2008/04/10
★山中 幸盛★~後編~■戦国武将列伝■~戦国天下版~
vol.63━2008.4.10━◆4月10日号◆ ★戦国武将列伝★〜戦国天下版〜 578部 ┏─────────────────────────────────── ┃本‖・【01 明日話そう!!戦国豆知識】 ┃日‖・【02 山中 幸盛】 ┃の‖・【03 編集後記】 ┃内‖・【04 募集&お願い】 ┃容‖ 発行者:【戦国天下】 中川 修 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 【戦国天下】の中川 修です!桜も散ってしまいました・・・なんとなく物悲しい 感じです。日本人と桜は、切っても切れない関係ですねえ。東北の方はこれからが、 見ごろですかねえ?桜の画像お待ちしています(笑) まずは、メルマガをお楽しみ下さい! ◆戦国武将Tシャツ&戦国武将グッズ通販◆ 【戦国天下】 http://www.sengokutenka.com/ ◆ の提供でお送りいたします。 ◆ ☆新作・真田六文銭&風林火山Tシャツ登場!!戦国天下まで!! 【01 明日話そう!!戦国豆知識】 ------------------------------------------------------------------------ 【戦国の戦闘術】 戦国末期か、関ヶ原の戦いの後ぐらいのお話です。ちょうど剣術家が各地で、 大名に剣技を披露し、剣術が注目されるようになってきた時でした。 ある大名家に剣術家がやってきて、大名の側近たちと試合をしたそうです。 さすがに剣術家。一本どころか、完膚なきまでに打ち負かしてしまいます。 多くの戦を生残った我が家の歴戦の勇士がいるから、その者とも試合をして欲 しいと言い、その配下をつれて来させました。 いざ、試合が始まるとその配下は、剣術家の木刀を左小手で受け止め、手に 持った木刀で切りつけました。剣術の試合ではありえない光景に驚いた主が、 注意すると、『私はこれで生残ってきましたので』と、袖をめくるとそこには、 通常の2倍以上の厚さの小手をはめていました。 実戦から学んだ戦闘術であり、一対一で戦う剣術とは違う武術があったので しょう。生残るということは、こういう事をいうのかもしれませんねえ。 ------------------------------------------------------------------------ 【02 山中 幸盛】天文十四年(1545年) 〜天正五年(1578年) 【統率】76【戦闘】90【政治】42【智謀】63 ※能力は1〜100。 ------------------------------------------------------------------------ 【後編】 京へ戻った鹿介らは、信長に庇護を求め、中国攻めの先方となることを誓った といいます。尼子遺臣団は尼子氏再興の志を秘めて当時織田家よりの山名氏の軍 勢に加わり、山名氏に謀叛して鳥取城に篭った【武田 高信】と闘い、因幡を転 戦、甑山城での戦いにて決定的な勝利を得ますが、その後に武田氏に味方した鳥 取城を毛利氏に奪われてしまいます。 山名氏が毛利と織田の二大勢力に翻弄されて、主と家臣団での意思統一が取れ ておれず、家としての方向性を見失っていたため、明日にでも敵方に寝返るとい う可能性がありました。余談ですが、後に領主・【山名 豊国】は家臣団に追い 出されてしまいます。織田氏と気脈を通じていた尼子遺臣団は、この状況を再確 認し山名氏を離反する事になります。織田方の【浦上 宗景】の助力もあって若 桜鬼ヶ城・私都城を確保し、一時的に尼子氏を再興することに成功します。 ------------------------------------------------------------------------ しかし、天正三年(1575年)には毛利方が私都城を攻略し、古くからの尼子遺 臣が毛利氏に降るという事態が発生。翌、天正四年(1576年)には情勢の変化か らか、信長が鹿介を庇護しない旨を【吉川 元春】に伝えるという、尼子にとっ て最悪の状況に追い込まれます。 こうして、重臣と庇護者を同時に失った尼子遺臣団は、居城の若桜鬼ヶ城を支 えることができず、丹波方面へ落ち延びることとなります。織田氏の処置は、本 願寺などの諸勢力との闘いが続く中で、毛利氏との軋轢を一時的に軽減するため の政治的な目的があったと考えられ、尼子遺臣団は【明智 光秀】の軍にしばら く配属される事になります。 【松永 久秀】の謀反の際には、敵将【川合 秀民】を一騎打ちで討ち取るな ど、その剛勇振りを発揮します。しかし、肩身の狭いっ境遇のため、『大将たる ものが、匹夫の一騎打ちなど・・・』と口にするものも多かったといいます。 ------------------------------------------------------------------------ 天正五年(1577年)、信長の命により秀吉の中国遠征が始まると、約束通りそ の先鋒として播磨に送り込まれ、上月城に拠って尼子氏の再興を目指す事になり ます。 しかし、翌天正六年(1578年)に毛利軍に攻められた際、織田軍が北の【上杉 謙信】や石山本願寺の攻勢に備えるため播磨から軍を引いたため、上月城は孤立 し、「打倒尼子」の意気に燃える毛利軍六万の攻撃に合い、尼子主従は城を支え きれず降伏します。 秀吉は、援軍を送ることを信長に意見しましたが却下され、手勢だけで救出に 向いますが、六万の大軍に阻まれ、遠くから城を見守る事しかできませんでした。 せめて鹿介だけでも脱出して陣地に来るように誘ったといいますが、『城兵や妻 子を見捨てる事は出来ない』と断ったといいます。(上月城の戦い) ------------------------------------------------------------------------ この時、鹿介の必死の嘆願も容れられず主君の【尼子 勝久】は自害させられ てしまいます。鹿介は自害させられず、毛利氏に降ります。これには、織田家と の交渉の際、鹿介が役に立つだろうと考えたからだと言われています。 しかし 【毛利 輝元】の下へ護送される途上の備中国合の渡しにて謀殺されま す。通説によれば、鹿介は尚も生き延びて、尼子氏を必ずや再興するという執念 を胸中に抱いていたため、これを生かしておくと危険と見た元春が先手を打ち、 鹿介は殺害させたと言われています。 武勇の鹿介を警戒し、休憩を装い油断させ後ろから切りつけ、抵抗する鹿介を 数人がかりで組み伏せ殺害したといいます。享年三十四歳。鹿介の死を以って尼 子氏再興は完全に絶たれることとなります。 胴体は観泉寺前住珊牛和尚によって埋葬された胴塚が現在も観泉寺墓地に残り、 首級は備後国鞆の浦に在していた時の室町幕府十五代将軍【足利 義昭】や輝元 により実検が行われ、その後地元の人たちが手厚く葬った首塚が現在も残ってい ます。(鞆の浦・静観寺山門前)。 【03 編集後記】 ------------------------------------------------------------------------ みなさんこんにちは。メルマガもやっとお届けできました。なんとかかんとか といったところですが、楽しんでいただけているでしょうか?少しづつですが、 メールも頂く数も増え、面白いネタや情報交換を楽しんでいます。これからも、 どんどん送ってくださいね!よろしくお願いします。 それと、ちょっとお願いがあります。メルマガを読んで面白かったと思われま したら、上と下にあるスポンサーサイトをクリックしていただけると助かります。 よろしくお願いします! それでは次回は、4月30日です!楽しみにしていてください! 【04 募集&お願い&読者感想紹介】 ------------------------------------------------------------------------ ということで、お便りお待ちしています!励ましや、参考文献、こんなのやって ましたとかでも構いません!こんな特集を組んで下さい!などなど、戦国関連情 報送ってくださいね!いただいたメールは、全て読んでお返事をお書きします! ぜひ、お気軽に送ってください! 【読者感想】 ☆前半の負傷者の介抱のところで、傷口を冷ました尿で洗うというのがありまし たが、少なくとも人間の尿であれば、健康な人間の尿は「無菌」なので清潔な水 がないときに傷口を洗うという意味では有効であるという話を聞いたことがあり ます。馬の尿がどうだったかは分かりませんが。 サバイバルにおいては有効な手段であったそうです。 ただし、何かの器に尿をためておいて使うのはいけないようです。無菌とはい え殺菌力はないので、空気中に放置しておくとすぐに空気中の菌が繁殖してしま います。トイレがはねた小便でにおうのは、小便そのものの匂いではなく、小便 で繁殖した菌が出す排泄物の匂いなのだそうです。 ◆ねこじゃらしさん◆ 貴重なご意見ありがとうございます。そして、お食事中の方すみません(笑) ねこじゃらしさんとは、食事中の方に迷惑するようなメールの内容でやり取りし ました(笑) ☆負傷といえば、ベトナム戦争でベトナム軍はアメリカ兵の足を傷つけるために 落とし穴に竹やりしこんで負傷させたそうです。 そして足が負傷した兵を担架、または両側から兵がそれぞれ肩をかすので、少な くとも負傷した兵を後方に運ぶ2人の兵と負傷兵の計3名の兵力が減る、という ことで、この落とし穴結構つくったみたいです。 ◆いだっちさん もはや、常連さんですねえ(笑)いつもありがとうございます!戦術レベルの 話は非常に興味がありますねえ!戦国でもあったのか調べて見ますねえ! これからもどんどん感想送ってくださいね!メールに掲載O.Kや、掲載名を書い ていただけると助かります!どしどしお送り下さい! 【相互紹介】も募集しておりますので、メルマガ発行者の方、お気軽にご連絡 くださいねえ!! 今回も、ありがとうございました! ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ・発行人 【戦国天下】中川 修 ・メアド info@sengokutenka.com ・ブログ 【戦国武将名将たちの生き様】 こちらもどうぞ! ↓ http://plaza.rakuten.co.jp/46nohirune/diary/200605080000/ ・HP 戦国武将Tシャツ&戦国武将グッズ 【戦国天下】 ↓ http://www.sengokutenka.com/ ※無断転載・無断コピー禁止 登録・解除は、下記アドレスよりお願いします! ---------------------------------------------------------------------- 「戦国武将列伝」〜戦国天下版〜 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000188853.html ----------------------------------------------------------------- --- 無料メールマガジン『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/


