週刊マガジン・ワンダーランド 第78号
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週刊マガジン・ワンダーランド(Weekly Magazine Wonderland)
2008年1月23日発行 第78号 毎週水曜日発行
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【目次】
◆スロウライダー「手オノをもってあつまれ!」
さまよいつつ知る演劇世界の再構築 リアルでない、リアルな世界で
小林重幸(放送エンジニア)
◆スロウライダー「手オノをもってあつまれ!」
未知なる関係性への呼びかけ 「家」意識の希薄な世代
木俣冬(文筆自由労働者)
◆「関係者全員参加!ダンスクリティーク」で交わされたこと
−司会の立場からのまとめ
第1回 「ダンスクリティーク」が生まれるまで
木村覚(美学/ダンス批評)
▼次号予告(第79号, 2008年1月30日発行)
フライングステージ「Tea for two〜二人でお茶を」(因幡屋きよ子)
仏団観音びらき「蓮池極楽ランド」(葛西李奈)
「関係者全員参加!ダンスクリティーク」で交わされたこと−第2回(木村
覚)ほか。
■web wonderland から===================== http://www.wonderlands.jp/
◇デス電所「残魂エンド摂氏零度」[特別寄稿]
◎舞台と客席に体温を持つ人間が なりかわられることへの反措定
高木龍尋(大阪芸術大学大学院助手)
◇プロペラ犬「マイルドにしぬ」[特別寄稿]
◎「死」をテーマにした連作コント集 持ち味出した水野美紀と河原雅彦
大和田建夫(大学講師)
◇オフィス3〇〇「りぼん」[特別寄稿]
◎頭が下がる演出力 錯綜した長丁場を長い暗転なしで走り通す
岡野宏文(ライター&エディター)
◇ナイロン100℃「わが闇」[特別寄稿]
◎「闇」はどこにあるか 描かれない「親との関係」
水牛健太郎(評論家)
◇クロスレビューはnibroll「ロミオORジュリエット」[ニュース&報告]
◇パルコ劇場「ビューティークイーン・オブ・リナーン」[特別寄稿]
◎暗い話でありながらも暖かみ 母娘相克の構図転換の先に
今井克佳(東洋学園大学准教授)
◇アルゼンチン、スイス、ベルギーの舞台 第14回東京国際芸術祭
[ニュース&報告]
◇あけましておめでとうございます。
◇年末回顧特集「振り返る私の2007−今年の3本」(追加版)
http://www.wonderlands.jp/lookback/2007/index.html
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◆スロウライダー「手オノをもってあつまれ!」
さまよいつつ知る演劇世界の再構築 リアルでない、リアルな世界で
小林重幸(放送エンジニア)
冒頭、舞台はどうやら近未来らしいことがわかる程度。情景は、団地らしき
建物の外。どこか僅かに違和感が漂う会話から、この場所は、現在われわれが
いる実世界とは何か違う常識が存在する別世界であることが窺える。
と、そこへ上から「手オノ」が落ちてきて。舞台中央にいた人物はとてもびっ
くりし、舞台下手奥の人物と大声で会話を始める。が、これもどこかしっくり
こない。しばらく会話を聞いているうちに、これは地上と建物上階のベランダ
間で会話をしているのだ、という事情が判ってくる。この段階で、今まで同じ
平面上で会話をしていると思い込んでいた観客は、そのイメージの大幅な修正
を迫られることとなる。つまり、新たに判明した「この演劇上のお約束」に従っ
て、観客は自分で心の中に想い描いたこの演劇世界の構造図を修正せざるを得
なくなるのだ。
ここからしばらくの間、「何か違和感のある登場人物の言動」と「この演劇
上のお約束」が次々と提示され続ける。当日配られたパンフレットに書かれて
いる10数行の説明しか情報を持ち合わせていない観客は、この演劇の舞台となっ
ている世界がどういう構造のものなのか、その構図をひたすらイメージし、そ
して、そのイメージを新たな情報で修正していく、という心の中の大作業を強
いられる仕組みとなっているのである。
これは苦痛な作業だろうか。いや、私はそうは思わない。この作業は例えば、
地図も無く、言葉もあまり通じない外国の町をさまようようなものだ。それは
労苦そのものだろうか。むしろ、探検心と好奇心がむくむくと湧き上がりはし
ないだろうか。この芝居の前半は、子供のころ見知らぬ土地へ始めて行った時
に大はしゃぎした、あの、なんとも不思議な、わくわくとした気持ちを、再び
目覚めさせてくれたのだ。
この芝居は冒頭からしばらくの間、いわば、この演劇でしか通じない約束を
用いながら、見知らぬ土地を延々と描写し続けるような構造を採用している。
これにより観客は、この演劇の「世界」を俯瞰的な視点ではなく、実際にその
世界に入り込んでいるかのような視点で解析し理解していくこととなる。グー
グル・アースの「衛星写真」を見て把握するのではなく、往来を彷徨う一人の
人物としてしか、この演劇の世界について知ることはできない。これをローテ
クと侮る無かれ。世界の構造を知るには、結局、そこに存在するルールを一つ
一つ解き明かすしかないのだ、という根本的な思いに突き当たってしまうほど、
この描写法は有効に働いているのだ。
実在の世界を描写するひとつの方法である『科学』は、目の前で起きたこと
を「なぜ」起きたかではなく「どう」起きたかだけで記述しよう、というルー
ルで成立していたのであった。その逆の方法として、「どんなルールが存在す
るかを積み重ねて演劇世界を描き切ろう」というのがこの芝居の前半であると
いえよう。その様子に、私は、本当にわくわくさせられたのである。
ところが、それだけでこの芝居は終わらない。事態が急変するのは中盤。唐
突に、この演劇世界が、ネットワーク内に存在する「バーチャルなもの」であ
ることがさらりと明かされる。登場人物は全て「アバター(化身)」。仮想世
界の中での人物の言動には、全て、実世界に実在する人間の意思が反映されて
いることが明らかとなるのだ。今まで見てきた世界は近未来などではなく、仮
想とはいえ「今」の実世界とつながっていたこととなるのである。
この「演劇世界構造の再構築」によって、はじめて、この演劇世界に「現実
感」が持ち込まれたといっても良いであろう。「ここではないどこか」という、
自分とは切り離された世界の話かと思っていたら、突然、自分のいる世界が反
映された「目の前の鏡」の中の話だったというわけである。それまで「未来に
も色恋沙汰ってあるのね」と思っていたら、それは未来の話ではなく、自分の
鏡に映った姿だった、ということである。そりゃ、恋愛もあれば、イヤなやつ
もいるだろう。
それまで、ある意味「冷静」にその世界の有様だけを客観視していただけに、
それがリアルの反映とわかると、その意味の重さは額面以上である。実世界の
人間が、仮想世界のアパターに、なぜそんな「だめ〜な感じ」なことをわざわ
ざやらせているのか、ということを考えると、実世界の人間の「ダメさ加減」
にも考えを巡らさざるを得ない。この仕組みが、この演劇世界に「説得力」を
与える大きな要因として作用していると考えられる。
とはいえ、この芝居で描かれる世界のほとんどは、あくまで「ネット内の仮
想」(『セカンドライフ』や「ネットゲーム」のようなもの)である。現実で
はない。にもかかわらず、この芝居の登場人物は、「仮想世界もまた現実」と
して行動している。例えば、仮想世界内でであった女性をネット内で追い回す
だけでなく、実世界でもストーキングしている。これは「リアル」だろうか。
この点は、観客個々の感覚によって相当ばらつきがあるだろう。「仮想世界
と現実の区別がつかないなんて違和感がある」と思う人も少なからずいるはず
だ。
むしろ特筆すべきは、この芝居は、仮想世界と現実はある程度シームレスな
もの、すなわち、「仮想世界もまた、現実の一部分」ということを前提に描か
れていることだ。でなければ、「仮想世界内で、さらに『ネットゲーム』とい
う仮想世界にハマる」なんていうフラクタル構造なシーンが用意されるはずが
ない。「仮想世界もまた現実の一部」という前提が、疑いも無いかのごとく採
用されていることが、この芝居は「今」の実世界の感覚を描いている、という
ことになるのかもしれない。
演劇世界で何を描くかもさることながら、その世界の構造を「明示せずにど
う判らせていくか」ということと、「どう現実世界と関係付けるか」がこの芝
居で私がもっとも興味を持った点である。その点においてこの芝居は抽象度が
高く、あるいは難解視されるかもしれないが、しかし、この周到な世界構築の
手法からは、これからも、この作家が「得体の知れない世界」を紡ぎ出すので
はないかという期待が、もうもうと漂いまくってくる気がするのである。
(2008年1月5日 ソワレ 於 THEATER/TOPS)
【筆者略歴】
小林重幸(こばやし・しげゆき)
1966年埼玉県生まれ。早稲田大学理工学部電気工学科卒。東京メトロポリタ
ンテレビジョン技術部勤務。デジタル放送設備開発の傍ら、年間200ステージ
近い舞台へ足を運ぶ観劇人。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=40
【上演記録】
スロウライダー第10回公演「手オノをもってあつまれ!」
新宿・THEATER/TOPS(1月4日-7日)
http://www.slowrider.net
作・演出 山中隆次郎
出演
山中隆次郎 數間優一 日下部そう 金子岳憲 町田水城 山口奈緒子 松
浦和香子 石川ユリコ 山田伊久磨 多門勝 ほか
スタッフ
舞台美術:福田暢秀(F.A.T STUDIO)
照明:伊藤孝(ART CORE design)
音響:中村嘉宏(atSound)
舞台監督:西廣奏
宣伝美術:土谷朋子(citron works)、仲麻香
記録写真:西田航
記録映像:トリックスターフィルム
Web運営:栗栖義臣
当日運営:安元千恵
制作補佐:坂本明、三好映子
制作:三好佐智子
企画・制作:有限会社quinada
助成:芸術文化振興基金
チケット料金
前売 2800円 当日 3000円 [全席指定・税込]
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◆手オノをもってあつまれ!
未知なる関係性への呼びかけ 「家」意識の希薄な世代
木俣冬(文筆自由労働者)
ああ、矛盾。
舞台には人間の生々しい鮮度を求めているはずだったのが、現実がデジタル
化されていく中で、現実を鮮度高くつかもうとすると、言葉を使ったコミュニ
ケーションも、身体を使った表現もどんどん生とは違っていく矛盾を感じる今
日この頃だ。
『手オノをもってあつまれ!』(以下、手オノ)は、現実の世界と、彼らが
やっているネットゲームの世界と、さらにネットゲームの中で生まれているも
うひとつの物語、という3層で構成されている。
冒頭、不自然なまでに真っ白でツルッとしたセット。背後の壁面はキラキラ
光るリボン状の素材がびっしり垂れ下がってカーテンのようになっている。そ
の後ろに人が蠢いている。現実じゃないな…。少なくとも、いまの時代ではな
いなと警戒心をもつ。
倒れているミッチという青年が起きあがり、後から現れる人物と対話をはじ
める。そこに落ちてくる手オノ。それが妙に軽そうだったのは、後から思うと、
現実ではないことを示していたのだろう。
ミッチの恋人ヘル子のどこか不自然な動き方としゃべり方。これも、後から
思うと、ネットゲームのCGキャラの表現だったのかと思う。コロスが出てきて
小道具を動かしたりするのも、「現実ではないですよ」というお知らせなのだ
ろう。
スラムと化した団地。その団地のある地域は、南米の人たちを雇用して農業
を営んでいる。そこで使用した農薬の副作用で奇病にかかった人。あやしい呪
術師めいた女、ナンミンによる革命……。現実の世界情勢をつまんで盛り込ん
だような世界観に、魅力を感じながら見ていくうちに、次第に、これはゲーム
の世界なのだとわかっていく。
時々、背後で、紐を動かして三角の分岐を作っていくところで、ゲームがプ
レーヤーの選択によって進んでいくことがわかってくる。
話がだいぶ進んだところで、2007年の現代に物語は映り、プレーヤー・ミッ
チは、どうやら亡くなった彼女のことが忘れられないでいるらしいという背景
が見えてくる。ここでやっと、それまでの俳優達の演技が意識してフラットだっ
たことに気づく。
山中隆次郎氏は、本来、日常のちょっとした動きに敏感な演出家だ。以前、
彼の舞台で、オタクの青年がPCをいじりながら箸でポテチを食べている動きに
目がいったことがあるのだが、今回も、2007年のとある部屋で男ふたりが、コ
ンビニ弁当を食べているという地味な動きにものすごく生活感が滲み出ていた。
世界の異なる位相を表現するために、照明を変えるなどすれば簡単かもしれ
ない。けれど、山中が挑んだのは、身体表現だったように思う。残念なのは、
それがそこまで効果的にはなっていなかったかもしれないなあということ。今
後の課題にして頂きたい。
こうして、物語は、2007年のミッチとその彼女・佳子をめぐる物語にもなっ
ていく。佳子を好きな臥多緒(ゲームの中の名前)は、ネットの中で彼女を追
いかけ、さらにはアクセス解析して住居まで突き止めている。日下部そう演じ
る臥多緒は、絶対人の目を見ない、知ってるコトは流暢で多弁だけどそれは決
して他人と言葉や気持ちを交わすことにはならない、という内気な青年。ちょっ
とオシャレにしたら元がいいからかっこいいのになぜだか冴えない陰気で地味
な青年っている、いると思わせる。
ミッチも臥多緒も、いわゆるリセット世代の人間で、ゲームの中で何回も人
生をやり直そうとしている。
こういうデジタル世代の話や、多重人格の話などは、過去ずいぶんと描かれ
てきてしまっているので目新しくは感じられない。が、新生した『新世紀エヴァ
ンゲリオン』はどうやら、以前のシリーズの多元宇宙的な世界らしいと噂され
ているし、山中氏、さっそく採り入れてみたか?と勝手に思ったりする。
さて、実は、私は、この作品について語る時、「血の繋がりを必要としない
世代のドラマ」と考えていた。いまちょうど寺山修司の『身毒丸』のパンフレッ
トを作っているから影響を受けているかもしれないことを断っておく。
本谷有希子氏の『偏路』でヒロインは親戚や父に対する嫌悪を描きつつ結局
はそこに帰っていく。岡田利規氏の作品には、批評的に、核家族、団地、郊外
という入れ物が出てくる。2006年には菊池寛の『父、帰る』をシスカンパニー
が上演していた。『身毒丸』はまさに家という国が勝手につくった制度からの
脱却を描いている。
何かにつけ、家とか家族とかは作品につきものだが、それらに比べると、山
中氏の作品には、そもそも家に対する認識が希薄に思う。装置として家はよく
出てくるけど、それは本当に住む場所でしかないし、そこには怪物が住んでい
たりする。
ネットゲームという仮想空間は、山中氏には恰好の舞台だと思えた。現実で
はネットゲームでも出会って恋してセックスして子供ができたりするらしいが、
絵空事でしかない。でも実際に、現代社会少なくとも日本では、生身の人間関
係よりも、仮想空間の人間関係が急激に進化している。
おもしろいことに、その生々しくない関係性の中に、生々しいセリフがあっ
た。
「僕、広島です。外は土砂降りです」。
これは、臥多緒が、ヘル子(佳子のゲーム上のキャラ名)とネット上で語り
合っている時のセリフ。
「外は桜よ」
これは、クライマックス、ヘル子が恋人ミッチに言うセリフ。この時、ヘル
子も亡き佳子に代わってミッチが演じているらしいのだが。要するに、散々、
いろいろな謎を散りばめているが、佳子という少女に恋した2人の男の話だっ
たようだ。
雨、桜……自分のまわりの風景−自然の様子を、好きな相手に伝える。デジ
タルな言葉や身体を示してきた中で、ふと、生を感じる言葉が挿入された。ネッ
トゲームを知らなくても、老若男女誰もの記憶にある風景がその時やっと広が
るだろう。
家や家族や都市とかそういう決まった枠組みとは離れても、どこかで誰かと
繋がりたい。
「手オノをもってあつまれ!」
このタイトルが山中隆次郎の、未知なる関係性への呼びかけに思えた。
いや、これはいつの間にか私がはまりこんだ仮想世界かもしれない。
【筆者略歴】
木俣冬(きまた・ふゆ)
フリーライター。映画、演劇の二毛作で、パンフレットや関連書籍の企画、
編集、取材などを行う。キネマ旬報社「アクチュール」にて、俳優ルポルター
ジュ「挑戦者たち」連載中。蜷川幸雄と演劇を作るスタッフ、キャストの様子
をドキュメンタリーするサイトNinagawa Studio(ニナガワ・スタジオ)を運
営中。個人ブログ「紙と波」(http://blog.livedoor.jp/kamitonami/)
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=33
【上演記録】
スロウライダー第10回公演「手オノをもってあつまれ!」
新宿・THEATER/TOPS(1月4日-7日)
http://www.slowrider.net
作・演出 山中隆次郎
出演 山中隆次郎 數間優一 日下部そう 金子岳憲 町田水城 山口奈緒子
松浦和香子 石川ユリコ 山田伊久磨 多門勝 ほか
スタッフ
舞台美術:福田暢秀(F.A.T STUDIO)
照明:伊藤孝(ART CORE design)
音響:中村嘉宏(atSound)
舞台監督:西廣奏
宣伝美術:土谷朋子(citron works)、仲麻香
記録写真:西田航
記録映像:トリックスターフィルム
Web運営:栗栖義臣
当日運営:安元千恵
制作補佐:坂本明、三好映子
制作:三好佐智子
企画・制作:有限会社quinada
助成:芸術文化振興基金
チケット料金
前売 2800円 当日 3000円 [全席指定・税込]
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◆「関係者全員参加!ダンスクリティーク」で交わされたこと
−司会の立場からのまとめ
木村覚(美学/ダンス批評)
第1回 「ダンスクリティーク」が生まれるまで(第78号)
第2回 「ダンスクリティーク」で交わされたこと(第79号予定)
第3回 「ダンスクリティーク」の今後(第80号予定)
はじめに
大橋可也&ダンサーズを主宰する振付家・大橋可也さんのお誘いで「ダンス
蛇の穴」という企画に参加することになった。そこでぼくは、昨年の11月か
ら今年の1月にかけて、計5回、全員で11人の振付家・ダンサーをプレゼン
ターに招き、森下スタジオを会場に「関係者全員参加!ダンスクリティーク」
と称する会をひらいた。これは、司会を務めた木村覚の立場からまとめたこの
イベントをめぐるレポートである(この場をお借りして、3回に分けて掲載す
る予定)。
第1回 「ダンスクリティーク」が生まれるまで
▽発端にあったこと
「ダンス蛇の穴」とは「来るべきダンス作家を、スタッフを、制作者を、批
評家を、観客を、ダンスそのものを産み出すための道場として機能していくこ
とを目指」(当企画のフライヤーより)すものである。昨年の春頃、大橋さん
は最初、ダンスヒストリーのレクチャーを振付家・ダンサー向けに行いたいと
いうことで、ぼくに誘いの声を掛けてくれた。ぼくとしては、昨年の2月に横
浜で大規模なレクチャーシリーズ(「超詳解!20世紀ダンス入門」)を行い、
また、その直後に、大橋さんの稽古場で大橋さんが声を掛けてくれた振付家・
ダンサーたちのための小さなレクチャーを二、三回開かせてもらっていたこと
もあり、その結果を踏まえて、今回は別のことがしたいと大橋さんに申し伝え
た。二人で協議し、最終的に、振付家・ダンサーに自分の方法論について作品
のビデオ上映をしながら話してもらい、彼らのアイディアやそこから結実した
作品について、観客を含め集まったひとたち全員でフランクに批評をとり交わ
す会を行おうということになった。ぼくがフライヤーに書いたのは、次のよう
な文章だった。
しゃにむに踊っていても、自分だけを信じて振り付けしていても、きっと自
由にはなれないし、観客やダンサー同士と共感し合うに足る何かを生み出す
ことは難しい。型に向かうのではない(コンテンポラリー)ダンスにも押さ
えるべきポイントはあるし、そこに集まる者同士で共有するべき感性とか知
性がある。ざっくばらんに笑ったり話し合ったり悩んだりしながら、未来の
ダンスの向かう先へ抜け出る穴を参加者全員で探してみたい。具体的には、
自作のビデオを持参し参加者の前でプレゼン(作品紹介)、その後みんなで
それを素材に批評し合う、あるいは作家に創作の過程を聞く、という形式
(予定)。ひとのふり見て我がふり直す機会(お互いに)。経験不問。ダン
サー、振付家のみならず、プロモーターや観客、(自称)批評家も歓迎、だ
から関係者全員参加!
▽企画の背景にあるもの
こうした企画を実行したいという思いに大橋さんやぼくを駆り立てた背景に
は、いまのダンスの現状に対する不安と不満があった。立場の違いなどから細
かいポイントに見解の相違があるとしても(大橋さんには大橋さんの立場があ
り考えがあろう)、この不安と不満という点において二人に共通する思いがあっ
たとぼくは考えている。
ところで、2000年以降、いわゆる「コンテンポラリー・ダンス」と呼ば
れる分野のなかで、ある一定の評価(人気)をえたカンパニーや個人が台頭し
てきた。吾妻橋ダンスクロッシングなど人気のイベントも生まれた。全国各地
域にダンス公演を展開するJCDNの「踊りに行くぜ!」は、年々規模を増し、ま
た新しいダンサーを発掘することに成功している。トヨタコレオグラフィーア
ワードも、無名の振付家を全国区の存在へと押し上げることに大きな寄与を果
たしてきた。それに応じて、メディアも注目するようになり、いくつもの雑誌
がダンス特集を組んだ(『現代詩手帖』『美術手帖』『TV BROS』『ELLE
JAPON』など。また『ユリイカ』は小劇場特集のなかでダンスを取り上げた)。
オールジャンルをまんべんなく取り上げる『DDD』という雑誌も2005年に創刊
し、現在も健在である。こうしてふり返ってみると、いまや「ダンスブーム」
とも言うべき事態が到来している、と言いたくなりもする。
しかし、現状はそんなに順風満帆なのだろうか。「コンテンポラリー・ダン
ス」とは「なんでもあり」のジャンルと思われており、あいかわらず、そこに
どんな価値があり魅力があるのか明確な言葉をもって取り交わされずにいる、
それが現状ではないだろうか。
もちろん、明確に「これ」と言えないのがコンテンポラリー・ダンスという
ものである。つまり、コンテンポラリー・ダンスは、一定のスタイルを指す言
葉ではない(これには異論を挟む者もいるだろう。ダンスの学校ではある評価
の定まった近年の表現方法をコンテンポラリー・ダンスと称し、それをひとつ
のスタイルとみなしてレッスンを行っている事実もある)。ぼくの理解すると
ころでは、現在までに生まれた様々なスタイルのダンス(バレエ、モダンダン
ス、60年代アメリカにおける前衛的ダンス、暗黒舞踏あるいは世界各地の民族
的なダンス、商業的なダンス、ストリートダンスなど)をすべて意識しながら、
そこにはない何かXを産み出そうとする、その意味において前衛的と言うべき
身体表現がコンテンポラリーの・ダンスである。「そこにはない何かXを産み
出そうとする」という意味では、過去のダンスをことさら意識していなくとも、
完全に独自のルールを構築することで新たな身体運動を成立させようとする者
も当然出てくる。ともあれ、以上からすれば、
(1)過去のダンスとどう対峙するか
(2)Xをどう価値づけるか、Xをどう意味あるものとして観客と共有し合う
か
この二点が、コンテンポラリー・ダンスをめぐる議論としてせり上がってくる
ことになる。
もちろん、振り付け(あるいはダンサー)の側にとっても観客の側にとって
もその作品、その舞台が「面白い」ことこそ重要なのであって、(1)や(2)
にどうアプローチしたかは、先に理屈ありきではなく、その作品が「面白い」
あるいは「面白くない」ことの背景として確認するべきことに過ぎない。
その上で言うことなのだけれど、作品やその舞台が「面白い」か「面白くな
い」かの判断は、一個の基準があればよいのではなく、明瞭に意識化されてい
るかどうかは別として、複数のコンテクストが重層的に重なりあった上に生ま
れるものではないだろうか。既存のダンスであれば、そこには独自の基準がす
でに確立されている(バレエ然り、モダンダンス然り、ストリートダンス然り……)。
ただし、コンテンポラリー・ダンスのように「そこにはない何かXを産み出そ
うとする」場合には、作り手も観客も固定した一個の基準に従っていればよい
わけではない。むしろ複数のコンテクストにアクセスすることが作り手にも観
る側にも求められる。「コンテクスト」といまぼくが呼ぶものには、美的=感
性的な価値基準のみならず、社会の諸々の(政治的、経済的、ジェンダー的……)
状況も含まれる。もちろんこれまでのダンスの歴史も重要なコンテクストのひ
とつである。
ひとつの振り、ひとつの舞台上の演出など、舞台に明滅する瞬間瞬間の出来
事を構成するあらゆる要素を通して、振付家やダンサーが、こうした複数のコ
ンテクストにどうアクセスしどういままでにない「X」を提示しようとするの
か、そのことが作品の肌理を作ってゆく。作り手の賭はそこにかかっているし、
観客の側にはその賭を細部にわたり感じ取る歓びと細部にわたって感じ取るべ
き一種の(やや大げさに言えば)責任がある。
繰り返しになるが、コンテンポラリー・ダンスにおいては、作り手にも観客
にも「これ」という一個の判断基準がない。だから、ここで両者に求められる
のは、感性と知性をフル稼動させる全身的な活動である。これは、価値や視点
を一元化しない/出来ない、現代の高度情報化した社会また多文化主義的な意
識の下でぼくたちが生きていることの結果要請されていることでもある。そし
て、それはけっこうしんどい高度な知的ゲームである。知的である上に(踊る
/見る)身体を媒介にしてもいる。ダンスを作りまた観賞するとは、すなわち、
縦横無尽に知性を働かせること、しかも身体を通してそれを遂行することなの
である。このしんどさが楽しいのであって、これこそがコンテンポラリー・ダ
ンスの魅力であるとぼくは思って生きてきた。しかし、同時にそれが、過度な
要求をひとに突きつけているのも事実だろう。踊ること、見ることの洗練をあ
えて志す意欲は、今日、減退傾向にある印象がある。「ぶっちゃけ」そんなも
のに時間を費やすよりも、自分が楽しいこと、ひとがいいと言っていることを
やる方が楽しいし安心だし、そもそも複数のコンテクストを意識するなんてよ
く分からないし「そんなの関係ねえ」って気がする−。こうしたマインドが、
時代の潮流と軌を一にして広がっている気がする。
事実として、(1)も(2)もあまり顧みない姿勢から生まれる作品が以前
よりも多くなってきた。振付家・ダンサー本人の幸福に端を発しそこに終結す
る類の公演である。他方、社会のグローバル化の傾向と重ねてみたくもなるよ
うな、ある種の嗜好の一定化も目立ってきた。要するに、個人の趣味に走るか、
すでに評価が確立している(ように見える)スタイルに身を委ねるか、作り手
も観客もそのどちらかに向かう傾向が、近年、顕著になっている。
コンテンポラリー・ダンスは「そこにはない何かXを産み出そうとする」現
場というよりは、いま淡く輪郭づけられている「コンテンポラリー・ダンスな
るもの」を無批判に受容する場になりかかっているのではないか(すでに、コ
ンテンポラリー・ダンスという言葉が流通するようになってからある程度の年
月が経っており、厚みのなかにいくつかのスタンダードを認め、そこから「コ
ンテンポラリー・ダンス」を何らかのスタイルとして理解するのも可能になっ
てきているのは事実ではあるが)。そうした流れが自ずと「なんでもあり」=
「コンテンポラリー・ダンス」という状況を生んでいる、それが、全面的では
ないとしても間違いなく現状のひとつではないだろうか。
▽「レクチャー」ではなく「クリティーク」を選択した理由
表現媒体である「身体」とは?
身体が「動く」とは?
その身体を置く「舞台」とは?
そこで生まれる「時間」とは?
「空間」とは?
そこで時間・空間を共有する「観客」とは?
「観客と舞台との関係」とは?
「劇場と外(社会)との関係」とは(劇場とそれを内包する社会との関係と
は)?
そうした諸々に関して様々な試みを行ってきたこれまでの「ダンスの歴史」
とは?
そして最終的に問われる、「面白い」ダンスとは?
−ダンスに関する既存の考え方(過去)に安易に従属することなく、コンテン
ポラリー・ダンスが何らか「そこにはない何かXを産み出そうとする」試みで
あろうとするのならば、例えば、上記したような事項について逐一反省を傾け
てゆく批評的な視点が当然求められる。いや、リアリティのある現代の芸術を
模索する限りは、そもそもこうした事項に対してあえて意識しようと努めなく
ても自然と興味・関心が湧き、考察の深まっていない「機能不全」のポイント
が見つかれば自ずと探究を傾けていく、というものだろう(そう考えるなら、
ぼくが上記してきた文章すべては「言わずもがな」のことを言っているに過ぎ
ないのかも知れない)。
さて、こうした様々な事項へのアプローチが、コンテンポラリー・ダンスを
生成させるのだとすれば、まず、過去のダンス史を検証してみることは、必要
不可欠ではないか。過去に何が達成され、どんな限界がそこにあったのか。過
去を「かじる」(「研究」などという本格的なものではなくとも)ことで、過
去の二の舞を演じることなく、また同時に、過去の遺産を今日に活かすという
ことが可能になるのではないか。そうした気持ちから、先述のように、昨年の
2月には、STスポットに協力をえて、若手プロデューサー・中村茜さんとレク
チャーを企画した。また、大橋さんとの企画で少人数のレクチャーも開いた。
レクチャーは、おおむね盛況だった。ただし、上記したようなぼくの(ある
いは中村さんやこのレクチャーに賛同して下さった講師陣、スタッフの)思い
が振付家・ダンサーの方々、あるいは批評の立場の方々に伝わったようには、
正直思えなかった。ぼくたちが期待していた振付家・ダンサーや批評の立場の
ひとは、結果として、思ったよりも集まってもらえなかった。一般の受講者の
方々はじめ、ダンスの作り手あるいは批評の立場以外の方々からは、このレク
チャーに対するレスポンスやリアクションをもらえたりもしたのだけれど(そ
してそれが、ぼくにいくつかの新たな出会いをもたらしたことは事実ではある
けれど)、肝心のインサイダーからは、そうした反応がわずかしかなかった
(その例外の一つが、大橋さんからの当イベントの依頼である)。もちろん、
ぼくの思い及ばぬところで何かが胎動しているなら、それはそれで素晴らしい
こと。ただし、ぼくとしてはこのままのアプローチを続けても生産的ではない
のではないか、と反省せざるをえなかった。そこで、ダンスの歴史から何かを
得てみませんかとこちらが招くのではなく、むしろ振付家・ダンサーの内側に
自分から入り込んで、そこにある具体的な問題や可能性を、ときに歴史的な視
点、批評的な視点を持ち込みながら、集まった全員で(そこには、振付家・ダ
ンサーのみならず批評家を自称する方たちや観客も混じっていることを想定し
ていた)カラッと明るくわいわいと議論する方がより効果的なのではないか、
と思った。タイトルに「関係者全員参加!」とつけたのは、ぼくとしては、狭
量なサークル意識などから自由に、誰もが集まれるオープンな場が出来れば、
という無邪気な思いを込めてのものだった。作り手も批評の立場の人間も観客
も集まって、未知の「X」をめぐり、ダンスをめぐる(批評的な)言葉を、集っ
た全員の内で錬成させる。そんな機会を作ることが目標だった。
(第2回「「ダンスクリティーク」で交わされたこと」に続く)
【筆者略歴】
木村覚(きむら・さとる)
1971年5月千葉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専
攻(美学藝術学専門分野)単位取得満期退学。現在は国士舘大学文学部等の非
常勤講師。美学研究者、ダンスを中心とした批評。
・wonderland掲載の劇評一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=11
【関連情報】
・関係者全員参加!ダンスクリティーク(ダンス蛇の穴第一期プログラム)
http://dancehardcore.com/archives/000274.shtml
・20世紀ダンス入門講座(横浜STスポット主催)(wonderland 2007/01/23付
け ) http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=621
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【編集日誌】
☆年明け早々に開かれたスロウライダー公演評が2本そろいました。仮想世界
とリアルの重なり方にそれぞれのアプローチで触れています。
今作を最後に、主宰のMさんが退団しました。主宰=制作という珍しい存在
でしたが、今後はサンプルやハイバイの制作を担当するそうです。活躍を期待
しています。
☆「関係者全員参加!ダンスクリティーク」(全5回)は刺激的なシリーズで
した。ぼくは3回しか出席できませんでしたが、踊る側のコンセプトや方法論
の切れ端に触れたかもしれません。「内側」をぞき込んで何をみたのか。木村
さんのまとめを読みながら考えたいと思います。
☆東京メトロポリタンテレビ(MX)の夕方のニュース番組で「小劇場ワンダー
ランド」という演劇コーナーを隔週で担当することになりました。本日23日が
第1回。燐光群「屋根裏」公演を取り上げました。再放送は25日(金)午後2時
からの予定。次回は2月6日放送となります。小劇場とは言いかねる芝居を取り
上げます。ご容赦を。(北嶋)
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