霊界物語をメールで配信!  RSSを登録する

出口王仁三郎が書いた超長編小説『霊界物語』(全83冊)を、メールで配信します!あまりにも長すぎて読むのを途中であきらめたあなたでも、毎日少しずつ少しずつ読んでいけば、きっと完読できることでしょう!【現在休刊中です】

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2009/03/02

霊界物語をメールで配信!(744)

霊界物語をメールで配信!第19巻(744)
--------------------

●霊《たま》の礎《いしずゑ》(五)

一、高天原《たかあまはら》に復活したる人間の霊身《れいしん》は、地上現実界に生
存せし時の如く、思想感情意識等を有して楽しく神の懐に抱《いだ》かれ、種々の積極
的|神業《しんげふ》を営むことを得るは前に述べた通りである。
 さて人間はどうして現界に人の肉体を保ちて生まれ来るかと云ふ問題に至っては、い
かなる賢哲も的確な解決を与へて居ない。しかしこれは実に止むを得ない所である。物
質的要素をもって捏《こ》ね固められたる人間として無限絶対なる精霊界の消息を解釈
せむとするのはあたかも木に倚《よ》りて魚《うを》を求め、海底に潜みて焚火《たき
び》の暖《だん》を得むとするやうなものである。故に現界人は死後の生涯や霊界の真
相を探らむとして、何ほど奮勉努力した所で到底不可能不成功に終るのはむしろ当然で
ある。一度神界の特別の許可を得たるものが、無数の霊界を探り来たり、これを現界へ
その一部分を伝へたものでなくては到底|今日《こんにち》の学者の所説は臆測に過ぎ
ないことになってしまふ。
一、そもそも高天原の天国に住む天人即ち人間の昇天せし霊身人《れいしんじん》は地
上と同様に夫婦の情交を行ひ、つひに霊の子を産んでこれを地上にある肉体人の息に交
へて人間を産ましめるものである。故に人は神の子、神の宮といふのである。地上はす
べて天国の移写であるから天国において天人夫婦が情交を行ひ霊子《れいし》を地上に
蒔《ま》き落とす時はその因縁の深き地上の男女はたちまち霊に感じ情交を為し胎児を
宿すことになる。その胎児は即ち天人の蒔いた霊の子の宿ったものである。その児《こ
》の善に発達したり悪に落つるのもまたその蒔かれた田畑の良否によって幾分かの影響
をその児が受けるのは止むを得ない。智愚正邪の区別の付くのも止むを得ない。石の上
に蒔かれた種子《たね》は決して生えない。また瘠土《せきど》に蒔かれた種子は肥沃
の地に蒔かれた種子に比すれば大変な相違があるものだ。これを思へば人間は造次にも
顛沛《てんぱい》にも正しき清き温かき優しき美《うる》はしき心を持ち、最善の行ひ
を励まねばならぬ。折角の天よりの種子《たね》を発育不良に陥らしめ或ひは不発生に
終らしむるやうなことになっては、人生《ひとう》みの神業を完全に遂行することは出
来なくなって宇宙の大損害を招くに至るものである。人間が現界へ生まれて来る目的は、
天国を無限に開くべく天よりその霊体の養成所として降されたものである。決して数十
年の短き肉的生活を営むためでは無い。要するに人の肉体と共にその霊子《れいし》が
発達して天国の神業を奉仕するためである。天国に住む天人は是非とも一度人間の肉体
内に入《い》りてその霊子を完全に発育せしめ現人同様の霊体を造り上げ、地上の世界
において善徳を積ませ、完全なる霊体として天上に還《かへ》らしめむがためである。
故に現界人の肉体は天人養成の苗代《なはしろ》であり学校であることを悟るべきであ
る。
一、胎児は母体の暗黒な胞衣《えな》の中で平和な生活を続け十ケ月の後には母体を離
れて現界へ生まれ喜怒哀楽の為に生存するものだと言ふことは知らないが、しかし生る
べき時が充つれば矢張り生まれなくてはならぬ如く、人間もまた天国へ復活すべき時が
充つればいかなる方法にても死といふ一つの関門を越えて霊界に復活せなくてはならぬ
のである。胎児は月充ちて胞衣《えな》といふ一つの死骸を遺して生るる如く人間もま
た肉体といふ死骸を遺して霊界へ復活即ち生るるのである。故に神の方から見れば生通
しであって死といふことは皆無である。只々形骸を自己の霊魂が分離した時の状態を死
と称するのみで要するに天人と生まれし時の胞衣と見ればよいのである。胎児の生るる
時の苦しみある如く自己の本体が肉体から分離する時にも矢張り相当の苦しみはあるも
のである。しかしその間は極めて短いものである。以上は天国へ復活する人の死の状態
である。根底《ねそこ》の国へ落ちて行く人間の霊魂は非常な苦しみを受けるもので、
ちゃうど人間の難産のやうなもので産児の苦痛以上である。中には死産と謂《ゐ》って
死んで生まれる胎児のやうに最早浮かぶ瀬が無い無限苦の地獄へ落とされてしまふので
ある。故に人間は未来の世界のあることが判らねば真の道義を行ふことが出来ぬもので
ある。神幽現《しんいうげん》三界を通じて善悪正邪勤怠の応報が厳然としてあるもの
と云ふことを覚らねば人生の本分はどうしても尽くされないものである。
一、天国に住める天人は地上を去って天国へ昇り来たるべき人間を非常に歓迎し種々の
音楽などを奏して待って居るものである。故に天国を吾人は称して霊魂《みたま》の故
郷といふのである。
 真神《しんしん》即ち主《しゅ》なる神は人間の地上において善く発達し完全なる天
人となって天国へ昇り来たり天国の住民となって霊的神業に参加することを非常に歓び
玉ふのである。天国の天人もまた人間が完全な霊体となって天国へ昇り来たり天人の仲
間になることを大変に歓迎するものである。
 たとへばここに養魚家があって大池に鯉《こひ》の児を一万尾放養しその鯉児《りじ
》が一尾も残らず生育してくれるのを待って歓び楽しんで居る様なものである。折角一
万尾も放養しておいた鯉が一定の年月を経て調べて見るとその鯉の発育悪しく満足に発
育を遂げたものが百分一に減じその他は残らず死滅したり、悪人に捕獲されて養主《や
うしゅ》の手に返らないとしたらその養主の失望落胆は思ひやらるるであらう。しかし
鯉の養主はただ物質的の収益を計るためであるが、神様の愛の欲望は到底物質的の欲望
に比ぶることは出来ない。故に人間はどこまでも神を信じ神を愛し善の行為を励み、そ
の霊魂なる本体をして完全なる発達を遂げしめ、天津神《あまつかみ》の御許《みもと
》へ神の大御宝《おほみたから》として還《かへ》り得るやうに努力せなくては、人生
の本分を全うすることが出来ないのみならず、神の最も忌《い》みたまふ根底の国へ自
ら落ち行かねばならぬやうになってしまふのである。
 アア惟神《かむながら》霊幸倍坐世《たまちはへませ》。
   大正十一年十二月

(昭和10年6月4日 王仁校正)
--------------------
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

            第19巻はこれで終わりです。

           次回から、第20巻を配信します。

              お楽しみに!!!

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
(745)に続く
http://onisavulo.web.fc2.com/
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る