2009/09/22
【モナカ先生の日本語教師日記(オーストラリア)】日本の生徒たちがやってきた!
みなさん、こんにちは。 モナカ寅次郎こと野中恒宏です。 今日もブリスベンからお届けします。 オーストラリア、クイーンズランド州は今週から休みに入りました。 1年間が4学期にわかれ、そのたびに2週間の休み(12月と1月にはほぼ2ヶ月の休み)があるので、 日本よりも休みが多く、仕事がメインか休みがメインかわからなくなってしまうほどです(笑)。 【1】夢実現! 先日、私の勤務校に日本から17人の中学生がやってきました。 これは私たちにとっても、日本の生徒のみなさんにとっても大きな経験でした。 当初彼ら彼女らは6月に来る予定だったのですが、「新型インフルエンザ」のため、 9月まで延期されたのでした。こちらの生徒たちは心待ちにしており、ようやくその願いがかなったわけです。 予定の時間に日本の生徒たちを乗せたバスがやってきました。 私たちは学校の正面で迎えました。 日本の生徒たちに笑顔で手をふる生徒たち。 そんなオーストラリアの生徒を見ながら、 「ああ、大きい!」 「かわいい!」 という声が日本の生徒たちの間から聞えてきました。 オーストラリアの生徒たちは小学生なのですが、大きく見えたようです。 会場につくと、日本の生徒たち一人ひとりに「バディ」が紹介されました。 「バディ」というのは学校滞在中に一人ひとりの面倒を見る友達という意味です。 文化の違うお互いの違いを超えて、生徒たちは 「コンニチワ」 「Hello, nice to meet you」 という言葉をかわし、握手をしていました。 やがて、昼食も終わり、交流のイベントへ移っていきました。 そのとき、ちょっとした「トラブル」がもちあがりました。 当初日本の生徒たちが予定していた1時間のパフォーマンスができないというのです。 10分くらいの歌と、ちょっとした学校紹介ならできるということでした。 旅行業者を介して打ち合わせしてきたので、そこらへんのことがうまくこちらに伝わってきていませんでした。 ここであわてふためき、怒り、動揺する選択肢もありましたが、 生徒たちにとっては、一生にそう何度もない国際交流のチャンスかもしれないと思い、 「問題」に焦点をあてるのではなく、「解決」に焦点を当てることにしました。 しかし、私の中ではあまりうまい解決策は思い浮かびませんでした。 そして、予定の時間になりました。 私は直前まで日本やこちらの先生方とどうしたらいいか話し合いました。 日本の生徒たちはなにやら緊張した面持ちで講堂に入り、ステージの前で横一列にすわりました。 日本の校長先生のあいさつ 副校長からの歓迎のあいさつ 合唱部による歓迎の歌 オーストラリア国歌 記念品の贈呈 式典は何事もないかのようにどんどんすすんでいきました。 そして、日本の生徒たちのパフォーマンス。 彼ら彼女らの合唱が講堂に響き渡りました。 そのうちの一曲は「旅立ちの歌」でした。 私はその美しい心のこもった歌声に一瞬言葉を失いました。 その声のハーモニーと振動は、まぎれもない日本の学校文化そのものでした。 その振動には、彼ら彼女らの日常生活、個性、練習の風景、ひたむきさ、緊張、不安など様々な要素が織り込まれていました。 以前、日本で教師をしていた私にとって、私の教え子が目の前で歌っているかのような錯覚を覚えるほどでした。 長くオーストラリアで生活していたので、こうした日本の生徒たちの「におい」をすっかり忘れていたのです。 当初、私たちオーストラリア側の教員たちは、ある不安がありました。 低学年の生徒たちが静かに彼らのパーフォーマンスを聴いてくれるかどうか心配だったのです。 しかし、そんな不安は彼ら彼女らの歌声の前にふっとんでしまいました。 彼らの歌声が終わると、会場には割れんばかりの拍手が巻き起こりました。 日本とオーストラリアの学校文化が一つになった瞬間でした。 私は目頭が熱くなりました。 私はパフォーマンスの前に感じていた不安やあせりもどこかに吹っ飛んでいるのがわかりました。 そして、私の身体と心は自然と臨機応変に動いていました。 結局、パフォーマンスが早く終わった分、お互いの文化について質問するコーナーを設けました。 オーストラリアの生徒たちは、日本の生徒がとても長い時間毎日学校にいることに驚きの表情を見せてくれたりしました。 そして、パフォーマンスの後に予定していたスポーツ交流の時間を予定より長くとることにしました。 結果的に、お互いに言葉の壁をこえて、身体と身体、心と心で十分に交流できる時間ができたのでよかったです。 そして、学校名物の大木の前で記念写真をとりました。 「となりのトトロ」に出てきた大木のように、樹齢何百年もあるかと思われる大木です。 日豪交流がこの大木のように深く根ざしてくれることを願わずにはいれませんでした。 お互いの思い出を胸に、日本の生徒たちはバスに乗り込み、オーストラリアの生徒たちはそれを見送りました。 翌日の朝、6年生の生徒が私のところにやってきました。 「センセイ、おれ、来年が待ちきれないよ。来年になったら、今年の7年生みたいに日本のバディができるもん」 私はその言葉に今回の国際交流が成功に終わったことを確信しました。 【2】おわりに 今後も積極的に日本からの生徒たちを受け入れていきたいと思っています。 また、読者のみなさんで、私たちの学校に遊びに来たい方がいらっしゃいましたら、 どうぞお知らせください。私のアシスタントをして生徒たちと交流してください。 それでは、また。 遠くオーストラリアの空より モナカ寅次郎 ---------------------------------------------------------------------- モナカ先生の日本語教師日記(オーストラリア) 著者のブログ:http://mrmonaka.spaces.live.com/ バックナンバー:http://blog.mag2.com/m/log/0000202942/ 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000202942.html ----------------------------------------------------------------------


