2007/01/08
【肖像ドットコム】時空を超えて~歴代肖像画1千年 No.0004
http://www.shouzou.com/ 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 【肖像ドットコム】時空を超えて〜歴代肖像画1千年 No.0004 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 2006年01月08日発行 ★★★歴史上の人物に会いたい!⇒⇒⇒過去に遡り歴史の主人公と邂逅する。 そんな夢を可能にするのが肖像画です。 織田信長、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康、モーツァルト、ベートーベン、 ジャンヌ・ダルク、モナリザ……古今東西の肖像画を紀元2千年の肖像画家と 一緒に読み解いてみませんか? □≪今週の内容≫―――――――――――――――――――□ 【1】 織田信長の妹・お犬の方の肖像画(龍安寺) 【2】 肖像画データファイル 【3】 像主・織田信長の妹・お犬の方について 【4】 作者について 【5】 肖像画の内容 【6】 次号予告 【7】 編集後記 □――――――――――――――――――――――――――□ 【肖像ドットコム】では肖像画のモニターを募集します。 通常価格の 1/3〜1/2 で本格的な肖像画をお持ちになるチャンスです! ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ご案内はこちらから↓↓↓ >> http://www.shouzou.com/1mart/monitor.html ◆【1】織田信長の妹・お犬の方の肖像画(龍安寺)━━━━━━━━━━◆ 今回は、織田信長の妹の肖像を取り上げたい。細川昭元夫人となったお犬の 方という、信長によく似た美しい女性である。 有名な浅井長政夫人・お市の方の肖像は、死後17年後に描かれたもので、衣 装以外の実像は伝わって来ないけれど、お犬の方の像は死の直後に描かれてい るため、女性の肖像としてはリアルで珍しい。 ★★★織田信長肖像画(大雲院蔵)はこちら ⇒⇒⇒ http://www.shouzou.com/mag/p4.html ◆【2】肖像画データファイル━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 作品名: 細川昭元夫人(お犬の方)像 作者名: 不詳(狩野派絵師) 材 質: 絹本著色(日本画・軸装) 寸 法: 75.6×31.9 cm 制作年: 1582年 所在地: 京都・龍安寺(京都市右京区) 注文者: 細川昭元 意 味: 死の前後に描かれた追慕像。 ◆【3】像主・織田信長の妹・お犬の方(1550-1582) について━━━━━◆ お犬の方の本名と出生年は伝わっていないが、この仮の名は、生れ年の干支 に由来すると思われる。2006年が戌年であるから、これより38回りさかのぼっ た1550年が戌年にあたる。 兄信長は1534年、姉お市は1547年の生れであり、父親は1552年に没している ので、この年号に無理はない。 父は織田信秀、母の記録はないので側室の子であろう。彼女は最初に尾張国 大野城主・佐治八郎為興(1553-1574) に嫁いだため、大野殿、大野姫とも称 される。 --------------------------------------------- 佐治氏は、室町時代後期、知多半島南部に4代に渡って勢力を張ったが、元 は日吉神社の神官の流れをくむ近江甲賀の民である。秦氏の流れをくむ土木工 事の達人、穴太衆とも深い関係を持っていた。 初代・佐治宗貞は、近江国から移住してきて、三河国守護職一色氏の家臣と なる。やがて一色氏の衰退により大野城を奪って3万石を領した。 以後、緒川城(東浦町)の水野氏と知多半島を二分するほどの勢力を持ち、 佐治水軍の将として伊勢湾全域の海上交通を掌握していたという。 織田信長は、この佐治氏の軍事力に注目する。 2代目・佐治為貞は、台頭してきた水野氏により次第に圧迫され、桶狭間の 戦い(1560)に勝利した織田家の配下に入ることになった。 彼は、木下藤吉郎の指揮のもと、清洲城の修復に従事しており、城の出来映 えに満足した信長は、佐治氏に城の建築を任せるようになった。 この頃信長は妹お犬の方を、3代目・為興に嫁がせたのである。 為興は、信長の義理の弟となり、一字を与えられて佐治信方と名乗っている。 一門衆に等しい扱いである。 --------------------------------------------- 佐治為興とお犬の方の間には、長男・与九郎一成(1569−1634)、二男・中 川久右衛門秀休が生れた。 一成は後年豊臣秀吉の命によって、お犬の姉・お市の三女小督を正室とした が、再び秀吉に命ぜられるまま離縁させられている。後妻には信長の娘・お振 を迎えた。 この長男一成の生年から推定すると、お犬の輿入れは1568年、19歳のときと 考えてよいだろう。為興は、16歳である。 その6年のち為興は、信長の嫡男信忠に従って、伊勢長島の一向一揆鎮圧に 参戦したが、ここで命を落とした。享年22。お犬25歳、1574年のことである。 お犬の方は、夫の死後、織田家に戻っている。 1577年に再び兄・信長の命で、山城国槙木島城主・細川昭元(1548−1592) と再婚する。昭元は30歳、お犬は28歳であった。 --------------------------------------------- 細川昭元は、室町幕府三管領の一角を代々占めていた細川氏の嫡流・京兆家 の継承者である。 細川家は、応仁の乱の当事者・細川勝元(1430−73)以後、 政元(1466−1507)、澄元(1489−1520)、晴元(1514−63)と3代管領職を 務めたが、足利将軍家の弱体化と共に、三好氏や松永氏が台頭。父・晴元の没 落後、昭元は三好長慶の質となって、そのもとで元服した。 1568年、大軍を率いた織田信長が、足利義昭を擁して上洛する。このとき昭 元は、三好氏の影響下を脱して織田家に通じ、臣下に入る。1571年12月には、 将軍義昭の下に出向き右京太夫に任じられている。 その後は、畿内で抵抗を続ける三好義継や、投降と謀叛を繰り返す松永久秀 (1510-1577)の対応に追われ、1577年10月 織田信忠・明智光秀・長岡藤孝と 共に久秀の拠る信貴山城を落城させた。 この年に信長はお犬の方を、家臣昭元に嫁がせたのである。信長は、昭元に 対し、信の一字を与えて信良と名乗らせている。 --------------------- お犬と昭元の間には、一男二女が生れた。 しかし、お犬は再婚から5年後の1582年9月8日 病没する。享年33。 三月前の6月2日、兄・信長が本能寺で横死を遂げている。 お犬は病の床で、兄の死を聞いたであろう。2歳で父・信秀を失った彼女に とって、16歳年長の信長は父に代わる存在であり、衝撃は大きかったに違いな い。 9月12日には 京都・妙心寺で、信長の百忌日の法要が行われる。天下は秀吉 の時代へと大きく舵を切ろうとしていた。 --------------------- 昭元との間に生れた子供たちのうち、長女は後年、安倍実季の正室となり、 次女は前田利常の正室・珠姫に仕えた。長男元勝(頼範)は豊臣秀頼に仕えて 大阪の陣で戦ったが敗れ、京都の龍安寺に蟄居した。その後大和高島に移され ている。 ◆【4】肖像画の作者について━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 絵の上部に、妙心寺・月航宗津(げっこうそうしん)の賛が書かれており、 その年記が 天正10年10月となっている。お犬の亡くなったのは9月であるから 肖像が描かれたのは、まさに死の前後のことである。 注文者は、妻の死を深く悼んだ夫昭元であろう。 室町時代の画壇では、足利将軍家の肖像を代々土佐派の御用絵師が制作して いた。従って幕府管領・細川家も土佐派と関係が深かったと思われる。 しかし、1567年土佐光元が、羽柴秀吉の軍に加わって戦死したため、家門は 廃絶しており、弟子筋がかろうじて命脈を保っている状況だった。 狩野派絵師では、第8代将軍・義政の家族の肖像画制作に、初代・狩野正信 が携わったのが初めであるが、信長の時代には、もはや狩野派の全盛期となっ ていた。 お犬の肖像画の作者については何も伝わっていない。 昭元は信長に仕えており、当時の状況からみて、狩野派の絵師ではないかと考 える。 ちなみに、京都・妙心寺には、二条昭実夫人像(織田信長の娘)と大野治長 夫人像があり、龍安寺の細川昭元夫人像を加えて三名幅と云われているとのこ とである。 ◆【5】肖像画の内容━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 小さな絵である。左に掲載した大雲院・信長像の約半分ほどの大きさで、頭 部の幅も4cm 程度であろう。 賛には、彼女の美貌を称え、若くして没したことを哀悼する文章が書かれて いる。 その下で、上畳の上に片膝を立てた夫人が、数珠をかけて合掌している。 確かに彼女は美しい。やや定型化しているが、切れ長の大きな目、大きめの 鼻をいただいた細面は十分個性的で、兄・信長の容貌にも重ねることが可能で ある。 唇はわずかに開いているように見え、念仏もしくは題目を唱えている形であ り、彼女の信仰心の篤い姿を伝えている。 画面の中では、衣装は大変重視されている。 白地の打掛の、臙脂と白の横縞文様が印象的である。山吹色の中に点在する 緑が、補色効果で臙脂色をより鮮やかに見せる。緑の間に流れる青と白は、小 川のせせらぎを表わしているのかもしれない。 肩口にのぞかせる小袖の橙色と白の対比も美しい。また全面に細かな文様が 描き込まれている。 お犬の形見となった衣装を、誰かに羽織らせて、ポーズを取らせたものだろ うか、立膝の下半身を縁取る輪郭線がリアルでなまめかしい。 古来日本の肖像画では女性像が少ない。 男性像が主に顔の描写(性格描写)に力点を置いているのに対して、女性像 では、人物に深く立ち入ることは避けて、薫るが如きあでやかな衣装によって 故人をしのばせるのが作法だったかのようである。 ◆【6】次号予告━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 次回は、武田信玄の肖像を取り上げます。 高野山持明院に伝わった若き日の信玄の画像です。 NHKの『風林火山』が始まりましたね。山本勘助は資料の少ない人物です が、番組は丁寧な作りで好感が持てそうです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 肖像画のモニター募集のご案内はこちらから ⇒⇒⇒ http://www.shouzou.com/1mart/monitor.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ◆【7】編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 明治以前に描かれた日本女性の肖像画は、容貌を深く追求したものがありま せん。画家の目から見るとこれは実に寂しいことです。また、像主の資料も少 ないために、ほとんど配偶者に関する説明にならざるを得ません。 しかし、今回の作品は、描かれた服飾の美という観点から肖像を改めて考え 直すきっかけになりました。 「武田信玄の肖像」は 1月15日(月)にお届いたします。 何卒ご購読のほど、よろしくお願いいたします。 ****************************************************************** 【肖像ドットコム】『時空を超えて〜歴代肖像画1千年』 発行周期 :不定期(ほぼ月曜) 編集発行 :高野秀樹 ご意見・ご質問・ご感想は → mag@shouzou.com 「肖像ドットコム」ホームページ http://www.shouzou.com/ 発行システム:『まぐまぐ!』 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