2006/12/28
【肖像ドットコム】時空を超えて~歴代肖像画1千年 創刊号No.0001
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 【肖像ドットコム】時空を超えて〜歴代肖像画1千年 創刊号No.0001 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 2006年12月18日発行 ★★★歴史上の人物に会いたい!⇒⇒⇒過去に遡り歴史の主人公と邂逅する。 そんな夢を可能にするのが肖像画です。 織田信長、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康、モーツァルト、ベートーベン、 ジャンヌ・ダルク、モナリザ……古今東西の肖像画を紀元2千年の肖像画家と 一緒に読み解いてみませんか? □≪今週の内容≫―――――――――――――――――――□ 【1】 織田信長の肖像画(総見寺) 【2】 肖像画データファイル 【3】 像主・信長と安土城について 【4】 作者について 【5】 肖像画の内容 【6】 次号予告 【7】 編集後記 □――――――――――――――――――――――――――□ ◆【1】織田信長の肖像画(総見寺)━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 前回は、狩野宗秀作の手になる信長像を取り上げた。この創刊号では、宗秀 の兄・狩野永徳の手になる肖像画について語りたい。 永徳の名声はあまりにも有名だが、現存する作品は少なく、残念ながら信長 の肖像画も失われてしまっている。そのため、その幻の絵画が実在していた頃 に描かれた模写によって、在りし日の姿をしのびたいと思う。 ★★★織田信長肖像画(総見寺蔵)はこちら ⇒⇒⇒ http://www.shouzou.com/mag/p1.html ◆【2】肖像画データファイル━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 作品名:織田信長の肖像 作者名:狩野常信 材 質:紙本著色(日本画・軸装) サイズ:115.3×44.4 cm 制作年:1694年 所在地:尾張・総見寺(愛知県名古屋市中区) 注文者:織田貞置 意 味:江戸時代 御用絵師狩野常信(1636-1713)は、高家(幕府の儀式礼拝 を司る家)の 織田貞置(1617-1705;信長孫)より、故織田信長の肖像画の注 文を受けた。彼は曽祖父、狩野永徳(1543-90)が 信長の生前に描いた肖像画 (寿像)を模写し、総見寺に納めた。 ◆【3】像主・織田信長(1534−1582)と安土城について━━━━━━━━◆ 信長が初めて安土城の構想を持ったのは不惑を越えた頃だろうか。 天正元年(1573年)足利義昭を追い 室町幕府を滅亡させた信長は、天正3年 武田軍を三河長篠の戦いで撃破し、越前の一向一揆を鎮圧したが、まだ北に上 杉謙信、西に石山本願寺、中国に毛利が控えているという状況下にあった。 同年11月、朝廷から大納言・右大将の任官を受けた信長は、嫡子信忠に家督 と岐阜城を譲り渡している。 明けて 天正4年(1576年)正月、琵琶湖の東岸安土山の上に壮大な城の建設 が始まった。 城普請役は丹羽長秀。 2月になるとただちに本丸の築城がなり、早速信長は 移り住む。4月、石垣そして天守閣の建立が着工する。 石垣普請には石工・坂本穴太、天主普請には熱田大工岡部又右衛門、屋根瓦 作りは、唐人・一観をあたらせた。 諸国から集められた数千の侍・大工・職人たちが働く様は、昼夜、山も谷も 動くがごとくであったという。 11月には天守閣の輪郭が完成。天正7年(1579年)5月に城は竣工した。高さ 46メートル、安土山と併せれば 湖面から158メートルになる。信長は天主を居 館とした。 4世紀のちの 1971年、東京新宿に最初に建てられた高層ビル・京王プラザホ テルが 165メートルだったというから、当時この高さを一人で独占していた信 長は、天上の神を自覚したというのもうなずける。 --------------------------------------------- このような巨大な天守閣はかつてなかったものである。 その構造は、外部五層・内部七重で、底面が不等辺八角形。 地下一階から三階までが吹抜けで、中空にせり出した吊舞台を設け、その下 部には多宝塔が鎮座する。六階に八角形の朱塗りの望楼を設け、最上階は総金 箔貼りだった。 内部の装飾絵画については、太田牛一が『信長公記』に書き残している。 一重目 土蔵のため絵は無し。 二重目 床は漆黒。絵の周囲は金で全て縁取り。 西十二畳敷『墨絵に梅』、書院『遠寺晩鐘図』、 次四畳敷棚『鳩図』、十二畳敷『鵞鳥図』、次八畳敷奥四畳敷『雉の 子を愛する図』、南十二畳『唐の儒者達』 三重目 十二畳敷『花鳥図』、四畳敷『花鳥図』、 南八畳賢人の間『瓢箪より駒の図』、八畳敷『呂洞賓(実在の神仙) と仙人の図』、北二十畳敷『牧の駒図』、 次十二畳敷『西王母(不死薬を持つ仙女)図』 四重目 西十二間『岩の間、岩に木々』、西八畳敷『龍虎之戦図』、 南十二間『竹の間;竹色々』、次十二間『松の間;松の根色々』、 東八畳敷『桐に鳳凰図』、 次八畳敷『許由・巣父及び故郷の図』(きょゆう・そうほ;皇帝より 天下を譲ると言われた許由は滝の水で耳を洗い、そこへやってきた巣 父はけがれた水を牛に飲ませられぬと立ち去った)、 十二畳敷の内西二間『手まり図』、次八畳敷『庭子の図』『鷹の間』 五重目 絵は無し。 六重目 外柱朱色、内柱金。 『釈迦十大弟子』、『釈迦成道説法の図』、縁輪『餓鬼と鬼の図』、 縁輪のはた板『鯱(しゃちほこ)と飛龍の図』、 高欄・擬宝珠(こうらん・ぎぼうし;手摺と柱頭飾り)彫り物。 七重目 三間四方座敷内金。外側金。 四方の内柱『昇り龍と降り龍の図』、 天井『天人影向(来臨)の図』、座敷内『三皇五帝』『孔門十哲』 『商山四皓(しょうざんしこう;漢の時代世を捨て商山に隠れた四人 の老人)の図』『七賢人の図』、 狭間戸漆黒。座敷内外内柱漆黒。 --------------------------------------------- 画題は、日本的美意識と、道教・仏教・儒教思想が混然一体となっている。 最上階の絵画群からは、信長が儒教思想に最も重きを置いていたことが読み取 れる。 また『公記』には、城内の御殿装飾についても言及があり、三国名所の濃絵 (だみえ;彩色画)が描かれていたことが分かっている。 ひとつひとつ書き写していると、まさに豪華絢爛というほかはない。さらに 信長愛蔵の茶器の名を加えれば壮大なリストとなるだろう。 信長はこのように芸術作品に囲まれて暮らしていたが、この城は、同時に他 者に見せるためのものという透徹した意思に貫かれていた。 それは現代の富豪たちが、美術品のコレクションを誇る姿と重なる。自分は このような一流の芸術の理解者であり、推進者なのだ、と。 ◆【4】肖像画の作者について━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 安土城の内部装飾に際して、天下一の絵師として狩野派一門を率い、これら の障壁画制作を一手に引き受けたのが狩野家第4代 永徳洲信(くにのぶ;1543 -90)だった。 永徳は、初代狩野祐勢正信(1434-1530)の曾孫であり、祖父は2代永仙元信 (1476-1559)、父は3代 松栄直信(1519-1592)である。 彼が織田信長と出会ったのは天正の初め頃だろうか。 天正2年6月、信長は上杉謙信に対して武田勝頼を挟撃する企てをつづった手 紙と一緒に、永徳の手になる『洛中洛外図屏風』(1.6×3.64m;上杉家蔵)を 贈っている。 足掛け5年を費やした安土城の障壁画制作が終わったとき、永徳は 信長から 300石の知行と小袖を賜った。子の右京光信(1565-1608)も覚えめでたく、世 評もさらに高まった。 しかし、わずか3年後の天正10年(1582年)6月に本能寺の変が起こり、その 混乱の中、安土城は灰燼に帰す。落胆は大きかったろうが、永徳は感傷に浸る 間もなく、次の天下人豊臣秀吉に登用されることになってしまった。 毛利攻めのため備中にあった秀吉は、本能寺の変報を聞くとそれを秘したま ま、即座に毛利と講和し、明智光秀討伐のため京に取って返した。 このとき和議の印として毛利輝元に贈ったのが、永徳の有名な『唐獅子図』 (2.22×4.52m;宮内庁蔵)だったという。 翌1583年には秀吉による大坂城の普請が始まり、85年に竣工。86年には正親 町院仙洞御所普請、87年の聚楽第、88年の天瑞寺、90年の新内裏と駆り出され た永徳は、一門挙げて大車輪の働きを余儀なくされた。 この併せて20年近い天下人への奉仕は、天才絵師の寿命を縮めてしまった。 88年に一度病で伏したことがあったが、90年8月に倒れると最早 起き上がるこ とはできなかった。享年48。 安土城、大坂城、聚楽第の崩壊と共に、多くの永徳作品は失われた。現在、 日本美術に関心のある者は誰しも、永徳の失われた作品のことを思う。多くの 日本人が、信長の果せなかった天下統一に思いを寄せるように。 --------------------------------------------- さて、今回取り上げた織田信長の肖像画は、永徳作品の 約100年後の模写で あるから、こちらの作者も簡単に紹介したい。 絵師の名は狩野家第7代 養朴常信(1636-1713)。 嫡流ではないが仮に7代としておくと、永徳は 常信の曽祖父にあたり、祖父 が5代 右近孝信(1570-1618)、父が6代 主馬尚信(1607-50)となる。 彼が生きたのは徳川第4代 家綱、と第5代 綱吉の時代だった。 当時狩野家は、京狩野と江戸狩野に分かれ、幕府御用絵師は、江戸の中橋狩 野、鍛冶橋狩野、木挽町狩野の3家が務めていた。 常信は父を継いで木挽町狩野の地位を確固たるものにした。父尚信の絵は、 線に意あり、余白に間あり、天賦の才が感じられるが、常信の絵は丹念ではあ るけれど、様式的で小粒な印象がある。 ◆【5】肖像画の内容━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 創刊準備号に掲載した有名な長興寺本と比べてみると、大変面白い。 今回の総見寺本信長像は、随分痩せており、一見しょぼくれたオッサンの風 体である。姿勢はほとんど同じ。長興寺本において、宗秀が、信長の死の一年 後に描いた肖像の原図は、兄・永徳が描いたものだったといってよいだろう。 永徳は、40才前後の生きた信長を見ながら描いた。 宗秀は、それを手本としながらも、やや肉付きのよくなった晩年の信長の姿 を念頭に描いた。衣装はやや余所行きである。注文者を満足させるために、権 力の象徴である桐の紋章を入れる必要もあった。 対する総見寺本をじっくりと眺めよう。いかにも普段着の風である。 信長は無心である。表情はない。いかにもくつろいでいる。 天下一の絵師・永徳に全幅の信頼を置いて、じっとしている。 「絵に描かれるとは退屈なものよのぅ」といったつぶやきが聞こえるようで はないか。 この痩せた信長は、馬面である。後に、宣教師ルイス・フロイスは、信長が 中背で痩身だったと書いているが、イメージはぴったりくる。 この失われた永徳の原本が描かれた年号は、謙信に『洛中洛外図屏風』を 贈った天正2年6月に限りなく近い頃だと筆者は考えている。 --------------------------------------------- ひとつ問題があった。総見寺本は およそ100年後に描かれた模写である。常 信が描いた当時永徳本が存在しており、これを模写した事実があるとはいえ、 どこまで原本に忠実か、という問題である。 だが、幸いなことにもうひとつの永徳本の模写作品が、早稲田大学図書館 に残っていた。同じく江戸時代の私的な淡彩スケッチである。作者は不詳。 この絵は、サイズは違うが、姿態容貌とも総見寺本とほとんど同じ。しかし 仔細に見ると、目じり、口元、鼻ひげ、さかやき、丸みのある肩衣と、少しず つ異なっている。 この違いは総見寺本を見ながら描いたものでなく、永徳の原本を直接見て描 いた故であろう。いわば、早稲田本と総見寺本は、腹違いの兄弟の関係にある わけだ。 そう考えると、常信の制作態度が見えてくる。 --------------------------------------------- 早稲田本は、情感の細やかな顔である。さらにくつろいだ風情である。この 絵は永徳の原本にかなり忠実である、と云い切れるような生々しいリアリティ がある。機嫌のいいときの信長はかくやと思わせる。 逆に云うと、画家の像主に対する共感が見えるのである。 これに対して総見寺本は、いかにも常信らしい様式化が見られる。また、彼 には情感を消す必要があったかもしれない。おそらく織田家の子孫の要求。あ まり優しい風情は顕彰の像としてふさわしくない、等々。 天正初期の永徳による信長像をしのぶには、早稲田本と総見寺本の 2枚が欠 かせない。これらを合体させて彩色することにより、永徳作品は失われた姿を 取り戻すはずである。 信長の信頼厚き狩野永徳は、くつろいだ好感情の信長像を描き得たのだ。 肖像に引かれた一本の線がわずかに違うと、像主の印象は本当にがらりと変 わるものだ。これは肖像画家の最も苦心するところでもある。 ◆【6】次号予告━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 次回は、山形県天童市の三宝寺に伝わる、宣教師が描いた写真のような織田 信長の肖像画に迫りたいと思います。 ◆【7】編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ ご購読ありがとうございます。寒くなりましたが、お変わりありませんか。 メルマガ創刊号で読者数が50名を超え、嬉しくやり甲斐を感じています。 第10号までは週刊で発行する予定でいます。 次号はキリスト教徒の絵ということで、師走はクリスマス・イブにお届けし たいと思います。信長について考えることは大変面白く、興味は尽きません。 もう少し信長の肖像におつきあいください。 というわけで、次回は12月24日(日)にお届いたします。 何卒ご購読のほど、よろしくお願いいたします。 ****************************************************************** 【肖像ドットコム】『時空を超えて〜歴代肖像画1千年』 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