霊界物語をメールで配信!  RSSを登録する

出口王仁三郎が書いた超長編小説『霊界物語』(全83冊)を、メールで配信します!あまりにも長すぎて読むのを途中であきらめたあなたでも、毎日少しずつ少しずつ読んでいけば、きっと完読できることでしょう!【現在休刊中です】

現在休刊中です    
解除

規約に同意して

2008/01/08

霊界物語をメールで配信!(567)

霊界物語をメールで配信!第12巻(567)
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

          今日から第12巻を配信します!

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
--------------------

●序文

 教祖|御筆先《おふでさき》と霊界物語について、少しく所感を述べて置きます。
 そもそも教祖の手を通して書かれた筆先は、到底現代人の智識や学力でこれを解
釈する事は出来ぬものであります。如何《いかん》となれば、筆先は教祖が霊眼《
れいがん》に映じた瞬間の過現未《くわげんみ》の現象や、又は神々の言霊の断片
を惟神的《かむながらてき》に録したものですから、一言一句といへどもその言語
の出所《しゅっしょ》と時と位置とを霊眼を開いて洞観せなくては、その真相は判
るものではありませぬ。これを今日の演劇に譬へて見れば、艮《うしとら》の金神
《こんじん》の筆先の名のもとに、塩谷判官高貞《えんやはんぐわんたかさだ》の
言語もあれば、高野師直《かうのもろなほ》、大星由良之介、大野|九太夫《くだ
ゆふ》、千崎弥五郎、早野勘平、お軽、大野|定九郎《さだくらう》、加古川本蔵、
桃井若狭之介などの役者が各自に台詞を使ふのを、由良之介は由良之介一人に対す
る台詞、九太夫は九太夫一人のみの台詞を集めたのが、教祖の筆先であります。い
はゆる芝居の下稽古の時に、各役者が自分の扮すべき役目の台詞のみを読み覚ゆる
ための抜書のやうなものであります。故に、実際の霊界にある神劇を目撃したもの
でなければ、筆先を批評する事は出来ませぬ。例へば大星由良之介の台詞の筆先を
見れば、実に感心も為し忠臣義士の模範とする事も出来ますが、これに反して九太
夫の台詞を記した筆先を見る時は、実に嘔吐を催すのみならず、実に怪《け》しか
らぬ筆先に見えるのであります。故に神様は、三千世界の大芝居であるぞよと、筆
先に書いて居られます。その各自の台詞書《せりふがき》を集めて、一つの芝居を
仕組むのが緯《よこ》の役であります。故に霊界物語は筆先の断片的なるに反し、
忠臣蔵の全脚本とも云ふべきものであります。筆先の中にも、智恵や学ではこの筆
先は到底判るもので無い、因縁の霊魂《みたま》に神界の実地が見せてあるから、
その者と直《なほ》とでなければ筆先の精神は判らぬぞよ、と記してあるのを見て
も判りませう。また時と処と位置とによりて、筆先の文句に異同あるのも当然であ
る。軽々しく筆先は人間の論評すべきものではありませぬ。筆先は決して純然たる
教典ではありませぬ。
 要するに、太古の神々の活動を始め、現在未来の神界の活劇を、断片的に示した
台詞書きに過ぎませぬ。これを一つに取りまつめてその真相を劇化して、完全に世
人《せじん》に示す様にするのが霊界物語編纂の大使命なのであります。右様《み
ぎやう》の性質の筆先を一所《いっしょ》に集めて、神劇の真相を世に発表せむと
努力する緯役《よこやく》の苦心をも覚《さと》らずに、緯役が完全な筆先をワヤ
に作りかへたなぞと批評する人は、筆先の真の価値なりまた神の御意志をもって、
自分の意志と同一に見做《みな》した人々の誤りであります。教祖の書かれた筆先
(台詞書)の九太夫《くだゆふ》の巻を見た人は、キット艮の金神の教《をしへ》
は悪であると云ふであらう。由良之介の台詞書を見た人は、定めて艮の金神の教を
立派な結構な教であると云ふでありませう。この台詞書を整理して立派な神劇を組
立てた上、始めて平民教育の芝居ともなり、バイブルともなるのであります。九太
夫|一人《いちにん》の台詞を見たり、由良之介|一人《ひとり》の台詞書のみを
見て、善だの悪だの忠だの不忠だのと批評するのは、批評する人が間違って居るの
であります。故に緯役は大正十年旧九月十八日、教祖の神霊の御請求によって、病
躯を忍び臥床のまま霊界物語を口述することと致しました。然るに霊界物語は簡明
を欠くとか、冗長にして捕捉する事が出来ないとか、複雑これを読むの煩《はん》
に堪へないとか、神劇としても俗化して居て神威を冒涜するものだとか、はなはだ
しきは緯役の精神そのものの発露だとか、種々雑多の小言を聞きますが、緯役とし
て霊界物語を口述し始めたのは、今までの信徒の方々が筆先の台詞書しかも九太夫
の台詞を真《まこと》の神の教の如く軽信された結果、昨春の様な事件を突発する
様になったのだから、過失を再びせざらしめむとして、病中を忍び本物語を著述す
る事に成ったのであります。決して道楽や物好きでコンナ事が出来ませうか。
 馬琴《ばきん》は二十八年間を費して八犬伝《はっけんでん》を作りました。こ
の霊界物語は、わづかに一年足らずの間にて口述日数は百五十日、しかも八犬伝の
三倍を超過して居る大部なものであります。いづれも人間の頭脳の産物でない事は、
少し著述に経験ある文士なれば一目瞭然たるべきものだと考へます。また中には、
霊界物語は神幽現三界の歴史であって、家庭の宝典たる教化的価値なきものだと云
って居る布教師があるさうですが、未だ霊界物語を読了せないからの誤りでありま
す。第一巻より第四巻まで位を読むだ人は、教訓的よりも歴史的方面の多いものと
思惟されるのはむしろ当然だろうと思ひます。しかし霊界物語は歴史でもあり、教
訓でもあり、教祖の筆先の解説書であり、確言書であり、大神劇の脚本であります。
この物語に依らなければ、教祖の筆先の断片的(台詞書)のみにては、到底神界の
御経綸と御意志は判るものでは無いのであります。
 霊界物語の文句の中に、一旦帰幽した神人《しんじん》が時代不相応の後世まで
生きて居て種々の活動をしたり、またエルサレムの都が現今の小亜細亜の土耳古《
トルコ》であったりするなどは、現代人のもっとも疑ひの種を蒔くものと予期して
居ます。しかし何をいっても数十万年前の物語であり、また霊界を主として口述し
たのですから、不審の点は沢山にあるでせう。口述者自身においても不審、不可解
の点は沢山ありませう。筆先と霊界物語とは経緯《けいゐ》不離の関係にある事を
考へて貰ひたい。また今まで発表した神諭は、由良之介や千崎弥五郎の台詞のみを
教訓として発表したものであります。たまに九太夫の台詞のやうに人によって感じ
られる点がある様なのは、その人が神劇の全体を見て居ないから起こる誤解であり
ます。由良之介でも七段目の茶屋場あたりでは、ちょっと見ると九太夫式の言辞を
弄《ろう》してゐる。されど彼の心中は決して悪ではない。緯役として今まで発表
した神諭を、九太夫式の点がある様に解するのは、霊界の真相が解らないからであ
ります。いづれも緯役として解決の着かない様なものや、悪言的の筆先は決して発
表はして居ませぬ。精神のゆがみたる人が見たら悪く見えるであらうが、緯役とし
て神界の実地に触れ根拠ある点のみを選抜して神諭としたまでであります。悪く見
ゆるのは神霊の活劇を見ないからであります。故にその蒙《もう》を啓《ひら》く
ために、本書を発表する事となったのであります。
 中には『筆先は一字も直すことは成らぬぞよ』とあるのを楯《たて》に採り、緯
役が直したのが不都合だといって居る人がある。これも一を聞いて二を知らぬ人の
誤りである。変性女子《へんじゃうにょし》は緯役だから書き放題に出口直に書か
してあるから、女子《にょし》がよく調べて直して出して下さいと示してある。こ
れが緯役としての使命である。『一字も直す事は成らぬぞよ』と示されたる意義は、
変性女子以下の当時の筆記者に対して示された筆先の詞である。これと混同して緯
役を云々するのは少し早計でありませう。


●凡例

一、本巻の巻尾に収められたる『古事記略解』は、大正九年十月十五日東京婦人会
発会式の席上において、瑞月《ずゐげつ》聖師が御講演になったもので『天の岩戸
開』と題して、大正九年の『神霊界』十一月号に発表されたものです。
一、本巻の口絵『蓄音器吹込中の瑞月聖師』についての詳しい事は第8章の『思出
の歌』を参照らして下さい。
        大正十一年九月
                            編者


●総説歌

 葦原《あしはら》の瑞穂の国の中津国《なかつくに》
   その真秀良場《まほらば》や青垣の
 山を四方にめぐらして
   流れも清き小雲川《こくもがは》
 淵瀬と変る世の中は
   めぐりめぐりて二十四年《はたよとせ》
 地の高天原《たかあまはら》も治まりて
   鬼の姿もみずのえの
 大蛇《をろち》探女《さぐめ》も戌《いぬ》の春
   干支《えと》もめぐりて如月《きさらぎ》の
 今日の八日は三《み》めぐりの
   月日の車|後《あと》にして
 梅《うめ》が香《か》薫る月の空
   高く輝く瑞月《ずゐげつ》は
 八重黒雲《やへくろくも》につつまれて
   浮世のなやみ覚りたる
 神のめぐみの幸はひて
   心の岩戸開きつつ
 明《あく》れば二月九つの
   日は西山《せいざん》に傾きて
 月照る夜半《よは》の独寝《ひとりね》の
   夢を破りし芙蓉山《ふようざん》
 神の使ひの現《あら》みたま
   五六七《みろく》の御代《みよ》を松岡の
 使ひの神に誘《いざな》はれ
   千歳の松の繁り合ふ
 堅磐常盤《かきはときは》の巌窟に
   さしこもらひて天地《あめつち》の
 神の教《をしへ》を受け継ぎし
   名も高熊の岩の前
 天津御空《あまつみそら》に月照《つきてる》の
   神はわが身を照らしつつ
 鎮魂《みたましづめ》や帰神《かむがかり》
   審神《さには》の道も授けられ
 現界《うつつ》、神界《かみのよ》、幽界《かくりよ》を
   産土神《うぶすながみ》に伴《ともな》はれ
 須弥仙山《しゅみせんざん》に攀《よ》ぢ登り
   宇宙の外に身を置きて
 過去と未来と現在の
   世の状況《ありさま》を悟りたる
 十二の干支《えと》も三《み》めぐりの
   いよいよ今日は村肝の
 心洗ひて霊界の
   奇《く》しき尊き語り言《ごと》
 十二の干支《えと》に因《ちな》みたる
   十二の巻《まき》の筆始め
 松の大本神の村
   弥仙《みせん》の山を仰ぎつつ(松村仙造)
 天地造化の物語り
   月は外山《とやま》の頂きに(外山豊二)
 豊二《とよに》かがやき岩田かく
   夜も久方の太御空《おほみそら》(岩田久太郎)
 隈無《くまな》く照れる谷村や
   藤津久子や高木|氏《うぢ》(谷村真友・藤津久子・高木鉄男)
 中野|祝子《ときこ》や武郷氏
   真《まこと》の友の寄り合ひて(中野祝子・同武郷)
 神世《かみよ》に進む加藤時代
   新月空に明《あき》らけき(加藤新明)
 梅の花咲く今日の春
   めぐりめぐりて北村の(北村隆光)
 神の稜威《みいづ》は隆光《たかひか》る
   本宮山《ほんぐうやま》の上下《うへした》に(山上郁太郎)
 百花《ももばな》千華《ちばな》馥郁《ふくいく》と
   咲き匂ひたる太元《おほもと》の
 神の教の名西|負《お》ふ
   本宮村《ほんぐうむら》の真秀良場《まほらば》に(西村徳治)
 神の御徳《みとく》もいやちこに
   清く治まる五六七《みろく》の世
 松の常磐《ときは》の心もて
   神の教を説き啓《ひら》く
 松雲閣《しょううんかく》の奥の間に
   厳《いづ》の御魂《みたま》の開きたる(松雲閣)
 神世《かみよ》を経《たて》の御教言《みのりごと》
   うまらに委曲《つばら》に説き別《わ》くる
 錦《にしき》の機《はた》の緯糸《よこいと》の
   横たはりつつ緯《よこ》の役
 つとむる今日ぞ芽出度けれ。

    大正十一壬戌年三月六日 旧二月八日
                        於松雲閣 王仁
--------------------
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 今年1月19日(土)は出口王仁三郎が昇天してから60年目にあたります。
        この日、霊界物語愛読者有志により東京都内で
      【霊界物語朗読ライブ】を開催することになりました。
         詳しくは下のウェブサイトをご覧下さい。

        >>> http://live.onisavulo.jp/ <<<

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
(568)に続く
http://onisavulo.web.fc2.com/
現在休刊中です
解除

規約に同意して

最近の記事

上へ戻る