2009/05/13
週刊マガジン・ワンダーランド 第139号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://www.wonderlands.jp/ マガジン・ワンダーランド(小劇場レビューマガジン) 2009年 5月13日発行 第139号 毎週水曜日発行 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【目次】 ◇マリウス・フォン・マイエンブルグ作、松井 周演出「火の顔」 その断面は体液の滴るほど切り口鮮やかだった 大泉尚子 ◇サーカス劇場「カラス」 底の底の願いを掬い上げてくれ 利口で美しいカラスを脳裏に 西村博子 ▽連載【レクチャー三昧】 第39回 科目等履修生 高橋楓 ■web wonderland から===================== http://www.wonderlands.jp/ ◇快楽のまばたき「星の王子さま」(寺山修司作) 瑞々しさが光る冒頭の冴え 戯曲から読み取った確信的な演出 鈴木厚人(劇団印象-indian elephant-主宰/脚本家/演出家) ◇ユニット・トラージ「アチャコ」 博覧強記のリテレート 片山雄一(NEVER LOSE 作/演出) ◇手塚夏子「プライベートトレース2009」 眼差しが照り返されて生のありように向けられる 武藤大祐(ダンス批評) ◇ワンダーランド支援会員を募集中! http://www.wonderlands.jp/info/members2009-1.html ===================================================================== ◇マリウス・フォン・マイエンブルグ作、松井 周演出「火の顔」 その断面は体液の滴るほど切り口鮮やかだった 大泉尚子 チラシには「自傷、引きこもり、親子間のコミュニケーション断絶など、戯 曲が描く父母姉弟・四人家族の姿は現代日本の病巣と重なり…」とあるが、ふ だんならこういう芝居には絶対行かない。だって、そんなものを「こんなです」 と〈サンプル〉として見せられたところで、何の解決策も見出されるわけでも なく、「それで? だから?」と言いたくなる。第一、暗いし重いし、何で金 払ってそんなもん見なきゃならないんだ! ところで、この芝居にかかわったのにはわけがある。実は私は「フェスティ バル・トーキョー(以下FT)」のボランティア・スタッフを志願していたのだ が、この作品はそのFTの一演目で、偶然にも、制作の手伝いとして担当に当たっ てしまったのだった。それも以前、松井周作・演出の「家族の肖像」を見た時、 正直に言えば先のような感想をもち、まったくもって気が進まなかったのだが、 いかんせん日程的にちょうど合っていたというきわめて物理的な理由で、そう いうはめに陥ってしまった。そして、稽古を数回とゲネプロ、観客が比較的少 ない日の本番もこれに付き合った。 ところが、ところがである。結果的にこの舞台は、そんなグズグズの想いを ものすごい起爆力で吹き飛ばしてくれたのだった。こういうテーマで、ここま で強烈なメッセージを打ち出せることに、体内で弾けるような衝撃を感じた。 「火の顔」は、両親と、姉・オルガ、弟・クルトの四人家族の物語。どこに でもありそうな一般的な中流家庭で、子供たちは思春期の真っ最中。親たちに 激しく反抗している。 細かなエピソードが重ねられる。クルトは、母親がうっかりトイレを生理の 血で汚し、そのことをきっかけに両親が性教育を始めようとすると、聞きたく ないと席を立つ。彼が、浴室兼洗面所で歯を磨いている時、母が体を拭き出す と、唾を吐き顔を背ける。母親の女としての側面を見たくないし、親子という 上下関係をタテにして、自分を懐柔しようとするのも嫌なのだ。オルガも、母 が男と安易にセックスしないようにと注意すると、猛烈な拒否反応を示す。そ んな、日常的でこの年代の親子にありがちな出来事が次々と起きるうち、軋み を立てて断絶は深まっていく。 オルガとクルトは、親を嫌悪する気持ちを共有することで、お互いに強いシ ンパシーを感じ、二人だけの世界に閉じこもっていく。性に目覚める年頃のク ルトを、オルガは挑発し、二人は近親相姦の関係に陥る。クルトはオルガとの 関係に没入していくが、オルガはどこかでマズいと感じており、クルトはオル ガのそんな徹底しないところを、鋭く予感もしている。 この家族の前に、一人の男が登場する。オルガが誘いをかけてボーイフレン ドになったパウル。彼はオートバイ好きで、オルガを後ろに乗せて走ったり、 一緒に映画を見に行ってキスをしたりといった、ごく普通の付き合いが始まる。 パウルが家にやって来ると、両親、特に父親は歓待し、彼は徐々にこの家族 に入り込んでいく。当然、クルトとパウルは、オルガを間に強く反目し合う。 オルガは自分の気持ちに忠実で、どちらかに惹かれればもう一方には反発する というシーソーゲームを繰り返し、二人の間を揺れ動く。 パウルは平凡な男だが、酒が原因で勤めている店を辞めさせられたり、父に 借りた金が返せずバイクを売り払ったり、酔っ払って家に現れ大暴れしたりす る。だがそれらのことは、ガチガチに硬直して抜き差しならなくなろうとして いるこの家庭に、一陣の世間の風を吹き込んでくれる。 そんな中、クルトは加速度的に自閉を極めていく。彼が強くこだわっている のは〈火〉。火フェチ、火オタクと言ってもいい。最初は、物を燃やすことか ら始まり、爆弾を作ること、建物の放火へとエスカレートしていく。学校の教 室のカーテンに火をつけ、燃え広がった火で顔に大やけどを負うという、自傷 的な行為も半端ではない。火を万物の根源と考えた、ギリシアの哲学者ヘラク レイトスの書物を読みふけり、その執着は深く観念的な面にも及んでいる(確 かに、火は人の心を惹きつける。火事には野次馬がつきものだし、焚き火や暖 炉の火が燃えるのを見ていると、時のたつのを忘れる。気持ちが落ち着くよう でいながら、同時に体の奥で高揚するものがあるのは、身の内の太古の血が騒 ぐせいだろうか)。 両親は、子供のことで深く悩み、はねつけられても受け流したり、懲りずに 話しかけたり、一緒にサッカーをしようと持ちかけたりと、涙ぐましい努力で 関係の修復を試みるのだが、ことごとく拒絶される。 この夫婦はといえば、エンジニアの夫は、売春婦の連続殺人に興味をもち、 新聞の三面記事を読みふけるようなタイプで、妻はそんな夫に苛立ちを隠せな い。そして彼女が娘に言う、痩せてガリガリなあなたは決して魅力ある存在で はないけれど、男はセックスだけはしたがるから気をつけなさい、という言葉。 ここには、母親としての心配と同時に、少女から女になりかけている娘に対す る嫉妬がほの見える。でもそれは、世の中によくあることのうち。彼らは、ク ルトの異常性をパウルに指摘されても、信じたくないがゆえに毅然とした態度 がとれない。俗物的ではあるが、同時に、適度に知的で良心的な面も持ち合わ せていて、子供を愛するごくごく一般的な親たちなのだ。 最初、倦怠期にあった彼らは、皮肉にも、子供たちの離反、深刻な自閉に振 り回されるうち、徐々に心を寄り添わせていく。もしかしたら、私たちを仲良 くさせるために、子供たちは演じてるんじゃないかしらという母の言葉は切な い。あと1、2年たてば、元の静かな暮らしに戻るだろうと、彼らはか細い希望 をつなぐ。 ところが、近所の連続放火がどうやら息子の仕業だと気付く両親。理解でき ずに混乱しつつ、息子自身を守るためにも、警察に引き渡さなければならない と本人に宣言する。ここに至って、オルガとクルトは、夜寝ている両親をハン マーで撲殺する。時間がたつにつれ食べ物もなくなり、耐えられなくなって動 揺するオルガ。そこにパウルがやってきて事態を知る。オルガは、すべてはク ルトがやったことと罪を着せ、パウルに連れ出されて家を出る。最後にクルト は、自分の生まれた時の様子を語りながら、ビニールを体に巻きつけて上手か ら下手へとゆっくりと転がっていき、それはあたかも、母の胎内の羊膜に再び くるまれたかのようだった。そして暗転。 さてここで、主人公のクルトとオルガの二人は、大人を吐き気がするほど嫌 悪しているが、セックスはしたい。つまり大人になりたくないがなりたい、と いう自己矛盾を抱え持っている。 クルトは自分の内部のみに深く潜行し、他人とかかわることを絶対的に拒絶 する。 おまえたちは、他人との関係でしか自分を見ようとしない…おまえたちは他 人という鏡に自分が映っていると思いたがり、そこに映っている他人の姿を自 分だと考え、だから自分は存在すると考えている。そんな考えはみんなゴミだ… しがらみを断ち切って、一人になれ。他人に吹き込まれた考えは捨てて、隙間 を閉ざせ。外界に向ける触覚なんかいらない。武器だけがあればいい。クラゲ のように目もなく閉じたままでいろ。近づく者は平然と焼け。口を閉ざし、耳 も閉ざし、やれ! この激烈なまでの叫び。まるで、ストイシズムを極めた狂信的な殉教者の、 ジハードへ赴く寸前の祈りのような響きがある。彼の凶暴性の切っ先は、放火 や親殺しといった他者へのものから、自分自身の喉元にまで向けられるものだ。 人が一つの極に収斂し過ぎれば、自滅への道をたどるしかない。 一方オルガは、クルトを誘惑して自分とのセックスにのめり込ませておきな がら、パウルにもちょっかいを出し、見事に二股をかける。挙げ句の果ては、 両親を一緒に殺しておきながら、パウルが来ると、クルトがやったことで自分 は閉じ込められていたと言い逃れをする。欲望のままに快楽を求めるうえに、 打算的な面も併せ持つという、外面的には実に嫌ーな女の子。だがそれは、そ の場その場で、自分が生きていくための行動を直観的に選びとれる、非常に生 命力のある女の子と言い換えることもできる。 生き延びるためには、二つ以上の極を持つことが必要であり、オルガは本能 的にそれを成し遂げた。そのたくましさで、いつかは子供の二、三人も生むの かもしれない。そして彼女の口から出た通り「子供ができたら、このむかつく 状況が繰り返される」のだ。 クルトは、自分が母から生まれたこと、その瞬間にこだわっている。ラスト シーンで彼は、その光景をまざまざと物語る。生まれた時の記憶というのは、 普通に考えれば現実にはあり得ない。だから、比較的リアルなセリフと演技を 用いたこの作品にあって、これは特筆すべき幻想的な場面だ。 さあ、生まれたときの話をしよう。ママは股の間をよろよろ出てくるぼくを 見た。ぼくは最初は横を向いてたけど、すぐに鼻をゴールの方に向けた。する と突然彼女のからだは四トンも軽くなり、上の方にものすごい力で引っ張り上 げられた。その状態が四十三秒続くことを彼女は知っていた…四十三まできて、 彼女は数えることをやめた。不発弾だって思った。でもその瞬間、突然まぶし い光が発し、ママは巨大な円盤状をした空気の塊がまっすぐ上へ昇ってゆき、 次に横方向へ消えていくのを見た。まるで惑星の輪が惑星本体から離れるのを 見ているようだった…それからはもう何も来ず、静けさが保たれた。そこらじゅ うで炎が燃えていた…一本の太い煙の柱がみるみる立ち昇ったが、その芯の部 分は炎のように赤く、上の方に達して四方に伸び広がった。まるで天井にぶち 当たったかのようだった。これがぼくの誕生だった。全部覚えている。 後で聞くとこのセリフは、「エノラゲイ」が原爆を広島に投下した時の状況 がもとになっているらしい。観劇時には、比較的淡々と語られるにもかかわら ず、一種独特の異様なエネルギー感に溢れるモノローグという印象があった。 結局クルトは、この世に生まれてきたくなかったのだろうか。生まれたこと、 生きることに対する根源的な疑問を、クルトは持っている。なぜ生きなければ ならないのか? その答はどこに求めればいいのか? すべての子育てや教育 は、暗黙のうちに生を肯定することを前提としているが、その前提自体に対す る問いには誰も答えてはくれない。否応なく生まれてしまったが、死ぬのが怖 いから、痛いから、苦しいから、死ねないで消去法的に生きている人間だって、 決して少なくはない。クルトの存在は、そのことを鋭く問いかける。そして、 原爆投下に重ねられた誕生時の圧倒的なイメージは、生まれることと生まれな いことを選択できないという、人間の絶対的な宿命を暗示している。 この作品では、翻訳劇を見た時に必ずと言っていいほど味わう感覚がまった くなかった。何か、ワンクッションもツークッションもあるような、フィルター がかかっている感じが。 役名はドイツ名だし、もちろん、文化や習慣の違いによる登場人物の行動へ の違和感はある。たとえば、母親がトイレを生理の血で汚してもさほど動揺も せず、食卓で話題にするとか、息子の前で体を拭くとか、はじめて来た娘のボー イフレンドへの父の言葉「ハンスと(ファーストネームで)呼んでくれ」など など。でもそれを補って余りあるほど、ここで起きている家族の事件は、日本 人である私に直接話法でぐぐーっと迫ってくる。愚直なまでに直截に描き出さ れるものは、身近にある親子や夫婦の問題にあまりにも近しい。 ちなみに、戯曲を読んでひとつ気付いたことがある。劇中、夫は妻から何度 も「ハンス」と呼ばれるが、妻は子供から「ママ」と呼ばれることはあっても、 夫からは一度も名前を呼ばれず「おまえ」としか言われない。ドイツの現代作 品にして、妻(母)は妻(母)でしかなく、名前を持つ個人ではないというこ との表れなのかと興味深く感じた。 松井周の演出は、原作にかなり忠実でありながら、観念的なセリフが空回り しないよう、仕草を添えたり細やかな仕掛けを施して、舞台をこなれたものに している。 オープニングシーンは、原作にはない松井オリジナルで、オルガとクルトが 殺した両親の足をもち、下手から上手へと、少し傾斜のついた床を登りながら 引きずっていく。つまり、両親の死から時間を遡る形で、次からの場面へと続 くわけだ。ラストシーンも、原作ではクルトが自分の体にガソリンをかけて火 をつけるというト書きがあり、自殺が明示されているが、この演出では、胎内 回帰を思わせるものに変えられていた。ここには先に挙げた、なぜ生まれたの か、なぜ生きなければならないのかという問いに対する、原作者マイエンブル グと松井の、微妙な差異が感じとれる。 ところで「火の顔」は2005年に、世田谷パブリックシアターのベルリン演劇 週間において、シャウビューネ劇場のオリジナル版が上演されている。この時 来日した、原作者マリウス・フォン・マイエンブルグと演出家トーマス・オス ターマイアーへのインタビューで、オスターマイアーがこう言っている (「SEPT 02」世田谷パブリックシアターより)。 彼の言葉は、演劇言語として非常に抽象度が高く、凝縮されていて、無駄 なことが一切書かれていない。また演劇言語であると同時に文学言語でもあ り、非常にはっきりとした造形的な言語で構成されていて、そこには力強い 〈発言〉というものが発見できるという特徴があるんです。 また新しい点ということでは、とくに彼の持っている〈テーマ〉が挙げら れます。彼の劇作で非常に優れているのは、これまでのドイツ演劇には見ら れなかったような、私たちが日常でなんとなく感じながらも言葉にできなかっ たようなテーマ、疼いていたようなテーマを、きちんと言語化して作品に立 ち上げた部分なんです。 まさに至言である。このような太い背骨の通った原作に、今回は独自の演出 が施され、細かい毛細血管が通い脈動が感じられる仕上がりとなっていた。で き得るならば、このままドイツで上演され、原作者や観客の反応を見ることを 望みたい。 ところで、FTのHPに松井のこんな言葉があった。 ここに出てくる家族をことさら歪んだものとして描こうとは思わない。 彼らのディスコミュニケーションの裏には依存心が見え隠れしていて、滑稽 ですらある。スカスカの軽さがある。でもそれは日本の家族だって同じだろ う。日本だけではなく、どこの国の家族にも通じるかもしれない。その一方 で彼らは成熟することを望む。しかし、そのモデルが親にも子供にもわから ない。親も子供も近代的自我、つまり「個人」になることができない。 「依存と成熟に引き裂かれた家族」とはやっぱり現代の家族のテーマであり、 だからこれは普通の家族の物語なのだ。 モデルがない中で家族を演じ続けようとする彼らは悲劇的であろうか?いや、 そんなことはない。彼らの中にちらほらとほの見える欲望の炎に希望を見出 すことは決して不可能ではない。俳優の身体がそれを証明すればいいわけだ。 みっしりとした濃密な劇空間を受け取った私としては、やや意外な言葉であ る。 ところで、この芝居には、性的な場面―クルトがセリフを言いながらオナニー をしていたり、クルトとオルガ、オルガとパウルのセックスなど―が、やたら と出てくる。オルガが寝そべっているのを、クルトが彼女の片足をもち、大股 開きの格好で引きずって横に移動するところがあり、まさか…と思っていたら、 やはり松葉崩しからきていると、後で小耳に挟んだ(オナニーのバリエーショ ンを、ああでもないこうでもないと考え出す時には、松井の演出の職人とも言 うべき面持ちが垣間見えた)。アフタートークの折に、その手のシーンでは、 実はクスっと笑ってほしかったという演出家の発言があり、息を詰めて見てい た者としては、拍子抜けの感があった。 稽古を見ていて、彼の役者の身体の〈見せ方〉に対するこだわりには驚いた。 ラストシーンも含めて、面白い見せ方は?ということで、最終的な形を選びとっ ている側面も大いにあるようだ。 その言葉の、希望を見出すことは不可能ではない、というくだりには深い共 感を抱く。どうしようもなく、グジャグジャに崩れていく家族像を見た後に、 スカーっと突き抜けた爽快感ともいえるものを覚えていたのだから。 役者陣について。主役の菅原直樹は、幼くたどたどしささえ感じさせる演技 とセリフ回しで、クルトの切り立つ孤絶を演じきった。オルガ役の野津あおい は昏いエロティシズムを湛え、パウル役の岩井秀人はすこぶるつきの巧さで客 席を湧かせた。シャワーを浴びているさなかにクルトに服を焼かれて、パウル が全裸で父母の前に現れるシーンで、その絶妙な間のとり方と脱力系の佇まい には、何度見ても虚を突かれた。父母を演じた猪俣俊明と大崎由利子の、経験 を重ねた俳優が放つ存在感が、この作品を引き締めていた。とりわけ大崎が、 薄物のガウンをはおり、大きく足を上げて太股を拭く後姿のカッコよさと女臭 さは忘れられない。 さらに、杉山至プラス鴉屋の美術は、この作品に大きな力を与えている。舞 台には、白くて横長のテーブルが備えられ、静謐で冴え冴えとした美しさを放っ ていた。その下の空間は物を置けるような小さな台がいくつもあり、さまざま な小道具の見える収納になっている。ここから、登場人物たちが食器や新聞や ひげ剃り道具など、いろいろな物をとり出す動作も、煩瑣な日常性を感じさせ て効果的。テーブルはそのまま食卓とされたり、姉弟の部屋の床になったり、 夫婦の寝室になったり、浴室になったりと、自由に使い回されていた。横の長 さをいかし、照明の当てる場所を変えることによって、瞬時の場面転換も。た とえばオルガとパウルが話している場面に続き、瞬間的にパウルがオルガのう ちに来ている場面といったように、時間を飛ばすつなぎのテンポ感が心地よい。 このテーブルが、最後の晩餐の食卓に見えたという感想をもった観客もいた そうだ。 そういえば舞台下手寄りには、天井まで届くスティール製のポールがあり、 深読みにすぎるかもしれないが、私にはテーブルとポールがズレた十字架にも 思えたのだった(このポールは、そこに背をもたれかけて座ったり、つかまっ てくるりと回ったりと、やはりいろいろな動作に活用されていた)。というの も、クルトが放火する場所について「学校は狙い目だ。デパートもいい…でも 文句なしでいいのは教会だ」と語り、それを実行するところに、キリスト教に 対する屈折を感じたからだ。 かくして、それらのほぼすべてが噛み合い、現代の家族像と思春期の壮絶な までの自閉の断面を、体液の滴るほど切り口鮮やかに描いた舞台であった。な ぜ、クルトがこれほどまでに激しく自閉するのかとか、この親たちの対応のど こに問題があったのかとかいう問いかけはさておいて、その姿のみを、これで もかこれでもかと愚直なまでのストレートさで描き出したところに、この劇の 成立基盤、存在意義があったのではないかと私は考える。 ただし、断面とは空気に触れた瞬間に化学反応を起こし、時間がたつにつれ 形が崩れ、うじゃじゃけていくものだ。その意味で、今後とも、その時点での 旬の鮮明さをくっきりと浮かび上がらせる作品を切望していることを、蛇足な がらも付け加えておきたい。 【筆者略歴】 大泉尚子(おおいずみ・なおこ) 京都府生まれ。芝居やダンス、アート系イベントが好きな主婦兼ライター。 「アサヒ・アートスクエア」インターン。時には舞台のスタッフボランティア も。 ・ワンダーランド寄稿一覧: http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=887&catid=3 【上演記録】 マリウス・フォン・マイエンブルグ作、松井 周演出「火の顔」 −フェスティバル/トーキョー09 http://festival-tokyo.jp/program/fireface/ 東京芸術劇場 小ホール1(3月5日-8日) 上演時間:約1時間30分 演出 松井 周(サンプル) 作 マリウス・フォン・マイエンブルグ 翻訳 新野守広 出演 猪股俊明 大崎由利子 野津あおい 菅原直樹 岩井秀人(ハイバイ) 美術 杉山至+鴉屋 照明 西本彩 衣裳 小松陽佳留(une chrysantheme) 演出助手・ドラマトゥルク 野村政之 舞台監督 鈴木康郎+鴉屋、寅川英司+鴉屋 宣伝写真 山本尚明 制作補佐 遠山ちあき、有田真代(背番号零) 制作 三好佐智子 制作協力 サンプル、有限会社quinada 主催・製作 フェスティバル/トーキョー チケット 一般3,500円/学生3,000円(要学生証提示)、高校生以下1,000円 (自由席) ★ポスト・パフォーマンストーク 3/6(Fri)14:00 松井周×飴屋法水(演出家・美術家) 3/7(Sat)19:00 松井周×岩井秀人(俳優・劇作家・演出家) 【関連情報】 ・マリウス・フォン・マイエンブルグ作、新野守広訳「火の顔」 (ドイツ現代 戯曲選30) (論創社) ・LIVESTOCK DAYS(風琴工房詩森ろばブログ) http://blog.livedoor.jp/robarock/archives/51342362.html ・2005年のシャウビューネ劇場来日公演「火の顔」(トーマス・オスターマイ アー演出、2005年6月24日〜26日)の公演ページは、当時掲載されていた世田 谷パブリックシアターwebサイトには見当たらない。過去のページを収録して いるIntenet Archiveサイト「WAYBACK MACHINE」にその一部が収録されている。 関連サイトは次の通り。 ・新国立劇場+世田谷パブリックシアター特別共同企画「ベルリン演劇週間」 プロジェクト 協力=東京ドイツ文化センター http://www.nntt.jac.go.jp/release/r444/r444.html ・「火の顔」「ノラ」(世田谷パブリックシアター旧サイト情報) http://web.archive.org/web/20050428031257/http://www.setagaya-ac.or.jp/sept/jouhou/schaubuehne/ ・ベルリン・シャウビューネ来日公演「火の顔」(ゲーテ・インスティトゥー ト東京) http://www.goethe.de/ins/jp/tok/acv/the/2005/ja720370v.htm ・トーマス・オスターマイアー(ドイツ・シャウビューネ芸術監督)インタビュー (国際交流基金) http://www.performingarts.jp/J/pre_interview/0508/1.html ===================================================================== ◇サーカス劇場「カラス」 底の底の願いを掬い上げてくれ 利口で美しいカラスを脳裏に 西村博子 舞台は東京のどこかのガード下。壁に手の跡、人影などいろんなシミや落書 きがある。と、いきなりバイクが突っ走り、元男性のカラスおばさんが廃棄物 いっぱいの自転車押しながら出てきて歌い出す。 聞けば、東京都知事に恨みはないが、東京中のカラスに餌をやりながら昔救 けたカラスを探しているのだという。何を隠そう、実は私もカラスおばさん。 せめてお前だけは生き延びてくれとあたり見澄まし手早く餌をまくのだが、み つかると良き市民にひどく咎められるので毎日苦労している。あ、私と同じ。 差別されてる! いっきょに劇に引き込まれた。時の設定はいちおう千年後と いうことになっているが、おばさんの歌「♪東京は森 ♪見てごらん 鉄の木 立の上に 一千万のカラスがとまる」を聞いても、排気ガスで真っ黒な空に行 き場を失ったカラスたち…まさに東京の今にちがいなかった。 カラスは八咫烏(やたがらす)の昔より人間の仲良き伴侶であった。今も間 近に眺めてつくづく利口で美しい鳥と思う。が、それがなぜ石原都政とその良 き都民たちにかくまで毛嫌いされ排斥されるようになってしまったのか? も しもカラスの羽が真っ白か美しいピンクだったら? 鶴や朱鷺みたいに保護さ れたかも知れないのに、である。 このガード下に代わる代わる現れるのが現代のカラスたち、オッと、ではな い、泥棒専門学校の面々、大麻の売人、もう派遣はいや、罪を犯せば入れるだ ろうと刑務所入りを志願する野球青年、顔を見ても当の相手かどうか認知もで きないOLとその恋人などなど。いずれも現代の格差社会。働くにはまず技能 習得、まず検定、資格試験をと求められ、やっと職を得ても決してうだつ上が ることのない使い捨て、下層の人々であった。 そしてそれを深刻に、でなく、たとえば専門学校の教師が怪人二十面相。学 生はルパン、石川五右衛門、鼠小僧、黙阿弥白浪五人男のなかの弁天小僧、だっ たかな?からも推察されるとおり、作・清末浩平の差し出し方は、師の唐十郎 とはちがうマンガ世代か。思わずニヤッと口が綻びそうだった。 ちっちゃいことをまず言うと、カラスの一羽であることを暗示されたのが、 専門学校の教師と入学志望者ひとりだけだったのがちょっと惜しかった。私の 目からみれば、ここガード下に出てきた人はみーんな真っ黒なカラス。税金納 めて青空の下を胸張って歩けるような人々とは違う、社会から抹殺さるべき異 種の生き物だからだ。ちらっとずつでもカラスであることをめいめい示して欲 しかった。 もう一つ。これらのカラスたちのうちで最も中心的な筋を担ったのは、携帯 をなくし、ということはこの現代、つまり友だちをすっかりなくしてしまった ことになるという青年。それが、誰かれかまわず人を友だちにしようとし、そ れはつまり、誰かれかまわず自分に奉仕させようとすることであったので、つ いに野球青年のバットで殴り殺されてしまう。そして壁のシミになってしまう。 −というのが大筋であったと記憶している。が、携帯がすべての青年が壁のシ ミになってしまう終わりはいい。いかにも現代、いい発想だったし、演出もよ かったのだが、そのシミになるまでの道筋にリアリティが欠けていた、あるい は薄かったことがいかにも残念だった。見ているものも携帯なくしたらひょっ として私も?の怖さ、必然があれば申し分なかったと思う。 演出は劇団唐ゼミ☆の中野敦之。壁の落書きが音楽に合わせて徐々に横移動 し、その人影から専門学校の教師・怪人二十面相が出現するところ最高にドキ ドキ。とても面白かった。(この出で、二十面相がカラスの一匹であることも さっと暗示しておいてくれたら、のちのカラスの本性あらわすシーン、その言 葉も不要になってなお良かったのに、だったけどね。) ずうっと前、李麗仙が障子のシミから出現する唐演出を見て吃驚したことを 覚えているが、さすが演劇史の歳月も伊達じゃない、中野演出のほうがずっと ずっと巧くなっていた。 ただ、同じく演劇史の歳月。中野演出は昔の唐演出とは決定的にちがってい た。違うところは、役者が上手なこと、おとなしいこと。演出の指示に従い、 できるかぎり作のテーマを表現しようと一生懸命なこと、であろうか。初期の 唐の舞台では、何しでかすか分からないような役者たちが、実際出てくるとお のおの、何しでかすか分かったもんじゃなかったので、見終わったあと、本筋 なんか、そんなものあったっけ?ぐらいのエネルギーがあった。筋としては唐 作品もつねに敗退に終わっていて別に今とさしたる違いはなかったのだが、そ のエネルギーが、今は敗けても又襲来するぞの意気込みとして見るものに伝わっ てきた。 中野演出は言うことなしの巧さ、整いだった。が、だからこそ余計にだけれ ど、ただ作品を巧く立ち上げ、書かれた作を誤りなく伝達しようとするだけで なく、清末浩平の、こんな愚かで汚いカラスたちを採り上げずにはいられなかっ た、おそらく作者自身でさえ気づいていないかも知れない底の底の願いを掬い 上げてくれていたら…と思わずにはいられなかった。 初期唐十郎のようなエネルギーではもう通用しない。上手くなってしまった 俳優たちを下手にしたってしょうがない。 ではどうするか? 一瞬でいい、舞台に利口で美しい本来あるべきカラスを、 私たちの友だちを、目撃させてくれたらと思った。タイトルもカラスだ。カラ スというものの印象を私たちの脳裏にくっきりと、鮮明に残してくれたら、と 思った。そしたら劇場を出た私たちが今度カラスを見たとき、見る前とは違う 姿に見えるのではないだろうか。決して、ただ早く殺してしまえとだけには見 えないのではないだろうか−と。 作・演はもちろん、俳優すべてが息を揃え、ほんとに気持ちのいい、現代の 温順に挑発的な舞台だっただけに、思わず垣を越えた要求をしてしまった。容 赦を乞いたい。(2009.3.15所見) 【筆者略歴】 西村博子(にしむら・ひろこ) NPO ARC(同時代演劇の研究と創造を結ぶアクティビティ)理事長。小劇場 タイニイアリス代表取締役兼アリスフェスティバル・プロデューサー。日本近 代演劇史研究会(日本演劇学会分科)代表。早稲田大学文学博士。著書は『実 存への旅立ち−三好十郎のドラマトゥルギー』、『蚕娘の繊絲−日本近代劇の ドラマトゥルギー』I, II など−とは、実は世を忍ぶ仮の姿。その実体は自称 「美少年探検隊長」。 ・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=4 【上演記録】 劇団サーカス劇場第16回公演「カラス」 http://circus.main.jp/ 新宿・タイニイアリス(2009年3月5日-15日、3月12日24時〜レイトショー) 脚本:清末 浩平(劇団サーカス劇場) 演出:中野 敦之(劇団唐ゼミ☆) キャスト: 森澤 友一朗(劇団サーカス劇場) 浅倉 洋介(風琴工房) 熾田 リカ 尾崎 宇内 久米 靖馬(クロカミショウネン18) 佐丸 徹(vivit) 神保 良介 平野 剛督 水野 香苗(劇団唐ゼミ☆) 宮崎 敏行 八重柏 泰士 ワダ・タワー(クロカミショウネン18) スタッフ: 脚本・劇中歌作曲 清末浩平(劇団サーカス劇場) 演出・音響 中野 敦之(劇団唐ゼミ☆) 美術 大泉七奈子 照明デザイン・操作 須賀谷沙木子(clore) 照明操作 桜かおり 舞台監督 宮田公一(Y's factory) 宣伝美術 だり子(薔薇色乞食) web 相澤知里 制作 清水建志 プロデューサー 森澤友一郎(劇団サーカス劇場) チケット:一般前売3000円、一般当日3200円、学生前売2000円、学生当日2200円 ==================================================================== 連載【レクチャー三昧】第39回 科目等履修生 -------------------------------------------------------------------- 私事ですが、この四月より都内私立大学院で科目履修をしております。ここ 数年、某演劇評論家に「はまって」おり、劇場に行くたびにきょろきょろして はそうそうには無い邂逅を待ち望んでいたのですが(ストーカーと違います!)、 去年になって友人が、その先生が大学で持っている科目の履修生になる、とい う手段を見つけてきてくれました。つまりは「お勉強好き」が高じた結果なの ですが、私淑していた人の授業を毎週定期的に受けられ、直接教えを請えるの は何よりもの喜びです。後から気づいたことなのですが、その先生は定年まで あと二年を残すのみ、授業を確実に受けられるのにはぎりぎりセーフだったわ けです。 もしも一週間のうち平日で半日間、自由になる時間があれば、科目履修は可 能です。気になる演劇人が大学等で勤めているようでしたら、その学校の制度 を調べてみたらいかがでしょうか。わたし達が通っている学科の科目履修(い ずれの大学でも「科目等履修生」というのが共通名称のようです)は、結局書 類選考のみで、筆記も面接もなく、すんなり通してもらえました。授業料はひ とこま当たり 2,000円弱(選考料・登録料除く)で、カルチャーセンターより は安いです。(今ちょっと別の大学を調べたら、ここの半額くらいのところが 複数ありました。) 大学・大学院科目履修上の難点は、おそらく出願は年にいっぺんのみ、多分 三月くらい、それも受付期間は二日間だけ、などと制約が多く、あらかじめ下 調べして書類一式を準備し待ちかまえていなければならないことと、それから やはり、机を並べることになる若い学生達のレベルについていけるだろうかと いう不安です。 わたし達も今更大学院の単位が欲しいわけでなし、聴講が出来ればそれで十 分だったのですが、「科目等履修生」しか選択肢がなかったので、思いきって 申込をしました。さていざ自分の発表の番になった時に大恥をかくのかもしれ ませんが、とにかく来てしまった以上、頑張りたいと思っています。それもこ れも芝居を愛する人への愛、もとい芝居への愛ゆえです。(高橋楓) *無料でも予約が必要なことがございます。必ずウェブサイトでご確認下さい。 *各情報の真偽・変更・取消・思想信条背景等につき一切の責任を負いません。 各自ご確認の上お越しください。 *【レクチャー三昧】カレンダー版(ウェブサイト)もご活用下さい。 http://www.wonderlands.jp/info/lectures.html ▽舞台芸術のクリティック13 ―基礎編・舞台を読む 2009年9月3日(木)10日(木)10月3日(土)10日(土)11月7日(土) 21日(土)19時〜21時 (1)9月3日(木)19時〜「舞台を読む1―視線と劇場」(八角) (2)9月10日(木)19時〜「舞台を読む2―身体と空間」(八角) (3)10月3日(土)19時〜「舞台を読む3―観客と社会」(森山) (4)10月10日(土)19時〜「舞台を読む4―俳優と演技」(森山) (5)11月7日(土)19時〜「舞台を読む5―物語と記憶」(八角) (6)11月21日(土)19時〜「舞台を読む6―歴史と古典」(森山) 世田谷文化生活情報センターセミナールーム 世田谷パブリックシアター主催 講師は八角聡仁氏(批評家、近畿大学文芸学部教授)、 森山直人氏(演劇批評家、京都造形芸術大学芸術学部舞台芸術学科准教授) 9000円(全6回)、要申込、先着順40名 http://setagaya-pt.jp/workshop/2009/09/13.html ▽舞台芸術のクリティック13 ―実践編・批評を書く 2009年12月19日(土)、2010年1月9日(土)、23日(土)、2月6日(土) 18時30分〜20時30分 (1)12月19日(土)18時30分〜「批評を書く1―誰に向かって何を書くのか」 (2)1月9日(土)18時30分〜「批評を書く2―作品の論理、批評の視点」 (3)1月23日(土)18時30分〜「批評を書く3―発表/講評/討議」 (4)2月6日(土)18時30分〜「批評を書く4―発表/講評/討議」 世田谷文化生活情報センターセミナールーム 世田谷パブリックシアター主催 講師は八角聡仁氏(批評家、近畿大学文芸学部教授)、 森山直人氏(演劇批評家、京都造形芸術大学芸術学部舞台芸術学科准教授) 6000円(全4回)、要申込、定員30名(抽選)、申込締切11月30日(月) http://setagaya-pt.jp/workshop/2009/12/13_1.html ▽ダンスパフォーマンス「身体展示」 2009年6月13日(土)・14日(日)10:00〜18:00(断続的に出演) 世田谷美術館1階展示室 展覧会観覧券要 出演は辻本知彦、群青、TATSUO、服部有吉の諸氏 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/list.html#pe00217 *この催し情報は「ワンダーランド」読者の方から頂戴いたしました。 どうもありがとうございました。 ▽オキナワと太平洋文学 2009年5月13日(水)16:30〜18:00 早稲田大学文学学術院戸山キャンパス36号館681教室 無料、予約不要、聴講歓迎 講師は本浜秀彦氏(沖縄キリスト教学院大学准教授) http://www.waseda.jp/bun/activities/lecture/attach/okinawa.pdf ▽文学と表現 2009年5月16日(土)、6月13日(土)14:00〜15:30 明治大学駿河台校舎リバティタワー1021番教室(2階) 無料、申込不要、先着順 講師は佐藤亜紀氏(特別招聘教授) http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0004195.html ▽上野千鶴子氏×鴻上尚史氏トークイベント (『戦後日本スタディーズ 第2巻 60・70年代』刊行記念) 2009年5月21日(木)開場18:30、開始19:00 三省堂書店神保町本店 8階特設会場 500円、先着100名整理券配布 http://www.books-sanseido.co.jp/blog/jinbocho/2009/04/521-2-6070.html ▽未知の彼方へ − ヘルムート・ラッヘンマン 2009年5月23日(土)16:00〜 ドイツ文化センター (東京) 英語字幕、日独同時通訳付 DVD上映とディスカッション 無料、要申込 http://www.goethe.de/ins/jp/tok/ver/ja4519621v.htm ▽気づかれざるバイアス:行動にひそむ心理 2009年6月6日(土)11:00〜17:00(受付10:30〜) 専修大学神田キャンパス1号館3階303教室 英語・日本語 無料、要申込、定員400名、申込締切6月3日(水) http://www.senshu-u.ac.jp/iga/lab/sidrc/h21event_sidrc/090606.html ▽百鬼夜行の世界(人間文化研究機構 第10回 公開講演会・シンポジウム) 2009年7月11日(土)13時00分〜17時00分 有楽町朝日ホール 無料、要申込、定員600名(先着順) http://www.rekihaku.ac.jp/events/forum/next2.html ▽絵本にひそむセックス・ジェンダー・セクシュアリティ 2009年5月29日(金)18:30〜20:30 立教大学池袋キャンパス10号館X102教室 申込不要 講師は中川素子氏(文教大学教育学部教授) http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/activism/gender/events/info/2009/05/5121/ ▽今こそ学ぼう!アフリカの分かち合い精神〜スーダンでのNGO活動から〜 2009年5月30(土)15:00〜16:30 (開場14:30) 東京経済大学 無料、要申込、先着400名、申込締切2009年5月20日(水)必着 http://www.tku.ac.jp/event/detail.php?articleID=EV00688 ▽ドキュメンタリー映画「十二人の写真家」上映会 2009年5月24日(日)、6月14日(日) 各日11:00/14:00/16:00(3回上映)、開場15分前 世田谷美術館講堂 DVD上映 無料、申込不要、当日先着150名(各回) http://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/list.html#pe00217 ▽エコロジーの視点からみた異文化コミュニケーション 2009年6月13日(土)16:45〜18:15 立教大学池袋キャンパス8号館8101教室 無料、申込不要 講師はクレア・クラムシュ氏(カリフォルニア大学バークレー校教授) http://www.rikkyo.ac.jp/events/2009/06/5146/ ▽格差社会の中のジェンダー 2009年7月7日(火)18:30〜20:30 立教大学池袋キャンパス8号館8101教室 無料、申込不要 講師は山田昌弘氏(中央大学教授・「『婚活』時代」著者) 近年20代女性を中心に若年女性の専業主婦志向が強まるなど、 男女平等意識が弱まっている傾向を分析 http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/activism/gender/events/info/2009/05/5116/ ▽進化するアルゼンチン・フォルクローレ 2009年7月9日(木)19:00〜20:45 けやきホール JASRAC主催、演奏と講演 無料、要申込、申込締切2009年6月24日(水)必着 講師は栗本 斉氏(音楽評論家)、演奏は アリエル・アッセルボーン氏 (Ariel Asselborn)(ギタリスト、作曲家、シンガー・ソングライター) http://www.jasrac.or.jp/culture/schedule/2009/0709.html ▽アニメーション/「動き」のデザイン史 2009年7月16日(木)18時30分〜20時00分 東京工業大学大岡山キャンパス 無料、申込不要 講師は杉井ギサブロー氏(アニメーション映画監督、京都精華大学教授) http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=72 ▽自己を語るエクリチュール 2009年7月10日(金)18:00(17:30開場) 日仏会館ホール 1,000円(学生500円)、定員120名 おもに18世紀から現代にいたる作家たちがなぜ、どのようにして 自己を語ってきたのかを考える試みとのこと 講師は小倉孝誠氏(慶應義塾大学文学部教授) http://www.mfjtokyo.or.jp/event/00269/detail.html ====================================================================== 【編集日誌】 ☆マイエンブルグ作「火の顔」は、2005年のシャウビューネ劇場来日公演で見 ました。松井周演出の舞台も期待していたのですが、風邪であえなくダウン。 見逃してしまいました。大泉さんのレビューできめ細かな演出を含めて舞台の 出来事がよく伝わってきます。ありがとうございました。 ☆西村さんのレビューでサーカス劇場「カラス」評は3本目。それだけ見た人 が書きたくなる舞台だったのでしょう。不思議な吸引力です。 ☆ぼくもむずむずしてきたのでひとこと付け加えると(笑)、舞台上の俯瞰的 視点として「カラス」が位置付けられていたのではないか、と感じました。 「友を求める」感情を抱きつつ、周りで生起する事柄を見ることができてもほ とんど何の影響も与えられない「視点」。キャラクターを動かしているように 見えながら、システムの手のひらで動いているゲームプレーヤーのような関係 を彷彿とさせるのです。つまりタイトルの「カラス」こそが、観客の視点では ないか。これまでの叙情的心性を含んだ世界が、今回の舞台から叙事的に展開 してきたという印象は、そこに根拠がありそうです。−とまあ、あれこれ語り たくなる舞台でした。 ☆劇評を書くセミナー「座・高円寺」留学コースが5月10日から始まりました。 17日(日)は「化粧」に出演している渡辺美佐子さんの話を聞きます。この日 だけ参加したいという方は事務局までご相談ください。 http://www.wonderlands.jp/info/seminar09the.kohenji1.html (北嶋) ====================================================================== 発行 ワンダーランド 〒202-0002 東京都西東京市ひばりが丘北4-1-9 Tel& Fax: 042-422-5219 info@wonderlands.jp webサイト http://www.wonderlands.jp * 「マガジン・ワンダーランド」の登録・解除は次のページから。 http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html ======================================================================



