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2008/06/17

箴言18章

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本来、聖書の一語一句は語られたものです。
読むのではなく、聖書の言葉に聞きましょう。
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箴言18章

 「主の名は堅固なやぐら。」(10)

 智恵と対立するものが対比的に語られています。一方は智恵のあることで、
他方は愚かな者に属することです。それらは似ていますが、異なるのです。

 人間の智恵は「善悪の知識」(創世記2:17)に起源があります。私たちは善と
悪、あるいは是と非とを対立させて物事を理解するようにできているのです。
似ているものを区別し、あるいは分類してまとめることが私たちの知性の本質
です。それに基づく作業の効率が良い人は一般に頭の良い人であると言われま
すし、そうでない人は頭が悪いなどと評価されてしまいます。ソロモンはそう
いった人間の認知の構造をよく把握していて、箴言を語っているように思うの
です。人間は確かに知性(科学)を発達させることによって自然の猛威に対抗し
てきました。それは事実なのです。その科学の最先端である医学はしかし、医
者の教科書であるハーパー生化学を調べても人間が医学的に正常である状態は
記述されていません。そこに詳しく描かれているのは病気のメカニズムに特化
したことなのです。つまり私たちは医学も含めて正常であることを理解してい
ないのです。現代科学全般に言えることですが、正常であるということがどう
いうことなのかということは議論から抜け落ちているようです。そしてそれは
正常であるということが専門の関心を持っていないことを意味しているのであ
って、つまり自ら構築した知識の中に閉じこもり、そこで全てが完了する城の
機能を作り上げているのです。私たちはその城の中に生きているのです。

 やぐらは砦です。その中に住むことができないのです。明確な機能が限定さ
れており、やぐらの周囲は荒野なのです。敵が私たちの隙を伺っているのであ
って、不自由の中に私たちは生きているのです。それがやぐらのモデルです。
私たちに用意されている安住の場所はイエス様が用意していてくださるもので
あって、現実の今の生活にあるのではありません。私たちに与えられているの
はやぐらであって、私たちが逃げ込む場所なのです。来るべき時に受け取るも
のの影であるに過ぎないのです。ですから、とりであるいはやぐらに確保され
ているものは全てではなく、完全でもありません。私たちはそこに気付くべき
でしょう。ヘブル語で避難場所をあらわすことばには、囲いと水、そして主ご
自身が読み込まれています。私たちが非難するために必要なものはそこに十分
なのです。ただ、私たちの欲望を基準に考える時、そこには不足があるという
ことになります。避難場所の中心的本質が主のご臨在であると聖書は教えてい
ます。そして私たちは主がともにいて下さることを知っています。ならば、そ
こは聖書が約束している神の砦であって、神さまの守りがあるのです。
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応答のメールを感謝します。どんな内容でもお報せください。
古池 哲三/koike@brainsnet.cc
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です。

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