2007/05/08
★村上 義清★■戦国武将列伝■~戦国天下版~
vol.50━2007.05.08━ ★戦国武将列伝★〜戦国天下版〜 486部 ┏─────────────────────────────────── ┃本‖・【01 大河ドラマ風林火山!】 ┃日‖・【02 村上 義清】 ┃の‖・【03 編集後記】 ┃内‖・【04 募集&お願い】 ┃容‖ 発行者:【戦国天下】 中川 修 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 【戦国ライター】中川 修です!みなさま、ゴールデンウィークはいかがお過ご しでしたか? 戦国武将Tシャツ&戦国武将グッズ通販 【戦国天下】 http://www.sengokutenka.com/ ★新作風林火山 甲斐の虎 武田信玄Tシャツ登場!! 武田信玄効果なのでしょうか。発売開始以来、ものすごい人気です!もちろん、 大河ドラマ効果もあるにしても、記録的なヒット作になっています!Tシャツ シーズンももうそこまで来ていますので、この機会にどうぞ! この機会にぜひお手にとってみてください!! 【01 大河ドラマ風林火山!】 ------------------------------------------------------------------------ ◆真田丸 大坂冬の陣で、真田幸村が作った楕円形の出丸です。戦国好きの方なら、名前 はご存知の方が多いのではないかと思います。冬の陣の死傷者の半分が、この出 丸での戦闘だったというくらい、見事に機能していました。 さてこの出丸は、元々は山本勘助の発案だといわれています。もちろん、原型 に多少の改良を施されているのですが。信濃各地に勘助が築城したと言われる城 には、必ずこのような馬だしと呼ばれる楕円形の出丸があるそうです。 甲州流の築城術の特徴であるのでしょうが、さすが武田の遺臣であるなあと思 うと同時に、勘助の見事な築城術に感動してしまう話しです。 ------------------------------------------------------------------------ 【02 村上 義清】文亀元年(1501年) 〜元亀四年( 1573年) 【統率】93【戦闘】90【政治】54【智謀】60 ※能力は1〜100。 ------------------------------------------------------------------------ 信濃国の戦国大名。清和源氏のひとつ河内源氏初代 源頼信の庶子 源頼清を 祖とする村上氏。幼名は「武王丸」。父は左衛門督顕国(頼平、頼衝)、母は室 町幕府管領の斯波義良の娘。 勇猛で知られた信濃埴科郡葛尾城主。武田信玄を二度までも討ち破るなど、そ の武勇をもって佐久・埴科・小県・水内・高井郡など北信濃の各地を支配下に治 めて村上氏の最盛期を築き上げた。実質的に信州村上氏の最後の当主。別名:左 衛門尉、信濃守、左馬頭等。正室は信濃守護小笠原長棟の娘。家紋は「丸に上文 字」。信濃北部に覇を唱えた北信の雄である。 ------------------------------------------------------------------------ 永正十四年(1517年)に、父より葛尾城を譲られ、永正十七年(1520年)に病没し た父の後を受けて当主となります。当初の宿敵は同じ北信濃の名族である北の高 梨氏と南の領主であった海野氏でした。義清は、北では【長尾 為景】と結んだ 【高梨 政頼】と争い、南では武田・諏訪と同盟を結び、【海野 棟綱】を追放 し海野氏を没落させることに成功しています。 しかし、今度は信濃東部へ進出した甲斐の【武田 晴信】と敵対し、天文十七 年(1548年)には、侵攻した武田勢を上田原の戦いで撃退します。この戦いで義 清は武田方の初鹿野伝右衛門を討ち取っているなど、個人としても非常に武勇の ある人物でした。 武田の被害は諏訪郡代・板垣信方、この他に、甘利虎泰、才間河内守などの部 将を失うことになり、信玄にとって初めての負け戦でした。この勝利に勢いを得 た義清は、小笠原氏・仁科氏・藤沢氏らと結んで諏訪に侵攻するも、塩尻峠の戦 いで信玄の見事な作戦により退けられた。 ------------------------------------------------------------------------ 天文十九年(1550年)、晴信が信濃砥石城を攻略のため、再び侵攻してきます。 義清が本領を留守にしていた時のことでしたが、砥石城攻めの報を聞きつけた義 清は反転、退却を開始した武田勢に追撃戦を挑み、大勝をおさめます(砥石崩れ) 。 この戦いで武田方は【横田 高松】を始め、720名の戦死者を出す完敗でした。 晴信はこれ以降、無理攻めを控え家臣の【真田 幸隆】による村上方武将の切り 崩し調略を強化する事になります。 その結果、天文二十年(1551年)には幸隆の謀略により義清は砥石城を奪われ ることになります。これにより義清の影響力は一気に低下し、天文二十一年(155 2年)の常田の戦いで勝利を収めるも、家臣団の動揺は抑え難く、天文二十二年( 1553年)武田氏に通じていた大須賀久兵衛尉が謀反、また室賀、屋代、石川など 村上方の諸将が武田氏に降伏したため葛尾城は大混乱に陥った。 ------------------------------------------------------------------------ 抗戦能力の無くなった義清は、【上杉 謙信】を頼って越後に落ち延びていった。 その後、義清は根知城主となり、嫡男の【村上 国清】とともに上杉家臣となり、 武田に対する武将として厚く遇されます。永禄四年(1561年)の第四回川中島の戦 いにおいて、義清は信玄と名前を変えた晴信と再びまみえ、大いに活躍するのでし た。天正元年(1573年)に越後根知城にて七十三才で病死。 若いとはいえ、あの信玄を二度まで打ち破ったのは義清だけでした。相当な戦上 手であったのでしょうが、その他の面では、信玄に勝てなかったのでしょう。 ------------------------------------------------------------------------ 【03 編集後記】 ------------------------------------------------------------------------ いやー時の経つのは早いもので、もう初夏ですねえ。やっと気持ちの良い季節 がやってきた感じがします。そういえば、風林火山もだんだん面白さに拍車がか かってきているので、こちらも見逃せませんね! 読者の数も、いよいよ500人を突破しそうな勢いです!でも、本当に感謝し ています。正直かなりマニアックなメルマガですから、こんなにたくさんの方に 読んでいただけていると思いませんでした。 ここまでやってこれたのも、皆様のお陰です。これからも、どうぞよろしくお 願いします。たまには、有名な武将も何回かに分けてお届けしてもいいのかと、 最近は思っていたりします。 それと、昨年作成したのですが、再び小冊子にしてみようと考えておりますの で、ご希望の方がいましたらご連絡いただければと思います。 あと内容や要望などお気軽にメールをいただけると励みになりますので、お気 軽に送った下さいねえ!戦国天下のホームページにもコメント残していただいても 結構です!ぜひ、みなさんで交流を深めましょう! それでは、また来月にお会いしましょう! 【04 募集&お願い&読者感想紹介】 ------------------------------------------------------------------------ ということで、お便りお待ちしています!励ましや、参考文献、こんなのやって ましたとかでも構いません!戦国関連情報送ってくださいね! 今週も、ありがとうございました! ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ・発行人 【戦国天下】中川 修 ・メアド info@sengokutenka.com ・ブログ 【戦国武将名将たちの生き様】 こちらもどうぞ! ↓ http://plaza.rakuten.co.jp/46nohirune/diary/200605080000/ ・HP 戦国武将Tシャツ&戦国武将グッズ 【戦国天下】 ↓ http://www.sengokutenka.com/ ※無断転載・無断コピー禁止 登録・解除は、下記アドレスよりお願いします! ---------------------------------------------------------------------- 「戦国武将列伝」〜戦国天下版〜 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000188853.html -----------------------------------------------------------------



