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幸せと平和を願う人々の心が臨界質量を超えるとき、世界は良い方向に動きだす。臨界質量とは、世の中をよくしたいという同じ「思い」あるいは「目覚め」を持った人々の数がある閾値を超えると、その「思い」が実現するというものです。

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2009/06/22

09.06.22 こころは超臨界 No.656「坂の上の雲」

【 幸せと平和を願う人々の心が臨界質量を超えるとき世界は変わる 】
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )

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     人間学を学ぶメールマガジン『 こころは超臨界 』

        読者:329人 / 発行人:渡部天真

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◆ 2009年6月22日 第656号「 坂の上の雲 」
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  【世界の名言】 

  友は私の財産
  (エミリー・ディッキンソン)

  My friends are my estate.
  ( Emily Dickinson, American poet, 1830-1886 )


●昼休みに韓国人と一緒に食事に出ると、いつも彼らの食べる速さに驚
かされます。恐らく5分もかかってはいないのではないでしょうか。お
まけに正午になるのを待って外出することがなく、たいがい11時45
分には事務所を後にしています。

●そんな調子ですから、早いときには正午までに昼食を終えて席に戻っ
ていることさえあります。そこで、豊富な昼休み時間にさらに始業前の
30分を加えて本を読むことにしました。

●本は司馬遼太郎さんの作品を選び、今までに「世に棲む日日」、「こ
の国のかたち」、「坂の上の雲」と読み進んできました。

●先週ちょうど、その「坂の上の雲」を読み終えたところです。そして
きょう取り上げる記事はまるで私の読了するタイミングにぴたりと合わ
せるかのようにして新聞に掲載されたものです。


「五月雨」――艦上と床上 文武の才
【「耳を澄まして あの歌この句」09.06.13日経新聞(夕刊)】

  五月雨や上野の山も見あきたり   正岡子規

仕事で遠出となった。緑深まりゆく景色のなか、海を感じさせる風がと
どく。その風に乗って、横須賀まで帰路の足を伸ばしてみた。

日露戦争のい連合艦隊旗艦だった三笠。横須賀白浜海岸の波打ち際にい
まは陸上に固定された姿で保存されているその記念館を、ながめてみた
くなったのだ。そして艦隊参謀として日本海海戦を圧倒的な勝利にみち
びいた秋山真之。その伊予松山のひとのことを考えてみたかった。

彼が艦隊司令長官東郷平八郎たちと立った艦橋から見下ろせば、主砲2
門がいまは標的なき虚空に突き出ている。

その三笠の脇から海上2キロのところにある猿島まで、渡し船が出てい
る。沖合いから三笠をながめてみたい。走り梅雨の低気圧が近づいてい
て接岸できないかもという船を、頼んで出してもらった。

船はまるで樽神輿(たるみこし)でも練るかのように波間に揉まれ、巨艦
から遠ざかってゆく。さながらに小型水雷艇からでも望む景観だ。

「天気晴朗なれども波高し」など、秋山真之は指令信号文に名文を遺(
のこ)した。青春の一時期、正岡子規と本郷に同宿していた郷党の朋友
(ほうゆう)だ。その後を軍人と文人とに、およそふたみに別れる貝のよ
うに異なる人生行路をたどりはしたけれど、子規には国のために邁進(
まいしん)する真之のいさましさがまぶしかっただろう。真之にはまた
子規の文業が。

日露戦に先立つ日清戦争のころ、子規は宿痾(しゅくあ)をおして志願従
軍し、そして瀕死(ひんし)の状態で帰国する。その後7年の闘病の業苦
がそこに始まる。その病床六尺において、子規は短歌俳句の革新という
大仕事をなし遂げたのである。

上野の山は彰義隊の戦跡でもある。朝廷軍との戦いに敗れた残兵は、根
岸へ下って落ちのびていった。この句はその根岸に病臥(びょうが)する
子規晩年の吐息だ。

青春のこころざしが生きる場はできれば波高き戦争でも、五月雨に倦(
う)む病床でもなければいい。幾多の歴史の後に、それを確(しか)とし
たためている国であればいい。

(俳人・横澤放川)


●あとがきの中で、司馬さんは「坂の上の雲」を書くきっかけについて
次のように解説しています。


  「坂の上の雲(八)」http://tinyurl.com/mcf8e3
  【 司馬遼太郎、文春文庫、p312、あとがきより】 

  子規について、ふるくから関心があった。 

  ある年の夏、かれが生まれた伊予松山のかつての士族町をあるいて
  いたとき、子規と秋山真之が小学校から大学予備門までおなじコー
  スを歩いた仲間であったことに気づき、ただ子規好きのあまりしら
  べてみる気になった。小説にかくつもりはなかった。調べるにつれ
  て妙な気持ちになった。このふるい城下町にうまれた秋山真之が、
  日露戦争のおこるにあたって勝利は不可能にちかいといわれたバル
  チック艦隊をほろぼすにいたる作戦をたて、それを実施した男であ
  り、その兄の好古は、ただ生活費と授業料が一文もいらないという
  だけの理由で軍人の学校に入り、フランスから騎兵戦術を導入し、
  日本の騎兵をつくりあげ、とうてい勝ち目はないといわれたコサッ
  ク騎兵集団とたたかい、かろうじて潰滅をまぬがれ、勝利の線上で
  戦いをもちこたえた。かれらは、天才というほどの者ではなく、前
  述したようにこの時代のごく平均的な一員としてこの時代人らしく
  ふるまったにすぎない。この兄弟がいなければあるいは日本列島は
  朝鮮半島をもふくめてロシア領になっていたかもしれないという大
  げさな想像はできぬことはないが、かれらがいなければいないで、
  この時代の他の平均的時代人がその席をうずめていたにちがいない。 

  昭和44年3月 


●もし司馬さんが正岡子規に関心を持っていなかったとしたら、「坂の
上の雲」が出版されることはなかったことになります。つくづく人の縁
の妙を感じます。


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