2007/01/26
嗚呼、永源
================================================================== プロレス大好き - Wrestling As I Like It (略称:プロダイ)2007/1/26(FRI) 発行部数158 ================================================================== タ・カ・チ・ホ・ハ・ル・カ リメイク版 Joe Hooker Sr. ●「承」 70年代 その3 ・永源の全盛期 さて、その永源。当時を知らない人には、いや知っていても意外であろう が、永源にも強かった時代がある。それは、この時期、70年代後半のこと だ。 ・・新日・国際対抗戦 79年から80年にかけて、新日・国際の対抗戦がしばしば行われた。 まず、星野・山本の「ヤマハ・ブラザーズ」が79年1月21日、グレート ・草津、アニマル・浜口組からIWAタッグを奪取。しかし、国際側は奪 還。1年たって80年3月31日永源はアニマル・浜口、マイティ・井上組 のもつ同選手権に木村健吾とのコンビで挑戦。奪取には至らなかったもの の、内容では明らかに勝っていた。 ++++++++++ 1980 03-31 東京・後楽園ホール 1500人 (IWA世界ヘビー級) 1/60 ラッシャー・木村(13:29リングアウト)ジョニー・パワーズ *レフェリールー・テーズ (AWA世界ヘビー級) 3/60 ニック・ボックウィンクル(1-1)大木金太郎 (1)ニック(10:20逆さ押さえ込み) (2)大木(6:34体固め) (3)(2:09両者リングアウト) *レフェリールー・テーズ (WWU世界ジュニアヘビー級) 1/60 阿修羅原(14:55反則)剛 *剛が原を放送席にアトミックドロップ。即反則を取る。 (IWA世界タッグ) 1/60 浜口、井上(11:30反則)木村健吾、永源 *木村健吾のブランチャーで浜口脳天強打。直後の暴走行為を反則に取る。 1/30 鶴見、大位山(6:49反則)グレート・草津、寺西勇 1/20 隼人(11:53体固め)ムラサキ 米村(11:39体固め)高杉 ++++++++++ 「永源ってこんなに強かったっけ?本当は強いのではないか?」 こう思った者は私だけではないであろう。この試合で浜口が負傷。新日・国 際間で決定戦ということになり、新日が送り込んだ次なるチームは、ストロ ング・小林、永源遥組。 80年6月29日、新日側は国際側(マイティ・井上、寺西勇組)を破 り、タイトル奪取。永源日本国内で初のタイトル獲得である。 70年代の後期、国際プロは新日、全日と比べて明らかにマイナーであっ た。現在の「インディー」を一手に背負っていたようなものである。知名度 を全国区にしようと、全日と、そして新日との対抗戦を行い、活路を見いだ そうとした。しかし、国際からみれば「裏切り者コンビ」、つまり、かつて のエースで新日に引き抜かれていった小林と、東京プロレス崩壊時、恩のあ る豊登を振り切って国際プロレスに合流せず日プロに走った永源とのコンビ にタイトルを取られたことは皮肉という以外の何者でもない。 ただひとつ、永源にとって残念だったのは、国際プロがマイナーすぎて、タ イトルを取ったことが、全ファン的な注目を浴びなかったことである。ま た、国際プロレスにとっても小林・永源組という新日内では「2流格コン ビ」にタイトルを取られ、マイナーイメージがさらに増した。実りのない対 抗戦であった。 さて、この時期に「永源って一体何者?」と思わせる出来事が3つある。 ・・新日本プロレス選手会長、その名は永源遥 まず、1つ目。70年代後半、新日の選手会長を勤めたということ。これ は、多くの選手達がゴッチを「神様」とあがめる新日選手の中で、それなり の信望を集めていたということ。新日で「ゴッチ」という固有名詞が最も似 合わない永源がである。やはり、永源はただものではない、と思ってしま う。 ・・パキスタンでの猪木・ペールワン戦 次に、2つ目。76年の猪木がパキスタンの王者アクラム・ペールワンの腕 を折ったパキスタン遠征に帯同したこと。未知の地パキスタンに藤原喜明、 小沢(キラー・カーン)とともになぜ永源を連れていく必要があったのか。 単なる「身の回りの世話」ではあるまい。 この遠征の背景には、猪木が、その夏、モハメッド・アリと戦い、世界的知 名度が向上したことにある。おそらく、ギャラなどの交渉中にいろいろと 「危険」を感じたのではないか。 「プロレス界暗黙の了解」など通用しない、勝ったら何が起こるかわからな いといった「危険」を。私はそこに永源の出番があったように思える。もち ろん、単なる「ボディ・ガード」というのではない。 ++++++++++ 1976 12-12 パキスタン、カラチ・ナショナルスタジアム 50000人 1/5分6ラウンド 猪木(3R1:05レフェリーストップ)アクラム・ペールワン ナヒラ(3R2:50体固め)B・インディアン ゴガバナ(4R0:37体固め)永源 ++++++++++ ・・永源はポリスマン? そして、3つ目。80年2月の猪木対ウイリー・ウイリーアムスの異種格闘 技戦。この試合は謎が多かった。 まず、両者リングアウト引き分けという、異種格闘技戦としては珍しい決 着。試合前、試合中、試合後、ウイリーのセコンド陣はなぜか荒れていた。 両者が場外でもみあった際、猪木のマネージャー新間氏は、ウイリーのセコ ンド陣から胸元にパンチを入れられているようにも見えた。新日側と、ウイ リーの極真側は戦う前からかなりギクシャクしていたらしい。 そこにこの試合のプロデューサーの梶原一騎が複雑にからむ。レフェリーは 彼の親友ユセフ・トルコ。この試合から2年ばかり経ったとき、新日とトル コは絶縁した。そのトルコも後に著書で、「あの試合は痛み分けと決まって いた」と暴露する始末(注1)。 だが、ここに一つの事実がある。試合後、殺伐とした状況を収拾しようと、 新間はあるレスラー(ボディ・ガード)を伴って極真側の控え室を訪ねる。 そのレスラーの名は、永源遥。 もちろん、他にもレスラーはいた。新間が、なぜ彼を伴ったのか、あまりの 説明は興をそこねる。読者の方々、おのおの推理を楽まれたい。 ++++++++++ (注1) 2006年になって、当メルマガ執筆陣の一人、小泉悦次も全面的に協力してい る(小島一志、塚本桂子著、「大山倍達正伝」新潮社)でその日極真側にい た小島一志が、背景を詳しく述べている。 http://www.mugen-sha.co.jp/html/menu.htm?page=seiden.htm ================================================================== 【お知らせ】 「スネークピットキャラバン(Snakepit Caravan)」メンバー大募集 プロレス史の研究会です。 次回は、2006年2月3日(土曜日) 時間:14時30分〜 会場:スネークピット・ジャパン(高円寺) スペシャルゲスト: 76年、全米で引っ張り凧だった、キム・ドク氏 詳しくは、 http://www.uwf-snakepit.com/caravan.html http://www.uwf-snakepit.com ================================================================== 茅野三丸のブログ「プロレス大好き」 このメルマガのご感想、ご質問もブログへ。 http://blogs.yahoo.co.jp/kangyan60/ ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 提携メルマガ 「夕刊プロレス」 当メルマガ執筆者の一人、小泉悦次も記事を提供しております。 「夕刊プロレス」とは、毎日の試合結果、ニュースに、コラムニストたちの コラムを添えて、お送りするフリーペーパー。投稿コラムも募集中です。あ なたも、プロレスを語りませんか。夕プロは、誰でも上がれるリングです。 http://www.mag2.com/m/0000002840.html ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 提携ホームページ 「ショルダー2002」 http://homepage3.nifty.com/inoki~bom-ber_/index.html 「ミック博士の昭和プロレス研究室」 http://drmick.at.infoseek.co.jp/proresu/top.htm 「オールドファン 集まれ !」 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/7217/old_fan.html ================================================================== 「プロレス大好き」は主にプロレス史の叙述を目的とした、メールマガ ジンです。NWA(Nazenara Watashiha Ahonanoyo)というグループに加盟 した執筆者達が書いた原稿を、茅野三丸がまとめております。転載、引 用の際には、必ず、当メールマガジンが出典であることをお断り下さい。 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000217079.html


