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[ 提案迷案、異論暴論 ]

四川大震災

 

中国の四川省での大震災の被害はまだまだ増え続けていくようである。

震災にあわれた方々の無事とご幸運をお祈りしたい。

 

 日本もそうだがここメキシコも地震の多い国として有名であるので、今回の震災は人事では無い。太平洋の沖合いからカリフォルニア半島、メキシコ向かって沈み込むプレートや断層が引き起こす地震と軟弱な地盤、加えてその上に建設されている鉄筋の少ない細い柱とレンガ積みの壁で支えられた低品質なビルの数々。

 

 自分の安全が確保できる限り、金儲けの為なら手抜き工事も辞さない中国人気質と当地メキシコの不動産を握るユダヤ人の気質。全く持って両者に共通して「優れ」「良い」点は有るのだろうか?

 

 今回の報道の中で秀逸というか呆れて開いた口が塞がらないものに、「500万戸以上の建物についてその耐震構造に疑問?」というのがある。

 一体「今回震災に会って初めて疑問を持つ程中国政府はお人好し」だったのだろうか?

中央政府が安全基準を設けさえすれば、皆それに従うと思っていたのだろうか?

 

 シンガポールの厳しい法律やルールについて一般的に流布されている理由がある。それは「建国の父リー・クアニューは中国人や華僑のだらしなさもいい加減さも、マナーの悪さも厳罰や経済的なダメージが無い限りは言う事を聞かない気質等も百も承知で、それを止めさせる為に必要以上に厳しい法律やルールを作り、時間をかけて馴らしていった」或は「当初自国民の事を実は最も信用していなかったので、その後の発展があった」というものである。

 

 手抜き工事をした業者は強烈な罰金と再工事に掛かる経済負担、主要プロジェクトから数年間外されたり、ライセンスを取り上げられるリスクと手抜き工事のメリットをいつも天秤に測らねばならない。

 数年前まで韓国系のゼネコンのシンガポール島内での状況は将にこのような評価の中にあった。

 

 一時期はチャンギ空港の第2ターミナルや産科小児科専門病院、金融街の高層ビルなどを手がけた韓国系ゼネコンだが、その後数年経って品質の問題が表面化した後、数年間主要入札から外されたと聞く。

 

 法律やルールがあっても、それを検証する仕組みが適格でないと全く意味が無いという事と、自国民を先ず疑うことの無い、猜疑心の無い不必要なプライドや自負は百害あって一利無しである事を、今回こそは理解してもらいたいものである。

 

 今回の地震は中国沿海部ではないので皆余りシリアスでないのかも知れないが、筆者は断言してもいい、「上海や北京の殆どの高層ビルは震度5にも耐えられない」と。

 それは少ない鉄筋の数や細い柱の太さ、高層ビルでもかなりレンガが壁材に使われているというだけの問題ではない。セメントやコンクリートはただ固まればいいというものではなく、その型枠への投入プロセスによっても強度の偏りが出る等、経験が物を言う点と、その様な常識を前提とした軽量構造設計であるのではないか?

 

 そういうノウハウを軽視或いは表面的な猿真似で繕う傾向が多いのが現在の中国であろうし、また当地のメキシコも同様である。

 かなり以前にも本稿で述べた様に、ソコソコの耐久消費財を購入出来る中流層が増え、その子弟である第2世代が社会の中心に鳴らない限り、品質はその社会に定着しない。

 

中国では現在の中堅層(3―40代)の子供が社会人となって中堅となる2−30年後、メキシコは貧富の差と絶対的な中流層人口の不足から、現在の政策方針が変わらない限りは一部を除いて永遠に高品質な製造業は定着しないであろう。

両国とも未だ暫くはタイのレベルに追いつく事は難しいのではないか?

 

しかしながら、中国の場合には政府が本気を出して自国民気質を疑い、建前やスローガンではなく実質的に正しい方向に導く、或いはその考え方に沿わない国民を排除し強制的に矯正する努力を惜しまなければ可能かも知れない。

中国は良いにつけ悪いにつけ社会主義独裁国家であるので、その気になれば可能であろう。

 

贈収賄が心配ならばその額に拠らず厳罰を処すとか、一切の社会的財産的権利を剥奪し公共サービスを死ぬまで強制するとかすれば・・・・・、でも博打好きだから「検挙されるか?見つからずに甘い汁を吸うか?」「人生一か八か?」それでもやる奴がいるだろうなあ。

 

とにかく自国の安全品質の向上には自国民を疑う猜疑心と外部の批判を素直に受け止める心の広さがもっとも重要であろうかと思う。

 

雨村 幹

中国とメキシコの共通点

 

 今回は、筆者が昨年まで仕事で携わってきた中国とここメキシコの共通点はないか?考えてみようと思う。

 

 先ず気になったのは道路での運転マナーである。中国のモータリゼーションというのは極最近の話で、路上の殆どのドライバーは運転暦10年未満である事に疑いの余地は無い。

 自動車の歴史、運転の歴史が短い場合、往々にして運転者は夜郎自大となり「そこのけそこのけ自動車様が通る」という事になりかねない。

 

これはシンガポールでも言えた事で、筆者が彼の地に赴任当初或いはその前である90年代前半頃までのシンガポールの運転マナーは決してお世辞にも良いとは言えず、当初は結構びくびくしながら運転していたものである。

 

 ところが2000年も過ぎる頃になると車社会が成熟してきた所為か、全体的にマナーも良くなり、特に大型のバスやトラックでさえ道を譲る光景を見かけるようになった。

 ジャカルタやバンコク、マニラの様に交差点に突っ込んできて全方向がニッチモサッチモ行かなくなっている光景などは決して見られない。

 勿論シンガポールの法規や警察は厳しいので、不良なドライバーが路上から排除された結果とも言えよう。

 

 さて中国の上海や厦門辺りでは後進国の常として車が我が物顔で突っ込んで来るは、2重駐車や割り込み複数の車線を横切って突然角を曲がるなどは日常茶飯事で左右を全く見ないで大通りに飛び出してくる車も多く、全く気が抜けない。特に右側通行で右折の場合には信号が赤でも曲がってよいので、減速をしないで突っ込んでくる車には歩行者は要注意である。

 

 これ等の点でメキシコ市の運転マナーは殆ど同じか、バスの運転マナーではその上を行く程の酷さである。

 ところが驚いた事にこの地の車社会の歴史は古く1960年代には隣の米国の影響でモータリゼーションの波は既に到着しており、少なくとも日本と同じ程度の歴史があるのである。

 

これは如何にした事か?

 確かにヨーロッパでもパリやイタリア等ラテンの地の運転マナーは決して良くは無いが、そこは自動車先進国、F1宜しくお互いの運転技量と常識の範囲内で結構クランチーな運転で、全体としての調和と言っては言いすぎだがある程度のまとまりがあるように思う。

 ところが中国やメキシコではどうも道路は無法地帯化しているように思う。

 

 車社会の歴史が長いにも関わらず相変わらずマナーが悪いのは、本質的に人間がダメなのか?社会の仕組みに欠陥があるとしか思えないが一つだけこれが原因と思える事がある。

アメリカにはメキシコから多くの出稼ぎ或いは移民が働いているので、普通メキシコを出稼ぎや移民の供給国と考え勝ちであるが、実はその他中南米諸国からの移民受け入れ国でもあるのだ。事実筆者が移民局へ労働ビザ(FM3という)を受け取りに行った時にも、かなり多く中南米諸国からと思しき人達が「移民」窓口に並んでいた。

 

とすると、この国ではかなりの人口が入れ替わっているのではないか?元々メキシコに居た優秀な人材はアメリカに移住し、メキシコ以上に困窮している中南米諸国から中流の下以下の層がメキシコに移り住んでいるのではないか?

多分これが無法化の大きな要因ではないだろうか?元々中南米諸国の多くは1960年前後にアフリカ諸国と共に独立をした国が多いと思われるが、アフリカ諸国同様、早すぎた独立であったのであろう。

 

 もう一つの共通点はプライドの高さとはためく国旗を見る機会の多さである。これは米国も同様であるが、その違いはなんと言ってもその国旗のサイズであろう。中国でははためく国旗はまあ普通サイズだが、壁に貼り付けてあったり下げてある国旗あるいは国旗の絵には結構大きなものがある。

 メキシコでも市中心のCampo Marteや郊外で見かける旗は25mプールぐらいはありそうな程巨大で、別に傍で聞き耳をたてた訳ではないが、そのはためく様は「バッサバッサ!」を通り越して昔の大型帆船の帆のようである。

 

 どちらの国民もプライドが高く、自国の国旗を掲げる事が好きな様にも見えるが、どちらの国も米国とは反対に国外への移民が多いという点でも共通する。とすると?どうも両国ともそのプライドの在り様や国に対する忠誠心といって良いのか?国家と国民の間の関係というか?かなり屈折しているようにも思われる。

 

 また、両国とも先行するその高いプライドに実態がついていかず、残念ながら根拠が乏しい空プライドである点も共通する。

 もっとハッキリした言い方をすると、現在は未だ発展途上国なのにプライドだけは一等先進国並み、というか先進国では過剰なプライドを前面に出し過ぎると田舎者扱いを受ける事が多い。

まあどちらにしても過剰な愛国心は発展途上の証で、鬱陶しい事この上ない。

 

 殊更に胸を張ってみせるのは自分がやましい事をしている時か、本当は自分に自信が無い時であるのは、最近のチベット情勢を巡る中国の態度や一部の中南米諸国、一部中東諸国を見ればよく判る。

 

 最後にこれが一番筆者の嫌う部分であるが、権力を握ったらその力を利用して利益を得ない者は馬鹿であると公言して憚らない様な感覚である。

 権力に溺れ易いというべきか?権力を得たら襟を正さねばならないという様な真面目な話は聞いたことが無い。

 

 勿論現実にはクリーンであり続ける事は難しいが、建前或いは努力目標があってしかるべきではないか?中国も汚職の話題には事欠かない国だが最近、粛清に近いくらいの厳罰を課しているケースが目立つ。

 ただ残念な事に中南米同様、政権が変わった後に、前政権に近い筋の検挙が多く見えるのは両方とも汚職摘発を政治の道具に貶めているからだろうか?

 

 両国の良い点で似ている処を探そうとしたのだが、どうしても見つからなかった。

違う点で夫々良いところはあるのだが・・・。例えば中国は食事が美味しいとか?メキシコは楽天的で人懐っこいとか?アート好きだとか?

 

雨村 幹

Surf & Turf

 

先週は当地のセマナサンタの休日で、又初めての低地休暇の時期でもあった為、家族で久しぶりの湿度と濃い空気を求めて西海岸のIxtapaという新興リゾート地に行ってきた。

 

ここで「低地休暇」をご存じない向きに簡単に説明をすると、メキシコ市は標高2300mに位置し水も92℃で沸騰してしまう事は前にもご説明した通りだが、人間も常に高山病に近い状況に置かれる為、赤血球の増加などである程度の順応は出来るにせよ、根本的には怪我や病気の回復の遅れや子供の場合には成長の遅れなどの影響が見られる等肉体的なストレスが高いので定期的に低地で休暇を取ってこれ等のストレスを軽減しようという目的の休暇である。

 

医学的には3ヶ月に数日程度の低地休暇では肉体に掛かる負担は完全に払拭する事は出来ないのだが、少なくとも治安が悪く、以前に比べれば格段に良くなったとは言え未だ残る大気汚染と恒常的な交通渋滞から来る肉体的、精神的なストレスを解消する意味では充分に機能していると思われる。

会社によっては低地に加えて当地では入手が難しい日本食材の買出しを含めてロスアンジェルス辺りで休暇を取る事を認めている例もかなりあるらしい。

 

今回宿泊したホテルは全室オーシャンビューの4つ星ホテルといえば聞こえが好いが、内装豪華でサービスの行き届いたアジアンリゾートを想像してもらっては困る。

ここでも「やらずぶったくり」のメキシコ精神は健在で、部屋の内装はコンクリート吹付に白い塗料を吹き付けた安普請で従業員はフレンドリーとホスピタリティーを混同した対応、米国人観光客が多いせいか食事もイマイチ、お手本はクラブメッドという、これでバルコニーからの景色とプライベートビーチが無ければ帰りたくなるような状況であった。

 

概してメキシコに「はまる」人達は英語よりもスペイン語!という前提、又は是はあくまでも筆者の偏見だが、他の地を知らずにメキシコだけを見て「好い」と感じる「初恋一生型」の方が多いのか?或いはバリを初めとするアジアンリゾートの高級ホテルやビラを経験した事が無いので比較が出来ない人が多いに違い無い。

一度コストパーフォーマンスの良いアジアの、とろける様なリラックス感と豊かな文化の濃密な経験や、完成度が高く洗練された民芸品を見てしまうと残念ながら決定的な質の差を感じてしまう。

 

勿論メキシコにも「アシェンダ」と言う昔の荘園領主の館を改造した優雅ですばらしいホテルがあり、筆者も是非試してみたいと思っているが、結構値が張る事も事実だ。

 

とにかく是ではホテルの敷地内だけでゆったりと過ごしても仕方ないので毎日午前中には家族と共にタクシーで近くの厩舎に出かけて3時間程海岸や椰子のプランテーション、ジャングル内の乗馬を楽しみ、午後には部屋でぼーっとした後に4時近くの陽も傾きかけた頃ビーチやプールで少し泳ぐという、怠惰で優雅な数日を過ごしてストレスを解消してきた。

 

毎夜の美味しい食事を探すのが結構大変で、適当に選ぶと大抵は大外れ!の大して代わり映えのしないメキシコ料理か米国人好みでお決まりの「Surf & Turf」(ロブスターやエビ等のシーフードとステーキの組み合わせの一皿)になってしまい、水泳と乗馬という昼間の生活と同じで面白みが無い。

 

漸く海岸縁で見つけたイタリアレストランはエビの火の通り具合と味付けが絶妙で、考える事は皆似ている所為か?隣に居合わせたプロの写真家だという米国人と目が合うと「驚いた!」と言う様に眉を上げて見せた。

 

メキシコは概して地方の方が絶対に良くて、久しぶりに何処で止めて乗っても安全なタクシーと夜9時すぎでも子供連れでそぞろ歩きが出来る治安の良さ。全く見かけなかった物乞いと金をせびる警官、余り悪くない道路の運転マナーとそれ程でもない排気ガス。そして階段を駆け上がっても息切れしない濃厚な酸素濃度と言う、常に緊張していなくても良い、普段は手に入らない環境を満喫しリラックス出来た。

 

数多い遺跡や世界遺産とこの低地休暇が無ければ、こんな処で仕事なんかやってられねーよ!と言いたくなる、ここ暫くであった。

 

雨村 幹

ジャカランダの花の咲く頃

 

メキシコ市市内の彼方此方でジャカランダが紫色の花を満開にさせている。

シンガポールではこの紫色のジャカランダと真っ赤な火炎木と黄色いイエローフレイムとが乾季の終わりに少しずつ時期をずらして咲き乱れ、「ああ!今年も漸く短い乾季が終わったなあ!」と思ったものであった。

 

当地メキシコ市では他の赤や黄色の花を見かける事は余り無くて、ソカロやデルバジェ或いは自宅のあるパルマス辺りにも紫色の花の咲く並木が彼方此方で見られる。

実はシンガポールで見られた多くの木々は殆どの場合、かつて英国人が中南米、アフリカ各地から移植したものであるので、オリジンはむしろ当地にあるのだが、往々にして植物はその原産地以外の場所で華を咲かせるものらしい。

 

例えばミカン、オレンジ、レモンなどアッサム、雲南、タイ南部近辺を原産地とするカンキツ類が最も多く栽培され世界的な供給地となっているのはかつて地中海諸国であったが、現在では米国、ブラジル、アルゼンチンという新大陸諸国である。

 

当地メキシコ近辺を原産とするものには、バニラやカカオの他唐辛子やジャガイモ、サツマイモ、トマト、トウモロコシなど非常に有用な作物が多いが、バニラはマダガスカルやインド、カカオは西部アフリカ、ジャガイモとトウモロコシはアメリカが一大産地となっており、原産地である当地の生産競争力は全くといって良いほど無い。

 

その他にも当時シンガポールで南洋桜と呼んでいたピンクテコマやブーゲンビリア、プルメリア、日立製作所の「このー木何の木、気になる木」で有名なレインツリーも、又キャノンボールツリー或いは「爆弾の木」と呼ばれる木々も原産地はメキシコ近辺や中南米である。ゴムの木もブラジル原産であったのがインド東南アジアで産業化して花開いた植物である。

 

これ等他地域の植物をヨーロッパ或いはその植民地に移植する為には、当時の移動手段である帆船に乗せて運び、栽培技術の研究が不可欠であった。

英国やオランダが本国と植民地の双方に広大な植物園を設置して、その様な研究や技術開発を行った名残が、現在でも残る英国のキューガーデン、シンガポールの植物園、インドネシアのボゴール植物園などである。

 

スペインは折角持ち帰った唐辛子やサツマイモはマニラ経由で中国、東南アジアに打棄り、ジャガイモもその後英国やドイツへ流れて救荒作物として人々を支えたが、スペイン本国では全く導入も利用もされなかった様だ。

やはり歴史的にこの国に出来る事は、作り上げる事ではなく奪う事だけの様である。

 

この様な状況を見ると何でも原産地に留まらず、海外に移動してこそ花開くという、海外駐在員の励みや目標とも言える植物たちではある。

自分の場合にも日本国内にいると碌な事は無くて、海外でこそ!と思っているのだが・・・、この国ではどんなに有用な植物もダメになって枯れそうな気がするので余り自信がない。

 

何であれ、外から有用なものを導入して現地化し発展させる能力のある国と、自国に有用な資源が有りながら有効に活用し切れない国の違いは大きいようである。

この点ではコピーやニセモノとは言え「外から有用な価値あるモノを導入して」「近い品質のものを安く作る事が出来る」能力があるだけ中国はエライのである。

 

さて乾季の終わりは花のシーズンであるので当然、その花の蜜を吸いにやって来るものがいる。日本であれば蜂や虫たちなのだろうが、当地では余りその様な昆虫を見かけない。その代わりハミングバードがやって来て空中でホバリングしながら蜜を吸っているのを見かけたので、ペットショップに出かけてハミングバード用の蜜つぼと中に入れる蜜を買ってきた。

 

真っ赤な色をしたイチゴ形の容器の下に黄色い花びらを模ったプラスティックの中心に穴が開いていて、そこにクチバシを突っ込んで蜜を吸うようになっている。

見かけは多少グロだがハミングバードは色に誘われて遠くからやって来るらしく、窓の外に吊っておいたら本当にやって来て蜜を吸い始めた。

 

家内などは喜んで、毎日やって来るのを心待ちにするようになり、今日は1羽だけだったとか、今日は何羽も入れ替わりでやって来たと報告をしてくれる。

ストレスの多い当地での生活に、小さな気持ちの潤いを与えてくれる鳥であるが、もう暫くすると本当に雨季がやって来て、毎日夕方にスコールが降るようになり、乾燥した当地にも少しではあるがお湿りと、景色の中にも緑の木々が増える時期がやってくる。

 

どうも筆者は湿潤で緑に溢れたシンガポールでの生活が長かった所為か、お湿りと緑がないと元気が出ない性質らしい。

 

雨村 幹

恐るべきメキシコの実態

 

メキシコに来て少しずつ色々な情報が入り始め、その情報に驚愕する日々が続いている。

今回驚いたのは、この国がモノ作りに余り縁が無いという事である。

 

 当地のJETROの河嶋所長に伺った話だが、メキシコのGDPの僅か4.7%が農業生産、17.8%が製造業、何と66%以上がサービス業だそうである。

あのアメリカやフランスでさえ農業、製造業が占める割合は大変な水準であるが、この国には本当の付加価値を創出するエンジンが欠けていたのである。

 

 シンガポールも近年製造業からサービス業へとその軸足を大きく移しているが、かつて製造業の一大拠点として東南アジアをリードしサービス業の本質やインフラの重要性を知り尽くした上での転換であったように思う。少なくとも顧客の求めるモノを理解した上での政策転換だったと考えられる。

 

それに対してこのメキシコという国は産油国であるにも関わらず、インドネシアの様にガソリン等の石油製品は輸入に頼り、アメリカへの輸出価格よりも国内販売価格が3割高いと言う矛盾した状況を余儀なくされている。

 

それは兎にも角にも、先を読めない戦略性の無さのせいで狡猾な米石油メジャーに過去、してやられた結果であるので仕方ないのだが、今も例のバイオ燃料とやらのウソに踊らされて、唯一と云って良い農産品のトウモロコシの殆どを主要な中間業者であるユダヤ人が米国に売り渡し、貧しい自国民は米国から再輸入し関税をかけられたトウモロコシ粉で作ったトルティージャを食べていると言う矛盾を抱えている。

 

税制や国策に外資を優遇しようと云う姿勢が見られず、国民の教育水準向上にそれ程積極的でもなく、モノ作りを蔑み、口八丁で人をだまくらかして儲ける事を善しとする風潮があると見るのは、筆者のスガ目であろうか?

同じような傾向があり多くの問題を抱えながら、しかし今や世界の工場といわれる中国との違いは何なのであろうか?

 

日本語では北米自由貿易協定と言ったかと想うが「NAFTA」なんぞはウソばかりで米国にとっては有利なのかもしれないが、メキシコでは輸出用製造製品の部品類の関税は撤廃されたかもしれないが、大方の輸入消費財にはシッカリと関税がかけられている。

 

また不思議な事に、通常関税というものは自国の産業を守るために掛けられる事が多いのだが、この国では産業として成り立っていない分野、つまり不足している農産品や製造品に関わる関税も同様に高く、迷惑するのは消費者だけという状況にある。

 

自国の産業は一部特権階級による独占と寡占及び汚職と脱税によって思うようには徴税出来ず、大多数の内国企業及び民衆は課税出来るほど豊かでも無く、国境での関税が比較的誤魔化しが利きにくく、徴税し易いというだけの理由で、グータラ役人共への無駄な給与に消え行く疲弊した国家財政を賄う為に課税されているのが、現在のメキシコの関税だ。

 

まして消費者物価を抑える効果のある「中国製品」「Made in China」には反ダンピング税と称して最大1000%の関税が掛けられているのだ。

道理でプラスティック製品、繊維製品、日用品の価格が異状に高い訳である。

幾ら中国が対米貿易での強大な競争相手とは言え、もう少し冷静に状況を判断してもらいたいものである。

 

この様な輸入製品が笑顔と言える程の(裏があるとは言え例えばタイ人の様な)笑顔も無く、稚拙なレベルのサービスとトコトン遅い対応や言い訳に包まれて差し出され、それが他の国の価格よりも高い場合、あなたは平静を保っていられるだろうか?

私には出来ない!多分自分が神であったなら、中国よりも先に地図から消し去る国であると想う。少なくともこの国の大多数の政治家、官僚達が自分よりも優れているとは思えない!

 

大体に於いて旧スペイン植民地というものは、スペイン国内で重篤な犯罪を犯したキチガイ共を死刑にする代わりに死ぬより怖い海外探検旅行に労働者として強制的に参加させ、たどり着いた先でやりたい放題させた結果出来た子孫の末裔の国である。

 

ウソだと思うなら、それらの国々での犯罪発生率を他と比べてみればよく判る。

また「懺悔してしまえば何でも許される」という布教の為のご都合主義を引きずるカソリック信仰が犯罪を助長しているとも言える。

つまり確率DNA論的に全くどうしようも無い血筋の末裔なのであると言わざるを得ない。ここが旧監獄国家と揶揄されながらも、比較的インテリジェントな英国系政治犯の子孫を中心とした豪州との大きな違いなのかもしれない。

 

だから旧宗主国であるスペイン本国も「英連邦」に対する「西班牙連邦」などを真面目に考える気なんぞ毛頭無く、全く他人のフリ、関係ありません、私たちとは違うというスタンスを崩していないように想う。

先日旧スペイン植民地の国家元首が一同に集まる会議の席上で、スペイン国王がチャベス大統領を一喝して物議を醸したが、国王にしてみれば「かつてお払い箱にした厄介者の末裔が何を言っている」というものであろう。

 

それは現在でも完璧なスペイン系と思われる、この国のかつてスペイン王から統治権限や管理権限を委嘱されたであろう人達の末裔である一部上流階級達が、かつてのその部下や下僕、労働者達が現地人と交わった子孫である大多数のメキシコ人を蔑む様な目で見ている事からも想像出来る。

 

今、筆者は会社での現地スタッフ達の仕事振りの余りの酷さによるストレスのあまり暴論を吐いているのだが?反論は有るだろうか?有るなら掛かってきなさい!観光や留学で生産者としてでは無く、消費者としてこの地に住んでいる又は住んでいた人や単なるセンチメントな人には理解出来ないことが沢山あるのである。

 

筆者などはこの地で格闘しながら仕事をしている多くの人達の末席にも連なれない程の短い経験しかないが、この地の日系2世、3世の人達ですら自国の同胞であるメキシコ人を馬鹿にする様な物言いをする事が多いのだ。(彼らも日系メキシコ人なのだが)

人によってはだから儲けるチャンスが在るので「神様どうかメキシコ人に知恵を授けないで下さい!」等とうそぶく人に会ったこともある。

 

何れにしろ、この国の人達にとって幸せな状況であるとは思えないが、ラテン気質で暢気なこの国の人達に大きなお世話と云われれば仕方が無い。

筆者はかなり以前にタイやインドネシアの奥地に入り、高床式の掘建て小屋に住まう人達と共に過ごした事が何度もあるが、精神的にも物質的にも彼らの方が幸せそうに見えた。

少なくとも必要以上に進んだ商業化によって全てを金銭対価に置き換える事は無く、自給自足+α程度の生活レベルではあるけれど如何にもCozy(コージー)な感じがしたものだ。

 

以前より何度も云っているように思うが、このCOZYという感覚というか概念はとても大切な要素であり、その「Cozy」が其処にあるかどうかが生活の質や現地への同化に大きく関わっている様に思う。

 

雨村 幹


[ 海外の食文化 ]

ニューヨーク羨望

 

今日は出張で極寒のニューヨークに来ている。

 夜になると気温が氷点下6-7度まで下がっているようで、とても外に出る気がしないが食事に出かけると少し気持ちが浮き浮きしてきた。

 

 ニューヨークの何がいいと云って、メキシコと比べて日本食に限らず食事が美味しい事だけでなく、日本の食材や手頃な商品が多くある事ではないだろうか?(と云うと早くも味覚が堕落した様だが、あくまでも比較論である事をお忘れなく)

 それはこの街が世界で最も豊かな人々の集まりであるだけでなく、東京同様中流層の人口が厚い事を物語っている。

 

 友人に数十億の金融資産を持ち、その運用益だけで優雅に暮らす某国人がいるが、彼によると、年収30万ドルくらいまでが最も効率というか効果的というか無駄なく、コージーで美しく暮らせ、また社会全体の消費や景気の循環に貢献する金額ではないかと言う。

 この金額を超えると無駄な金を使うようになり、その支払いと価値のバランス、支払った金額の社会循環回転率が悪くなるのではないかと言うのだ。

 彼は英国流の教育を受けた人物である為、米国的な価値観ではまた違う意見も有ろうかと思うが・・・。

 

 勿論年収30万ドルを中流と言うつもりは毛頭無いが、極端な金持ちがいるからと云ってその場所で消費する訳ではなく、金があっても体も口も1つしか無いので自ずと消費出来る量は限られてくる。

 結局消費の質が上がる訳だが、値段と質は正比例と言うよりは対数的に比例する事が多いし、特殊な質の物は量が限られているので、価格にプレミアが付いてしまうのである。

 

 中流階層は普段は適切、或いは高い品質かつ適切な価格の商品、サービスを求めるが、時々は最高品質に近いものを経験したり求めたりする機会があり、其れによってその品質基準と経験を中間価格帯の製品、サービスの規準に反映させる習性がある。

 其処に高品質低価格を巡る競争が発生し、また俗化も始まるのであるが・・・。

 

 ニューヨークは過剰なプレミアの乗る街であると同時に、厚い中流層によって俗化と発展が繰り返されている街で、メキシコの様に過半数の下流貧困層によって繰り返される変わらぬ毎日と諦め、一部の上流層による資源と発展の浪費と流亡の街とは違っている様に見える。

 

 さて、マンハッタンからハドソン川を渡った側にかつてのヤオハン、現在はミツワというスーパーがあり、ニューヨーク、ニュージャージー在住の日本人のみならず近隣の州から数時間もかけて買い物に来る日本人駐在員の憧れのスーパーなので、片道2ドルの直通シャトルバスに乗り込んで出かけてみた。

 

 中に入ると其処は別天地で、日本のスーパーと何ら変わることの無い品揃えと、価格的にも日本の数割程高い価格から2倍以内と思われる価格帯で、加工食品だけでなく生鮮食料品も皆ピカピカ光って見え、正直言うと久しぶりに見た商品群に立ちすくんでしまっただけでなく思わず涙ぐみそうになった。

 客の殆どが韓国人と日本人と思われ、さすがに近年韓国人街と化したFort Leeに近いだけの事はある。

 

 ここでは家内から頼まれた紅茶(ティーバッグではなく缶入りのトワイニングの茶葉)子供の弁当用ふりかけ、味噌等を買って持って帰る事にした。(こんな物にも不自由する状況を哀れと想って頂きたい)

 

アメリカもそうだが、メキシコはもっと紅茶を飲まない国で、メキシコでは何処のスーパーに行ってもまともな紅茶を手に入れられない。

 又メキシコの日本食料品店の味噌は鮮度が悪く、色も八丁味噌に近づきつつある(古くなっている)だけでなく価格も米国の倍(日本の3-4倍)である。

 

 本当はもっと欲しい物は沢山あるのだが、カバンに余裕が無い事と、ナマモノはメキシコ入国時に没収される恐れがあるので、今回は諦めることにした。

 

 メキシコシティーは高地(2300m)に在る為、筆者の勤める会社では「低地休暇」なる制度があり3ヶ月に1度、大気汚染が少なく酸素濃度の高い低地に降りる事が出来るのであるが、本音を言えばそんなリゾートではなく、米国西海岸のロスアンジェルス辺りに「買出し休暇旅行」をさせてもらいたいものだ。

 

 インドのムンバイ在住の方に聞いたことがあるが、彼らはバンコクへの買出し休暇制度があるそうである。

 この近隣都市への日本食の「買出し」に関して、面白い話を聞いた事がある。

 

ムンバイ在住の日本人はバンコクに買出しに行き、冷凍の食材や調味料を大量に購入し、自宅の冷凍専用庫に保存して少しずつ消費する。

 

普通の駐在員でも冷蔵、冷凍庫は3台以上所有し、人を招待する機会の多い銀行の支店長ともなると5-6台を所有、且つ停電時のための発電機を備えているのが普通とか。

 

また、ムンバイ在住の日本人はバンコクで購入した現地の「生卵」で生卵かけご飯やスキヤキを楽しみにしているが、そのバンコク在住の日本人はシンガポールに行った際に購入した「生卵」で同様に生卵かけご飯やスキヤキを、シンガポール在住の日本人は日系スーパーで売っている日本から空輸した「生卵」を使う・・・という何とも悲しい生卵連鎖の話ではある。

 

とまあ、メキシコは日本食材に関して中国、東南アジア各首都はおろかサンパウロよりも不自由であるという、極めて悲しいと云うか、国際派を気取っていても最近年齢のせいか日本人である事を再認識させられる事が多い、食い物の恨みのお話でした。

 

雨村 幹

[ 環境、文化、歴史と行動様式 ]

メキシコの大きな誤解

 

 メキシコシティに家族と共に赴任し、漸く各種手続きや初期の生活の立上げが終わったところである。

 未だ船便の引越し荷物が到着していないので色々と不便ではあるが、何とか生活にも落ち着きが出てきて、仕事も全開とは行かないまでもソロリソロリと動き出した。

 

 当初、東南アジアの経済発展と筆者の勤める会社の東南アジアでの事業発展モデルを中国本土へ移植展開する事を目的として色々と仕事を進め、またこのブログも始めたのであるけれど、以外と早くに日系企業の進出ブームで加熱する中国から比較的日本企業が弱いラテンアメリカ市場へと転進する事になってしまった。

 

本音を言えば次はインド辺りに興味があったのだが、皮肉にもインドにも徐々に日本企業進出ブームの兆しが現れており、一番日本から遠く関心が薄いけれども市場規模は現在の中国に匹敵する地球の裏側に来る事になった。

 

当地での滞在日数や経験は全く浅いのであるが、メキシコに関して大きな誤解がその本国にも、駐在員を送り込む日系企業側にも双方ある事に気がついた。

先ずメキシコ人自身は自国が先進国の一角、悪くてもかつてNIESと云われた国々と同格に位置すると考えている節があると思われる事。

次に日本企業がメキシコはアメリカへの効果的な生産基地となり得るとの誤解と、コストが安いとの誤解である。

 

現在のメキシコは1人当たりGDP9000ドルを超えているらしいが、街を歩いて見た感じでは精々東南アジアのフィリピン、或いはインドネシア程度と言った印象である。

インフラの悪さや汚職の多さ、民度の低さ、又は「10年後には・・・!」と云われながら20年前も10年前も現在も同じ事が云われ続けている状況などが非常に似ている。

 

インフラ整備や企業誘致に適した法制が整っていない割には人件費を初めとするコストが前述の東南アジア遅進国(グループ内で発展成長が遅い国)に比べて格段に高い事もあって外資の誘致に成功しているとは思えないし、また国家そのものもプライドだけは高いのか?何でも自前でやりたがる傾向があるようにも思える。

 

メキシコは北米の南に位置し、中南米へのゲートウェイとして多くの期待を背負い、地政学的にも有利な場所に位置しながら、しかしいつも期待はずれに終始している。

今年の世界一の金持ちはビル・ゲイツを抜きメキシコのテレコミュニケーション企業を初めとするコングロマリッドのオーナーが獲得したが、人口の30%以上が一日US$1以下で暮らしているのも又この国である。

 

ハッキリ云おう!筆者はフィリピンとメキシコが嫌いである!自国を駄目にする政治家や一部特権階級が偉そうにしているのも、役人や警官の汚職は未だしも弱者である市民に偉そうにしてたかる体質も(申し訳なさそうに下手に出れば未だしも!)アメ公に擦り寄る処も、食い物がワンパターンで不味い事も、物価が高いのも、民芸品の完成度がタイやバリ島に比べて著しく低いくせに値段だけは高いのも、食事の時にコーラをがぶ飲みするのも、男女ともやたらダルマの様にデブなのもみんな皆嫌いである。

 

コラ!スペイン人!アメリカ人!責任とらんかい!

こいつらの性根を入れ替える為にもう一回大英帝国に占領させたらんかい!

 

 ブラジルのサンパウロから当地に転勤してきた日系企業幹部の日本人の方も「サンパウロの方が治安が悪くてもまだマシで許せる」と言わしめるのは何故か?

 タイやマレーシア、インドネシアの田舎の人々と付き合って来て、面倒な事もややこしい事も何事も思うように進まない事も経験してきた筈の筆者でもウンザリしてストレスが貯まるのはやはり食い物の恨みなのか?

 

 今後当地での生活に慣れると共に気持ちがどう変化してゆくのか?我ながら興味が湧いてきている。

 

雨村 幹

[ 海外の食文化 ]

 メキシコのブラウンビア 

 先ほどのブログでメキシコの「ネグロ何某」といい加減な名前で紹介したビールの正確な名前は「Negro Modelo」 http://www.suncomex.nl/modelo/index.html

と言います。

 スタウトビアのギネスの様な腹にズシッとくる重さも無く、日本のビールの様な軽薄さも無い、程よく味と深みのある良いビールです。

 是非、機会があればお試しください。

雨村 幹

 

 

[ 海外の食文化 ]

怪しきトウモロコシ料理

 

嬉しい事にメキシコシティーには結構タイ料理レストランがあったので、楽しい食生活が送れそうだ。

 

処でメキシコ料理の話であった。メキシコ料理好きには当たり前の話かも知れないが、南北アメリカ大陸を遠ざけていた?筆者にとっては自分で多少調理が出来るフランス、イタリア料理、日本料理、中華料理、タイ料理と違って、極たまに食べる程度だったので新鮮な印象が強い。

 

メキシコ料理は是まで昼食としてタコス等を食べたり、酒のつまみとしてチーズナッチョスやワカモレ、シーザーズサラダ程度で、それ程多くを食べた事がある訳ではない。

今回は以前から興味はあったがちょっと手が出なかったカカオソースの肉料理やサボテンの入ったアステカスープ等に挑戦してみた。

 

甘くないカカオ(チョコレートやココアの原料ですね!)で調理した肉料理は当初、見た目と香りにチョット抵抗があったが、食べてみればどうと言うことも無くフツーの味であった。

また辛いチリとサボテンの入ったスープに大量のクリームチーズと油で揚げた細切りタコスの様なものを入れて食べるアステカスープのボリューム感は、昼食であればこれだけでOKと言うくらいのものであった。

 

サボテンはスーパーでも棘をきれいに抜いた状態で無造作に売られており、結構普通の食材のようだ。アステカスープでは細かい賽の目に切って入れられており、口に入れると僅かなヌルヌル感があるのはアロエの様な感じだ。

 

メキシコ市は熱帯地域の標高2300mの高地で気候は「常夏!」と言いたい処だが、実際は「常秋」である。夏場(雨季)は最低気温14-5度、最高気温25度前後だが、冬場(乾季)はひとたび曇れば最高気温18度、最低気温7-8度と結構寒い、将に高山気候である。

家内などは乾燥した気候でのお肌対策に戦々恐々としている。

 

現地で意気投合した在住20数年の日本人の方に連れて行ってもらったサンタフェ郊外の山の中腹は既に2800mもの標高があり、森林の木々の緑も美しい処であるが、そこのレストランで食べたタコスの一つは見掛けも怪しいトウモロコシづくしの料理であった。

 

ご存知の通り、タコスの皮はトウモロコシの粉を薄く伸ばして焼いたものだが、その中に挟んであった具材は見た事もない真っ黒なものだった。

友人に聞いてみるとその具材の正体は「黒かびの生えたトウモロコシ」をそのまま煮込んだものらしく、チョット見にはイカ墨スパゲティの様な色をしており、甘くないデントコーンをイカ墨で煮た様な感じだ。

 

味は?と言うと不味くも無いが美味くもない、としか言いようの無い味で、何より外側も中身もトウモロコシという点と「炭水化物以外の栄養はないの?」と言うトホホ感が一杯の食べ物である。この友人も「まあ話の種に一度食べれば良いでしょう」との事であったが、どうしてトウモロコシを黒かびと共に煮るのかは知らないと言う。

 

日本の納豆もどうして腐った豆を食べるのか?何の効果があるのかが解ったのはそれ程昔の事ではないので、もしかすると黒かびにビタミンか何かが含まれていて健康に良かったり、貧しい食事の栄養バランスに寄与しているのかも知れない。

 

味気ないので、緑色のチリソースをたっぷりかけてネグロ何とかというブラウンビールと共に食べた。メキシコはビールの種類が多く手ごろな値段なので大いに助かる。

個人的には世界的に有名なコロナなどよりも、僅かにハーブの香りがする「ボヘミア」やこの「ネグロ何某」(すいません良く覚えていなくて)と言うブラウンビールが好みだ。

 

緑色のチリソースは日本でもシンガポールでも家内が良く作って、コーンチップか何かに乗せて食べていた。

我が家の作り方は至って手抜きで、インド製のビン入りグリーンチリソースにみじん切りのタマネギ、トマト(少し硬めのもの)に彩りとして大き目のレッドチリ(余り辛くなく、香りが良い)も少しみじん切りで加えただけ、と言うもので、グリーンチリソースはシンガポールのリトルインディアにあるムスタファセンターというインド系百貨店で1S$3程度で入手したものだ。

 

当時メキシコ何ぞには興味も無く、まさか自分がその国に来る事になるとは思いもよらなかったが、今から思えばグリーンチリのサルサソースやアボカド、クリームチーズを使ったサラダ等良く食べていた様な気がする。

 

しかし一度日本のスウィートコーンやタイの山間部で食べられるモチ種のトウモロコシを食べてしまうと、味も素っ気も無いデントコーンの粉を主食とするメキシコ料理のトウモロコシを積極的に食べようとはしなくなる。

デントコーンなどは家畜の飼料用だ!同じ具を巻くならベトナム春巻きの様にライスペーパーがいい!とは云わないが、やはりタコスの皮(?)の匂いと言うか石灰臭さが気になるのと、味付けの単調さや野菜、ハーブの使い方に工夫が欲しい。

 

いっその事、自分風というかタイ、ベトナム風にアレンジしたタコスを作って皆に食べさせてみようかと思う。

只、多分魚醤の匂いには抵抗があると思うので、普通の醤油とメキシコライムとチリを中心にしたソースを考えねばならない。

 

雨村 幹

[ 環境、文化、歴史と行動様式 ]

スペイン人の遺産

 

 メキシコシティーとニューヨークへの出張から帰ってきた。

メキシコは初めて訪れた国だが、その東南アジアとの近似性に笑ってしまった。

 

 先ず空港が街中にあり、周りがゴチャゴチャしている点では昔のバンコクドムアン空港やマニラのニノイアキノ空港に似ている。

 道路の整備補修が遅れていて、ハイウェイらしき道路さえ、あちこちに穴が開いていたりガタガタしている点はマニラに似ている。

 

 道路に沿った景色や歩いている人の顔もマニラに似ている。

 車の運転マナーはどう考えても最悪で、バンコクとマニラと上海を足して2で割った(決して3では割れない)状況下にマレーシアに時々見掛ける暴走族まがいのお兄ちゃんを放り込んだ様な感じだ。

 

 マニラによく似ているのはもっともな話で、どちらもスペインの植民地であった経験があり、またどちらにも黄色人種と白人との混血が多い。

 旧宗主国としてのスペインは世界史上最悪の宗主国で、英国の様に教育、法律、社会制度、プランテーション、交通網及びそれらを動かす人材を現地に残した訳でもなく、インドネシアにおけるオランダの様にプランテーションと従順な人々と共通言語を残した訳でもなく、ただただ現地の資源を奪い犯し、スペイン語とカソリック信仰と混血児の他には何も残さずに去っていった。

 

 またメキシコとフィリピンに共通するのは、貧富の差が大きく政府高官を含めた上流階級による国富の収奪と汚職官吏の多さであろう。今年現在、世界1の資産家だったビルゲイツを抜いたのはメキシコ人実業家であるが、人口の50%近くが11ドル以下で暮らすのもメキシコである。社会インフラが駄目な点も共通する。

 

フィリピンでは約20数家族とそれに連なる縁戚者や関係者が国富の70%以上を押さえているとも言われ、その端っこに繋がるファミリーの結婚式に出席した事があるが、新婦は「動く銀座の宝石店」のような状態であったのを覚えている。

 両国の過去の政府高官やそれに連なる政商達の国外資産を没収して、現在のインフラ整備に回せば両国の経済発展と社会の安定は確実であろう。

 

 中国人の様に貧しさをバネにして努力をし、着実に中流階級へと歩みを進めるにはどちらもスペイン人が残したラテンの血が邪魔をして、「アスタマニャーナ」になってしまう点も共通する。

 またその後の米国の存在が、これ等の国を辛うじて社会主義に向かう誘惑から引き止めたと思われる点でも共通するように思う。かつてスペインの植民地であったキューバを含む中南米の各国は貧富の差が非常に大きく、常に社会主義革命の危機に直面していると云って良いだろう。

 

 もう一つ、読者の方には多分想像がつかないであろうと思うが、ひと度人の上に立つと豹変し皇帝になりたがる気質においても両国は似ている様だ。

この気質は中国人にも言える事であるが、中国人はより積極的で、中国人が3人寄ると喧嘩と政治抗争が始まり、誰かがお山の大将になるまで止める事はない。

 

両国民は中国人程、抗争好きでも政治的でも無いが、普段ニコニコと人が良さそうな割には権力を掴むと下を押さえつけ収奪する事にかけては天才的である。

友人としてお付き合いするには良いが上司として仕えるのは敵が横暴なだけに、出来るだけ遠慮したいものだ。

勿論全てがそうだと言う訳ではなく例外もあり、事実その例外をよく知っている。

 

この様な気質は、かつてのスペイン人が国内ではスペイン皇帝にヘイコラしていたにも関わらず、植民地総督として統治する側に廻ると、とんでもなく横暴になった事を見ていた下々が「何時かは自分も・・・」と憧れ、真似をしているものと見える。

 

一体、「かつて絶対的な皇帝や王またはその代理人に統治、収奪され酷い目に遭っていながら、現代ではその様な皇帝も王をも持たず、憧れのみが残っている国民に限って」直ぐに「帝国」を作り「皇帝」になりたがるものである。

現在でも本物の国王や天皇を戴く英国人、タイ人や日本人は王や天皇がそれ程楽ではない事もその義務も判っているから、敢えてその様な皇帝になどなりたいとは決して思わず、その違いを静かに受け入れている様にも見える。

 

初めはセカセカしていたり、せこい真似や競争をしている割には最後には達観している様な後者と、初めはのんびりしてラテン気質丸出しの様に見えるにも関わらず、権力を握るとセコセコと帝国を造り始めたり、まめに悪事に手を出す前者との違いはかなり大きいのではないか?

 

処で話は変わるが、メキシコではユダヤ人がかなり多い事に驚いた。

土曜日にはシナゴーグからの帰りなのか?Polanco地区で多くの真っ黒な服と帽子の家族連れに出会った。

当地の不動産オーナーにはユダヤ人が多いそうである。

 

彼らの多くは第2次大戦前後に欧州でのナチス勢力拡大を逃れて新大陸に流れてきた人達の子孫だそうで、当地で即意気投合して友人になった在住20数年と言う日本人の方の奥様も父上はユダヤ系ハンガリー人で母上はドイツ人であった為、当時許されぬ愛を全うする為に新大陸のメキシコに逃れ、そこで結婚されたのだそうである。

 

メキシコの食の話は、又次回に。

 

雨村 幹

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