝の侵攻が始まりました。14世紀に入ると、
アユタヤ王朝に首都アンコールは征服されてしまいます。
その後、首都は転々とし、現在のプノンペンのあるチャド
モックに遷都しましたが、17〜18世紀は、タイやベトナム
の侵略や干渉がつづき、国内は混乱したそうです。
1863年に、フランスによるインドシナ半島の植民地化が
開始されました。既に、1867年までに、ベトナム南部を
征服していたフランスは、1893年からカンボジアを支配
することになりました。
1940年に、日本軍がインドシナ半島に侵攻し、この機に
乗じてノロドム・シハヌーク(シアヌーク)王は1945年
にカンボジアの独立を宣言し、フランスの影響は後退し
ました。
しかし、日本が連合国に降伏すると、1946年には再び
フランスの統治が再開され、独立は消滅しましたが、
シアヌークが主導する独立運動は、激化しました。
シハヌークは粘り強く独立運動を続け、1947年には
憲法を公布し、1949年には、フランス連合内での独立を
獲得し、1953年には、警察権・軍事権を回復して、
「カンボジア王国」として、完全独立を達成しました。
1955年、アジア・アフリカ会議(インドネシアのバンドン
で開催)において、シハヌークは非同盟・中立外交政策
を表明した。しばらく、平和と発展の時代が続きました。
1965年、シハヌークは北ベトナムへの爆撃を行なう
アメリカ合衆国との断交を宣言しました。ベトナム戦争
の影響で国内は不安定だったものの、シハヌーク政権の
時代には、まだ爆撃や内戦は激化していなかったため、
食糧も輸入に頼ることなく、避難民も発生していなった
そうです。
1969年、アメリカはカンボジア内の共産勢力のベース
キャンプに、多くの市民を巻き込んだ爆撃を行い、
カンボジアはベトナム戦争へと引きずり込まれること
となりました。
1970年には、アメリカ支援の下、親米右派のロン・
ノル将軍がシハヌークの外遊中にクーデターを決行し、
クメール共和国を成立させました。そして、国王の
シアヌークは北京へ亡命しました。
また、ロン・ノルは、ホーチミン・ルート(ベトナム
戦争時に、北(ベトナム民主共和国)から中立国ラオス、
カンボジア領内を通り南(ベトナム共和国)に至る、
南ベトナム解放民族戦線への陸上補給路を指す)を
粉砕するため、アメリカ軍と南ベトナム軍に自国を
侵攻させました。
北京へ亡命したシアヌークは、カンプチア民族統一
戦線を結成し、反ロン・ノル諸派の共闘を呼びかけ、
王国民族連合政府を作り、ロン・ノルに対して、
政権の奪回を図りました。
シアヌークの呼びかけ対して、毛沢東主義に心酔した
ポル・ポト、キュー・サムファン、イエン・サリら
の指揮するカンボジア共産党(クメール・ルージュ)
が中国共産主義勢力の援助の下、行動を開始しました。
そして、ポル・ポトはシハヌークを擁立し、ロン・ノル
政権との間で内戦となりました(カンボジア内戦)
一方、アメリカと南ベトナム軍は、ベトナム共産軍を
根絶する名目で、カンボジアへも侵攻していましたが、
失敗に終わりました。
この時に、今まで局地的に行われてきたアメリカ軍に
よるカンボジア空爆は、人口の高密度地域を含む、
カンボジア全域に拡大し、数十万人の農民が犠牲と
なり、大量の国内難民が発生し、農業生産は激減した
そうです。反政府活動も激化していきました。
1973年に、ベトナムからのアメリカの撤退により、弱
体制となっていたロン・ノルは、1975年に、ハワイに
亡命しました。ベトナムではサイゴンが陥落して、
ベトナム戦争が終結しました。
カンボジアの左翼ゲリラ(クメール・ルージュ)は、
カンボジアの内陸部へ追い込まれていましたが、
ロン・ノルに代わって、クメール・ルージュが首都
プノンペンに入城しました。1976年1月に「カンボジア
民主国憲法」が公布され、国名も、民主カンボジアに
あらためられました。
同年に、意見の対立からシアヌークが国家元首を辞任
すると、カンボジア共産党書記のポル・ポトが政権を
にぎりました。
内戦による農業の破壊、食糧輸入援助の停止といった
混乱状態の中、クメール・ルージュは都市住民の糧は
都市住民自身に耕作させるという、極端な原始共産制
社会への回帰政策を実行し、都市居住者、資本家、
技術者、学者・知識人などから一切の財産・身分を
剥奪し、郊外の農村に強制移住させました。
旧政権関係者、都市の富裕層や知識層、留学生、
クメール・ルージュ内の親ベトナム派の多くが、反乱
を起こす可能性があるという理由で処刑されました。
この、1975〜1979年のポル・ポト時代の4年間は、
中国の毛沢東主義を奉じた、極端な農本主義政策が
採られました。中国の文化大革命さながらの大改革で、
貨幣も廃止されましたが、これらの非効率的なやり方
は大旱魃をもたらし、出生率が異常に低下する一方で、
飢餓と虐殺で100万人とも、200万人ともいわれる、
大量の死者を出したそうです。
1978年、ポル・ポトはベトナムを攻撃し、ベトナムと
断交しました。この頃、ベトナムはソビエト連邦との
関係を強化しており、中ソ対立の構図から、中華人民
共和国と関係の深いポル・ポト政権と対立することと
なりました。
これに対して、今度は、ベトナムがカンボジアに侵攻
しました。ベトナムは、元クメール・ルージュ将校で
ベトナムに亡命したヘン・サムリンを擁立し、ポル・
ポト打倒を掲げカンボジアに侵攻しました。
ヘン・サムリンは、プノンペンを制圧し、カンボジア
人民共和国の成立を宣言しました。この後、タイ国境
のジャングルへ逃げ込んだクメール・ルージュ、北京
へ亡命したシアヌーク国王、クメール人民民族解放戦線
(ソン・サン議長)の3派は共闘同盟を結んで、民主
カンプチア連合政府をつくって、ヘン・サムリン政権
との間で、内戦が続きました。
ヘン・サムリンのカンボジア人民共和国は、ベトナム
の傀儡政権であるとして世界の承認を得られなかった
そうです。
1983年に開かれた、インドシナ3国首脳会談でベトナム
軍の部分的撤退が決議されましたが、ベトナム軍は、
ポル・ポト派の拠点を攻撃しました。
1984年の東南アジア諸国連合外相会談では、駐留する
ベトナム軍への非難共同宣言が採択されました。
しかし、ベトナム軍は内戦に介入し続け、1985年に、
民主カンプチア連合政府の拠点を攻略、シハヌーク
国王派の拠点も制圧しました。
しかし、1988年、ベトナム首相ファン・フンが急死し、
政変が起こると、ベトナムは軍の撤収をはじめます。
その結果、フン・センはベトナム軍の支えを失って
弱体化し、内戦は更に泥沼化しました。
1990年、とうとう、国連安保理が介入するこになり
ました。東京でも、カンボジア各派が参加する和平に
向けた直接対話の場として「カンボジアに関する東京
会議」が開催されました。
1991年、カンボジア和平パリ協定が開催され、
国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)"の設置、
紛争当事者である、フン・セン政権と民主カンプチア
連合政府を合わせた四派による、カンボジア最高国民
評議会(SNC)が結成されて、最終合意しました。
SNCから権限を委任されたUNTACは、武装解除や憲法
制定議会選挙の準備に取り組みました。しかし、
ポル・ポト派によるゲリラ活動や選挙準備の妨害が
頻発し、PKO(国連平和維持活動)は困難を極めました。
1993年に、国民議会総選挙が行なわれ、立憲君主制が
採択され、シハヌークが国王に再即位し、カンボジア
王国が、23年ぶりの統一政権として誕生しました。
クメール・ルージュは武装解除に応じず、総選挙も
ボイコットしましたが、1997年に、ポル・ポトは、
人民裁判で終身刑を宣言され、1998年に山中で死亡
し、ポル・ポト派幹部が国民へ謝罪しました。
カンボジアは、民主主義、自由市場経済社会へと変わり
仏教が国教となりました。また、ラナリット(シアヌー
クの二男で、フンシンペック党党首)が第一首相、
フンセン(カンボジア人民党)が第二首相に選出され
「二人首相制」の内閣も成立しました。
1997年7月、プノンペンにおいて、フンシンペック党
(ラナリット)とカンボジア人民党(フンセン)の
軍隊が衝突するという事件が起こり、カンボジア人民党
のフン・センが第一首相に就任しました。
2004年にシハヌークが退任し、ノロドム・シハモニ
(6番目の妃との間に生まれた)が国王に即位しました。
ノロドム・シハモニは、1960〜1970年代に、プラハで
クラシック・ダンスを学んだのち、北朝鮮に渡り映画
撮影技術を学び、1981年にはフランスに渡り、バレエを
教えていました。その後、フランスに20年間留まること
になり、1993年からはパリでユネスコの大使を務めた
ていました。
シアヌークは、これまでも国内情勢が混乱するたびに
「退位」を切り札として事態を収拾してきましたが、
この退位の理由は、高齢に加え、自分の死後に、王位
継承問題がもつれ、王制廃止につながることを恐れた
ためととも推測されています。
2004年10月中旬、カンボジアは、WTO(世界貿易機関)に
正式加盟し、自由貿易の国際ルールの中での経済発展を
めざすことになりました。治安や経済などの復興へと、
着実に歩みを進めています。
2006年10月18日、フンシンペック党の党首から解任
されたは、ラナリットは、ノロドム・ラナリット党を
設立しました。
2007年には、フィリピンに滞在中のラナリットに、
背任罪の実刑判決(禁固1年6カ月)が下っています。
カンボジアの法律により、禁固刑の判決を受けた者は、
刑期の3分の2を終えないと2008年度の総選挙に立候補
できないため、海外に滞在したラナリットの動きは、
注目されているそうです。
カンボジアの民族構成は、クメール人90%、
ベトナム人5%、中国人1%、その他4%など
(36の少数民族が住むそうです)
宗教は、約95%が仏教徒(上座部仏教)
他にイスラム教や、カトリックなど。
公用語はクメール語です。隣の国、タイの
文字は、クメール文字を手本に作ったもの
なので、良く似ています。
しかし、タイ語とは全く違います。
また、ホテル、レストラン等では、英語や
フランス語も通じるそうです。
クメール語で、”有り難う”= オークン、
”ごめんなさい”=ソーム トッーです。
”お願いします”= アンチューニュです。
”はい”= バーッ(男性)、チャー(女性)
”いいえ”=テーです。
★キンモクセイ(金木犀)★
何か、良い香りがすると思えば、庭の隅に
キンモクセイが、オレンジ色の花をつけて
いました。近くから見ると、まるでゴムで
出来たような、人工的な形の花でした。
近所の、キンモクセイの大木とは、全く
大きさが違いますが、それでも、強い香りは
秋のさわやかな空気にぴったりでした。
中国南部の桂林地方原産で、江戸時代に渡来
したそうです。なお、中国語では”桂”は、
木犀のことだそうです。
トイレの芳香剤としては、消臭技術が発達し、
強い香りが不要になったため、キンモクセイは
衰退し、今の人気は、ラベンダーや、せっけん
の香りなのだそうです。
→本メルマガ付録:季節の写真のページでご覧下さい。
http://ashita.yu-yake.com/kisetsu1-5.htm
(昨年の同時期の写真の右列に、追記しています。)
★秋を感じる写真(月と巨大ススキと栗)★
日本の秋といえば、山や野原が主役でしょう。
都会の中でも、ばったりと、秋を感じさせる
ものに出会うことがあります。
例えば、夕方の澄んだ空に高くかかる月、
マンションの間に見つけた、巨大なススキ、
を発見。また、熊本県の方から、巨大な栗を
頂きました。あまりの大きさに、絶句です。
この、ススキは、シロガネヨシ(白銀葦)という、
イネ科の植物で、別名が、パンパスグラスです。
アルゼンチンが原産で、 ブラジル、アルゼンチン、
チリなどの南米大陸の草原(パンパス)にはえて
いるそうです。
→本メルマガ付録:下記のページでご覧下さい。
http://ashita.yu-yake.com/kisetsu5.htm
(昨年の同時期の写真の下列に、追記しています。)
★読者の皆さまのお役立ちページ<付録です>★
読者の皆様に、色々なページを用意しています。
更新たり、追加しましたら、お知らせします。
→読者の広告のページ
読者の皆さまへ、役に立ちそうな情報を掲載します。
掲載ご希望の方は、無料で広告いたします。
http://ashita.yu-yake.com/info.htm
→季節のお菓子の紹介のページ
目で見て楽しい、お菓子のページも作成してみました。
特に季節感を感じられるようなものを探してみます。
季節の安全野菜の宅配(オイシックス Oisixのお試し)
http://ashita.yu-yake.com/shoukai.htm
→変わった商品の紹介のページ
季節志向の食品や、掃除用品など、ちょっと目先の
変わった商品を見つけ次第、探して提供していきます。
http://ashita.yu-yake.com/dropship1.htm
→読者の書籍のページ
気候や環境、健康、幸せに関する書籍等、読者様に
役立つと感じた本を、コツコツと集めていきます。
http://ashita.yu-yake.com/book.htm
★バックナンバーのご紹介★
本メールマガジン「世界のトピックス(天気)」の
バックナンバーを下記に紹介させて頂きます。
Vol_1 2007年2月7日 中国(北京)
Vol_2 2007年2月14日 台湾(台北)
Vol_3 2007年2月21日 フィリピン(マニラ1)
Vol_4 2007年2月28日 タイ王国(バンコク)
Vol_5 2007年3月7日 香港
Vol_6 2007年3月14日 インド(デリー)
Vol_7 2007年3月21日 フィリピン(マニラ2)
Vol_8 2007年3月28日 シンガポール
Vol_9 2007年4月4日 ラオス(ビエンチャン)
Vol_10 2007年4月11日 ミャンマー(ヤンゴン)
Vol_11 2007年4月18日 カンボジア(プノンペン)
Vol_12 2007年4月25日 ベトナム(ハノイ)
Vol_13 2007年5月2日 モンゴル(ウランバートル)
Vol_14 2007年5月9日 ロシア(ウラジオストック)
Vol_15 2007年5月16日 ネパール(カトマンズ)
Vol_16 2007年5月23日 ブータン(ティンプー)
Vol_17 2007年6月6日 パキスタン(イスラマバード)
Vol_18 2007年6月13日 イラン(テヘラン)
Vol_19 2007年6月20日 サウジアラビア(リヤド)
Vol_20 2007年6月27日 トルコ(アンカラ)
Vol_21 2007年7月4日 インドネシア(ジャカルタ)
Vol_22 2007年7月11日 マレーシア(クアラルンプール)
Vol_23 2007年7月18日 バングラディシュ(ダッカ)
Vol_24 2007年7月25日 アゼルバイジャン(バクー)
Vol_25 2007年8月1日 スリランカ(スリジャヤワルダナプラコッテ)
Vol_26 2007年8月8日 ブルネイ(バンダルスリブガワン)
Vol_27 2007年8月15日 イスラエル(エルサレム)
Vol_28 2007年8月22日 アフガニスタン(カブール)
Vol_29 2007年9月5日 北朝鮮(ピョンヤン)
Vol_30 2007年9月12日 イラク(バグダッド)
Vol_31 2007年9月19日 韓国(ソウル)
Vol_32 2007年9月26日 中国(上海)
Vol_33 2007年10月3日 台湾(高雄)
Vol_34 2007年10月10日 香港(その2)
Vol_35 2007年10月17日 タイ(チェンマイ)
Vol_36 2007年10月24日 ウズベキスタン(タシケント)
Vol_37 2007年11月7日 カザフスタン(アルマトイ)
Vol_38 2007年11月14日 トルクメニスタン(アシガバード)
Vol_39 2007年11月21日 キルギス(ビシュケク)
Vol_40 2007年11月28日 タジキスタン(ドゥシャンベ)
Vol_41 2007年12月5日 グルジア(トビリシ)
Vol_42 2007年12月12日 アルメニア(エレバン)
Vol_43 2007年12月19日 オマーン(マスカット)
Vol_44 2007年12月26日 アラブ首長国連邦(アブダビ)
Vol_45 2008年1月9日 カタール(ドーハ)
Vol_46 2008年1月16日 バーレーン(マナーマ)
Vol_47 2008年1月23日 クウェート(クウェート)
Vol_48 2008年1月30日 イエメン(サヌア)
Vol_49 2008年2月6日 レバノン(ベイルート)
Vol_50 2008年2月13日 シリア(ダマスカス)
Vol_51 2008年2月20日 ヨルダン(アンマン)
Vol_52 2008年2月27日 東ティモール(ディリ)
Vol_53 2008年3月12日 モルジブ(マレ)
Vol_54 2008年3月26日 キプロス(ニコシア)
Vol_55 2008年4月9日 中国(重慶)
Vol_56 2008年4月23日 中国(天津)
Vol_57 2008年5月14日 チベット(ラサ)
Vol_58 2008年5月28日 フィリピン(マニラ3)
Vol_59 2008年6月11日 インド(ムンバイ)
Vol_60 2008年6月25日 インド(バンガロール)
Vol_61 2008年7月9日 インド(コルカタ)
Vol_62 2008年7月23日 インド(チェンナイ)
Vol_63 2008年8月13日 シンガポール(セントーサ)
Vol_64 2008年8月27日 ラオス(ルアンパバーン)
Vol_65 2008年9月10日 ミャンマー(マンダレー)
Vol_66 2008年9月24日 モンゴル(テレルジ)
Vol_67 2008年10月8日 ロシア(モスクワ)
Vol_68 2008年10月22日 カンボジア(バッタバン)
最後まで有難うございました。次回もよろしくお願いいたします。
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[発行者] 大中洋道
★ご意見、ご感想、質問等がございましたら、
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