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2007/10/31

★秋山 信友★■戦国武将列伝■~戦国天下版~

vol.56━2007.10.30━
     ★戦国武将列伝★〜戦国天下版〜     546部
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┃本‖・【01 明日話そう!!戦国豆知識】 
┃日‖・【02 秋山 信友】   
┃の‖・【03 編集後記】   
┃内‖・【04 募集&お願い】     
┃容‖          発行者:【戦国天下】 中川 修
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【戦国天下】の中川 修です!寒い日が続き、個人的にはそろそろ鍋シーズンかな
と思ったりします。チゲ鍋が恋しい季節です。


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【01 明日話そう!!戦国豆知識】
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 【鶴翼の陣】

 戦国時代には多くの陣形が使われました。その中でも、最も知名度ある陣形の
一つ、鶴翼の陣についてのお話しです。

 鶴が翼を広げた形に似ている事から、この名がついたと言われています。元々
は、中国の春秋戦国時代に多くの陣形が出来たと言われていますから、それが、
兵書と共に日本に伝来したのでしょうねえ。

 多くの場合は、敵を包み込むという事から、敵より多くの兵を持つ側が使用す
る事が多かったそうです。姉川の戦いの際、信長が浅井勢との戦闘で使用してい
ます。弱点としては、部隊の厚みがなくなることから、一点を突破されると部隊
が分断されてしまう事があります。

 その逆に、少ない兵を多くみせ敵部隊を威圧するために使用する例もありまし
た。川中島の武田軍、三方ヶ原の戦いの徳川軍などが好例でしょう。しかし、凌
げるのは一時的なもので、それを理解した上で使用する苦肉の策であったのだと
考えられます。
   
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【02 秋山 信友】大永七年(1527年) 〜天正三年( 1575年)
【統率】87【戦闘】83【政治】65【智謀】83

※能力は1〜100。
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 信玄・勝頼の二代に仕えた武将。武田二十四将の一人。知勇兼備の名将で、『
武田の猛牛』と他国より恐れられた。伯耆守、虎繁。

 大永七年(1527年)、武田氏の同族で甲斐源氏の流れを汲む【秋山 信任】の息
子として、甲斐躑躅ヶ崎館の屋敷内で生まれます。天文11年(1542年)の【諏訪 
頼重】攻めで初陣した。この頃は【駒井 高白斎】の与力であったとも寄子であ
ったとも言われています。

 天文十六年(1547年)の伊奈福与城攻めで一番乗りの戦功を挙げた上、敵将の
【藤沢 頼親】を捕縛するという大手柄により、騎馬50騎の侍大将に任じられた。
さらに木曽福島城攻めで戦功を挙げたため、伊奈郡代に抜擢され、相備えと合わ
せ250騎持の大将となります

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 各地を転戦し、高遠城、飯田城、大島城などの信濃伊奈方面の守備を任された。
主に伊奈衆を率い南信濃方面を担当する事になります。この信友は、武勇だけで
はなく知略にも優れ、永禄十年(1567年)、信玄が信長と同盟を結ぼうとしたと
き、多くの重臣が反対する中でひとりだけ信長と同盟を結ぶ利を説き、諸将を同
意させたといいいます。

 永禄十一年(1568年)には信長の嫡男・信忠と信玄の四女・松姫との婚約成立
に伴い、岐阜へ名代として赴き、その立ち居振る舞いは見事であったそうです。

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 元亀三年(1572年)、信玄が西上作戦を開始すると、別働隊の大将として三千
を率いて織田領の東美濃に攻め入り、瞬く間に岩村城を陥落させ、前城主・【遠
山 景任】の未亡人で信長の叔母に当たるおつやの方(岩村殿)を正室として迎
えます。

 また、岩村城に在城していた信長の五男・御坊丸(後の織田勝長)を保護して
甲斐に送っています。この時の信友の役割は、信長に対するけん制であり、信長
は岐阜城に槍をつけられた状態で、家康にまともな援軍を送ることは出来ません
でした。信玄が亡くならなければ、家康を撃破後尾張方面の本隊と信友の別働隊
で、挟撃する手はずになっていたみたいです。このことからも、戦略上非常に重
要な任務任されていた信友の能力の高さを示していると考えられます。

以後は岩村城主として、東美濃方面の最前線を守備することになります。信長に
とっては忌々しい、城であったに違いありません。


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 元亀四年(1573年)の信玄の死後は勝頼に仕え、天正二年(1574年)に勝頼が
東美濃に攻め入る際にはこれに協力し、信玄時代と変わらず、武田氏の東美濃方
面(対織田氏)の最前線で戦っていた。しかし、天正三年(1575年)長篠の戦い
で武田軍が敗れるなど、武田方が劣勢になるに従い、岩村城は徐々に孤立してい
きます。

 天正三年(1575年)、信長は自ら大軍勢を率いて岩村城を包囲し、籠城半年に
渡り救援の見込みが無いと判断した信友は、信長の提示した和議に応じて開城す
るが、直後に信長は和議条件を破棄、信友夫婦は捕らえられて長良川に連行され、
そこで逆さ磔の極刑に処された。享年四十九歳。

 信長はよほど岩村城の無血開城・武田方への移籍が腹に据えかねていたらしく、
信友夫婦だけではなく、信友配下の将兵も皆殺しにしたと伝えられています。



【03 編集後記】
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 前回のアンケートに協力していただいたみなさま、どうもありがとうございま
した!少しづつですけど、戦国というものが世間一般に認知されていくことが、
非常に嬉しいです。日常的に会話をする機会がありませんが、その内そんな日が
来る事があればいいのですけど・・・

 
 

 それでは、また来月にお会いしましょう!



【04 募集&お願い&読者感想紹介】
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ということで、お便りお待ちしています!励ましや、参考文献、こんなのやって
ましたとかでも構いません!戦国関連情報送ってくださいね!

【読者感想】

 今回は、メールがありませんでしたので掲載はありません。毎回毎回はさすがに
難しいですよねえ・・・お気軽に送ってくださいね!よろしくお願いします!



これからもどんどん感想送ってくださいね!メールに掲載O.Kや、
掲載名を書いていただけると助かります!どしどしお送り下さい!

 なんとかがんばって発行回数を増やしていきたいと思います!!!


今月も、ありがとうございました!
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

・発行人 【戦国天下】中川 修

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