プロレス大好き - Wrstling As I Like It  RSSを登録する

「プロレス大好き」は主にプロレス史の叙述を目的とした、メールマガジンです。NWA(Nazenara Watashiha Ahonanoyo)というグループに加盟した執筆者達が書いた原稿を、私、茅野三丸がまとめております。

現在休刊中です    
解除

規約に同意して

2007/01/31

国際プロレス・グラフティ73

==================================================================
プロレス大好き - Wrestling As I Like It
(略称:プロダイ)2007/1/31(WED) 発行部数165
==================================================================
国際プロレス・グラフティ リメイク版 Joe Hooker Sr.

●1973年

この年の4月、老舗日プロ崩壊。国内トップメジャー団体になるチャンス大
いにあり、だったがプロモートミス、選手の力不足もあって年末には第三の
地位に甘んじてしまう。やはりBIは偉大だったということか。

・新春のシリーズ

新春のシリーズのエースはラリー・ヘニング。いうまでもなくミスターパー
フェクトのカートの親父。エースとしては格落ちの感否めないが、前年暮れ
ブルーザー、クラッシャーに多額のマネーを支払ったので、コスト節減シリ
ーズの開催も仕方がなかったと思われる。まだ無名だったオットー・ワンツ
やプロ転向間もないケン・パテラ(ミュンヘンオリンピック重量挙げアメリ
カ代表)なんかも一緒に来ていた。

・小林の孤立化

春のシリーズは豪華なレスラーを集めた。イワン・コロフ、マッドッドッ
グ・バション、エドワード・カーペンティアといった、それぞれ
元WWWF、AWA、WWAの世界チャンプ達。シリーズ中小林・草津組の
もつIWAタッグがコロフ・バション組に移り、草津・木村組が奪還する。
この結果だけ見ると木村のほうが小林よりも強いと判断するファンが出ても
不思議ではない。確か建前としては、小林がシングル王座に専念ということ
だった。しかし、木村の実直な性格を好ましく思っていた吉原社長、一方
で、吉原との意志の疎通の不調、また、先輩レスラーの嫉妬もあって浮き上
がってしまう小林。背景に複雑な人間関係もあったようだ。

・吉原のミス

このシリーズで吉原はプロレス団体経営者として致命的なミスを犯してい
る。春といえば国際プロレスの本場所IWAワールドシリーズの時期。コロ
フ、バション、カーペンティアがフル出場するとういチャンスを得ながらこ
のシリーズをワールドシリーズにしなかった。吉原は「秋に更に豪華なメン
バーをそろえてやりますから。」とインタビューに答えていた。しかし結果
的に秋のワールドシリーズのメンバーは春に比べてぐっと落ちてしまった。

おそらく春の段階ではガニアとの間で秋のワールドシリーズについて何らか
の口約束があったのであろう。ところがそれは守られなかった。帝王ガニア
が2試合のみではあったが特別参加した。もしかしたらガニアの分だけでか
なりのマネーを吹っかけられ、他の選手に金が使えなかったのかもしれな
い。ガニアは名レスラーであったがそれ以上にマーチャントであった。そん
な彼にレスラー魂を期待した吉原が甘かったということなのか。

73年春の段階では、新日にテレビ局がついたばかり、全日はNWAに加盟
したばかりでまだ地盤を固めていない。相手が力をつける前に叩いておくの
は勝負ごとの鉄則である。ビジネスにおいては特にそうだ。結果的に国際プ
ロレスは新日、全日を叩く機会を永久に失ってしまった。

ヨーロッパにあるポロジノ戦跡に立つナポレオン本営の記念碑には次のよう
な文が刻まれている。

「戦闘の翌日に備えて新鮮な部隊をとっておく将軍はほとんど常に敗れる」

結果論かもしれないが、73年春の国際プロレスとこのことばがつながって
しまう。

・それでも夏に盛り上がった国際プロレス

春のシリーズにおける吉原のミスは、秋、春以上のメンバーを集められなか
ったことや新日、全日の追撃を許し逆転されてしまったことからいえる結果
論である。この時期の国際プロレスにはまだまだ勢いがあった。

夏になってディック・マードック、ダスティ・ローデスのテキサスアウトロ
ーズがやってきた。このチーム、後に全日、新日でも活躍、20代でヘビー
級で観客動員力も元気もあった。シリーズ中マードック、ローデスが個別に
シングルで小林に、また、タッグタイトルにも挑戦した。

・リック・フレアー初登場

同シリーズに、当時はほとんど話題に上らなかったがAWAの新人リック・
フレアーも登場した。このころはまだブロンドヘアーでなく何とGIカッ
ト。で、巨漢。冬木のような体型を思っていただければ当たらずとも遠から
ず。勝率の方はかなり悪かった。マードック、ローデスに小僧扱いされたこ
とによる発奮したのか、帰国後飛行機事故から奇跡的に生還し(同乗のバレ
ンタインは引退)開き直ったのか、75年頃から出世。5年後にはシリーズ
のエースとしてマードックを従え全日に再来日した。

・小林対木村戦

またこのシリーズ中ストロング・小林対ラッシャー木村のIWA世界ヘビー
級タイトルマッチが行われた。今では何でもないことだが、当時日本人のメ
インエベンター同士が闘うのはタブーであった。外人勢ボイコット、飛行機
延着といったアクシデントで組まれたことはあったが。54年の力道山・木
村戦以来19年ぶりの大物対決は話題になり、「密航者」も出た。試合の方
は小林が勝つ。プロレス界夏の話題は国際プロレスが独占したふうであっ
た。

テレビ放映料を除いたシリーズ収支も黒字という、その後の国際プロレスで
は考えられない画期的なシリーズであった。

++++++++++
1973 07−09 大阪府立体育館 4500人
(IWA世界ヘビー級) 3/61
S.小林(2−1)R.木村 
1本目:木村(16分12秒体固め)
2本目:小林(2分07秒体固め)
3本目:小林(6分12秒体固め)
3/45
G.草津、M.井上(2−1)D.マードック、D.ローデス 
1本目:マードック(14分42秒体固め)井上
2本目:井上(6分23秒海老固め)マードック
3本目:井上(5分43秒リングアウト)マードック
(金網デスマッチ)時間無制限分1本 
アニマル浜口(19分12秒KO)B.ウォルフ
1/30 S.アクバ(6分51秒体固め)田中忠治
1/20 松本(7分54秒逆海老固め)R.フレアー
寺西(6分50秒体固め)カン
大磯(7分24秒海老固め)稲妻
1/15 米村(12分39秒逆海老固め)栄 

++++++++++

・忍び寄る貧乏神

絶頂期にみえた国際プロレスにも不安材料がないわけではなかった。
 まず、テレビ放映。68年放送開始時には30%前後稼いでいた視聴率も
ジリ貧。水曜日午後7時から1時間の放映も、時間帯が変わったり30分に
なってしまったり。73年秋には土曜日午後2時からの30分という「誰が
見るんだ」という時間帯になってしまった。ビデオがない時代だけに時間帯
が生命線だった。

この時代各団体とも観客動員には苦戦していたが、国際プロレスも例外では
なかった。あれだけ話題を呼んだ小林・木村戦も大阪府立体育館に4500
人というていたらく。以後、崩壊まで国際プロレスには観客数という不安材
料がついてまわった。

そして、エース小林は、木村戦以後何となく元気がなく、スランプがささや
かれはじめた。

・第5回IWAワールドシリーズ

秋に行われたワールドシリーズ、メンバーの質が今ひとつであったことはす
でに書いた。リーグ戦のシステムはA,B2つのブロック別総当たり、時間
切れの場合は判定。で上位2名ずつ計4名で決勝トーナメントを行うという
もの。決勝トーナメントに出てきたのはラッシャー・木村、グレート・草
津、ブラックジャック・マリガン(バリー・ウインダムの親父)、ラーズ・
アンダーソン。小林は木村に勝ったものの寺西に判定負けし、予選落ち。優
勝したのはマリガンを破った木村であった。

で、外人のメンバーだが、上記2名の他名のあるところでせいぜいムース・
ショーラック、デール・ルイスと新人でペーペーだったグレッグ・ガニア程
度。親父のバーン・ガニアは2試合のみ特別参加し小林相手にAWA王座を
防衛した。

・ワフー・マクダニエル初登場

秋も深まって当時インディアンレスラーの総帥だったワフー・マクダニエル
が初来日した。いきなり小林のIWA王座にチャレンジ、一発で奪取。小林
の連続防衛記録は28(当時日本記録。現在の記録は馬場が73年から78
年にかけて達成したPWFタイトルの38回)で終わってしまった。

ワフーはリターンマッチも返り討ち、二回目の防衛戦に失敗しタイトルは再
び小林の手に戻る。これでめでたしめでたしなんだが、何となくすっきりし
ないものも残った。というのはワフーがチャンピオンでいる間、草津対ワフ
ーのインディアンストラップデスマッチが組まれ、それに草津が勝っている
のだ。「タイトルがかかっていれば今ごろ草津がチャンピオンじゃん。」と
いう釈然としない思いが残っていたのだ。小林はまたもや恥をかかされた。
表面上の人気は保てていたものの、シングル・タッグの王座陥落、IWAワ
ールドシリーズで優勝できなかったことなど、散々であった73年。それは
激動の74年の兆しであった。

・この頃のアンドレ

70年に初来日し、71、72年と連続してIWAワールドシリーズに参加
し、それが世界的なスーパースターとなるきっかけをつかんだたアンドレ
(当時モンスター・ロシモフ)は73年には来日しなかった。理由は2つ考
えられる。

一つはアメリカ、カナダで引っ張りだことなりスケジュールがとれなかった
こと。

もう一つはアンドレのマネージメント権をWWWFマクマホンが取得しつつ
あった時期で、声がかけにくかったこと。発掘した吉原としてはいい迷惑だ
った。ガニアの手許から離れたアンドレは、翌年以降新日の常連となってい
く。

==================================================================
【お知らせ】
プロレス史の勉強会!メンバー大募集

「スネークピットキャラバン(Snakepit Caravan)」

次回は、2006年2月3日(土曜日)
時間:14時30分〜 
会場:スネークピット・ジャパン(高円寺) 
スペシャルゲスト:
73年ロスのオリンピック・オーデトリアムで、
米国デビューしたキム・ドク氏

詳しくは、
http://www.uwf-snakepit.com/caravan.html
http://www.uwf-snakepit.com

==================================================================
茅野三丸のブログ「プロレス大好き」
このメルマガのご感想、ご質問もブログへ。
http://blogs.yahoo.co.jp/kangyan60/
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
提携メルマガ 「夕刊プロレス」
小泉悦次も記事を提供しております。
「夕刊プロレス」とは、毎日の試合結果、ニュースに、コラムニストたちの
コラムを添えて、お送りするフリーペーパー。投稿コラムも募集中です。あ
なたも、プロレスを語りませんか。夕プロは、誰でも上がれるリングです。
http://www.mag2.com/m/0000002840.html
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
提携ホームページ
「ショルダー2002」
http://homepage3.nifty.com/inoki~bom-ber_/index.html
「ミック博士の昭和プロレス研究室」
http://drmick.at.infoseek.co.jp/proresu/top.htm
「オールドファン 集まれ !」
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/7217/old_fan.html
==================================================================
「プロレス大好き」は主にプロレス史の叙述を目的とした、メールマガ
ジンです。NWA(Nazenara Watashiha Ahonanoyo)というグループに加盟
した執筆者達が書いた原稿を、茅野三丸がまとめております。転載、引
用の際には、必ず、当メールマガジンが出典であることをお断り下さい。
発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000217079.html 
現在休刊中です
解除

規約に同意して

最近の記事

上へ戻る