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2009/04/05

SHIZA旅(日本と中国の間)

SHIZA旅(日本と中国の間)
2009.04.04 20:27作成:日本
2009.04.05 01:02貼付:日本
2009.04.05 02:00配信予定(日本時間):時差0時間
まぐまぐ:320部 melma!:433部
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【このメールマガジンについて】
これは、2003年4月から2006年8月まで旅をした経験などを元に
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(まぐまぐ)
http://archive.mag2.com/0000206271/index.html

内容は同じです。
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【目次】
1.風の匂い
2.二二八紀念館
3.陳儀
4.国民党と共産党
5.編集後記
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【1.風の匂い】

かすかに風は排気ガスの匂いを含んでいる。

それが暑い空気と入り混じって、「外国」の雰囲気を醸し出す。

日本とは違う土地。

そうだ。

まるで、東南アジアの都市で味わった風だ。

その風の匂いを嗅ぎながら私は「二二八和平公園」を歩いていた。


ここは、「二・二八事件」を記念し、1996年に改名された。
それ以前は「台北公園」(通称「新公園」)と呼ばれていたという。

この「二二八和平公園」内に、旧NHK台北支局がある。

NHK台北支局といっても、光復前(1945年前)の話だから、
当然、テレビ放送は始まっていない。

ラジオ放送が行なわれていたのだ。
この「旧NHK台北支局」が「二二八紀念館」になっている。

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【2.二二八紀念館】

日本語が聞こえてきた。

「もし、中国が台湾を併合したら、また同じことが起きる」

私はそのとき「二二八紀念館」を見学していた。
私の直ぐ近くに、日本人らしい人と、台湾人のガイドがいる。
その台湾人ガイドが話している声が聞こえてきたのだ。


「同じことがまた起きる」

「同じこと」というのはもちろん「二・二八事件」のことだ。
この事件は、「悲情城市」という台湾の映画の題材にもなっている。


日本の敗戦後、台湾に「国民党」政府関係者が渡ってくる。

しかし、国民党の腐敗などにより、
治安は悪化し、すさまじいインフレが発生する。
(「二二八紀念館」内に当時の新聞記事が展示されている)

台湾の国民は困窮し、
「ある事件」をきっかけにして抗議行動が発生するのだ。

ある事件というのは、
闇タバコを売っていた女性を当局が殴打した事件。

この出来事に抗議した人が国民党当局に撃たれて死亡。
ここから大規模な抗議行動に繋がっていく。

ちなみに、闇タバコを売っていたのは「迪化街」という場所で、
ここには、私も行ったが、昔ながらの台湾の街並みが残っており、
とても、興味深いところだった。

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【3.陳儀】

台湾行政長官兼警備総司令だったのが「陳儀」という人物である。

陳儀は日本に留学したこともあるようだ。
また、妻は日本人だったらしい。

当然、この人物に関しても「二二八紀念館」内に資料の展示がある。


陳儀は、台湾での抗議行動を抑えられず、
中国本土の国民党に援軍を要請し、蒋介石は援軍を派遣する。

援軍の派遣により、抗議行動は「鎮圧」された。
このとき、台湾では、多くの知識人が殺害されたとされる。

知識人が殺害されたのは、
共産党との関係を疑われたという面もあるだろう。

(国民党と共産党の関係を考えれば、
国民党が共産党の影響を恐れたというのは
根拠があることのように思われる)

一説によると、
「二・二八事件」で殺害されたのは2万8千人と言われている。
(こういう虐殺数は、正確には分らないことが多いので注意が必要)

余談だが、陳儀は、後に共産党への投降を画策。
それが発覚して、処刑されている。

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【4.国民党と共産党】

この「二・二八事件」は、中国の「国民党」政府が
軍隊を動員して台湾人を弾圧した訳だが、

その「国民党」は、中国本土での共産党との争いに敗れ、
台湾に逃れる。(名目上は「台北への遷都」)

それが1949年12月だ。

1949年というと、
10月1日に「中華人民共和国建国」が宣言されている。
宣言がなされた場所が北京の「天安門」だ。

中国本土では「共産党」。
台湾では「国民党」による支配が行なわれることになる。

余談だが、
1950年には、中国人民解放軍によりチベット侵攻が行なわれた。

現在進行形で行なわれているチベットでの「出来事」を考えれば
将来もしも中国共産党により台湾が併合されたとき、
同様の出来事が、台湾でも起こると推測するのは、
十分に根拠があることだろう。


もちろん「二・二八事件」は、国民党。
チベット「解放」は共産党という違いはある。

しかし、武力により反政府的行動を鎮圧する
という「統治手法」では共通項が見られる。


この「二二八紀念館」での強烈な印象の一つ。
それは、展示してあった写真に関するものだ。

その写真には蒋介石と、宋美齢が写っている。
(宋美齢は蒋介石婦人)

しかし、二人の顔は、ボールペンのようなもので塗りつぶされていた。

一時の感情。
あるいは、「怒り」でこのようなことをする人は居るだろう。

だが、それ以上に驚いたのは、
この写真がそのままここに展示されていることだった。

台湾での政権交代により、
「二二八紀念館」の展示内容も国民党寄りになったとされているが、
この写真は放置されていた。

それは一枚の写真に過ぎないけれど、
その裏側にどんな政治的意図が隠されているのか?

そんなことを考えながら私は「二二八紀念館」を後にしたのだ。

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【5.編集後記】

一週間、ほぼ毎日終電で帰宅。

職場では目を酷使する仕事をしており、
ドライアイのような症状になった。
目が痛くて痛くてたまらない。

あまりパソコンの画面を見ることができなくなっている。

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【「SHIZA旅」3年4ヶ月 世界一周ひとり旅】ID:0000206271 
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