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「プロレス大好き」は主にプロレス史の叙述を目的とした、メールマガジンです。NWA(Nazenara Watashiha Ahonanoyo)というグループに加盟した執筆者達が書いた原稿を、私、茅野三丸がまとめております。

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2007/01/12

タ・カ・チ・ホ・ハ・ル・カ リメイク版70年代その1

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プロレス大好き - Wrestling As I Like It
(略称:プロダイ)2007/1/12(FRI) 発行部数148
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タ・カ・チ・ホ・ハ・ル・カ リメイク版 Joe Hooker Sr.

●「承」 70年代 その1

日本プロレスの若手注目株であった高千穂、永源にとって、70年代は激動
の時代であった。何たって母体の日プロが潰れちまったんだから
(73年)。

・高千穂、初の海外遠征
・・高千穂、アメリカ武者修業の旅へ

70年夏のシリーズ終了後、高千穂は「エリートの切符」であったアメリカ
武者修業の旅に出る。最初に定着した場所はロス。当時のライバルは後のW
WWFヘビー級チャンピオンのビリー・グラハム。日プロのメインエベンタ
ー達はしばしば、ロスに出かけビッグマッチを行っていた。その際、現地に
滞在中だった高千穂の試合も流れたが、堂々たるものだった。少なくとも、
第12回ワールドリーグ戦当時のおどおどしたところはなかった。

・・ミツ・アラカワ、高千穂を発掘

さて、ここで問題です。

問.日本人で初めてNWFのタイトルを取ったのは誰でしょう?

答.アントニオ猪木ではありません。正解は高千穂明久。

では、説明しよう。

71年の新春シリーズ、日系のミツ・アラカワなる選手が日プロに来た。
「広島に落とされた原爆で肉親を失った恨みを晴らす為にアメリカでプロレ
スラーとなり、白人に悪さをする。」というふれこみで闘っていたレスラー
である。今ではもう通用しにくいギミックだ。当時の日系レスラーは日本側
(ベビー・フェイス)として闘うのが通例であったが、彼は外人側
(ヒール)のコーナーから出てきた。それも開幕戦直前の変更で、雑誌では
「寝返り野郎」なんて叩かれたものだ。

シリーズが終わり、アメリカへの帰途、ロスに立ち寄った。そこで見つけた
のが高千穂明久。すぐさまタッグパートナーとして五大湖地区につれてい
く。そこでも高千穂は大活躍。アラカワとのコンビでNWF世界タッグの王
座を獲得。同シングルの王座は後に猪木の代名詞となる。72年1月にタイ
トルを獲得(相手チーム不明)。3月にトニー・パレシー(アントニオ・プ
グリシー)、ドン・デヌッツィ組に敗れるまで保持した。記録に残る限りに
おいて、高千穂初のタイトル獲得である。

ちなみに、このときの彼のリングネームは”ヨシノサト”。当時の日プロ社
長芳ノ里からとったのはいうまでもない。後年フロリダ地区でも”ミスター
・サト”を名乗るあたり、高千穂は芳ノ里に何かしらの恩義を感じていたの
かもしれない。

ミツ・アラカワは1997年に亡くなった。カブキにとってこの時代は遠い
思い出。唯一、プロモーターのジョニー・パワーズが、「経費が色々かかっ
てねえ。」と満員にもかかわらず、ファイトマネーをケチったのが印象に残
っているという。

++++++++++
1972 01−19 ニューヨーク州バファローNWF 
チェーンマッチ ○ドン・デヌッツィ対ワルドー・フォン・エリック●
△マイティ・イゴール(反則)アブドラ・ザ・ブッチャー△
NWF世界タッグ王座決定トーナメント 1回戦 
○エリック・ザ・レッド、バロン・マイケル・シクルナ対ピート・サンチェ
ス、ジ・イクスキューショナー●
○ミツ・荒川、芳ノ里(米良=高千穂)対チーフ・ホワイト・オウル、リル
・アブナー・オズボーン●
○トニー・パリシ、トニー・マリノ対マッドドッグ・モンバーグ、ジョン・
L・サリバン●
準決勝 
○トニー・パリシ、トニー・マリノ対エリック・ザ・レッド、バロン・マイ
ケル・シクルナ●
決勝 
○ミツ・荒川、芳ノ里(米良=高千穂)対トニー・パリシ、トニー・マリノ
●、反則
++++++++++

・日プロに嵐が吹き荒れた71年
・・永源、初の因縁相手誕生。その名はザ・デストロイヤー。

71年の第13回ワールドリーグ戦、永源はまだエントリーされぬ、前座レ
スラーだった。リーグ戦天王山の馬場・デストロイヤー戦、永源が場外から
リングに上がろうとするデストロイヤーの足を引っ張り馬場が勝利。前座の
分際でやってはいけないことをやってしまった永源に怒ったのはデストロイ
ヤー。幾度となくキラー・カール・コックスと前座試合に乱入し、公衆の面
前で永源を処刑しまくった。永源=コミックレスラーのイメージはこのころ
からつき始める。

・・猪木、馬場に挑戦状

第13回ワールドリーグ戦の決勝戦の日を迎えて、日本側では馬場、猪木が
同点、外人側ではデストロイヤー、ブッチャーが同点。まず準決勝というこ
とになった。日本人同士、外人同士が闘わないルールであったので、準決勝
第一試合は猪木・デストロイヤー戦。猪木が何かやらかしそうな雰囲気を感
じた日プロ幹部はデストロイヤーをたきつけ、意を受けたデストロイヤーは
両者リングアウトに持ち込む。準決勝第二試合で馬場がブッチャーを破って
優勝したわけだが、試合中控室では、猪木がマスコミを集め、馬場に挑戦状
を出すことを表明。結局「時期早尚」というわけでBI対決は実現しなかっ
た。

まだ小学生だった私も、このころから日プロの雰囲気がおかしく感じるよう
になった。

++++++++++
1971 05−19 大阪府立体育館 10000人

ワールドリーグ戦決勝トーナメント 1/時間無制限
馬場(7:21エビ固め)アブドラ・ザ・ブッチャー
猪木(19:32両者リングアウト)ザ・デストロイヤー

3/45
大木、上田(2−1)キラー・カール・コックス、ゴードン・ネルソン
(1)コックス(13:11体固め)大木
(2)上田(3:51首固め)ネルソン
(3)大木(4:15体固め)コックス

1/20
吉村(17:58回転エビ固め)レイ・メンドーサ
ミツ・ヒライ(8:00逆片エビ固め)ジョー・ターコ
小鹿(6:15エビ固め)マンマウンティン・マイク
山本小鉄(11:07両者リングアウト)アンジェロ・モスカ
ニコリ・ボルコフ(7:02足首固め)轡田

1/15
永源(10:05体固め)木戸
戸口(時間切れ引き分け)林

++++++++++

・・猪木日プロ追放

その年の暮、「クーデター(逆の立場からいえば改革)計画発覚」により猪
木日プロ追放。

猪木追放を祝う乾杯の写真を見てみると(ひまな方は紙にでも書いて再現し
てみて下さい)、前列左から、星野、坂口(全体の中心)小鹿、後列は左か
ら轡田(サムソン・クツワダ、後に全日創立メンバー)、ヒライ、そして何
と猪木によって東京プロレスから日本プロレスに引っ張ってもらった永源
(たった一人バンザイをしている。前座のわりに態度がでかい。)、桜田
(ナガサキ)、小沢(キラー・カーン)、佐藤昭雄(後に全日創立メンバ
ー、その後WWF東洋支部長、ハクシ=新崎人生のマネージャー)、戸口
(キム・ドク)、安達(ミスター・ヒト)。控室の入り口あたりでうつむい
ているのは、その直後、猪木について日プロを出ることになる若手レスラー
木戸。藤波の姿は見えない。永源クン、このころからリング外での存在感を
大きくしていく。

・日本プロレス崩壊へ

・・猪木、馬場相次いで旗揚げ

日プロを追放になった猪木は72年に入ると新団体設立に奔走。3月の旗揚
げにこぎつける。こうしてできたのが新日本プロレスだ。猪木が日プロから
連れ出したレスラーは、山本小鉄、木戸、藤波。メキシコから柴田、北沢を
呼び寄せる。旗揚げと同時に豊登がカムバック。

当初猪木とともに改革の側にいて、ペナルティーとして選手会長の座を大木
に譲らさせられた馬場は翌72年夏、日プロを離脱。秋、全日創立。馬場が
日プロから連れ出したレスラーは、轡田、佐藤といった付け人連中。アメリ
カから大熊、駒を呼び寄せる。旗揚げと同時に杉山が国際から移籍してき
た。

このころ高千穂はアメリカに、永源は日プロで「若手」から「中堅」になり
かかっていた。ここで注目していただきたいのは、猪木、馬場とも付け人格
の子飼いのレスラーを連れて出た、つまり、「引き抜き」といわれるほどの
ことをしていないということ。結果的に高千穂、永源は日プロに残ることと
なり、彼らがその後新日、全日のリングに上ることとなっても基本的には
「外様」ということになってしまう。

・・高千穂、嵐の中の凱旋帰国

全日が旗揚げした頃、日プロは「第3回N.W.A.タッグリーグ戦」を開
催。高千穂と松岡厳鉄は、馬場離脱で手薄になったため、日本に呼び戻され
た。決勝戦は坂口・高千穂組とハミルトン兄弟との対決で坂口組の勝ち。こ
の日のセミファイナルでは松岡がダニー・ホッジのもつNWA世界ジュニア
ヘビー級タイトルに挑戦、結果は引き分け。試合内容よりも、試合前の握り
拳によるリンゴの潰しあいしか記憶に残っていない。永源はこのシリーズで
やっとリーグ戦出場を許される(パートナーはミツ・ヒライ)。

このリーグ戦もまた、日本側と外人側の対抗戦形式で、最高勝ち点チーム同
士が戦うというルール。したがって、高千穂・永源のタッグ対決はなかっ
た。

馬場・猪木なきあとの日プロでは興業を買うプロモーターも少なく、営業担
当が「コースを組む(=試合日程を決める)」のに苦労したという。1試合
あたりのファイトマネーが上がった高千穂も、試合数が少なくては大した収
入増とはならなかったのではないか。

++++++++++
1972 12−02 東京・蔵前国技館 6000人
(インター・タッグ)  3/60
坂口、大木(2−1) ジン・キニスキー、ボボ・ブラジル
1本目:日本組(24:20反則) 外人組
2本目:ブラジル(4:25体固め) 坂口
3本目:坂口(2:22逆エビ固め) ブラジル
3/45 マサ・斎藤(1−1) キラー・カール・コックス
(1) コックス(11:29片エビ固め) 
(2) マサ(1:50エビ固め) 
(3) (6:22両者リングアウト) 
1/30 高千穂(12:12エビ固め) エリック・フローリッチ
上田(14:37反則) モンゴリアン・ストンパー
1/20 松岡(12:02両者リングアウト) ドン・ケント
小鹿(8:53体固め) マンマウンティン・カノン
星野(時間切れ引き分け) アル・コステロ
1/15 永源(11:57両者リングアウト) 戸口
桜田(11:47逆エビ固め) 小沢
++++++++++

・・永源、ついにアメリカ遠征の切符を手に入れる

秋から冬、日プロは興業数、観客動員数のの減少とジリ貧。そして日プロ最
後の年の73年新春、永源はついにアメリカ遠征の切符を手に入れる。同時
期にアメリカへ渡ったのは、星野、戸口(キム・ドク)、(ミスター)林、
安達(ミスター・ヒト)で、「エリートへの切符」というよりも
「口減らし」の要素の強い海外行きであった。予想される崩壊を前にして、
救える者は救っておきたいという考えもあったという。

永源、安達に関してはもっと早い時期に遠征が実現するはずであった。がビ
ザがおりず、延ばし延ばしになってしまったという。その原因は某日プロ事
務員(注1)の手抜きと言われており、その事務員は72年夏退職し全日旗
揚げに参加。73年秋、永源が帰国のリングに新日を選んだ理由もこんなと
ころにあるのかもしれない。

・・日プロの末期、史上最悪のシリーズ

新春シリーズを終え、春のシリーズまでの間、日プロに転機が訪れたかに見
えた。坂口・猪木の話し合いで日プロ・新日プロの合併が合意される。
(注2)ところが、韓国帰国中のため「事後承諾」の建前の下、蚊帳の外に
置かれた大木が反発、合併はご破算、坂口は若手3名(後の木村健悟、キラ
ー・カーン、大城大五郎)を引き連れて4月より新日へ移籍ということにな
る。

春のシリーズは私の30年のファン歴の中でも最悪のシリーズであった。す
でに離脱が決定している坂口に対して日プロは冷や飯を食わせる。インター
・タッグ、アジア・タッグ、UNヘビーの「剥奪」だ。

大木とのコンビで前年暮れ獲得した(ジン・キニスキー、ボボ・ブラジルの
超一流コンビを決定戦で破る)インター・タッグは、ジョニー・バレンタイ
ン、キラー・カール・クラップのインスターント一流半コンビに取られる。
そして、大木・上田組が新チャンピオンチームから奪取。「あからさま」と
はこういうものだ、と当時小学校6年生だった私は教えられた。

また、坂口が吉村とのコンビでもっていたアジアタッグは、吉村引退により
返上。新チャンピオンは、グレート・小鹿、松岡厳鉄という田吾作コンビ。
しかも獲得したのが吉村の引退試合の日という、前チャンピオンチームの気
持ちを逆なでするような設定。はっきり言おう。今全日にあるアジアタッグ
の価値はこの日暴落した。

猪木から剥奪することによって坂口が得たUNヘビーのタイトルはジョニー
・バレンタインが奪取。ところが、1週間もしない3月8日、高千穂が奪
取。「あからさま」を通り越して「いくら何でも」というところだ。これで
もって高千穂の実力が坂口より上、とは誰にも思ってもらえない不幸な国内
初のタイトル獲得だった。

日プロの試合をを放映していたNETテレビ(現テレビ朝日)は4月より新
日プロに乗り換え。日プロ最後の放映は高千穂にとっての国内でのタイトル
初奪取の風景だった。次の週からテレビに写らない新メインエベンターの喜
ぶ姿、それはその後の彼の「外様生活」を暗示していた。

 当時の東京スポーツを見てみると、前座試合でも、「日プロ残留組」と
「新日へ離脱組」との対戦ではセメントまがいの流血戦になった試合もあっ
たという。「日プロ残留組」は桜田(後のケンドー・ナガサキ)対大城だ。
ともあれ最悪のシリーズであった。結局日本プロレスは坂口離脱後、1シリ
ーズを行ったのみで崩壊した。

++++++++++
1973 04−20 群馬県吉井町体育館 3000人
3/60 大木、小鹿(2−1) フリッツ・フォン・エリック、
(ジャン・) クラッシャー・リバース
1本目:エリック(13:49体固め) 小鹿
2本目:大木(5:54体固め) リバース
3本目:小鹿(6:49体固め) リバース
1/30 高千穂(7:00逆エビ固め) ジ・アラスカン
上田(12:42両者カウントアウト) キラー・カール・クラップ
松岡(14:03胃袋破り) ジェリー・モンティ
1/20 桜田(9:40体固め) キム・チョラン
羽田(12:27反則) キム・スンホー
1/15 伊藤(11:32逆片エビ固め) ホン・ハクトー
++++++++++
・・永源、初のタイトル奪取

そのころ永源はアメリカ・カンザス地区で安達とのコンビで大暴れ、アメリ
カン・プロレスを体で覚えていた。高千穂が日本国内で初めてタイトルを奪
取した3月8日、永源・安達組はセントラル・ステーツ・タッグをボブ・ガ
イゲル、ルーファス・ジョーンズ組から奪取(後にボボ・ブラジル、ボブ・
ガイゲル組に奪取される)。同じ日にタイトルを獲得するあたり、二人には
やはり因縁があるのであろう。

永源・安達組(当地でのリングネームは、グレート・トーゴー、トーキョー
・ジョー)はその後、ボボ・ブラジル、ボブ・ガイゲル組からタイトルを奪
回するが、ベルトはすぐにマイク・ジョージ、ジム・ブランゼル組の腰に巻
かれる。ちなみにこのタイトル、後に高千穂も獲得している(パートナーは
キラー・カール・コックス、パク・ソンナン)。

++++++++++
1973 05−24 カンザス州カンザスシティ・メモリアル・ホール

(NWA世界ヘビー)○ハーリー・レイス対ドリー・ファンク・ジュニア●
*王座交代
○ボボ・ブラジル、ボブ・ガイゲル対グレート・トーゴー(永源)、トーキ
ョー・ジョー(安達)●
*王座交代の試合の可能性あり。
△ダニー・リトル・ベア対ボブ・ブラウン△
○ボブ・オートン・ジュニア、ジム・ダルトン対アルゼンチン・ズマ、オマ
ール・アトラス●
○マイク・ジョージ対ザ・テラー●

++++++++++
(注1)おそらく、馬場の女房役といわれた米沢良蔵氏であろう(これ、私
の推定)。
(注2)しかし、高千穂本人には行く気はなかったという。「本当の話は大
木さんが帰ってきてから。」つらいのつもりだったのかもしれない。

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【お知らせ】
たのしい!ためになる勉強会!メンバー大募集

「スネークピットキャラバン(Snakepit Caravan)」

次回は、2006年2月3日(土曜日)
時間:14時30分〜 
会場:スネークピット・ジャパン(高円寺) 
スペシャルゲスト:72年当時の日本プロレスを知る、キム・ドク氏

詳しくは、
http://www.uwf-snakepit.com/caravan.html
http://www.uwf-snakepit.com
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茅野三丸のブログ「プロレス大好き」
このメルマガのご感想、ご質問もブログへ。
http://blogs.yahoo.co.jp/kangyan60/
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提携メルマガ 「夕刊プロレス」
当メルマガ執筆者の一人、小泉悦次も記事を提供しております。
「夕刊プロレス」とは、毎日の試合結果、ニュースに、コラムニストたちの
コラムを添えて、お送りするフリーペーパー。投稿コラムも募集中です。あ
なたも、プロレスを語りませんか。夕プロは、誰でも上がれるリングです。
http://www.mag2.com/m/0000002840.html
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提携ホームページ
「ショルダー2002」
http://homepage3.nifty.com/inoki~bom-ber_/index.html
「ミック博士の昭和プロレス研究室」
http://drmick.at.infoseek.co.jp/proresu/top.htm
「オールドファン 集まれ !」
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/7217/old_fan.html
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