2007/04/06
テーズ対大木(3)、エイブ・コールマン
================================================================== プロレス大好き - Wrestling As I Like It (略称:プロダイ)2007/4/6(FRI) 発行部数196 ================================================================== ジュッテンイチロク・ヒューストン(3) 小泉 悦次 ●朴政権 一九六三年一〇月一五日、元軍人朴正煕は直接選挙によって韓国大統領に就 任した。以来、一九七九年一〇月二六日に側近によって暗殺されるまで、韓 国を統治する。 同胞力道山の日本での成功の報は韓国にも届いていた。それどころではな い。南部釜山においては、日本の電波が届き、プロレス中継の視聴が可能だ った。特に五九年のワールドリーグ成功には、「韓国にもプロレスを」の声 を沸き立たせ、六一年の張永哲らによる初のプロレス興行につながる。 朴正煕はプロレスが好きであった(注1)。日本からの遠征レスラーも歓待 し、上田馬之助は最高級の朝鮮人参をプレゼントされた。 朴と大木につながりができたのは六四年六月。まず、KCIA(韓国中央情 報部)の要員が、朴大統領が大木に韓国で試合をすることを望んでいる旨を 伝える。当時の韓国では張永哲、千圭徳(注2)が競っていた。しかし、日 本での力道山のような国民的人気には及ばない。 というわけで大木なのである。朴、児玉、町井の支援もあって、韓国財界は 大木のスポンサーとなり、韓国のプロレス団体を「財団法人」、つまり国家 直属の機関とすることができた。 そんな折の力道山襲名話。いや、これは私の推測なのだが、実際には韓国財 界の支援を取り付けた児玉、町井が、「力道山」を朝鮮半島プロレスのヒー ローの代名詞にするために、大木の襲名を日本プロレス幹部にねじ込んだ、 といったところではないか。この仮説が正しければ、襲名話のおおもとに朴 大統領ががいたことになる。 一方の日本プロレス幹部としてはまさしくいい迷惑。今と違って当時、力道 山は「純粋な日本人」だったのである。一部大相撲関係者は力道山の出自は 知っていたであろうが、まさしく「寝た子を起こすな。」ということだ。 (続く) (注1)朴が暗殺された後、大統領職を継いだ全斗煥はプロレス嫌いで、そ れは八〇年代以降の韓国プロレス界の退潮をもたらした。 (注2)六四年九月二三日には韓日米対抗戦と称して、興行を打つ。「日本 代表」の一人が、まだ日本のリングに上がったことがなかった高橋輝男、後 の新日本プロレスレフェリーのミスター・高橋である。高橋はここ韓国で朴 松男のデビュー戦の相手を勤めた。 ================================================================== ● 追悼文 「黒い毒蜘蛛」の異名をとったアーニー・ラッド選手、昭和新日を理解して いた数少ない外人レスラーの一人で、モントリオール五輪(76年)柔道銅 メダリストのバッドニューズ・アレン選手、WWWFベビーフェイス陣のマネー ジャーとしても有名なアーノルド・スコーラン選手、史上初のマスカラ・コ ントラ・マスカラでエル・サントに破れたブラック・シャドー選手、ディッ ク・ザ・ブルーザーやレイ・スティーブンスのライバルだったレイ・サンダ ー・スターン選手と、訃報が相次いだこの3月でした。そして末になって、 もう一人の偉大なるレスラーの訃報を耳にしました。 エイブ・コールマン選手です。 コールマン選手は1905年9月20日生まれ。そして亡くなったのが 2007年3月28日。生年月日をよく見て下さい。そうです。101歳と 半年の大往生だったのです。 身長は170センチ程度。ユダヤ人とさげすまれながらも一方で 「ヘブライ・ヘラクレス」の異名を取ったガッツあるレスラーだったそうで す。 記録を見ますと、コールマン選手の最も古いものは1930年6月9日シア トルでの対ムース・ノーベック戦の勝利。おそらく、このあたりのデビュー なんでしょう。1930年に闘っていたレスラーがつい一週間前まで生きて いたんですから驚きです。最新の、つまり、最後の記録は1957年11月 26日西テキサスはオデッサでの対ポール・バイラージョン戦。この直後か ら、オデッサではレフェリーを勤めたようです。 キャリアのハイライトは、1933年1月11日ニューヨーク市セントニコ ラス・アリーナでのジム・ロンドス戦でしょう。この時期、年収でベール・ ルースを凌駕していたといわれるロンドスを相手に大都市ニューヨークでメ インを勤め、しかも7000人を動員していた。これでコールマン選手がど んなレベルのレスラーだったか、ご理解いただけたと思います。 翌年デビューしたルー・テーズとも3度の対戦経験がありました。 1938年4月22日にスプリングフィールドで敗れたものの、 1942年2月12日のトロント、1944年2月18日のヒューストンで は引き分けと、1敗2分けの立派な対戦成績を残しています。ルー・テーズ 自身、ハンガリーの血が流れていたこともあって、1936年南カリフォル ニアではマッチメーカーのトゥーツ・モントに冷遇されました。そんな経験 と、小さいながらもガッツあふれるファイトぶりに、コールマン選手には共 感をもっていたといいます。 終戦直後の1948年5月25日にレッドパージを受ける直前の大型新人ジ ョージ・ゴーディエンコと対戦したのがミネアポリス。このように、コール マン選手の試合記録には全北米主要都市が網羅されます。おそらくは、プロ モーターをして、その日のラインナップに加えたい選手だったのでしょう。 コールマン選手のご冥福をお祈りします。(小泉 悦次) ================================================================== 【お知らせ】 プロレス史の勉強会!メンバー大募集 「スネークピットキャラバン(Snakepit Caravan)」 次回は、2006年4月14日(土曜日) 時間:13時30分〜(1時間繰り上がりました) 会場:スネークピット・ジャパン(高円寺) スペシャルゲスト:大木と共に日本プロレスを支えた、 ザ・グレート・カブキ(ダブルヌンチャクの披露あり!) 「俺が見てきた日米昭和プロレス」 詳しくは、 http://www.uwf-snakepit.com/caravan.html http://www.uwf-snakepit.com ================================================================== 茅野三丸のブログ「プロレス大好き」 このメルマガのご感想、ご質問もブログへ。 http://blogs.yahoo.co.jp/kangyan60/ ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 提携メルマガ 「夕刊プロレス」 小泉悦次も記事を提供しております。 「夕刊プロレス」とは、毎日の試合結果、ニュースに、コラムニストたちの コラムを添えて、お送りするフリーペーパー。投稿コラムも募集中です。あ なたも、プロレスを語りませんか。夕プロは、誰でも上がれるリングです。 http://www.mag2.com/m/0000002840.html ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 提携ホームページ 「ショルダー2002」 http://homepage3.nifty.com/inoki~bom-ber_/index.html 「ミック博士の昭和プロレス研究室」 http://drmick.at.infoseek.co.jp/proresu/top.htm 「オールドファン 集まれ !」 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/7217/old_fan.html ================================================================== 「プロレス大好き」は主にプロレス史の叙述を目的とした、メールマガ ジンです。NWA(Nazenara Watashiha Ahonanoyo)というグループに加盟 した執筆者達が書いた原稿を、茅野三丸がまとめております。転載、引 用の際には、必ず、当メールマガジンが出典であることをお断り下さい。 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000217079.html


