2009/03/25
週刊マガジン・ワンダーランド 第132号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://www.wonderlands.jp/ マガジン・ワンダーランド(小劇場レビューマガジン) 2009年 3月25日発行 第132号 毎週水曜日発行 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【目次】 ◇三条会「ロミオとジュリエット」 「知的刺激は受けたけど、泣かせてほしかったロミオさま」 (鼎談)水牛健太郎+杵渕里果+芦沢みどり ◇上品芸術演劇団「あたしと名乗る私」 存在と言葉へのこだわり、たとえばオノマトペなど 高木龍尋 ▽連載【レクチャー三昧】 第32回 地べた座り 高橋楓 ◇特別セミナー 西村博子さんが語る「アリスフェスティバルの26年」 (4月2日、3日、4日、池袋・あうるすぽっと)募集中! http://www.wonderlands.jp/info/seminar09alicefestival26.html ■web wonderland から===================== http://www.wonderlands.jp/ ◇パラダイス一座「続々・オールドバンチ〜カルメン戦場に帰る」(最終公演) 『オールド・バンチ』−記憶のバレエ 杵渕里果(保険業) ◇東京タンバリン「静かな爆」 取り繕わない自分と対面 「容赦ない」舞台で 武田吏都(フリーライター) ◇劇団掘出者「誰」 覚悟と楽しみをもって、思い悩もう 因幡屋きよ子(因幡屋通信発行人) ◇横濱・ リーディング・コレクション#FINAL「三島由紀夫を読む!」 リーディングの枠を超えた4本、幅広く多彩に 山田ちよ(演劇ライター) ◇野田地図第14回公演「パイパー」 美しいイメージの中に世界を投げ捨てる滅びのメルヘン 芦沢みどり(戯曲翻訳家) ◇日本劇作家協会東海支部プロデュース 「劇王VI」 「劇王」イベントにM-1 化の兆し 実況中継「劇王VI」 鳩羽風子(記者) ◇ワンダーランド支援会員を募集中! http://www.wonderlands.jp/info/members2009-1.html ===================================================================== ◇三条会「ロミオとジュリエット」 「知的刺激は受けたけど、泣かせてほしかったロミオさま」 【鼎談】水牛健太郎+杵渕里果+芦沢みどり ▽ジュリエット芝居−どんな上演だったか 芦沢みどり:ワンダーランド鼎談第2弾は、下北沢のザ・スズナリで上演され た三条会の『ロミオとジュリエット』。三条会は知的なたくらみと遊び心に満 ちた演出と、俳優それぞれに個性があって魅力的であることが定評になってい ます。さて、今回はどういう『ロミオとジュリエット』だったか。公演チラシ には「むかしむかしロミオとジュリエットという人がいました。2人とも恋を しました。2人とも死にました。もしかしたら1人だったのかもしれません」と いうナゾめいた言葉が置かれています。公演パンフレットの方では、「今回の 台本は、ジュリエットが登場している場面だけを抜粋して構成しました」と言っ ている。原作のうち、ヴェローナの広場や街路での立ち回り(喧嘩)、乳母の 長セリフ、マキューシオの長セリフ、修道士ロレンスの長セリフなどがばっさ りとカットされています。登場人物は八人。ロミオとジュリエット、あとはキャ ピュレット、キャピュレット夫人、乳母、パリス、ロレンス修道士、ティボル トですね。キャストは全員ジュリエットを演じるシーンもあります。 水牛健太郎:マキューシオは出て来なかったんだ。殺されるところはどうなっ ていたんでしたっけ? 芦沢:殺される場面はなくて、伝達です。こうこうだったよ、というように。 水牛:乳母がジュリエットを兼ねているといっても、単独でジュリエットのセ リフをしゃべる場面はなかったように思います。乳母はパソコンのキーを叩い て、ジュリエットのセリフをスクリーンに映していたでしょう。そういう意味 でジュリエットを兼ねていたのかな。あるいは声を合わせてジュリエットのセ リフを言うシーンがあったかな。 芦沢:あったかもしれません。それでジュリエットの場面だけで構成するといっ ても、それを全部使ったわけではなく、全体の7割ちかくカットされていた感 じです。もう一度公演パンフに戻ると、そこにはこうも書かれている。「僕の 友人のロミオが自殺しました。(中略)私のお乳をあげたジュリエットが自殺 しました…」 水牛:「私のお乳をあげた」というのは乳母の立場でしょうね。「僕の友人の ロミオ」と言ってるのは、誰の立場なんだろうか。 芦沢:一番単純に考えるとマキューシオかな。ところでこの、カットの仕方な んですが。これは「子供のためのロミオとジュリエット」といった本のカット の仕方とすごく似ていて…。 杵渕里果:えっ、似てますか? 芦沢:ええ、カットの仕方がね。もちろん子供の話とはぜんぜん違いますよ。 だって全員がジュリエットになったりするわけだから。でも、こういうカット の仕方をすると、話としては成り立つんだなと。『ロミオとジュリエット』っ て、要するに若い二人が出会って、恋をして、結婚して、死んでゆく。それが 2、3日のうちに起きるんですよね。ドラマがぎゅっと圧縮されている。その部 分はジュリエットの出てくる場面だけで構成してもなくならないということな んだなと。 杵渕:なくならないというか、繰り返すじゃないですか。 水牛:「ようこそ。みなさん」(キャピュレットのセリフ) 杵渕:そのパーティーの開始の口上へと繰り返し回帰しながら、徐々に物語を 進めているけど、『ロミオとジュリエット』の物語のあらましをぜんぜん知ら ない人、中学生とかが見たら、なにがなんだか分からないと思いますよ。わた したちは『ロミオとジュリエット』の物語を覚えているから、分からなるんじゃ ないのかな。 水牛:実はそこが『ロミオとジュリエット』のひとつの肝で。原作では、最初 に口上で話の筋を言っちゃうんですよね。要するに敵同士の名門があって、そ の子らが恋人で、悲惨な死を遂げて、親の争いを終わらせると。現代の観客は というと、ほとんどの舞台でこのプロローグは上演されないんだけど、劇場へ 来ている時点でほとんど筋を知っているわけだから、それはシェイクスピアが 最初に計画した通りの上演になっているわけですよ。要するにこれから若い二 人が出会って不幸な死を遂げるということまでは、知っている状態で見ること が最初から予定されている。 ▽初演との違い 芦沢:三条会がなぜ千葉でやっているかということについて、「インタービュー ランド」(注1)で演出の関美能留さんが、千葉でやれば演劇を見たこともな い人も来るんじゃないかというようなことを言っている。それで、南房総市で 上演された三条会の『ロミオとジュリエット』(注2)を杵渕さんは見てるん ですよね。 杵渕:三条会は千葉だけど、たまに東京にきたとき一度はみとけって言う人が いて、ホームページみたら南房総市のハーブ園、観劇込みの日帰りバスツアー、 チケットと交通費で六千円、こ、これはトクな旅行だ、と思って行ってきまし た。 芦沢:南房総市の上演は、今回の上演とは違うと以前おっしゃってたけど、ど こが違うのかな。 杵渕:それは、初めて『ロミオとジュリエット』を見る人でも話について行け るような、順番通りの丁寧な作品でありながら、中村岳人さんとサカキさん (榊原毅)が二人とも坊主(スキンヘッド)だったんですよね。二人の坊主が いる芝居ってのは、話に聞いていて。確かにふざけたことも言うんだけれども、 女性陣は朗々とセリフをしゃべって。若いようなふざけ振りと、すごくオーソ ドックスで古典的な風合いの両方を出して、保守的な人でも新しい空気を読み ながらついて行けるような『ロミオとジュリエット』だったんじゃないかな。 芦沢:キャストはやはり八人でやってるんですよね。今回みたいに全員がジュ リエットのセリフをしゃべるような上演ではなかったんですか? 杵渕:どうだったんだろう。 水牛:つまりそこは、印象に残ってないってことですよね。 杵渕:まあ、字幕は使ってましたけど。役がコロコロ入れ替わるというよりは、 整然とした印象でしたね。 芦沢:舞台写真を見ると、なんかコスチュームプレイっぽいし。それで、八人 でやって分かったのかな。 杵渕:違和感のない舞台でした。ただ、あまりベタな芝居ではないですね。ロ ミオとジュリエットの役者が二人で愛を語らうとかっていうのではなく、もう 少し語りの感じ。お互い語りを見せ合いましょう、語りを聞きましょうという ような感じはしましたけどね。 水牛:シェイクスピアの世界を再現しようというのならBBCみたいにやればい いわけだし、あるいはアイドルのかっこいいイケメンの若い男の子と、若い女 の子を輝かせるという目的で企画ものとしてやるのだったらいいけれども、そ うでない限り、あのバルコニー下のラブシーンとか原作に忠実に再現されてい るのって、今ないですよね。やはりちょっと気恥ずかしいし、セリフは長いし、 時間かかるし。だから、おそらく、三条会みたいにした方がむしろ、ふつうの 演劇ファンはすんなりみることができるんですよね。年齢だって実際は十代な んてありえないわけですから。若いと言っても25とか30とかの俳優が必死になっ てやるというのは、みててちょっとつらいと思いますよ。 杵渕:シェイクスピアのセリフって、くどいというか文語調というか、古色蒼 然としてきれいじゃないですか。だから全部ベタっと役者が喋ってしまうと、 なんか語感が破壊される。三条会のは、役者もしゃべるけど、喋らないで字幕 になる部分があって、セリフを読む楽しみが出てくるのがすごくいいんですよ。 芦沢:前回もジュリエット役はク・ナウカの寺内亜矢子さんでしたが、今回は ティボルトの牧野隆二さんとキャストの中にク・ナウカが二人入っていて、ジュ リエットのセリフが字幕で出たり、ティボルトが死んでからジュリエット役に なる場面があって、そこで人形ぶりみたいなことをやるんですよね。あれ、す ごくおもしろかったんだけど、二人をそういうふうに使ってましたね。だから ク・ナウカのやり方を踏襲するというよりむしろパロディーとして使っていて、 素直にはやらないんだ、関さんは、と思っておかしかったです。 ▽若くて純情なだけのキャラクター 杵渕:最初の方、ジュリエットが振り返ったときに、スクリーンにハートマー クが出るじゃないですか。 芦沢:あれ、かわいかったね、胸キュンみたいで。 杵渕:でも、本当はどういう意味だったのかな。それからロミオ(橋口久男) も変ですよ。ズボンの上に、ジュリエットと同じスカートを重ねていて半分女 装の状態。で、お茶碗を片手に持ち続ける。あれ巡礼?物乞いですか? その 風体で、ヘヘヘと笑い続けるから、見るからに変な人。ジュリエットと乳母が 褒めそやせば褒めそやすほど、異化されてしまう変人さ加減。 芦沢:それって、原作もそうじゃない? ロミオの方はジュリエットの美しさ に一目ぼれするんだけど、ジュリエットはロミオの言葉以外のどこに惚れたん だろうって気がする。 水牛:ロミオだって若いイケメンだったんでしょう? 映画ではレオナルド・ ディカプリオがやってたりするわけだから。それが正しい配役だと思いますよ。 だってこの二人ははっきり言うと、人格がないわけですよね。若くてきれいで ありさえすればいい。ぱっと出会って、燃え上がって、死ぬだけが仕事。だか らなんか表現する必要はまったくない。きれいな花に見えればいいんだと思う。 杵渕:えー。見えないよ、ロミオが花なんて。それどころか特にロミオがヒド イ! ジュリエットはかわいかったけど、このロミオって、ズボンの上からジュ リエットとおそろいのスカートを羽織ってる。演出の関さんは、ロミオが美し く見えるのを最初から投げたとしか思えない。内面的な美しささえ伺えないく らいに変人でしょう。なんでチラシに「2人とも恋をしました。2人とも死にま した。もしかしたら1人だったのかもしれません」なんて書くのかなぁ。私は このコピーが分からないです。 水牛:ああ、なるほど。直観的な話をすれば、さっき私が言った意味で言うと、 ロミオとジュリエットって実は同じなんですよね。どっちも人格はないから。 若くて純情だってだけのキャラクターだから、頭からっぽのアイドルとかを配 役するのが一番正しいと思うんですよね。この二人って人格的な深みが生じる 必要、まったくないから。花としてきれいだってことが重要だから。ほんとに 極端な話、14、5歳でも構わない。でもセリフ覚え切らないかな。 芦沢:いや、むしろ覚えられますよ。俳優って年齢と記憶覚えは反比例するから。 杵渕:でも、オリビア・ハッセーが映画でやったジュリエット(1968年)を見た 英国人は、見るにはよいがセリフは聞くに堪えない、という感想を持つのだと 読んだことがある。若い役者はセリフは入るけど、発声の技量はないんじゃな いかな。 水牛:私が言ったのは、存在として見ると、ってこと。私は、二人は若くて花 のようなイメージがしたんですよね。で、ロミオにああいう人を持ってきたっ ていうのは、おもしろいと思う。 杵渕:おもしろいというか、人がいなかったんじゃない(笑)。っていうか、 男優できれいって難しいじゃないですか、ふつうに。誰もが納得するかわいい 女の子を連れてくるのと比べたら、誰もが納得するかわいいきれいな男の子を 連れてくるのって、すごく難しい。ティボルトの方がまだマシだったでしょう、 今回は。 芦沢:なんかトラボルタみたいな衣裳だったけど。 杵渕:でなければサカキさんにロミオをやってほしいくらいでした。 芦沢:でも、怖いよ。キャピュレット役だって十分怖いもの。 杵渕:サカキさんは巨漢の坊主頭で、異形すぎてロミオは無理かも。いっそ、 サカキさんがジュリエットで、母親役の大川潤子をロミオって見たくない? 千葉の上演も、ジュリエットの母と乳母が大川潤子で父親がサカキで、でもあ の二人にロミジュリそのものをやってほしい。三条会で一番うつくしい声の俳 優だと思うし。 水牛:低くてね。 芦沢:ロミオは誰だった? 杵渕:ロミオは中村さんかな。確信持ないです。 芦沢:中村さんが裸でパンツ一枚の舞台写真があったけど。 ▽キャピュレット家の愛と真実 芦沢:話は戻りますけれど、なぜ全員がジュリエットのセリフをしゃべるかで す。 水牛:それが、分からないんですよねえ。 芦沢:登場人物の全員が、親にしろ、乳母にしろ、ジュリエットに関心がある というか、かかわりを持っていて、彼女のことを気にはしているんですよね。 だから、そういう人たちがジュリエットのセリフをしゃべるということには、 あまり違和感なかったですね。ということは、これ、ジュリエットの芝居なん じゃないかなあ。このチラシにしろパンフレットにしろ、デザインがなんか洋 菓子屋さんの包装紙みたいじゃない。ピンク色で。 杵渕:女性の横顔のシルエットで。 芦沢:だから、これ、ジュリエットの芝居だ、と思ったんじゃないかな。 杵渕:だとすると、ロミオが要らないじゃないですか。ジュリエットだけで。 「ジュリエットとジュリエット」。 芦沢:うん、だからこの『ロミオとジュリエット』はロミオ、アンド、ジュリ エットでもなく、またロミオ、イコール、ジュリエットでもなくて、ジュリエッ トの中にロミオが入っちゃってるみたいな。 水牛:それは、まるきり演出の通りにみたということでしょ。 芦沢:それって、だめ? 水牛:別にいいけど。 芦沢:よく社会学で図形を使うじゃないですか。円の中にもう一つ円があって みたいな。ジュリエットの中にロミオが入っちゃってるような、そんな感じが しましたよ。 水牛:今回は榊原さんと大川さんを父母役にしたということで、ジュリエット との三人のシーンが一番盛り上がるというか、そこから決まったんでしょうね。 芦沢:友田さんも杵渕さんも、三人が手をつないで円陣をつくるシーンが気に 入っているようですね。ジュリエットがロレンスから薬をもらって飲む直前で す。 水牛:あのシーンを見たときに、『ロミオとジュリエット』ってのは、関係性 が本当にきちっとしているんだなあというのが分からなりましたね。ああいう ジュリエットにしても母にしても、お互いがお互いのことを思っていて、もう 真心以外なにもないのに、ああいうふうにならざるを得ないっていう悲しさと いうか。夫婦は娘の幸せのことを考えているわけだし。もちろん考え方の角度 は違うけれど、やっぱりキャピュレットにしてみればジュリエットは自分にとっ て宝物で、娘が立派な伯爵に嫁ぐことが幸せだと…。 杵渕:そうかなあ。キャピュレットの家は、子供を乳母に育てさせる階級で、 母親より乳母の方がよっぽどジュリエットに今でいう母親っぽさがあって、実 の親たちの愛情というかジュリエットへの配慮って、今わたしたちが思ってい る親の愛と、ぜんぜん違うと思いません? 水牛:それは違うんだけど、この時代のこの人たちにとっては、これが親の愛 情だったと思いますよ。 杵渕:愛情っていうのかなあ。 水牛:だってキャピュレットはジュリエットが死んで(薬で仮死状態になった 場面)、自分も死ぬと言っているわけだから。娘が伯爵夫人になることによっ て、自分の栄達とか栄誉ってこともあるんだけど、名誉とか栄誉は、現代人よ りもはるかに重い意味を人生の中に占めているわけだから、それと愛情は両立 するというか融合していると思うんですよね。 芦沢:杵渕さんがこのシーンで涙を流したというのは、どういうこと? 杵渕:感涙ですよー。ジュリエットって父親はもちろん、母親にも聞く耳持た れないじゃないですか。その上、頼りにしてた乳母からも見放される。14、5 歳の少女なのに自分一人しか信用できない状況に陥って、一人で考えはじめる。 親を言いくるめ、乳母を言いくるめ、大人を騙しながらロミオのところに向か う。そういう場面で、今回の三条会は、ジュリエットに父母役の俳優と手をつ ながせた。家族三人の円陣をつくらせた。ジュリエットというのは、現実には 信用できない親だけど、その両親の記憶を集めて立ち上がってオトナになって いくんだな、不憫だな、って感じで泣けた。 芦沢:両親の記憶? 杵渕:記憶そのもというか、内面の親かも。ジュリエットが、コロスとして頼 みにして手をつなぐのは、ロミオの役者でも、従兄のティボルト役者でもいい のに、両親の役者たちだった。ジュリエットは、現実の親と別の次元での親を、 象徴的な親みたいのを見つけて、自分のコロスにした、っていう感じがしたな あ。 芦沢:なるほどね。それはまた深い読みですね。 ▽事件の黒幕?怪しい二人 水牛:そういう芦沢さんはどうなの? 芦沢:いやあ、どうなんでしょうねえ。実は、あの場面ではあまり感動もせず…。 むしろ、キャストの中で一番気になったのはロレンス修道士のあの「たるい」 身体で。この人って結局、責任取らないというか、かなり無責任な人で、中で も特に「あ、手紙忘れた!」なんてセリフがあって、あれは原作にないセリフ なんですよね。衣裳もカエルみたいで。吟遊詩人じゃないけどギターを持って、 しかもぜんぜん弾けないし。弾く振りもヘタで。だから大人の無責任をあそこ に出しているのかなあと思いましたね。他の身体がすごく強いのに、あそこだ けたるいのね。これもかなり考えたキャスティングだという気がしました。 水牛:あそこは意図的なシーンだけど、私に言わせればちょっと誤解もあるよ うな気がしているんですよ。確かに、原作を読むと、何なんだこいつら、大事 な手紙くらいちゃんと届けろ、って現代人は思う。それを演出意図として( 「手紙を忘れた」という形で)強調しているのを「違う!」なんて大声で叫ぶ つもりはないんだけど。ただ、この時代には郵便制度なんかないわけだから。 手紙を出したらちゃんと届くってのが、実は現代人の発想じゃないですか。手 紙を出しても届かないのは、この時代なら容易に考え得ることなんだよね。だ から本当は、無責任とかいう範疇のことではないんですよね。 芦沢:ただ、手紙のことだけじゃなくて、自分で結婚させておきながら、その あとに誰か大人に言えばいいものを、誰にも言わないとか。 杵渕:そんなこと言い出したら、あの毒は何なんだってことになりますよ。 芦沢:それはお芝居を展開させて行くための、一つのツールではありますよ。 だから人格うんぬんと言ってもしょうがないんだけど、でも、あのカエルはお もしろかったな。 水牛:あの神父ってフランシスコ会の修道士なんですよね。当時のイギリスに おいてフランシスコ会というのがどう見られていたか、ということも背景には あると思うんですけど。 芦沢:当時のイギリスは国教会が正式の教会ですか。でもこれはイタリアの話 ですけど。 水牛:だって、それはあまり意味ないから。イタリアをリアルに描こうなんて 気持ちは最初からない。借りてるだけだから。 芦沢:でも、ロレンスが出てくるってのは、イタリア的だからで。 水牛:このロレンスが最初に出てくるときに、原作では長い独白があるんです よね。自然と人間の合一感みたいなことを言って。つまり、この人はどういう 人かってことを強烈にアピールするような。 杵渕:シンデレラや白雪姫の、魔女みたいな存在ですか? 水牛:まあ、そんな感じですよね。花のつぼみには薬もあれば毒もあるみたい な、怪しげな薬を操る人物であるということをにおわせて。ここら辺、フラン シスコ会の修道士ってのはこういうもんだー、みたいな考え方が反映されてい るんだと思うんですね。 芦沢:なるほど。 水牛:今回の演出のポイントになっているのは、乳母と神父だと思うんですよ。 考えてみれば必然的なことですが。話としてロミオとジュリエットが死んでし まうことは最初から決まっていることなんで、あとはそれをいかに自然に流し てって最後に観客を泣かせるかってことが、いわばシェイクスピアの意図であ ると。するとその中で運命の曲折というか、運命を曲げてしまうような、この 二人を死に追いやって行くようなポイントを握っているのが、この乳母とロレ ンスですよね。だからこの二人が自然に目立って来ざるを得ないわけで。要す るに他の人ってのは、だいたいがキャラ通りの人物なんですよね。 杵渕:二つの家にある程度かかわりのない立場に立てるのが、その二人ですよ ね。 水牛:そういうことです。だから神父のやったことが、なんか変なんじゃない かとか、ま、極端に無責任なんじゃないかという解釈も施しうるし、乳母に関 しても、私は今回の演出は、乳母を一番のポイントにしているなと、実は思っ たんですね。今回の演出だと、そもそも最初から、乳母の役の人(立崎真紀子) がジュリエットのセリフをパソコンから打ち出して、スクリーンに映し出すと ころを観客に見せているわけです。それから、ジュリエットをものすごく煽る ようなことをしていて。気持ちが乗りかかっていたときに、やあ、ロミオはす ばらしいです、すばらしいですってなことを言う。乗って来る。で、すごく乗っ て来たときに見捨てちゃうわけですよね。そこのところで、あっと思うような 演出になっている。この人、急に言うこと変わるじゃない、何なんだと。で、 ジュリエットが死んじゃう(仮死状態になる)。死んじゃうとその両親は、あ あ、もう本当に悲しいと、こんなことになってしまうとは、って言うんだけれ ど、乳母だけが棒読みなんですよね、セリフが。 芦沢:「ああ、悲しい」(棒読み)。 水牛:そして最後の神父の場面では、神父の後ろにいて彼を操っているわけで すよね。だからこの芝居は、乳母がすべてを操っていたという解釈でつくって いた気がする。 芦沢:なるほどね。 杵渕:だから一番現代っぽい恰好をして。 水牛:そうそうそう。 ▽聞くだに古い物語こそ 水牛:今回の公演に不満があるとすれば、やはり最後は気持ちよく泣かせてほ しかったな(笑)。いや、そういうことを期待してはいけないのかもしれない けど、でも、ひねっていても泣けることはあるじゃない。ロミオがあの人であっ ても。 杵渕:ロミオにも気持ちを入れたかった。ロミオの中に真実味や、若い男の子 の葛藤を見てみたかった。ジュリエットに比べると今回のロミオ、スケスケで、 ダレ切って見える。 水牛:だから最後に泣けないと、「ロミジュリ」としてはちょっと、みたいな。 まあ、そもそもそういう気持ちでつくっていないと言われたら、それまでなん だけど。 杵渕:あと、好きな場面だと、初夜のシーンと、最後の葬列のシーン。初夜の シーンは、暗転して、ロミオが「気持ちイイ〜」とかマヌケに叫んで(笑)、 そこに『マンガ日本昔ばなし』の「にんげんっていいな」が流れますよね。 水牛:いいな、いいな、人間っていいな(と歌う)。 杵渕:『日本昔話』の曲もそうだけど、俳優陣は、パンパンと手拍子をする。 「いいないいな」のサビのところだけ若干照明がつくと、ロミオ以外の俳優が、 ジュリエット含めて、しらーっとロミオのスケベを鑑賞してる(笑)。あの妙 に白けた感じがよかったなー。パンパン、は、まぁ、スケベのパンパンでもあ るけど、それは最後の葬列シーンに流れる「幸せなら手を叩こう、パンパン」 の手拍子と、オーバーラップしてくる。死の暗さを、生命の肯定の記憶で攻め ていく、すんごいウマイ演出だと思った。でも、だったら、もうちょっとロミ オに気持ちを入れられるようにしてよ〜、って思うんですよ。あのキャストの ロミオはやだー。 水牛:配役か。 杵渕:配役っていうか、最初から衣裳が女装だし。台車に乗って赤い縄を持っ たジュリエットに手繰り寄せられるシーンは、おもしろいけど、お笑いでしょ う。もうちょっとロミオの精神的な側面も見せてほしいんですよ、三条会なら。 水牛:それはあの俳優であってもってこと? 杵渕:あの俳優であっても。昨年、『近代能楽集』で橋口さんの役者姿を何度 か見たけど、今回のロミオよりはマトモな人に見えましたよ。 芦沢:あれ何で台車に乗ってたのかな。糸で引っ張りたかったから? 水牛:引っ張りたかったからでしょ。 芦沢:つまり赤い糸というアイデアが先にあって、それが引っ張られるという ことか。 杵渕:あれはロミオお立ち台で、不安定でしたね。ロレンスから薬をもらうと ころでももらえないで。(この演出ではロレンスから薬をもらうのはジュリエッ ト、キャピュレット、キャピュレット夫人で、台車に乗ったロミオも手を出し たがもらえなかった)。ロミオを徹底的におかしくしてましたよね。おもしろ い人というか。 芦沢:「四季のうた」も歌ってましたね、朗々とというか、ヘタというか。衣 裳も変だけど、お鉢みたいのを持っていたのが托鉢僧みたいで。で、本を読ん でみたらパーティーの場面でジュリエットに自分は巡礼だって言うのがあって。 それが出典かなと思ったりしましたけど。お鉢も変だけど、最初から包丁も持っ て出てくるロミオだからねえ。 杵渕:とにかくあのロミオをなんとかしてほしいなあ。あれだけが舞台で思い 出したくない記憶の一つって気がするんですけど。キュピレットの父役のサカ キさんが「ミュージックスタート」と言うと、ナツメロ系の音楽が流れて、 「聞くだに古いわ」と釘をさす。流れたのは安室の「CAN YOU CELEBRATE」と…。 芦沢:「日本昔ばなし」「四季のうた」「涙くんさよなら」、初夜のシーンが 安室。「幸せなら手を叩こう」が最後の場面で使われてた。 杵渕:でも『ロミオ…』を漠然と覚えてるだけの人だとついて行けないと思う。 物語がちょっと進んでは、パーティーシーンに回帰して「ミュージックスター ト…聞くだに古いわ」、を繰り返すんだもん。 水牛:それはシモキタの客層をある程度見込んでというか。それはやはり、あ あいうひねりがあった方が喜ぶでしょ。 杵渕:そういえば、南房総の『ロミオ…』は、オーソドックスに進行する演出 だったけど、こんな悲恋がありました、というナレーションの、モノガタリら しさに重心を置いた終わりかただった。今回のザ・スズナリの『ロミオ…』も、 昔の物語だ、聞くだに古い音楽だ、と、反語的に「昔話にすぎない」のを確認 しているのかも。実は、聞くだに古い話こそ、今も古びない物語である、と。 水牛:まあ、そうかもしれないですね、それは。それは素直な解釈かもしれない。 芦沢:聞くだに古いって、シェイクスピアのセリフにはないんだけれども、わ ざと言って反語的に強調していると。 ▽もったいない、おもしろい 水牛:ふつうにやれば必ず泣けるところを泣けないようにした感じはします。 配役が誰であれと言うと極端だけど、愛情と、それがすれ違って死んじゃったっ てところを丁寧に描けば、あとはどんな演出でも泣けると思いますよ、この芝 居っていうのは。 杵渕:そうかなあ。 水牛:だって、職人に徹して書かれていますよ。それだけが目的と言っていい くらいに。 芦沢:すると今回の「ロミジュリ」は、知的に刺激は受けたけれど泣けなかっ たという結論ですかね。 杵渕:別に泣かなくてもいいけど、チラシのコピーの「ロミオとジュリエット という人がいました。二人とも恋をしました。もしかしたら1人だったのかも しれません」という文句と、今回の芝居は違いすぎます。「1人だったのかも」 というのは演出のプランで、それを軸に今回の演出が構築されたのかもしれな い。でも、それと仕上がった作品に関係性がなさすぎる。好きな場面もいくつ か見つかったし、出てきた結果を、お客はただ愛でればいいのかもしれないけ ど、あのお笑いロミオは、なんとかしてほしいなぁ。 芦沢:というのが結論か。結局、杵渕さんは3人が円陣をつくるところ、それ と、初夜と葬列と、じゃあ、最後の場面はいちおう感動したんじゃない? 杵渕:うん、感動はしたんですよ。ただ、ロミオがねえ(笑)。ジュリエット のセリフを全員が分担するなら、ロミオのセリフも何人かに言わせるとか、ど れがロミオかジュリエットか、本当に分からなくなるとか…。 芦沢:でも、それじゃ、芝居にならないもん。 杵渕:だけどロミオのセリフ、パリス役なら分担できますよ。今回のパリス役 は、舞台に出っぱなしでぶらぶらしてたでしょう。 芦沢:あ、そういえば今回はパリス役の中村岳人さんが少ししか出てこなくて、 もったいなかった。あ、もしかしたら、ロミオをあの人がやればよかったのか もしれない。 杵渕:どっちもどっちかなぁ(笑)。でも今回のパリス役の中村さんは、ロミ オ橋口さんに比べたらよっぽどふつうな人で、ジュリエット、パリスに行けよっ て感じ(笑)。 芦沢:中村さんがロミオをやっても、あの恰好をしちゃうと同じかもね。 杵渕:あの恰好、女装のロミオということは、案外、女の子の気持ちが分から なるロミオだったりして(笑)。それにしても、パリスの中村さんはもったい ないな。活躍してほしかったな。 芦沢:私がおもしろいと思ったのは、ク・ナウカのあの人形振りですね。馬鹿 みたいなところでおもしろがって、スイマセン。 杵渕:ティボルトはク・ナウカ客演だったんですか。ジュリエットがパリスに 嫌々面会する場面で、死体になってたティボルト役を、木偶人形みたいに無理 矢理立ち上がらせて、パリスと会話させるところですね。三条会って、メチャ クチャなセリフのザッピングで、ある役者がある人格を受け持つ、という定式 を壊したところに笑いどころを持ってくるのかも。でも、演劇って、シェイク スピア当時の劇団でも今の劇団でも、その芝居に出ている役者はすべて、相手 役のセリフはもちろん、他の役のセリフや感情も、けっこう知り尽くしながら 繰り返し演じていく。だから、今回の三条会の、「ロミオとジュリエットとい う人がいました…もしかしたら1人だったのかもしれません」っていうのは、 ある意味不自然でもないのかも。でも、あの女装のロミオはないよね〜(笑)。 「ジュリエットとジュリエットとジュリエット…」くらいジュリエットに気合 いがはいってるのに、ロミオがお留守、って感がぬぐえないんですよ。 (2009年3月1日、西東京市・ワンダーランド編集部) (注1)「演劇にはまだやれることがいっぱいある」(三条会・関 美能留イン タビュー 聞き手:松本和也 インタビューランド 第2回 ) http://www.wonderlands.jp/interview/002/01.htm (注2)2007年3月24日、南房総市シェイクスピア・カントリー・パーク シア ターホール(ローズマリー公園)で上演された三条会の『ロミオとジュリエッ ト』。 http://homepage2.nifty.com/sanjokai/records/070325_rj.html 【出席者略歴】 水牛健太郎(みずうし・けんたろう) 1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。 大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005年、村 上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデ ビュー。演劇評論は2007年から。そのほか村上龍主宰の「ジャパン・メール・ メディア(JMM)」などで経済評論も手がけている。 ・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=46 杵渕里果(きねふち・りか) 1974年東京生まれ。演劇交友フリーぺーパー『テオロス』より、演劇批評を 書き始める。ほか『シアターアーツ』にも掲載あり。保険のテレアポ。 ・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=60 芦沢みどり(あしざわ・みどり) 1945年9月中国・天津市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。1982年から主 としてイギリス現代劇の戯曲翻訳を始める。主な舞台「リタの教育」(ウィリー ・ラッセル)、「マイシスター・イン・ディス・ハウス」(ウェンディー・ケッ セルマン)、「ビューティークイーン・オブ・リーナン」および「ロンサム・ ウェスト」(マーティン・マクドナー)、「フェイドラの恋」(サラ・ケイン) ほか。2006年から演劇集団・円所属。 ・ワンダーランド寄稿一覧 :http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=20 【上演記録】 三条会『ロミオとジュリエット』<第19回下北沢演劇祭参加> http://homepage2.nifty.com/sanjokai/ 下北沢 ザ・スズナリ(2009年2月18日-22日) 原作:W・シェイクスピア 演出:関美能留 出演:大川潤子 榊原毅 立崎真紀子 橋口久男 中村岳人 渡部友一郎 寺 内亜矢子 牧野隆二 料金:前売3,300円 当日3,500円 学生2,500円 制作:久我晴子 ===================================================================== ◇上品芸術演劇団「あたしと名乗る私」 存在と言葉へのこだわり、たとえばオノマトペなど 高木龍尋 地上32階のレストラン…行ったことはないし、行こうともあまり思わない。 高級なのだろうけれども、3階以上のところに住んだことがなく、10階以上の 建物にもなかなかお目にかかる機会がないところで育った私には何となく縁遠 い気がする。おそらくは、作・演出の鈴江俊郎さんもそのような気分の持ち主 ではないだろうか。 リーフレットに鈴江さんが載せた「街がおもちゃに見える場所」には、高台 から見下ろした景色とその感覚が地面近くに生きる私たちとは隔絶しているの ではないか、という旨のことが書かれている。生まれたときからタワーマンショ ンなどに住んでいる子どもは成長したらどんな感覚を持っているのだろうか。 わからない。3階以上のところに住んだところのない私は、大阪の街に出てオ フィスビルやホテルやマンションの群を見ても、どうにも物体としての存在に しか思えない。建物には多くの人間が関わったり、或いは存在していたりする のは確かなのだが、その人間の気配を感じられないのである。部屋の照明が点 いたり消えたりを見たとしてもである。と考えてみると、この感覚は作品の登 場人物が下界を右往左往する人びとを「虫けら」「つぶしちゃえ」「ぶちゅぶ ちゅ」というのと通底しているのかもしれない…。 などと書き始めれば重たい作品のようだが、確実にこの作品は喜劇である。 登場人物も至極フツーの人たちだ(鈴江さんが特殊な人物を書いたことがあっ ただろうか、内面はさておいて)。地上32階のレストランは、その至極フツー の人びとの感覚をおかしくさせる装置なのであろう。感覚を少し(?)おかし くさせた上で、平素の生活ではあり得ないことを言わせる。それは登場人物た ちの思いもよらないことであるが、本心には違いない。しかも、それは機会が あれば洗いざらい吐き出してしまいたいことなのだ。このこと自体、何の変哲 もないような気がする。 登場する人物たちはそれぞれに心の中に鬱積するものを抱えている。4人の OLたちは恋愛と仕事、夫婦は経営する会社の倒産とこれからの生活、レスト ランに勤める従業員たちは職場の分裂騒ぎと現状、退学した大学生と大学事務 員は働くことと未来、とそれぞれに不満を抱えているか、現状が変化してゆき そうになることに耐えきれないか、である。舞台の上で(大学で働いていると きからひと言も発しない事務員は除いて)それを入れ代わり立ち代わり口に出 してゆくことで物語(物語らしき物語というものはないのだが)は進んでゆく。 そして、何も結論が出ず、堂々巡りのままに終わってゆくのだが、この結末が 堂々巡りになるのはある面で自明のことであろう。これがいいと望んだとして も十全に叶えられることはまずないだろうし、それに近い状態にあったとして もいつまでも持続するとは限らない。時の推移や人間関係の変化によってその 願望も変わってゆくから、鬱積するものが何もないということはあり得ない。 いつまでも続く不足や不満に対して、完全なる解決や打開などというものはな いのである。登場人物たちもそれがわかっている。わかっているけれども、誰 かに話したところでどうにかなるものでもないし、却って泥沼にはまることに なるかもしれない。けれども、話さなければ息が詰まるのだ。 ただし、舞台の上の物語をいつまでも堂々巡りにしておくわけにはいかない。 そこでふっと窓の方に目をやると、向こうに見えるビルの屋上に人が見え、し かも柵の外に立っているのがわかる。どうやら飛び降り自殺志願者のようであ るが、立ったり座ったりを繰り返しているばかりで、今にも飛ぶような気配は 感じられない。この自殺志願者に視線を向けることでそれぞれの登場人物たち の会話は切り替わるのだが、4つのグループのそれぞれに自殺志願者の姿は見 えている。つまり、入れ代わり立ち代わりしながらも、この登場人物たちは同 時にひとつのレストランに存在している。ということは、それぞれのグループ はそれぞれに関係を持つ人間に対してしか意識がなく、レストランの中の空間 にいるはずの他の人びと対して関係がなければいないのと同じ、ということを 示しているのであろう。 例えば、OLたちには会社の倒産した夫婦は関係がなく、同じ場にいたとし ても余程の何かがあって気を惹かれない限り、存在しないのと同じなのだ。け れども、レストランの従業員が客の話をしている時間帯に店の片づけをしなが ら話しているということは考えにくい。とすれば、何度も繰り返される堂々巡 りが残像のように重なって映し出された、いわば場所の記憶ということになろ うか。結局はどちらでもよいのかもしれないが、思い悩むことは数知れないの に、それにはほとんど答が出ない、出ないよりも前に別のことが現れてそちら が気にかかってしまう、という現代人の現状を描いているのであろう。立った り座ったりという自殺志願者も、ひとつのビルに1回だけ現れるとは限らない だし…。 さて、この作品の構図をみればこのようになると思われるが、それ以上に観 ていて惹かれるものがあった。それは作者が登場人物たちに言わせた言葉であ る。その中でも、オノマトペと譬喩にはとても笑わされながら納得させられた。 OLのひとり、谷加寿子の付き合って3年3ヶ月になる彼氏は彼女に対して 言葉のかぎりを尽くしてくれる。だが、全く手を出して来ない。その手出しの ことを加寿子は「さわさわせん」「こしょこしょせん」と言う。結局は他のメ ンバーにはうまく伝わらず、そのものの言葉を言わねばならなくなってしまう のだが、ここで音の感触で様態を伝えるオノマトペが実際の行為を婉曲的に表 現し得ることも改めて感じさせられた。口憚られるようなことを言わねばなら ないときのオノマトペ、そういえば大昔に放送にのせられないようなことをチョ メチョメと置き換えた司会者がいたなぁ、と思い出したりもしたが、それが恋 愛と仕事に悩みを抱えるOLという生き物のもどかしさを衝いているようにも 感じられた。そしてまた、加寿子が放った、彼氏が手を出して来ない安全度を 表現する譬喩「ノーデインジャラス。ノーリスキイ。ビッグシップオンザびわ レイク」=「琵琶湖の上で大船に乗る」という思い切りのいいカタカナ英語に は笑った。そして勿論、その解説をOLたちがしていくのだが、再度出てくる ときには「びわレイク」が「はちろうがた」に変わり、更に安全度が増した。 会話の途中に突然カタカナ英語で絶叫するから、一瞬何を言っているのかわか らないところもあるのだが、このベタな機転には、関西に生息する結婚に意識 の大部分を占められている女性、といった感触がする。言うまでもなく、まだ まだ苦労する人なんだろうな、と観客のほとんどが思うのだが。 さて、この作品は言葉への気遣いが強いように感じられる。「あたしと名乗 る私」というタイトルは、会社が倒産した夫の若い妻が「わたし(わたしが)」 と言うところを「あたし」と言うことに憧れを持っていたことを語った部分か ら来ている。子どもの頃アニメの主人公が自分のことを「あたし」と言っていた のを聞いて、それなりの家庭に育ち「あたし」と言うことを許されなかった「わ たし」にはない快活さを持っていることが羨ましくて仕方がなかったというの だ。だが、会社が倒産することで厳しい生活に陥ったとき、育ちの良さとその 教育から出来なかったことが叶えられるかもしれない、と脳天気に空想する。 登場人物のキャラクターがその台詞によってかたちづくられることは言うまで もないことだが、登場人物に言葉をこだわらせることで、それぞれの個性が強 くなる。この作品の中でOLたちの言葉は彼女たちのものでしかなく、夫婦も、 店員も、大学生も、全く声を出さない事務員であってもその無言が、人物を際 立たせる。その個性が強くて「ありえない」と頭の片隅で思わせながらも、別 の頭の片隅で現実世界のどこかに「いるかも知れない」と思わせる人物をつく りあげるのが鈴江さんの力なのだろうと思われた。 このようなこだわりは舞台の上では必要だし面白いことなのだが、現実の世 界にそのこだわりがあったとしても、生きにくい上に、他人にはどうというこ ともない、とりとめのないことである。たとえば自殺者の悩みも生きている人 からみればとりとめのないことかもしれないのだが、この作品の登場人物たち は窓の外の向こうのビルに立っている人を見ることで、そのとりとめのなさを 反射される。自殺(しようとしている)者にとってはレストランの客たちの悩 み、レストランの客たちの存在、地上32階のレストランの存在自体がどうでも いいことだ、という可能性もある。それは多分、他の存在を意識することも少 なくなり、意識して他の存在を感じないようにしている現代を映しているよう でもある。 (2009年2月22日昼 大阪・精華小劇場) 追記 上品芸術演劇団「あたしと名乗る私」は精華小劇場主催の精華演劇祭vol.12 参加作品で、皮切りとなる公演であった。今回の演劇祭は中島陸郎へのオマー ジュ企画である。中島陸郎は1950年代後半から演劇に携わり、前衛演劇集団大 阪円形劇場・月光会、オレンジルーム(現HEP HALL)、ウィングフィールド、芸 術創造館などの創設・プロデュースで活躍した。1999年に68歳で亡くなり、 2009年は没後10年となる。そのため、円形舞台を組んで公演を行うというコン セプトのもと参加6団体が公演する。私が演劇を観るようになった頃にはもう 中島氏は鬼籍にあった人であり、私がどうこう言う立場ではない。氏について はその著書などを御覧いただきたい。また、演劇祭開催中、3回の座談会が催 され、3月17日〜22日にDIVE(大阪現代舞台芸術協会)プロデュース「中島陸郎 を演劇する」が上演されたことを付け加えておきたい。 それから、上品芸術演劇団「あたしと名乗る私」は今公演だけのようである。 以前に同劇団の公演を観たときにも思ったのだが、観応えのわりにはチケット 代が驚くほど……お手頃。良心的と言おうか、欲がないと言おうか。いかにも、 鈴江さんとその仲間たち、らしい。その欲のなさがちょっと勿体ないというか、 もっと多くの人に観せてあげてよ、という気がしてしまう。小さな佳品がひっ そりとある、というのは貴重でうれしいことことだが、その反面、もっと、と 思ってしまう。 【筆者略歴】 高木龍尋(たかぎ・たつひろ) 1977年岐阜県生まれ。大阪芸術大学大学院芸術文化研究科博士課程修了(文 芸学)。大阪芸大文芸学科時代、非常勤で出講されていたとある先生と出会っ てしまい、演劇を観るようになる。唆されるように(?)観た作品について書く ようになり、ちょっと誉められても思わず疑ってしまうようなダメを出され続 けながら、気づけば現在に至る。現在、高校講師。 ・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=23 【上演記録】 上品芸術演劇団「あたしと名乗るこの私」(精華演劇祭vol.12 DIVE Selection vol.3) http://www.milmil.cc/user/jouhin/diary.html http://www.milmil.cc/user/jouhin/profile.html 精華小劇場(2009年2月21日-22日) http://www.seikatheatre.net 作・演出:鈴江俊郎 出演: 押谷裕子 鈴江俊郎 清良砂霧 脇野裕美子 梶川貴弘 阪本麻紀(烏丸ストロークロック) 清水陽子 大藤寛子 高橋志保 原聡子 山本正典(コトリ会議) 料金:前売 1,800円/当日 2,000円 主催:精華小劇場活用実行委員会/精華演劇祭実行委員会/大阪市共催:NP O法人 大阪現代舞台芸術協会 ==================================================================== 連載【レクチャー三昧】第32回 地べた座り -------------------------------------------------------------------- 先日、当【レクチャー三昧】でもご紹介した講座に行ってきたのですが、最 近珍しい、床に煎餅座布団敷きの車座形式でした。もちろん内容は「セクト」 的な臭いのない演劇史試論だったのですが、2時間余りの地べた座りは正直こ たえました。 腰痛持ちの筆者は、テント芝居を予約する際は必ず座席形式を確認するよう にしていますが、地べた座り客席を敢行し続けているのは、どうも唐組だけの ような気がしています。椿組にしろ梁山泊にしろ水族館劇場にしろ、ベンチ席 にしてもすべて段々が付いていた記憶があります。(唐組も最後列にはパッタ ン椅子がいくつか並べてはあるのですが。)(高橋楓) *無料でも予約が必要なことがございます。必ずウェブサイトでご確認下さい。 *各講座情報の真偽・変更・取消・思想信条背景等につき一切の責任を負いま せん。各自ご確認の上お越しください。 *近日開催の講座紹介は、バックナンバーに載っている可能性がございます。 http://archive.mag2.com/0000201899/index.htmlをご覧下さい。 ▽カンヌ映画祭 「監督週間」の40年をふりかえって 2009年04月04日(土) 〜2009年04月27日(月) 東京日仏学院エスパス・イマージュ おそらく全て無料、整理券配布 詳細はウェブサイトをご覧下さい カンヌ映画祭監督週間で紹介された15作品を連続上映上映予定作品は、『処女 の寝台』(フィリップ・ガレル)/『サラマンドル』(アラン・ラネール)/ 『オルエットの方へ』(ジャック・ロジエ)/『自由の代償』(ライナー・ヴェ ルナー・ファスビンダー)/『ブリュッセル1080、コメルス23番街のジャンヌ ・ディエルマン』(シャンタル・アケルマン)/『愛のコリーダ』(大島渚) /『たぶん悪魔が』(ロベール・ブレッソン)/『イゴールの約束』(リュッ ク&ジャン=ピエール・ダルデンヌ)/『フランシスカ』(マヌエル・ド・オ リヴェイラ)/『インディアン・ランナー』(ショーン・ペン)/『囚われの 女』(ジャンタル・アケルマン)/『茶の味』(石井克人)/『一緒にいて Be with me』(エリック・クー)/『闇を見つめる羽根』(辻直之)/『パリ の中で』(クリストフ・オノレ) http://www.institut.jp/agenda/festival.php?fest_id=57 ▽公共劇場の運営―世田谷パブリックシアターを事例に− 2009年4月14日(火)、17日(金)、21日(火)、23日(木)19時〜21時 世田谷文化生活情報センターセミナールーム(キャロットタワー5階) ▽▽(1)4月14日(火)19時〜「世田谷パブリックシアター概略」 ▽▽(2)4月17日(金)19時〜「事業内容」 ▽▽(3)4月21日(火)19時〜「財政状況」 ▽▽(4)4月23日(木)19時〜「公共劇場の評価」 講師は矢作勝義氏(世田谷パブリックシアター制作部) 6,000円(全4回)、要申込、定員30名(先着順) http://setagaya-pt.jp/workshop/2009/04/post_83.html ▽手塚氏B虫生誕80周年記念 手塚氏B虫アカデミー2009 2009年4月18日(土)、4月25日(土) 江戸東京博物館 1階ホール 無料、要申込、定員 各回400名(抽選)、申込締切3月31日(火) http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2009/0418/200904.html ▽さび 2009年04月19日(日) 14時30分 東京日仏学院エスパス・イマージュ フランス語&日本語、通訳付 無料 ブリュノ・メサ氏(演出家)と青年団とのプロジェクトのプレ公演とレクチャー http://www.institut.jp/agenda/evenement.php?evt_id=1362 ▽浮世絵から読み解く江戸文化 2009年4月11日(土)14:00〜15:30 明治大学駿河台校舎 無料、要申込、先着150名 講師は牧野健太郎氏(NHKプロモーション文化事業部部長) http://academy.meiji.jp/ccs/pdf/S0912.pdf ▽TOKYU MUSIC LIVE VOL.1 〜服部克久プロデュース/ポップス・ニッポン流〜 2009年6月4日(木)、5日(金)18:00開場、19:00開演 Bunkamuraオーチャードホール 無料、要申込、抽選(2,000組4,000名)、申込締切4月20日(月)必着 http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/090318-2.html ▽動画像系列の知覚体制化に関する実験心理学的研究 2009年3月28日(土)16:00〜18:00 立教大学新座キャンパス6号館8階会議室 講師は鈴木清重氏(立教大学現代心理学部助教/RARC研究者)、 志津野知文氏(東京国際大学名誉教授/哲学研究会) 無料、申込不要 http://www.rikkyo.ac.jp/events/2009/03/4512/ ▽四国八十八ヵ所遍路道から世界へ 2009年4月25日(土)14:00〜16:30(開場13:30) 早稲田大学小野記念講堂(27号館地下2階) 無料、要申込 http://www.waseda.jp/RBSL/shikoku.html ▽建築と自然〜藤森流建築の作り方〜 2009年5月16日(土)15:00〜16:30 (開場14:30) 東京経済大学2号館B301番教室 ※会場変更の可能性有り 無料、要申込、先着400名、申込締切5月1日(金)必着 http://www.tku.ac.jp/event/detail.php?articleID=EV00686 ▽現在のテロリズム:パースペクティブの多様性 2009年4月8日(水) 16:00〜18:00 ジャパンファウンデーション(本部) 第1セミナー室(9階) 英語、通訳無し 無料、要申込 講師はムハンマド・マフグーブ氏(アラブ首長国連邦) http://www.jpf.go.jp/j/intel/new/0903/03-02.html ▽雑誌から見た東京の歴史 2009年6月30日(火)14:00〜15:00 江戸東京博物館1階学習室 無料、要申込、定員 36名(応募多数の場合抽選)、申込締切6月15日(月) 講師は行吉正一氏(学芸員) http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/event/culture/09haru/culture09haru.html#tosyo ▽江戸時代の名建築-現存建物を中心に- 2009年 6月27日(土)14:00〜15:30 江戸東京博物館1階会議室 1,000 円、要申込、定員130名、申込締切 6月10日(水) 講師は米山勇氏 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/event/culture/09haru/culture09haru.html#kenchiku2 ====================================================================== 【編集日誌】 ☆無謀なことをやっちゃいました。鼎談「知的刺激は受けたけど、泣かせてほ しかったロミオさま」を一挙掲載したのです。本文だけでちょうど1万5000字。 400字詰め原稿用紙なら約38枚の長さ。でも、これが一挙掲載の最長というわ けではありません。過去に1万8000字というケースもありました。これからは ほどほどに、読む身にもなって(!)分載を考えましょう。 ☆関西からは上品芸術演劇団の登場です。webサイトを見ると、伊丹アイホー ル演劇ファクトリーの卒業生4人とチーフディレクターである鈴江俊郎さん (office白ヒ沼主宰)が作ったユニット、とありました。作・演出も鈴江さん (出演も)。関西からやって来たユニットの東京公演で、主宰(作・演出)が 現代口語演劇的叙情劇から脱構築的不可解タイプ(?)に作風を転換した理由 を問われて「それまで自分が書いてきた作品は鈴江さんの後を追いかけてきた ような気がする。しかし鈴江さんの姿はあまりに大きいので、別の道を歩こう と思った」と終演後のトークで語っていました。鈴江作品の強い影響力をあら ためて知らされました。 ☆マガジン・ワンダーランドの購読者が先週号で500人を超えました。スター ト当初の目標は、webサイトの1日アクセスが1000ページビュー、マガジン読者 が500人でした。ともになんとかクリアできましたが、数字よりも大事なもの があることは重々承知しています。4月からまた、新しいスタートです。 ☆来週末、タイニイアリスのプロデューサー西村博子さんが語る特別セミナー 「アリスフェスティバルの26年」を開きます(4月2日-4日、あうるすぽっと会 議室)。特別ゲストに新宿梁山泊の金守珍さん、ブリキの自発団主宰で現在き らり☆ふじみ芸術監督の生田萬さんらを迎えて、小劇場の過去・現在・未来を 考えます。ほかに飛び入りゲストも参加します。ご期待ください。関心のある 方は次のページからどーぞ。 http://www.wonderlands.jp/info/seminar09alicefestival26.html (北嶋) ====================================================================== 発行 ワンダーランド 〒202-0002 東京都西東京市ひばりが丘北4-1-9 Tel& Fax: 042-422-5219 wonderlandsアットマークnorthisland.jp webサイト http://www.wonderlands.jp * 「マガジン・ワンダーランド」の登録・解除は次のページから。 http://www.wonderlands.jp/info/subscription.html ======================================================================


