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人生の最終目標は至福意識(神)との融合にあると信じます。私がヨガ瞑想を通じてドタバタ修業する記録や精神世界の聖者の言動などを不定期で配信予定です。一人でも多くの人に真の幸福や愛を追求して欲しいと思っています。

  • 周期 不定期
  • 最新号 2008/07/30
  • 発行部数 59
  • マガジンID 0000202390
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2008/07/30

感動の物語 トルコ編

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最近はまたご無沙汰しています。

ヨガや瞑想はほどほどにして、貯徳問答講の貯徳ネットで紹介された感動の物語をシェアさせていただきます。なりゆいさんの紹介です。

以下

エルトゥールル号の遭難
http://www.makuya.or.jp/teatime/douwa/ertug/ertugP1.htm

私はこの話を恐らく6年ぐらい前に聴いたのだと思います。
私は、それまで、トルコという国が遠い国だと思っていました。
ただ、とても親日の国と聴いていましたが、どうしてかは、
知りませんでした。

でも、このお話を聴いて、納得しました。

その後、ワールドカップの決勝ラウンドの緒戦でトルコと日本が
対戦し、トルコが勝利しましたが、
「負けた相手がトルコならいいか」と
思っていました。

私の大事な、お話の一つです。

古き良き日本人の精神性を感じることのできるお話です。

  ・・・・・・
和歌山県の南端に「大島」という島があります。
この島には日本で一番古い石造りの灯台があるそうです。そして、その灯台は今もあるそうです。 
明治23年9月16日、和歌山を台風が襲いました。
午後9時頃、大島の沖合いで大きな爆発音がしました。
灯台守は、嫌な予感を感じました。
波は、海岸の岩場に打ち付けます。その時、台風で舵の効かなくなった木造軍艦が灯台に向けて押し流されてきたのです。
全長76メートルあったといわれる大型船です。
しかも、板切れが流されるように、風と波でどんどん近づいてきました。
やがて、船は海岸の岩場に打ち付けられて真っ二つに裂けました。
エンジンにも水が入り、大爆発を起こしたのです。
乗組員は海に放り出され波にさらわれました。
真っ暗で荒れ狂う海にどうすることもできなかったといいます。 

一人の水兵が岩に打ち付けられ傷だらけになりながらも岩場に打ち上げられました。 
かすかな意識の中で、灯台の明かりが見えました。 
「あそこにいけば助かる!」  急に力が湧いてきました。 
40メートルもある崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着きました。 
水兵は服はもぎ取られ、裸同然でした。
全身傷だらけで真っ黒に腫れあがっていました。
灯台守はその水兵を見つけましたが外国人で言葉が通じませんでした。
灯台守は「バンコク信号書」を見せて、この水兵がトルコ人であることがわかりました。 

そして船はトルコ海軍の軍艦であることもわかりました。
灯台守は応急手当をしましたが、他の水兵の救助のための村人を呼びに戻りました。
電灯もない真っ暗な夜道、人一人がやっと通れる道をひたすら走りました。 
村人たちと灯台に戻ってくると、10人ほどのトルコ人がいました。全員傷だらけです。 
この村は50軒くらいしかない貧しい村でした。
村人は総出で崖を降り救助をしました。
遠い国からやってきて、見知らぬ日本で死んでゆく水兵を見て、村の男たちは泣いたそうです。 
「一人でも多く救ってあげたい!」
「死ぬな、元気を出せ!」
そして助かった人は69名でした。
 
この船の名を「エルトゥールル号」といいました。 
救助された人は寺と小学校に収容されましたが、村には電気、水道、ガス、電話などありません。
井戸もなく、水は雨水を貯めて使っていました。
サツマイモとみかんを栽培していました。
これを串本でお米と交換して生活する貧しい村でした。
各家庭にニワトリを非常食として飼っていました。
このような村に69名の外国人が収容されたのです。
生まれて初めて見る外国人をどうしても助けたいと村人は思いました。
台風で漁ができず、食料はすぐに底をつきました。 
「もう食べさせてあげるものがない」「どうしよう」一人の婦人が言いました。 
「ニワトリが残っている!」
もうこれを食べてしまったら何もなくなる・・・
「大丈夫、お天とう様が見守ってくださる。 」

最後に残ったニワトリを料理して水兵たちに与えました。
こうして、トルコ人は一命を取り留めたのです。 

村人は遺体を引き上げ丁重に埋葬しました。
 
この遭難の報は和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇にまで言上されました。
明治天皇は直ちに医者、看護婦の派遣を指示し、さらに礼を尽くし生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せてトルコに送還なされました。 
日本全国から弔慰金が寄せられトルコの遭難者家族に届けられました。 
この話には後日談があります。その事件から100年近く経った1985年3月17日の出来事です。
イ・イ戦争でサダム・フセインが48時間後にイラン上空を飛ぶすべての飛行機を打ち落とす命令を下します。 
イランにいる日本企業の人たちやその家族はあわててテヘラン空港に向かいましたがすべて満席で乗れない。
日本政府の対応も遅くパニック状態になったのです。
 
その時、2機のトルコ航空機が到着し、日本人215名全員を乗せて成田に向けて飛び立ちました。
タイムリミット1時間15分前でした。なぜトルコ航空機が来てくれたのか?
日本政府もマスコミも知りませんでした。
前駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は「エルトゥールル号の事故に際し、日本人の献身的な救助活動を、今もトルコ人は忘れない。
そのご恩返しです。
私も小学生のときに歴史教科書で学びました。
トルコでは子供たちでさえエルトゥールル号の話を知っていますよ。 」 

以上です。 昔の日本人は上から下まで精神性が高くすばらしいですね。

こういう感動の物語が満ち溢れるような日本でいて欲しいですね。

感謝 合掌

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