週刊マガジン・ワンダーランド  RSSを登録する

小劇場演劇やダンス、パフォーマンスを取り上げるレビューマガジンです。内容はWEBサイトにも再掲しますが、マガジン版が先行するオリジナルを掲載します。

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2009/10/07

週刊マガジン・ワンダーランド(第160号後半)

(以下マガジン・ワンダーランド第160号後半)

=====================================================================
◇虚構の劇団『ハッシャ・バイ』
 娘の物語、母の物語
 都留由子

 お芝居の中には、人生のある時期に観ると、激しく心を揺さぶられ、強い印
象を残すものがある。鴻上尚史が主宰する若い劇団、「虚構の劇団」の『ハッ
シャ・バイ』は若いうちに観たかった作品であった。初演を観ていないことを、
本当に残念に思った。第三舞台による初演は23年前のことである。

 何もない、灰色の壁に囲まれた舞台に、白く輝くような布が下がっている。
そこは病室で、昏睡状態の母親に付き添う男性が、看護師と言葉を交わす。母
親が倒れる前にもっと話しておけばよかった。母親はいつも、自分の母のよう
にはなりたくないと言っていた。こんなに長く眠っていて、どんな夢を見てい
るのだろう。看護師は、意識がなくても音は聞こえていて、目覚めたときにそ
の記憶の残っている人もいる、と応える。

 銀河の中に立つさっきの男性が流れ星に願いをかける幻想的な場面の後、白
いカーテンが飛び、ベッドは下手すみに退く。何もない舞台。さっきの男性金
田は探偵で、ひとりの女性から奇妙な依頼を受ける。依頼してきたその女性は、
半年前から、まるで夢の中に別の世界がありそこに住んでいるかのように、毎
晩同じ世界の夢を見続けていた。ところが驚いたことに、自分の「夢」のはず
の、その世界が写った写真が古道具屋の店先に飾られていた。現実のその写真
には、いつも夢に出てくる女の人が写っていたという。自分の夢の世界は、現
実に存在するのだろうか? そこで、その写真について調査してほしいという
のである。

 調査を始めたふたりは、問題の写真が、すでに亡くなった森田という人のも
のであることを知り、森田の息子、幸男を探す。その過程で、担任した女子高
生と恋に落ち、その子を死なせてしまった元高校教師土屋、超能力を研究して
いる超心理学者成田らと出会う。成田によれば森田幸男はかつての超能力少年。
ふたりが会いに行くと、今は精神病院にいる森田幸男は女装して現われ、問題
の写真は、実際に写したものではなく、自分が超能力で念写したものだと言う。

 そして、話は依頼人の女性が見た夢と、調査を進める現実と、写真の世界と
が入り混じり、何が夢で何が現実か、区別がつかなくなっていく。依頼人が毎
日見ていた夢の世界、つまり写真の世界では、世界は終わりを迎えていて、そ
れを認めない怒り組とそれを悲しみカーニバルを開こうとする嘆き組がいる。
写真に写っていた女性はどちらにも属さず、その世界を脱出しようとしている。
金田と依頼人と成田は夢の世界に取り込まれ、依頼人の女性はいつの間にか精
神病院の看護師長になっている。

 ひとつずつの場面はとてもはっきりしているのに、場面と場面のつながりは
判然としない。それらしい説明はなされるが、では、このお芝居の筋をかいつ
まんで話せるかというと、そうではない。実際、お芝居を観て帰ってきた筆者
は、どんな場面があったかはとてもよく覚えているのに、その順番となると、
とたんに分からなくなってしまった。

 この作品ではストーリーを追うことはあまり意味がないのだろう。次々に起
こるできごとは、つじつまが合っているようで、実はどうなのかよくわからな
い。場面場面をとればとてもクリアなのに、そのつながりはというと、まるで
脈絡がない。クリアな場面の、わけのわからない連続そのものにこそ意味があ
り、それぞれの場面で提起されるイメージこそがこのお芝居なのだ。

 夢とも現実ともつかない、めまぐるしく入れ替わる舞台で、くりかえしくり
かえし示されるイメージ。それは、母、支配し立ちふさがる母、母を殺して母
から逃げ出す、母のいない国。なんでこんなに母にこだわるのかと思うほどの
母、母、母。そして夢、虚構、自殺する人々、世界の終わり。

 登場するのは、マザコンの夫を持つ妊婦、機能不全に陥った家庭、「あなた
のために」と子どもを支配する母親、「ママのために」期待に応えいい子でい
ようと努める子ども、無力な夫、そして母を捨て、母を刺し、母を殺して「母
のいない国」へ脱出しようとする子ども。超能力者にすがりつく人々。このよ
うに並べてみると、まるで心理学の教科書のようだ。

 心理学の教科書みたいなのはもっとある。問題の写真を念写し、金田や成田
が迷い込む夢の世界を作り上げたと思われる森田幸男は、終始、女装していて、
女性っぽい言葉を話す。性同一性障害かと思ってみていると、そのままの姿で
全く切れ目なく幸男の母親にもなる。本当の母親なのか、幸男が母親を演じて
いるのか、演じる意識もなく幸男が母親になってしまっているのか、観客に区
別はつかない。幸男が母親と一体化している、もしくはまだ母親から分離でき
ていないのは明らかである。

 さらに、生きづらさに悩む人へのアドバイスのように、母のいない国へ脱出
する唯一の方法は「深く深く絶望すること」、「絶望に悩むのではなく絶望に
生きることだけが、たったひとつの母のいない国へのトンネルだ」と語られた
りもするのである。

 あまりにも直裁に語られる心理学の教科書のような言葉は、はるか昔にその
時期を通り過ぎてすっかり鈍感になってしまっている筆者などは、ちょっと気
恥ずかしく鼻白むのであるが、もちろんそれは、筆者がすでにすれっからしだ
からで、育った家を巣立ち、おとなになろうと苦闘している若い人がこのよう
なお芝居を観たら、どのひとつの台詞も自分のことを言っていると感じられて、
きっと涙の流れるのをどうすることもできないだろう。若い頃に観ておきたか
ったと筆者が痛切に思った理由である。暖かく保護(言い換えれば支配)して
くれた母親を殺して、たったひとり世の中へ足を踏み出そうとする不安な時期
にこのお芝居を観ていたら、たしかに世界は絶望に満ちているかもしれないが、
それでも、大丈夫、絶望に沈むことでこそ生きていくことができるのだと励ま
されたに違いない。

 終幕近く、登場人物全てが舞台に立ち、客席をまっすぐに見つめていっせい
に台詞を言う場面では、若いころ、清水邦夫のお芝居を観て同じような場面で
訳もなく涙があふれたことを思い出した。「このお芝居を見て涙があふれた」
のではなく、「かつて涙があふれたことを思い出した」であるのが、筆者の年
齢を感じさせていささか残念ではあるが、それでもこの作品に流れる瑞々しさ
には、登場人物の感情を自分のこととして感じて演じているらしい若い役者た
ちの姿とともに、感じるものがあった。若い劇団にはふさわしい作品であった
と思う。

 虚構の劇団の役者たちは、みんな若く、よく訓練されていて、とてもお行儀
がいい。ステージ上に装置と呼べるようなものは何もないが、灰色の壁には様
々な映像が映し出され、壁に切られた七つの扉は、開くとその裏は黄色や赤の
鮮やかな色で塗られていて、扉の開閉を含めて、とても効果的でよく考えられ
たおもしろい舞台運びだった。第三舞台でも評判だったというダンスも、若い
役者たちの汗を流し涙を流す演技も、筆者には好感が持てた。

 それにしても、年齢的には、捨てられ殺される親の側に立つはずの鴻上尚史
が、このようなみずみずしい、リリカルな舞台を作るのには、驚かされた。い
ったいどんな秘密があるのだろうか?

 ひとつひとつはとてもクリアな場面が脈絡なく並ぶ。それは、眠っていると
きにわたしたちが見る夢そのものである。幕開けに出てきた、金田の母親のベ
ッドが、最後までずっと舞台下手に見えているのを考えると、このお芝居全体
が、金田の母親の夢であってもおかしくないと思える。もしそうなら、最初の
場面で、眠りつづける母親がどんな夢をみているのか探偵として探って、母の
夢を終わらせたい、というようなことを金田が言うのだが、それが実行された
のがこのお芝居ということになる。

 ところで、先ほどから「依頼人の女性」と繰り返すのを、まどろっこしいと
思われただろうか?そうなのだ。この依頼人の女性は、中心となる登場人物の
ひとりでありながら、名前では呼ばれない。主な登場人物のうち、探偵の金田、
超心理学者の成田、元高校教師の土屋、元超能力少年森田幸男、土屋の教え子
で恋人でもある女子高生エミは名前も職業もはっきりしている。名前を呼ばれ
ることもなく、職業もはっきりしないのは、依頼人の女性、写真の女性、そし
て森田の母である。

 終幕、夢の世界から戻ってきた金田は、依頼人の女性に、眠れないときのお
やすみなさいの挨拶である「ハッシャ・バイ」の言葉を残して去る。そしてひ
とりになった依頼人の前に、写真の女性が現われ、「わたしはもうひとりのあ
なた」だと言う。半年前、自分が母親になることを受け入れられなかった依頼
人の女性は、自分自身を手放そうとして海に入って行き、その日からあの夢を
見始めたのだという。つまり、依頼人の女性=写真の女性であり、拒否しては
いるが、=母親、ということになる。(ここで話を持ち出すとややこしくなる
ので深入りしないが、このお芝居全体が、このとき海に入った依頼人の女性が
見始めた夢だと考えることもできる)

 作者の鴻上尚史が意図したかどうかはわからないが、名前がない三人は、み
んな母親なのだ。
 母親には名前が必要ない。それまでは名前で呼ばれていても、母親になった
とたん、当然のように「○○ちゃんママ」「○○くんのおかあさん」になって
しまい、名前で呼ばれることはなくなってしまう。巣立とうとする子どもの側
から見れば、支配する母、立ちはだかり、取り込もうとする母、すがりつく母
であるが、母の側からすれば、名前を剥ぎ取られ、無力な夫は当てにできず、
やがて殺され、捨てられるのが母なのだ。母の側にだって悲しみはあるのだよ。
母を殺して「母のいない国」にようやく脱出して行った果てが、「『母のよう
にはなりたくなかった』母」だったりもするのだから。

 このお芝居の中でも、娘との関係に悩み、森田幸男の超能力にすがる、依頼
人の女性の母親のことがほんのちょっと触れられるが、いつかぜひ鴻上作品で、
母の側からのお芝居を観たいものだと思う。「ハッシャ・バイ」のような、リ
リカルな、心を揺さぶるお芝居を。
 (2009.8.12 観劇)

【筆者略歴】
 都留由子(つる・ゆうこ)
 大阪生まれ。大阪大学卒。4歳の頃の宝塚歌劇を皮切りにお芝居に親しむ。
出産後、なかなか観に行けなくなり、子どもを口実に子ども向けの舞台作品を
観て欲求不満を解消、今日に至る。お芝居を観る視点を獲得したくて劇評セミ
ナーに参加。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=81

【上演記録】
虚構の劇団 第三回公演「ハッシャ・バイ」
http://www.thirdstage.com/k/2009/04/15-095914.php
座・高円寺1(2009年8月7日-8月23日)
http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=12

作・演出:鴻上尚史
出演:大久保綾乃、小沢道成、小野川晶、杉浦一輝、高橋奈津季、三上陽永、
山!)雄介、渡辺芳博

チケット代金:前売・当日 4500円 (全席指定・税込)

企画製作:サードステージ
後援:杉並区/杉並区文化協会
提携:座・高円寺/NPO法人劇場創造ネットワーク

=====================================================================
◇虚構の劇団『ハッシャ・バイ』
 真摯だけれど何か物足りない 清志郎の歌を聴きながら
 直井玲子

 今年の5月2日からずっと、忌野清志郎の歌ばかりを聴いている。この日、
清志郎が亡くなったのだ。大人になって長い間その存在を忘れかけていたけれ
ど、清志郎は私の少女時代のアイドルだった。連日CDやDVD、もちろん
YouTubeを見続けていると、新たな発見がたくさんあってやめられなくなる。

 例えば「清志郎は鼻濁音の{が}の使い方が完璧である!」と気がついた。
甘いラブソングを歌う時にはとろけるように優しい鼻濁音の{が}を響かせ、
怒りをぶつける歌の中では時にわざと鼻濁音を使わずに力強く「(あんた)
が!」と叫んでいる。そんな些細なことをみつけては、私のアイドルは凄かっ
たんだわ~と惚れ直し、気がつけば朝だったりする。しかしさすがにこの歳で
徹夜なんかすると、てき面に次の日使い物にならない自分がいるわけで、でも
やめられないのよ~・・・。そんなトチ狂った精神状態で劇場に出かけて演劇
やバレエを観ても、つい清志郎と比べてしまって、おかしなことになっている。

 夏の終わりに座・高円寺で、鴻上尚史が主宰する虚構の劇団「ハッシャ・バ
イ」 を観た。鴻上さんがオーディションで選んで育てている若い役者達が、
第三舞台の代表作の再々演に挑戦したのだ。私は高校時代に一度だけ第三舞台
の公演を観た。当時、話題の舞台は片っ端から観なくちゃいけないと思い込ん
でいた演劇少女だったのに、今となってはあれが「ハッシャ・バイ」だったの
か違う作品だったのかすらわからなくなっているのがなさけない。とにかく客
席が今回と比べ物にならないほど盛り上がっていたということは覚えている。
第三舞台には熱狂的なファンがたくさんついていた。

 劇評セミナーの中で鴻上さんは「ハッシャ・バイ」の再演について「(虚構
の劇団の役者達が)育ってきたから、(この作品を)ぶつけたらもっと高いと
ころに着地できるかもしれない」と語った。私は虚構の劇団を観るのは今回が
初めてで、いずれの役者もお初にお目にかかる子達ばかりなので、旗揚げから
どれくらいの成長を遂げてきたのかはわからないが、その動きや台詞術から、
きちんと訓練がされていて、みんな真摯に舞台に取り組んでいることが伝わっ
てきた。

 しかし私は虚構の劇団の役者にこんなことを思ってしまった。「彼らは鴻上
尚史にハッシャ・バイをやらされている」と。特に踊りの場面でそれを強く感
じた。お世辞にもあまり魅力的とは思えない振り付けのダンスを、彼らはそつ
なくきっちり踊ってみせた。それには「はい、よく出来ました」という感想し
かもてない。もっと振り付けからはみだすくらいの、例えば若い無茶な情熱み
たいなモノを見せてくれたならば、こちらももう少し嬉しくなれたかもしれな
いし、もしも私の大好きな男優がマタニティ姿(初演はフレンチカンカンだっ
たそう)で登場してくれたなら、それはそれで大盛り上がりしちゃえるのかな、
まるで第三舞台の役者に熱狂していたあの時のお姉さんたちのように。しかし
今回は、踊りの場面になる度に「このシーンは果たして必要なのか?」という
疑問がわき、少々複雑な気持ちになった。昔は「第三舞台は踊りがあったから
良かった」という感想をもったダンス大好きな私なのに。

 私が「ハッシャ・バイ」で一番好きなのはスーパーサイコロジストが次々に
衣裳をかえて、ひとり裏を走り回ってたくさんの扉から登場する場面だ。ユー
モラスな勢いがあって、ちょっと笑った。初演でこの役を演じた筧利夫が稽古
場であそび倒してつくりあげていった場面だと聞いてなるほどと思った。虚構
の劇団のこの役の役者も稽古場で何度も試行錯誤を繰り返し、ついに自らふん
どしという飛び道具を持ち出す頑張りをみせたとのことで、なかなか生き生き
とした場面をつくりあげることに成功していたと思う。実はこの役者、ふんど
し姿になるのが好きなのだそうで、確かに彼はとても楽しそうだったし、あの
ふんどし姿がちゃんと客をも楽しませていたのだから、好きこそものの~とは
よく言ったものである。

 そういえば、忌野清志郎の追悼本の中でRCサクセションの仲井戸麗市が清
志郎のソングライティングについて語っていた。「あいつは本当に最初っから
オリジナル曲を作っていた」と。私は清志郎の歌はもちろん、清志郎のステー
ジングが大好きだった。そしてたとえ洋楽のカバーであっても、もしくは日本
の他の歌手の歌であっても、まるで清志郎の為につくられた楽曲かのように昇
華して歌い上げる姿に私は惚れこんでいる。しかし如何せん、どう贔屓目にみ
ても清志郎のドラマ出演時の演技はいただけなかった。清志郎はコンサートで
たまにギター漫談(もちろん清志郎作)なんぞをやっていたが、そこでは実に
見事な「語り」を聴かせてくれていた。なのに、なのに…。思うに、テレビド
ラマのあれは時間のない中で言わされていたセリフだったのだろう。

 役者が台本づくりの段階から芝居づくりに参加すれば作品がもっと面白くな
る、なんてことをここで言いたいわけではない。そんな単純なものではないし、
舞台製作には確固とした役割分担がある。作家がいて、演出家がいて、役者が
いて、他にもっとたくさんの人の手があって。それらの気の遠くなるような確
かな仕事の積み重ねが、客を満足させる舞台につながっていくのだけれど、私
達観客が直接目にする板の上の役者が、ただ教えられたことをきっちりこなす
だけの舞台は、観ていて何かが物足りないと思うようになってきた。もっとも
っと、「自分達が好きな演劇を、自分達の手でつくり、自分達の責任でやって
んだ!」、そんなパワーを、私は若い役者達から感じたかった。

 芝居が終わってロビーにでると、鴻上さんが家路に向かう客達を見送ってい
た。つい「出演されてましたっけ?」と声をかけたくなるほどに、髪がみだれ
て汗をかいて疲れきった表情で、何人かの客に声をかけられてもうなずくだけ
の鴻上さんだった。もしや上演中の舞台の裏で、誰よりも気を回し、駆け回っ
て仕事をされてたのですか?と勝手な想像をしてしまった。一方、若い役者達
は、みんな幸せそうな顔して、爽やかな笑顔で楽々と客を見送っていた。そり
ゃあ鴻上さんは主宰だし~とか、単なる歳の差でしょ~と言っちゃえばそうだ
し、また、舞台で見たことではないのでここに記すべきか迷ったけれど、やっ
ぱどこか、逆でなきゃいけないんじゃないかしらと思ったので、最後に書いて
みた。

【筆者略歴】
 直井玲子(なおい・れいこ)
 東京都三鷹市生まれ。都内の公立保育園勤務を経てイギリスに遊学。帰国後、
子どもミュージカルや演劇ワークショップ等の企画制作及びファシリテーター
をつとめる。現在、東京家政大学家政学部児童学科に勤務、保育者養成の仕事
をする。今秋から東京学芸大学大学院において演劇教育の研究をすすめる予定。 

【上演記録】(略)

=====================================================================
◇虚構の劇団『ハッシャ・バイ』
 始まりの場所へ-「ハッシャ・バイ」の海-
 金塚さくら

 海だ。あと一歩踏み出せば足元は溶けるように崩れ、そこは茫漠の海だ。
 赤いワンピースを着て、女は波打ちぎわすれすれに立っている。ほとんど怒っ
ているかのような厳しい無表情で、睨むほどに強く遠い水平線を見つめる。
「私は母のない国に行くのです」
 海底の地下トンネルを抜けて。怒りの声にも嘆きの声にも耳を貸すことなく、
絶望にだけ未来を託して。海に臨む最後の地平に、彼女は独り立つ。

 それは夜毎見る夢の光景なのだと依頼人は言う。探偵への、依頼の内容はそ
の海辺を探し出し、赤いワンピースの彼女を救うこと。恐ろしい顔をした人々
に取り囲まれ、「助けて、殺される!」と叫んだ彼女は、どこかに実在してい
るはずの人物だからだ。通りすがりの骨董店に飾られた一葉の写真に、その夢
の海辺が写し出されていたのだという。
 あの場所はどこなのか。彼女は誰なのか。
 探偵の男と依頼人の女は、手がかりをたどって謎を追っていくうちに、やが
て「夢」の世界へと迷い込んでゆく。

 現実と非現実が交錯し、互いに侵食しあうようなこの作品の中には、現代の
病理として何かひどく重大なことが描かれている。私たちを歪ませ、病んだ社
会をつくり出すその要因のひとつの正体が、鋭く暴かれ、整然と語られる。
 母と子という、この一筋縄ではいかない病。怒りと憎しみの攻撃的な応酬と
して単純に発露するわけではないその症状は、傷つけ合いではなく傷つき合い
であるからどうにも始末に負えないのだ。
 「寂しいママを抱きしめるのは誰?」と、依頼人の夢の中、ウサギの娘は淡
々と問う。それは疑問ではなく確認だ。彼女は答えを知っている。傷ついた母
親を抱きしめ慰めるのは、娘の自分でしかありえない。母親の価値観と自分の
価値観とはどこかで致命的に相違していて、お互いが望むとおりの振る舞いを
することは時としてひどく困難だ。それでも、母親が己の価値観を押し通そう
とするとき、それがどんなに理不尽であっても、本人はただひたすらに娘へ向
かう自分の善意と愛情を信じているのだと知る以上、娘としては頭ごなしに撥
ねつけるわけにはいかないのだ。
 あるいはもしかしたら、頭ごなしに撥ねつけて大声で罵り合いながら激しい
親子喧嘩でもしたほうが、健康的に解決まで至るのかもしれない。しかし相手
を慮ることに妙に長けた現代の子どもたちは、自分には自分の気持ちがあるよ
うに、相手にもまた相手なりの想いがあるのだと思いやってしまうのだ。
 その“ものわかりのよさ”が危険な病巣だ。現代の親子の多くは、支配的な
親と反抗的な子という対立の構図ではなく、献身的な親と従順な子の寄り掛か
り合いであり、互いに理解がありすぎて自分の意見を主張するための手段が先
回りで封じられてしまう。
 そのため、表立って反抗することを良しとしえない子どもは、病んだ顔をし
てみせ“幸せでない”ことを言外に訴える。子どもに自分の愛情が伝わらない
ことを見て取った母親は、傷ついた顔をしてみせて悲しみを主張する。母を傷
つけたことに子どもは罪悪感を覚え、ますます幸せでない顔をするし、子ども
を不幸にしていることで母は自己嫌悪を覚え、いっそう悲しい顔をする。こう
してお互いに自分を傷つけることで遠回しに相手を傷つけるという厄介なスパ
イラルに陥っていく。

 こうした母子の病のメカニズムは、はじめのうちは依頼人の女の見る夢とし
て描かれる。
 母親に傷つけられた“子どもたち”がリハビリに励む病院。母と娘がお互い
を思いやりながら自傷的に傷つけ合ってゆく家庭。学校では、娘は母の意思と
自己の意思との狭間で葛藤している。
 全体としてはどこかノスタルジーを感じさせるファンタジックな印象の演出
ではあるのだが、扱われる内容はおそろしく同時代的でリアルだ。
 病院、学校、家庭。状況を変えて様々なパターンで現れるその夢の舞台につ
いて、「自立のためのシステムが抑圧のシステムになってしまっている」と探
偵は分析する。夢の断片から浮かび上がるのは、温かくやわらかく思いやりの
真綿ですっぽり包み込まれて窒息死しそうな、現代的な在り方での、母という
呪縛。
 その「抑圧のシステム」のまるで対極にあるかのように出現する場所が、海
だ。
 登場人物たちはいつしか夢の中に取り込まれ、やがて海へとたどり着く。

 なぜ海だったのだろう。物語がクライマックスを迎える場所は。赤いワンピ
ースの彼女が対峙していたものは。
 母と海とが昔からイメージの上で強く結びつき合うのは確かだ。「海」とい
う字の中には「母」があるだとか、「海」は「生み」に通じるだとか、もっと
もらしい傍証はいくらでも出てくるだろうし、「母なる海」の呼び名のとおり、
地球上最初の生命は海から誕生したのだという。海はこの世界の羊水だ。そし
て、母は子宮の中に海を囲い込んでいる。
 ならば、赤いワンピースの彼女はつまり赤い色をした子どもなのだ。その赤
が、生まれたばかりの幼子の肌の色に由来するのか、それとも胎内から無理に
押し出されたときに流れた血の色なのかは判らない。いずれにせよ彼女は、こ
の世に生を受けることのなかった、ヒロイン‐依頼人の女‐の娘だ。羊水の海
を見据えて対岸に生きる、夢の子ども。
 彼女はヒロインの娘であると同時に、ヒロイン自身であり、またその母でも
ある。人が常に誰かの子として生まれる限り、娘たちが産むのは母親なのだ。
娘たちは母親から生まれ、母親となって母親を生む。その永遠の円環に入り込
んで一部となってゆくことがいかに怖ろしいか。舞台は私たちの深層まで細や
かに丁寧に暴き立てる。

 現代の病理に躊躇なく触れているにもかかわらず、しかしこの舞台の後味は
あくまでも健全だ。決して不健康な印象はない。それは例えば、極めて核心的
な会話を描いている場面では登場人物をウサギの家族にしてコスプレをすると
いった手段で、必要以上に深刻になるのを注意深く回避しようとしているため
でもあるだろう。
 また、母と子の複雑な関係を明らかにしながらも、誰のことも糾弾してはい
ないためでもある。無自覚に子どもを圧迫する母親の罪も、解っていながら束
縛の中に留まっている子どもの臆病も。こうした歪みはあまりにも当たり前の
ようにあちこちにはびこっていて、単純に誰かのせいにしても今さら何の役に
も立ちはしないのだ。そんなことより、ここから先をどうやって生きるかとい
うことが問題だ。
 歪みを歪みとして抱えたままで、希望をもって前向きに生きようと志向され
ていることがこの舞台の健全さの大きな要因だろう。たしかに私たちは根深い
病を抱えている。しかしそれは腰痛や喘息のような持病にすぎない。苦しみが
ないわけではないし、下手をするとそのために死ぬことだってある。しかし、
病因を根絶して取り除こうというのではなく、深刻な発症をさせない程度に乗
り切って生きていく実際的な解決があってもいい。
 そのための海ではないかと思うのだ。誕生する以前の私たちを育んだ、回帰
する場所としての羊水の海である以上に。それは脱出の、始まりの海。

 子どもたちは、母と自己とのがんじがらめの穏やかな軋轢の中で、時間をか
けてじわじわと追い込まれてゆく。
 ぎりぎりまで追い詰められたその先は、しかし世界の終わりではないのだ。
もう一歩‐追ってくるものに背を向けて飛び込む一歩にしろ、追ってくるもの
と対面して後ずさる一歩にしろ‐足を踏み出せばそこは新たな冒険の始まりの
海だ。
 たしかに陸地は終わるのかもしれない。けれど次の瞬間、足元には別の世界
が開け、最後の一歩は最初の一歩へと変わるだろう。海は私たちに残された最
後の開口部、脱出口だ。そこは陸のどん詰まりではなく、あらゆる別の大地へ
の可能性を持つ、新天地への入り口だ。
 たったひとりきり見知らぬ大海原に放り込まれれば、寄りかかるものもなく、
孤独で怖ろしいに違いない。それでも、私たちは逃げ出せる。安全と依存から
絶望と孤独の中に逃げ込み、そこから始めることができるはずだ。

 舞台の中で、海はひどく美しい。巧みに使われる映像の鮮烈さはもちろんの
こと、台詞として言葉で語られる海がとりわけ美しく響く。「白ウサギが走る」
と表現される泡立つ波濤や朝日、弧を描く水平線が透徹したイマジネーション
で描かれる。
 惜しむらくは、この現代詩のような美しい台詞群が、おそろしく早口で語ら
れるのだ。書き留めておきたいような名文句がいくつも発されているのに、言
葉は記憶に留まるより先に怒涛の勢いで次へ行ってしまう。それがとても残念
だ、と観劇中は思っていた。
 しかし後日、演出家の話す言葉を聞き、解った。これは鴻上尚史の速度なの
だ。鴻上の喋りは速い。先へ先へ、聞き手が追いつくより一歩早く、留まるこ
となく進んでゆく。役者の台詞はそのまま演出家の言葉そのものであったのだ。
 それを踏まえて改めて舞台を思い起こすと、この速さは必要な、効果的な速
度だったのかもしれないと思えてくる。この速度によって舞台には疾走する若
さが与えられ、海から大空へ駆け上がる白ウサギのイメージは躍動感をもって
目の前に迫るのではないか。
 ただ、最近の“若さ”は果たして疾走する勢いを持っているのかどうか、そ
こは疑わしいところなのだ。80年代や90年代の若者像には疾走する青春が似
合うが、近頃の若者はとても全力で走り出しそうには見えない。再演にあたっ
て会話のディテールや病理を現代風に改めてなお、この舞台が観客にある種の
ノスタルジーを喚起するその要因は、もしかするとこの疾走感が時代の現実と
ズレているためなのではないか。
 しかしだからこそ、これは演出家の祈りなのかもしれない。じっと立ち尽く
すその浜辺から脱出し、海へ。水平線を駆け抜けてゆけという願いが、そのズ
レの中には込められていると見ることもできるだろう。
 (2009.8.21観劇)

【筆者略歴】
 金塚さくら
 1981年、茨城県生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、浮世絵の美術館に勤
務。有形無形を問わず、文化なものを生で見る歓びに酔いしれる日々。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=76

【上演記録】(略)

==================================================================

 連載【レクチャー三昧】第60回 土曜日はダメよ

--------------------------------------------------------------------
 とにかく土曜午後に大学の無料レクチャーは集中しております。直前公示も
しばしばです。いきおい家事は日曜に回さざるを得ず、散らかり放題の部屋を
背に出かけていくのはちと気がとがめます。土曜日早起きすればいいだろが、
というだけの話ですが。
(高橋楓)

*無料でも予約が必要なことがございます。必ずウェブサイトでご確認下さい。
*各情報の真偽・変更・取消・思想信条背景等につき一切の責任を負いません。
各自ご確認の上お越しください。
* 【レクチャー三昧】カレンダー版(ウェブサイト)もご活用下さい。ただし、
当「マガジン・ワンダーランド」でお知らせした催しが全て転載されているわけ
ではありません。
http://www.wonderlands.jp/info/lectures.html


▽中国京劇団早稲田大学公演 
2009年10月26日(月)18:30 ~ 20:00 
早稲田大学早稲田キャンパス大隈大講堂 
日本語、中国語(日本語へ逐次通訳有)
無料、要申込、先着順 
http://www.waseda.jp/wci/kyougeki.doc

▽立教大学キリスト教学会公開講演会
2009年10月24日(土)第1部14:00~15:00、第2部15:00~16:00 
立教大学池袋キャンパス9号館大教室 
無料、申込不要
《第1部》パフォーマンス「シャクティの踊り」
《第2部》講演会
「差別に抗して踊る!-シスターチャンドラと「ダリット」の少女たち」
講師はシスター・チャンドラ氏(カトリック修道女)、松居和氏(映画監督、
教育問題研究家) 
http://www.rikkyo.ac.jp/events/2009/10/5888/

▽お笑い健康トークライブ たばこのこと、もっと知って考えよう
よしもとお笑い芸人によるお笑いライブも有(ダイノジ、大西ライオン、えん
にち他) 
2009年10月12日(月)13:00 ~ 14:30 
早稲田大学キャンパス小野記念講堂(27号館地階) 
無料、申込不要
講師はMCハリガネロック氏(よしもとお笑い芸人)、
嶋根卓也 氏(国立精神・神経センター)、若森真樹氏(ダイナミックスポー
ツ医学研究所 部長)、北山耕平 氏(童心坊笑雲) 
http://www.waseda.jp/ecocampus/eco/kenkoulive.pdf

▽マギー・マラン、Umweltへの回帰
プリュスクパルフェ:ヴィデオ・アートの夕べ
2009年10月23日 (金) 19時30分 - 21時00分
ヨコハマ・クリエイティブシティ・センター
一般800円
上映および川口隆夫氏とスティーヴン・サラザン氏対談(逐次通訳付)
http://www.institut.jp/ja/evenements/9179

▽ギターコンサート:マルコス・ソシアス
2009年10月29日(木)19:00~
セルバンテス文化センター東京
無料、要申込
http://www.tokio.cervantes.es/jp/default.shtm

▽観世家のアーカイブ~世阿弥直筆本と能楽テクストの世界~(資料展示)
東京大学教養学部駒場博物館(東大駒場キャンパス内)
2009年10月10日(月)~11月29日(日)10時~18時 毎週火曜日休館
無料          
http://www.kanze.net/index.php?id=97
http://www.kanze.net/public/_upload/type017_97_1/file/file_12522986334.pdf

▽文芸漫談ワセダ篇~いじりたおす読書まみれたおす読書~ 
2009年10月9日(金) 19:00~20:30 
早稲田大学戸山キャンパス38号館AV教室
無料、予約不要
講師はいとうせいこう氏(作家)、奥泉光氏(作家・近畿大学人文科学研究所
教授)
http://waseda-events.jp/

▽ギー・ドゥボール特集 映画に(反)対して
2009年10月17日 (土) - 2009年10月18日 (日)
東京日仏学院エスパス・イマージュ
1,000円~1,500円
『スペクタクルの社会』著者で68年「五月革命」の先駆者と目されるギー・
ドゥボールによる監督作品およびドキュメンタリー上映と講演
山形国際ドキュメンタリー映画祭共催
http://www.institut.jp/ja/evenements/9216
http://www.yidff.jp/news/09/ex090922.html#a2

▽ソルプレサス・デル・コスモス(宇宙の驚異) 
2009年 10月8日(木)19:00~ 
セルバンテス文化センター東京
無料、要申込
世界天文年2009を記念するシンポジウム&写真展
http://www.tokio.cervantes.es/FichasCultura/Ficha53132_67_25.htm

▽映画研究の愉しみ
2009年10月8日(木)14:55~16:25 
東京女子大学23101教室 
無料、申込不要
講師は 四方田犬彦氏(明治学院大学教授) 
http://office.twcu.ac.jp/facilities/society/lecture.html

▽弁士の語りと無声映画-「瀧の白糸」-
2009年10月13日(火)13:15~14:45 
東京女子大学23101教室 
無料、申込不要
講師は澤登翠氏(活動弁士) 
http://office.twcu.ac.jp/facilities/society/lecture.html

▽労働映画上映会(第7回)「三井三池争議」「60年安保闘争」など
2009年10月10日(土) 14:30~17:00 
早稲田大学早稲田キャンパス7号館419教室 
無料、申込不要
http://waseda-events.jp/

▽大貧困社会
2009年10月9日(金)15:30~
東海大学湘南キャンパス15号館4階第1会議室
無料、申込不要
お車でのご来場はご遠慮下さい
講師は駒村康平氏(慶應義塾大学経済学部教授)
http://www.u-tokai.ac.jp/TKDCMS/News/Detail.aspx?code=lifelong_learning&id=2824

▽ダカール大学、文化的遺産から市民社会へ
2009年10月9日(金) 14:00~15:30
明治大学図書館多目的ホール
フランス語(逐次通訳有)
無料、予約不要
講師は アブドゥ・サラム・サル氏(ダカール大学学長)
http://www.lib-ref.jp/meiji/opennews/NewsViewAction.do?id=NS00000526

▽北朝鮮の急変シナリオと後継者問題
2009年10月9日(金) 16:30~18:00 
早稲田大学26号館(大隈タワー)地下一階多目的講義室
無料、予約不要
講師は惠谷治 氏(アジア研究機構客員教授) 
ご参考URL:
http://www.kikou.waseda.ac.jp/asia/WSD520_open.php?KikoId=02&OshiraseID=91&kbn=0

▽安心と安全の社会をつくる 住民の生活と危機管理
2009年10月17日(土)、10月24日(土)13:00~16:45
明治大学駿河台キャンパス リバティタワー 1F リバティホール 
無料、申込不要
http://www.meiji.ac.jp/sha_ken/kouen/2009_g-kouen.html

▽著作権とコンテンツ流通
JASRAC連続公開寄付講座著作権法特殊講義第2回
2009年10月17日(土) 13:00 ~ 14:30 
早稲田大学早稲田キャンパス8号館-B107教室(予定) 
無料、要申込
講師 は 前田哲男氏(弁護士,早稲田大学大学院法務研究科講師)、
齋藤浩貴氏(弁護士,「ネットワーク流通と著作権制度協議会」コンテンツ
の流通促進方策に関する分科会会長) 
http://www.globalcoe-waseda-law-commerce.org/rclip/reservation/kifukouza_form.html

▽フランシス・ポンジュのオブジェ 
2009年10月24日(土)13:00 ~ 14:30 
早稲田大学学戸山キャンパス32号館325教室
無料、申込不要
講師はベネディクト・ゴリヨ氏(ヴァランシェンヌ大学准教授) 
http://waseda-events.jp/

▽ギュスターヴ・クールベ
Living with Courbet:Fifity yeas of my life as an Art Historian 
2009年10月24日(土)14:00 ~ 16:00
早稲田大学戸山キャンパス36号館382教室 
無料、申込不要
講師はリンダ・ノックリン氏(ニューヨーク大学美術研究所教授) 
http://waseda-events.jp/

▽格差社会と違法金融
2009年10月13日(火) 16:00~18:00 
早稲田大学早稲田キャンパス27号館地下2階小野記念講堂 
無料、要申込
ご参考URL:http://www.waseda.jp/prj-ircfs/symposium.html

▽ユートピアと黙示録-理想の未来像と恐怖の未来像の形成について
 2009年10月21日(水)18:10~20:00 
立教大学池袋キャンパス12号館地下第1・2会議室 
無料、申込不要
講師 はヴィルヘルム・フォスカンプ(Wilhelm Voskamp)氏
(ケルン大学名誉教授・ベルリン=ブランデンブルク科学アカデミー会員) 
http://www.rikkyo.ac.jp/events/2009/10/5890/

▽ドメスティック・バイオレンスとジェンダー
 -もう逃げ出したいと思わないくらい私は壊れてしまいました。
2009年10月22日(木)18:30~20:30
立教大学池袋キャンパス10号館 X103教室
無料、申込不要
講師は大野綾子氏(NPO法人男女平等参画推進みなと社会福祉士・アドボケ
ット)
 http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/activism/gender/

▽資本主義の将来
2009年10月23日(金)13時30分~17時 
東京大学安田講堂 
日英同時通訳付
無料、要申込、定員1,000人、申込締切10月9日
講師は 岩井克人教授(東大経済学部)、ロバート・ジョス前学長(米スタン
フォード大学経営大学院) サスキア・サッセン教授(米コロンビア大学社会
学部)、船橋洋一氏(朝日新聞社主筆) 
http://www.asahi.com/shimbun/sympo/

======================================================================
【編集日誌】
☆今週は、サスペンデッズ『夜と森のミュンヒハウゼン』と鵺的『暗黒地帯』
を取上げました。どちらも練りこんだ物語を通じ、見た人に確実に何かを残し
ていくタイプの芝居だったようです。各評者の「熱さ」にそのことを感じまし
た。
☆劇評セミナーの収穫、虚構の劇団『ハッシャ・バイ』評を三本一挙掲載しま
した。それぞれの書き手の才気や視点が感じられるラインナップです。ワンダ
ーランドの劇評セミナーは、新しい書き手の発掘という成果を着々と挙げてい
ます。ちょっと分量が多いのですが、ぜひご覧ください。
☆新体制のもとで第一回目の発行となります。当面、内容や体裁を変えるつも
りはありません。まずは編集作業に慣れたいと思っています。何卒よろしくお
願いいたします。
(水牛健太郎)

======================================================================
発行 ワンダーランド
〒202-0002 東京都西東京市ひばりが丘北4-1-9
Tel& Fax: 042-422-5219  info@wonderlands.jp
webサイト http://www.wonderlands.jp  
* 「マガジン・ワンダーランド」の登録・解除は次のページから。
 http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html
======================================================================
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る