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東京都立川市の矯正歯科専門医院「ひるま矯正歯科」が矯正歯科に関する情報を分かりやすくお伝えしています。実際の矯正歯科治療中に頂く患者さんからの疑問に対する回答や、矯正歯科治療の細かい流れを患者さんに分かりやすい言葉で説明しています。

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2008/12/04

矯正歯科専門医からのお便り第11号

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           矯正歯科専門医からのお便り 第11号


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・○・○・○ 御あいさつ ○・○・○・


 皆さんこんにちは,東京都立川市ひるま矯正歯科の晝間康明です.
 
 ひるま矯正歯科では2ヵ月に一度ニュースレターとして「ひるまだより」を発行しております.
 ひるまだよりは2005年の一月に創刊し今回で24号となります.

 現在では毎月約1000部の配布を行なっており,
 多くの患者さんから「楽しみにしています」とお言葉を頂いております.
 2ヵ月に1度とは言え,これだけ多くの方にお配りするのでいい加減な内容にはできません.
 発行前に思っていたよりも記事の作成にかかる負担は大きいですが,
 多くの患者さんの「楽しみにしています」の言葉が支えとなり発行を続ける事が出来ました.

 ひるま矯正歯科は今年で開設30年となります.
 今号から3回にわたり「回顧録」として開設当時をふり返り,
 ひるま矯正歯科のこれまでの変遷を院長(父)がお伝えしていきます.

 私は,この回顧録を父から息子への手紙と胸に刻み,
 より患者さんのためになるひるま矯正歯科の「チェンジ」のための努力を続けたいと思います.


・○・○・○ ひるまだより第24号の御案内 ○・○・○・


 ひるま矯正歯科では2か月に1度のニュースレター
 「ひるまだより」を発行しております.

 このメールでは,ひるまだより第24号のダイジェストをお送りします.

 なおひるまだよりのPDFファイルは下記アドレスからダウンロードも出来ます.
 http://www.hiruma.or.jp/html/newsletter_top.htm



■□■□■ 御あいさつ ■□■□■

 「去年今年貫く棒の如きもの   高浜虚子」

 物事には変わってはいけないものと変わらなければいけないことがあります。
 変革を掲げたオバマ氏がアメリカ大統領に選ばれました。
 来年のアメリカは,そして世界はどう変化するのでしょうか。
 去年今年(こぞことし)は新年を表す季語。
 標記の句は、悠久の時の流れの中で貫くものは新年が明けても変わらない、信条も実生活も。
 それは変哲のないまっすぐな棒のようなものであるという
 時間の流れと人の生き様を綴った大人ならではの人生句です。
 2009年、ひるま矯正歯科は太い棒を貫きながら変革を模索する年になりそうです。


■□■□■ 歯の豆知識 ■□■□■

 8020運動

 8020は「はち・まる・にい・まる」と読み、
 8020運動とは「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」と啓発する運動です。
 80歳で20本という理由は、親知らずを除く28本の歯のうち少なくとも20本以上自分の歯があれば、
 ほとんどの食物を咬み砕くことができ、おいしく食べられるからです。
 確かに20本以上の歯を持つ高齢者は、それ未満の人に比べ活動的で、
 寝たきりとなることも少ないという報告が沢山あります。

 この運動は、平成元年に時の厚生省と日本歯科医師会が提唱して始まったもので、
 今年で20年になります。
 厚生労働省の最新(平成17年)の調査報告によると、
 80歳の日本人の平均歯数は10本、80歳で20本以上自分の歯を持つ人の割合は24%、
 つまり4人に一人となっています。

 目標にはまだまだの数値ですが、この20年の歩みは、
 平成5年、11年、17年と見てみると、
 80歳の日本人の平均歯数は6本→8本→10本に、
 80歳で20本以上自分の歯を持つ人の割合は11%→15%→24%にと、
 欧米や北欧と比べると数値はかなり落ちますが、
 運動の実績は着実に上がっていることが分かります。

 歯の先進国との差は、
 歯科における予防(ケア、メインテナンス)システムと国民意識の違い(高さ)にあります。
 また、日本の保険制度は病気に対する補償保険で、
 予防には適用されないため歯科予防のシステムが成り立ちにくいという背景があります。
 成人が歯を失う一番の原因は歯周病で、日本人成人の8割が罹患しているといわれていますので、
 8020を達成するには歯周病の予防を徹底することがすべてともいえます。

 そのためには日本の歯科医療はどうあるべきか、それをふまえてひるま矯正歯科が今取り組んでいることは何か。
 これについては「ひるまだより」18号の「マルメだより」と、
 21号の「ヒューストンだより」に詳しく書かれていますので、ぜひ再読してください。


■□■□■ ヒルマトキオのホッとひと息 ■□■□■

 和顔愛語

 和顔愛語(わげんあいご)は、大無量寿経というお経の中に出てくる言葉ですが、
 和顔とは「なごやかな顔」、愛語とは「やさしい言葉」のことで、
 「善意に満ちたなごやかな笑顔で、愛情のこもったやさしい言葉で相手に接しなさい」という教えです。

 大無量寿経には、このあとに先意承問(せんいじょうもん)という言葉が続きます。
 これは「向こうから言われるより先に相手の気持ちを察し、その望みを満たしてあげなさい」という教えです。
 「和顔愛語 先意承問」とは、相手の気持ちを慮って相手が気持ち良いと思えることをするという
 社会性を身に付けることの大切さを説いた言葉といえましょう。

 前号の冒頭で、8月にアンケート調査を行なったことをご報告しましたが、
 頂いた回答の中に考えるべき提言がいくつかありましたので、スタッフで話し合いをしました。

 たとえば挨拶について、診療室への入室や送り出しの際の声掛けが疎かになり勝ちだったことを反省し、
 患者さんに<感じがいい>と思っていただけるような具体的な提案がいくつか出されました。
 その話し合いを聞きながら「和顔愛語 先意承問」の言葉を思い出していました。

 初めてこの言葉を聞いたのは色々な事情で当家に居候していたN君の結婚披露宴でのことでした。
 友人たちが手回しをした披露宴は若い人ばかりで、ことに花嫁側に主賓となる大人がいませんでした。

 結婚式は彼岸のお中日でしたが、寺の住職だった父はその役を快く引き受けてくれました。
 花嫁とはまったく面識もなくその経歴も聞かなかった父は、
 花嫁の「和子」という名前から「和顔愛語 先意承問」の言葉を引いて、
 格調高く胸に響く主賓の挨拶をしました。

 N君までも「お父さん」と呼んで慕った父には、以来ずっと借りがあるような気がしていますが、
 その父が亡くなってからすでに20年。
 主賓の挨拶をしたその時の父の年齢を、いま自分が超えていることに不思議な感覚を覚えます。



■□■□■ 回想録(reminiscences)■□■□■   ひるま矯正歯科・院長  晝間 登喜男


 はじめに 

 ひるま矯正歯科は2008年で開業30年。この節目の年にあたり、
 開業から現在に至るまでの歩みを「回顧録 レミニスセンス」と題し、3回にわたって連載することになりました。
 10年一昔といいますが、30年の歳月を思い返せば幾多の喜びや労苦そして紆余曲折がありました。
 この連載では、開業当初の様子からバブル経済に翻弄された時代を経て今日に至るまでを、
 思い出すままに書き綴ることにいたします。読み通していただければ幸いです。

・ひるま矯正歯科、開業 

 昭和53年(1978年)7月21日、今の診療室がある当ビル5階に「ひるま矯正歯科」はオープンしました。
 当年34歳、スタッフは歯科衛生士である妻と二人だけでの新規開業でした。
 それまでの9年間は、大学院を修了したあと日本歯科大学の矯正学教室で医局員として過ごしていましたが、
 大学に残って研究者の道を行くか、それとも開業して臨床医の道を行くか一年ほど迷った末の結論が開業でした。

 主任教授から次年度に助教授昇進の内示を受けながら、それを断って開業を選択したこともあって、
 大学を退職した後、開業に向けた準備が本格化するに連れて不安が募り、
 眠れない日が続いたのを昨日のように覚えています。

 ・アメリカの矯正歯科医を訪ねて

 開業に先立つ4年前(1974年)、すでに矯正歯科医として開業していた医局の先輩・与五沢文夫先生から、
 アメリカの学会に参加がてら各地の矯正歯科医を一緒に訪ね歩かないか、
 というお誘いを受けました。

 生後3ヶ月と3歳半の子を妻に預けて約1ヶ月のアメリカ行きは、
 家族にはいささか酷でしたが、将来のための絶好の機会と説得して了解を得ました。

 当時1ドルは約250円、成田空港はまだなく、
 羽田から当時の慣例に従って教授以下全医局員の見送りを受けての出発でした。
 矯正歯科の黄金期にあったアメリカでは、矯正治療の質やレベルの違いをまざまざと見せつけられ、
 医院のシステムやその規模にも圧倒、招待された矯正医達の邸宅やその暮らしぶりに思わずタメ息をついたものでした。
 この旅行の体験が、のちの開業を決意させる後押しになったのは確かです。

 与五沢先生が2年間の修業生活を送った、
 ワシントンDCの矯正家ヒト・スエヒロ先生の診療室の写真を今改めて見ると、
 ひるま矯正歯科の診療室は至るところで影響、というより真似していることがよく分かります。

 ・開業は立川で

 開業の地を立川にした理由はほとんど偶然のようなものでした。
 自宅は東大和市にあり大学へは西武線を利用していましたので、
 通勤のみならず買物も新宿まで出ていたこともあって、立川は距離的に近くても遠い未知の街でした。

 12月のある日、中央線沿線での飲み会があり、
 フッと立川廻りで帰る気になって降り立ったのが、立川への第一歩でした。

 当初は別の地での開業を考えていたのですが、その時の直感で立川での開業が決まったといっても過言ではありません。
 ちょうどその年(1977年)立川基地が米軍から返還され、
 立川が軍都から商業都市に生まれ変わる変わり目だったのも今思えば幸運なめぐり合わせでした。

 開業した当時、菊屋川口ビルの横は更地で駅前以外に大きな建物がなかったので、
 診療室の窓を開けると立川の駅舎が見え、駅に出入りする人々の姿を見ることができたものです。

 やがて更地にはビルが建ち、立川駅は駅ビルのある大きな駅に変りました。
 基地跡地には巨大なビル群が建ち並び、立川は近代都市へと大きく変貌を遂げていきます。

 ・エッジワイズ法を選ぶ 

 1960年代後半、日本は近代矯正歯科臨床の黎明期にあり、矯正歯科の先進国であるアメリカから、
 引っ切りなしに矯正医や矯正科の教授が講演や講習会のために来日し、そのどれも受講者で満員になる盛況でした。

 この時期特筆されるのは、日本歯科大学の榎教授が持ち帰ったベッグ法と、
 日本矯正歯科学会がスエヒロ先生を講師として全国で講習を行なったエッジワイズ法の二つのテクニックが、
 現在の矯正歯科臨床の礎になったことです。

 母校・日本歯科大学の矯正科では、すべての患者をベッグ法で矯正していましたが、
 与五沢文夫先生が帰国後に個人的に講習会を開き、エッジワイズ法の普及と育成に努めたことから、
 日本の矯正界はベック派とエッジワイズ派で二分する形になりました。

 こうした時代背景の中、与五沢先生のエッジワイズ講習会を受講したことを機会に、
 開業ではベッグ法を捨てエッジワイズ法をとることに決めました。
 それは重大な決断でしたが、振り返れば極めて適切な選択でした。

                            ・・・つづく
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