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「日本から飛行機を使わずにケープタウンまで行ってみよう」それが当初の旅の目的だった・・・3年4ヶ月世界一周半。累積訪問国110ヶ国以上。アジア、中東、アフリカ、中南米、中央アジア、ロシア。「辺境」を好んで旅した著者による記録。是非ご登録下さい。【相互紹介歓迎】

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2009/11/16

SHIZA旅(ブータン8)

SHIZA旅(ブータン8)
2009.11.15 14:36作成:日本
2009.11.15 22:57貼付:日本
2009.11.16 02:00配信予定(日本時間):時差0時間
まぐまぐ:311部 melma!:467部
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【このメールマガジンについて】
これは、2003年4月から2006年8月まで旅をした経験などを元に
旅の思い出などを中心に語るメールマガジンです。

現在は、日本で再就職をしていますので、
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(まぐまぐ)
http://archive.mag2.com/0000206271/index.html

内容は同じです。
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【目次】
1.西岡チョルテン
2.コロンボ計画
3.ダショー
4.マニ車
5.編集後記
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【1.西岡チョルテン】

太陽が容赦なく照り付けてくる。

標高が高く大気が薄い場所に特有の光だ。
その光は、肌を焼き、今は体全体が熱を帯びている。

昨日までの雨天とは打って変わって今日は素晴らしい青空だ。
しかし、太陽の光は容赦なく照り付けてくるのは避けられない。

強烈な紫外線のためか、体がやけに気だるく感じられる。

車を降りると風が強く感じられた。
周囲にある、旗がバタバタと揺れている。

ここは、「西岡チョルテン」だ。

チョルテンというのは仏塔のようなもので、
この場合、日本人の西岡氏を記念する仏塔ということになる。

ブータンの首都ティンプーから、パロ空港への手前を西へ折れ、
小高い丘の上に「西岡チョルテン」位置している。
前夜からの睡眠不足のためか、山道では車酔いの症状が出た。

西岡京治氏は、1964-1992にブータンに滞在して、
ブータンの農業振興のために活動をしていた。

ちなみに、ブータンに最初に赴任したのは
「コロンボ計画」の農業指導者としてである。

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【2.コロンボ計画】

「コロンボ計画(コロンボ・プラン)」というのは、

1950年1月に、スリランカのコロンボで開催された
英連邦外相会議で提案された経済協力機構であり、

発展途上国に対する経済援助、技術援助を目的としている。

余談だが、コロンボはスリランカの旧首都。
現在の首都は「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」という。

長い名前の首都として有名だ。

しかしこの首都は、コロンボの15キロほど郊外に位置しており、
また、国会議事堂などの一部機関を除く大半の首都機能は
コロンボにあるため、「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」は
名目上の首都という形になってしまっているだろうか。

この話題で連想するのは、パキスタン。
首都はイスラマバードだが、
近郊のラワルピンディーは元首都である。

イスラマバードよりもラワルピンディーの方が、
都市としての歴史は古く、規模も大きい。

ただし、パキスタンの場合は、
首都機能は殆どイスラマバードにあるので
スリランカとの違いはある。

ちなみに、一般的な旅行者は、イスラマバードよりも、
ラワルピンディ(ピンディ)に宿泊することが多いだろう。

見所も安宿もピンディの方が多い。
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【3.ダショー】

話が横道にそれてしまったが、
1950年の英連邦外相会議の後、
日本では、1954年にコロンボ計画への加盟を閣議決定する。

これが、日本の政府開発援助の開始ということになっている。

西岡氏は、国際協力機構(JICA)から
農業技術の専門家としてブータンに派遣されたのが1964年であり、
ブータン滞在は28年間に及ぶ。

ブータンの人の立場にたった西岡氏の活動は、
高い評価を受けていて、ブータン側の要望もあり、
滞在期間は長期に渡った訳だ。

西岡氏が亡くなったのは1992年で、
それはブータン滞在中のことだった。

ブータンについて調査する日本人にとっては、
西岡氏の影響は極めて大きく、
私が使用した旅行案内書にも影響は見られる。

さて、西岡チョルテンにはこんな石碑が置かれている。

「ダショー K.NISHIOKA
28年間(1964-1992)のブータンでの
ブータン王国の人々への献身的な活動のために」
(石碑が割れているので一部文字推測)

ダショーというのは、貴族や政府高官などに送られる爵位である。

少なくとも西岡氏がダショーの称号を贈られた当時は、
外国人では唯一の例だったということだ。

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【4.マニ車】

「西岡チョルテン」の裏側には、マニ車が置かれていた。

何度も書いているが、マニ車というのは、
円筒形をしたチベット仏教などの宗教用具である。

この円筒をぐるぐると廻して使用するのだ。

マニ車を一回廻すと、
経文を一回唱えたのと同じ功徳が得られると言われている。

手に持てるぐらいの小型のものから、
周囲が数メートルの大きなものまである。

「西岡チョルテン」のマニ車は、全周が4メートルはありそうな
比較的大きなものだった。

「西岡チョルテン」の周囲をブータン流に回りながら参拝する。
そして、マニ車の近くに寄り、それをぐるぐる廻した。

風がひゅうひゅうと音を立てている。
乾燥した風が吹きぬけると、後には焼け付くような太陽の光が残った。


クリックすると写真が表示されるはずです。
(飛べない場合はコピペして下さい)

パロへと向かう道
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/bhutan48.jpg

西岡チョルテン
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/bhutan49.jpg

マニ車
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/bhutan50.jpg

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【5.編集後記】

最近も、仕事が忙しくなっていて、密度の濃い毎日を過ごしている。
これがいつか実を結ぶこともあるのか、
あるいは、事業中断で消えてしまうことになるのか。

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もしよかったら推薦してください。「読者さんの本棚」(まぐまぐ)
(melma!と「まぐまぐ」ではIDが異なりますのでご注意ください)

http://www.mag2.com/wmag/osusume/toukou.html
【「SHIZA旅」3年4ヶ月 世界一周ひとり旅】ID:0000206271 
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