2006/05/22
■戦国武将列伝■~戦国天下版~
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ vol.9━2006.05.22━ ★戦国武将列伝★〜戦国天下版〜 427部 ┏─────────────────────────────────── ┃本‖・【01 戦国クイズ】 ┃日‖・【02 最上 義光】 ┃の‖・【03 編集後記】 ┃内‖・【04 募集&お願い】 ┃容‖ 発行者:【戦国天下】 修公 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ その前に、お得なお知らせです! 戦国武将Tシャツ&戦国武将グッズ通販 【戦国天下】 http://www.sengokutenka.com/ が、オープンしました!ぜひ、一度サイト訪問してくださいね!戦国色あふれた もの中心のHPです!よろしくお願いします! オープン記念割引実施中です!さらに」、新作入荷!お急ぎ下さい! 【01 戦国クイズ】 戦国の様々なクイズです!? ------------------------------------------------------------------------ 戦国の様々なクイズです!? さてさて、あなたの戦国通度はどのくらいでしょうか?最初は三択から スタートしようと思います。ちょっと、考えてみてください! 戦国のうんちくが、深まるかも。 では、早速挑戦してみてください! 【戦国クイズ1】 ・それでは、問題です。【最上 義光】であり、奥州の雄・【伊達 政宗】の 生みの親である人物は、次のうち誰でしょう? a・豪姫 b・義姫 c・小松姫 答え合わせは、巻末です!本文をお読みいただければ、答えがありますよ! それでは、引き続きお楽しみ下さい! 【02 】第十一回【最上 義光】(もがみ よしあき) 天文十五年(1546年)〜慶長十九年(1614年) ------------------------------------------------------------------------ 出羽(山形県)の戦国大名、最上氏十一当主。父は、【最上 義守】。従四位 左近衛少将、出羽守。正式な名乗りは、【源 義光】。 もともと、最上氏は名家斯波氏の庶流であり、由緒正しい家柄でしたが、時は 戦国時代、力がなければ意味のなさないものでした。現に、父・義守が僅か二歳 で家督を継ぐことになったとき、隣国の【伊達 種宗】の介入を受け、二十年以 上に渡る、半属国化が続き、伊達家の内乱『天文の乱』に乗じ支配を逃れる事が できました。義光が生まれたのはその数年後でした。 幼少の時から、武勇に優れていた義光にはこんなエピソードがあります。十六 歳の頃、父と鷹狩り中、盗賊に襲われたが、見事撃退し、賊の頭目まで討ち取っ たといいます。 しかし、出来すぎた息子が嫌になったのか、恐怖を覚えたのか分かりませんが 父から疎まれる事になります。なかなか人に頭を下げない、頑固な態度を嫌い、 次男である義時を寵愛するようになったともいわれています。 【武田 信玄】や【織田 信長】が同じであったように、義光も不遇な青年時 代を送ることになるのでした。やがて、反目するようになる父と子を、最上家の 将来を心配し、宿老【氏家 定直】が病身をおして義守を諫言したお陰で一時的 にではあるが、和解する事ができました。 ------------------------------------------------------------------------ しかし、その期間は長く続かず、業を煮やした義光は、父を強引に隠居させて 家督を相続し、反抗する弟・義時を殺害し、それに伴い反義光派が武装蜂起し、 義光に敵対したが、これを武力だけでなく、調略を効果的に使用し、次々に滅ぼ す事に成功するのでした。時に、天正三年(1575年)の事でした。 内紛を制した義光は、領国の拡大に着手します。天正六年(1578年)上山 城主【上山 満兼】を攻撃するため、重臣【里見 民部少輔】に誘い、内応させ 滅ぼし、【天童 頼久】の重臣で剛勇でなる【延沢 満延】を、嫡男・康光に娘 を嫁がせることで、味方につけ弱体化させた。後、伊達家を頼って落ち延びます 。 さらに、天正九年(1581年)頼久の弟・【東根 頼景】を家老の内応によ り謀殺し、また、最上征伐の軍を起こした【大宝寺 義氏】を、同様に家臣を内 応させ自刃に追い込むなど、その謀略の才を遺憾なく発揮した。 このように、手段を選ばない義光の版図拡大に対し、『出羽の驍将』『羽州の 狐』と謳われるようになるのでした。また、冷酷無残、権謀術数などと悪い印象 が残る原因となる事件が起こります。 天正十二年(1584年)隠然たる勢力をもっていた、谷地城主【白鳥 長久】 を病床を装い、居城・山形城に招き、自ら短剣をもって刺殺しました。そして、 徹底抗戦する遺臣たちを大軍で攻撃し、攻め滅ぼしました。 ------------------------------------------------------------------------ また、妹・【義姫】の嫁ぎ先である【伊達 輝宗】【伊達 正宗】との攻防に も力を入れ、常陸(茨城県)の大名・佐竹氏らと伊達包囲網を形成し、正宗の進 撃を阻み、大きな役割を果たした。 【大宝寺 義勝】の実父である越後上杉家の猛将【本庄 繁長】が庄内方面に 侵攻をしてくると、『十五が原の戦い』において、大敗し、庄内地方を上杉家に 奪われてしまう。 その後も、庄内領有を巡り上杉家との戦いは続いたが、信長亡きあと、台頭する 【豊臣 秀吉】に対しての外交戦に敗れ、上杉領と公認される事になるのでした。 その時活躍したのが、【直江 兼続】だったのです。 秀吉の惣無事令に従わない、【伊達 正宗】が山形に侵攻し、直接矛を交える ことになりますが、妹・【義姫】の仲裁を受け、両軍にらみ合うだけに留まり、 叔父と甥の戦いが行われる事はありませんでした。 その後、天正十六年(1590年)秀吉の小田原征伐に参陣し、本領安堵を受 け、秀吉に従う事になるのです。朝鮮の役に際しても、肥前(佐賀県)に参陣し ています。秀吉配下の大名時の総石高は、約二十万石でした。 ------------------------------------------------------------------------ 秀吉が死に、慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いが起こります。義光にとっ て、最大の危機が迫ります。西軍に加担する会津(福島県)・上杉氏の宿老であ る【直江 兼続】が、二万五千の兵を率い、二手に別れ山形へ侵攻してきました。 不意を突かれた最上軍は、各地で敗戦落城を繰り返す事になります。畑谷城が 落城し、【志村 光安】の籠る長谷堂城に兼続の本隊が迫りました。ここは、居 城・山形城の最後の防波堤で必死の防戦をします。 城将・【志村 光安】の巧みな戦術と、後々まで語り草になった【鮭延 秀満】 の奮闘により、直江軍を寄せ付けませんでした。また、直接戦闘には参加しませ んでしたが、伊達軍も援軍で到着しました。 結局、関ヶ原の戦いの敗報を聞いた上杉軍が、撤退を開始すると義光は、追撃 を開始します。しかし、【直江 兼続】自ら殿(しんがり)となり最上軍に反撃 し、見事な撤退戦を演じる事になります。『直江山城、古今無双の兵なり。』と 激賞される戦いぶりでした。 その後各地で上杉軍を追撃し、庄内地方に兵を入れ奪還に成功するのでした。 ------------------------------------------------------------------------ その功により、山形五十七万石を与えられ領内の整備に着手し、【北楯 利長】 を登用し、治水工事を成功させました。また、多くの寺社を建立し、現在でも山 形県内に残っています。 しかし、慶長八年(1603年)嫡男・【最上 義康】を高野山に蟄居させます が、その途上で暗殺してしまいます。詳細は、現在でも不明ですが、次男の家親 は、家康に近習させていたので最上家にとっては安泰だと考えたからだといわれ ています。 そのように、策を巡らし一族をも謀った義光でしたが、慶長十九年(1614年) 山形城にて病死します。享年六十九歳でした。その死に際し、数人の家臣が殉死す るなど、人望のある人物でした。 また、領内もよく収めていたようで、一揆が起こる事もなく、治水工事などの内 務にも力を注いでいました。義光亡き後、九年後最上家は、改易されることになり 、資料が少ないため、実像がゆがんで伝わったのかもしれません。新しい資料が見 つかる事を祈るばかりです。 【03 編集後記】 ------------------------------------------------------------------------ 今回のメルマガはいかがでしたか?初めての、読者さま募集武将&東北武将で したが、なかなかの人物ではなかったですか?肖像画などが、現存していないみ たいで、実物がどんなだったのか分からないのが、凄く残念です。 毎度のお願いなのですが、感想・ご意見送ってくださいね!必ず全部目を通し ますし、お返事を書いていますのでどうぞお気軽に、感想・ご意見送って下さい !楽しみに、毎週お待ちしています!よろしくお願いします! p.s やっと初夏らしい天気になってきましたね!外に出るのがとても気持ちいいです! 今度の休みに、温泉に行ってきます!どこに行こうかな?房総に行って、温泉& 里見氏ツアーにでもしようかと考えています! 【クイズの答え】 正解は、b・義姫です!簡単でしたか?他の二人は、誰の娘でしょうか?これか ら登場する人物ですので、それまで楽しみに待っていてくださいね! それでは、第十二回にご紹介する武将は、徳川四天王の一人、あの人物です! さて、四人のうちだれでしょうか?それでは、次回まで楽しみにしていてくださ い! 【04 募集&お願い】 ------------------------------------------------------------------------ お気軽にメールしてくださいね!メールをいただけると本当にうれしいんです! やってて良かったと思えちゃうんです! 些細なことでかまいません。ぜひ、送ってください!お願いします! いただいたメールを紹介するコーナーをつくるつもりです。もちろん、匿名か イニシャルかペンネームでご紹介しますので、安心してください! あとこのメルマガをどんどんお友達に紹介してください!戦国仲間を増やし、 戦国を通じて仲間になれたらと思います。【戦国同盟】をみんなで結びましょう! どうぞよろしくお願いします! 今週も、ありがとうございました! ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ・発行人 【戦国天下】修公 ・メアド info@sengokutenka.com ・ブログ 【修公の戦国天下運営日記】 こちらもどうぞ! ↓ http://plaza.rakuten.co.jp/46nohirune/diary/200605080000/ ・HP 戦国武将Tシャツ&戦国武将グッズ 【戦国天下】 ↓ http://www.sengokutenka.com/ ※無断転載・無断コピー禁止 登録・解除は、下記アドレスよりお願いします! ---------------------------------------------------------------------- 「戦国武将列伝」〜戦国天下版〜 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000188853.html -------------------------------------------------------------------- --- 無料メールマガジン『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/



