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2008/03/25

★山中 幸盛★前編■戦国武将列伝■~戦国天下版~

vol.62━2008.3.25━◆3月25日号◆
     ★戦国武将列伝★〜戦国天下版〜     577部
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┃本‖・【01 明日話そう!!戦国豆知識】 
┃日‖・【02 山中 幸盛】   
┃の‖・【03 編集後記】   
┃内‖・【04 募集&お願い】     
┃容‖          発行者:【戦国天下】 中川 修
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【01 明日話そう!!戦国豆知識】
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 【負傷者の介抱】

  戦場で負傷した場合には、どんな手段が用いられたのでしょうか?今回は、
そんな戦国応急医療についてお話していきたいと思います。でも、堅苦しいお話
しはありませんので、気軽に読んで下さい!

 先ずは、想像がつくところから、弾丸や矢じりは、キッチリ抜くようにしてい
たみたいです。当然といえば当然ですが、今と変わりませんよね。抜く時に激痛
と、残った鉛で病気になるのを防止するためです。ちなみに、関ヶ原の戦いで負
傷した【井伊 直政】は、弾丸が綺麗に取り出せずそれが元で亡くなりました。

それを逆手にとって、わざと矢じりが体に残るように矢じりを緩く付けたりもし
たみたいです。麻酔のない当時だと傷みで即倒しそうですけどねえ。ちなみに、
縫ったり引き抜く手術道具は熱湯消毒を使用し菌に感染しないようにしていまし
た。それでも、破傷風になる人は多かったみたいですが・・・


 また、眠らないように紙縒りで鼻をくすぐったりもしたみたいで、数人がかりで
負傷者の手当てをしたそうです。有名なところだと、うっ血を下すために、馬の小
便を飲ませたり、傷が痛めば冷ました小便で傷口を洗うと、うずきは止まったみた
いですねえ。

 僕は、医学関係には詳しくないので効果があるかどうかは分かりませんが、気休
めにはなったのではないでしょうかねえ。しかし、負傷した人をちゃんと介抱する
ということは、戦場で後方へ搬送するという事が、決まっていたという事になり、
兵隊同士で助け合う土壌があったことに驚きました。

   
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【02 山中 幸盛】天文十四年(1545年) 〜天正五年(1578年)
【統率】76【戦闘】90【政治】42【智謀】63

※能力は1〜100。
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【前編】

 戦国時代の山陰地方の武将。戦国大名尼子氏の家臣。実名は幸盛(ゆきもり)、
通称・鹿介だが、講談の類で鹿之助とされたため、山中鹿之介(しかのすけ)と
いう誤った表記で知られています。幼名は甚次郎。異名は、「山陰の麒麟児」。
尼子十勇士の一人。

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 山中家は尼子氏の庶流にあたり、尼子家と深い関係にありました。生来の剛毅
な性格であったらしく、兄を侮辱した相手を僅かに八歳で切り倒すなどの逸話が
残るほど。十二歳の時に【尼子 義久】の近習として、仕えるようになります。

 鹿介の活動が本格化するのは、永禄九年(1566年)に義久が毛利氏に降り、戦
国大名尼子氏が滅びて以降のことで、尼子氏が衰亡していく中、御家再興のため、
鹿介が「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話は講談な
どによりよく知られ、戦前の教科書にもよく引用されたみたいです。忠烈無比の
武士だとか。

 
    
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 永禄十一年(1568年)、鹿介は尼子氏を再興するために京都で僧籍にあった
【尼子 国久】の孫勝久を還俗させて擁立します。【立原 久綱】・【横道 兵
庫助】・【牛尾 弾正忠】ら尼子遺臣団は、隣国の【山名 豊祐】の家老【垣屋 
播磨守】を頼り、但馬国を経由し【奈佐 日本之介】の手を借りて隠岐に依りま
す。

 隠岐の豪族・【隠岐 為清】の協力を得て、永禄十二年(1569年)には海浜の
出雲忠山を占領するに至ります。その後、出雲の尼子遺臣の勢力を吸収し、新山
城を攻略してここに本営を設置。毛利氏の拠点となっていた月山富田城を除き、
出雲一国をほぼ手中に収めんとするまでに勢力を伸張することに成功します。

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 しかし、配下の略奪行為が因幡でも見られるなど統制維持が乱れ、その後は
【隠岐 為清】の離反を招き、布部山の戦いに敗北すると衰勢著しく、元亀二年
(1571年)8月には最後の拠点であった新山城が落城してしまいます。この戦いで、
鹿介は元就の次男【吉川 元春】に捕らえられました。ところがこの時、腹痛を
装って何度も厠に入り、油断した監視の目を逃れるために厠から糞にまみれなが
らも脱走したといい、勝久とともに再び京都に逃れる事に成功します。恐ろしい
までの執念といえるでしょう。こうして、一度目の尼子再興は、失敗に終わりま
す。

【後半に続く】

【03 編集後記】
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 みなさんこんにちは。今回は少し発行が遅れましたが、なんとか3月中にお届
けする事ができました。すみませんでした。少し体調を崩してやっと治りかかっ
ている状態です。まだ、耳鳴りが治らないのですがあと少しといったところでし
ょうか。

 今年の目標は、体を動かしていくという事ですが、健康を保つのは非常に重要
ですねえ。若い時はそれほど気にしませんが、運動は大切です。メタボ対策にも
なりますし(笑)
  
 それでは次回は、4月7日です!楽しみにしていてください!

 
  




【04 募集&お願い&読者感想紹介】
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ということで、お便りお待ちしています!励ましや、参考文献、こんなのやって
ましたとかでも構いません!こんな特集を組んで下さい!などなど、戦国関連情
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ていただけると助かります!どしどしお送り下さい!

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くださいねえ!!


今回も、ありがとうございました!
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・発行人 【戦国天下】中川 修

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