2006/03/01
縄文通信 3月ー1
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縄 文 通 信 通算 第115号-1 net No.7
(縄文暦12006年3月-1)
編集・発行人《縄文塾》中村忠之 【発行:(原則)毎月3回 】
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《 縄 文 時 評 》
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欧米型二極化現象という幻想
小泉流「官から民へ」という構造改革の推進、それに 竹中型金融シス
テムへの移行によって、日本が欧米型二極化の道をひた走っているという
声が、経済アナリストを中心に日増しに高くなっている。それに追随して、
鵜 の目鷹の目で政治のアラを探しているマスコミも、年金 問題や税金・
医療費負担増と絡めて便乗報道を垂れ流している。
日本は本当に欧米型の貧富二極化に近づいているのだ ろうか。とんで
もない、これこそ至極皮相的な現象論に 過ぎない、というより現実にブ
ラインドを掛け、一部見 られる現象に拡大鏡を当てて強調するという、
いわば「 ためにする偏向的アジ」に過ぎないというのが私の意見である。
例えばこの貧富二極化論者として、庶民派?経済アナ リスト森永卓郎
がいる。東大出ということだが、タケシ の「TVタックル」という番組の
中で、誰かが言った「窮 鳥懐に入れば猟師もこれを撃たず」という諺(
ことわざ )を聞いて、「(窮鳥とは)級長のことですか?」と言 って出
席者や視聴者の顰蹙(ひんしゅく)を買うような (養老孟司先生向きの)
トンチンカンな御仁である。
今日本は、世界でも極端に貧富の差が少ない平面型社 会で知られてい
るが、過去からずっと平面型であった訳 ではない。なにも江戸時代にま
で遡らなくても、戦前の 日本には、かなり大きな収入格差が存在してい
た。また 貧富の格差が大きいことは何も欧米社会の専売特許ではない。
よく日本は、世界でもっとも成功した「社会主義国」 と言われている
が、これはすべて戦後の出来事である。 また貧富の格差は日本以外全世
界にあまねく存在しており、日本だけが特殊な国だというだけのことな
のである 。そうした特殊社会がバブル崩壊後、否応なく世界経済 の荒波
に触れることになっただけで、あたかも「弱肉強 食社会」に放り出され
るような発言は、ナンセンスを通り越して、暴論だとすらといえるだろう。
フランスの国旗トリコロール(三色旗)の意味するの は「自由・平等
・ 博愛」だが、「自由の反対は抑圧であり隷属」である欧米では、権力に
・ よる抑圧や隷属から解き放たれることから平等になるため、必ずしも矛
・ 盾とは 言えない。ところが「自由の反対は不自由」という日本 では、
・ 自由と平等とは、全く矛盾したものになる。すな わち自由に任せれば
・ 不平等になり、平等にしようとすれば自由が損なわれる。
彼ら欧米型二極化説論者が持ち出すのは、あくまでも 収入格差の進行
である。ところが、現在夫婦共稼ぎ生活 で、パートに出ている奥さんの
収入は、生活費に食い込まない分野に消費されているケースが殆どである。
また 低所得者層の増加を謂うケースが多いが、フリーターや ニートと言
われる人たちの多くは、「職がないのではなく気に入った職がないだけの
話である。
SARSやトリ・インフルエンザで減少したと言え、海外 旅行熱は一向に
衰えず、リタイア族目当ての豪華船によ る世界一周旅行はすぐに満室に
なる、デパートの福袋は値の高いものが飛ぶように売れる、こんな国が
何処にあるのか。
「ほりえもん」という欧米型金融システムの申し子が 挫折した。彼を
時代の寵児としてもて囃したのは、いま一転して「水に落ちた犬を叩いて
いる」マスコミである 。多くの人は、彼の手法に疑問は抱いたとしても、
感情 的には決して受け入れてきた訳ではない。DNAから性善説に依る
日本人には、ドライで性悪説を地で行く欧米的 発想は絶対になじめない。
出来れば機会均等ではなく結 果均等を重視する、平板な日本型社会から、
結果によってそれにふさわしい結果をもたらす「日本型階層社会」 の出
現を、大いに期待するものある
(シリーズ)あまり聞けない珍説 異説の宗教論(第62回)
めくら心経 佐藤守男
またの名を「めくら心経」という珍しいお経がある。本当の名は「絵
心経」である。今日では「めくら」なる言葉は差別用語として使用禁止に
なっているが、説明の都合上敢えてそのまま使わせてもらうことにする。
「めくら心経」は、目の見えない人のためのものと推量されるかもし
れないが、そうではない。文字が読めない書けない、いわゆる文盲の人た
ちのための般若心経なのである。文字(漢字)の代わりに、文字と同じ音
声を持つ物品の絵図を選び出し、それを組み合わせて構成している般若心
経典である。絵図を見ながら、絵図の名前を順次読み上げれば、漢字の経
典を読んだのと同じ結果が得られ、知らず知らずのうちに読経ができるよ
うになるよう工夫されたものである。
したがって文字を見ながらの読経とまったく同じに聞こえるようになって
いる。ただし、絵文字と漢字の持つ意味合いは、大きく異なっていて、経
典が伝えんとする意味内容は、めくら心経からは学ぶことができない。と
言っても、漢訳経典を読んだところで、解釈・講義を受けたり、あるいは
研究を深めたりしなければ、真の意味合いを理解することができない人々
がほとんどだから、さして大きな差し障りがあるとも思えないが、いかが
だろう。
とにかく、まず最初に毎回声を出して読み、諧(そら)んじるこ
とができるようになることがまず肝心なのである。百聞は一見に如かずと
いうが、論より証拠の現物(コピー)があれば、たちどころに了解していた
だけよう。左に「にめくら心経」の一部分を縮小コピーで提示しておく。
くどいようだが、意味はともかく、文字が読めな人々が絵図をみながら
まがりなりにも経典を読みあげ、いつしか諮んじることが可能になる。
これは「門前の小僧習わぬ経を読む」のたとえの好例かもしれない。
江戸時代、世界に冠たる識字率を誇っていた日本。それでも文字が読め
ない人はかなり多くいた。そんな人たちに霊験あらたかな、まことに有り
難い般若心経をまずは諧んじさせるための大いなる工夫が凝らされていた
のは、まさに驚嘆に値する。
なお、般若心経の「空の心」を知るために工夫された「絵物語」も現存
する。禅宗(臨済宗)に伝わる「十牛(禅)図」である。次回これを取り
上げ、出来るだけ分かり易く考察を加えてみることにしたい。
(残念ながら挿絵は割愛させていただきました)
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ことばの風景(72)
右か左か…(39)建具の謎
小沢 康甫
あらためて自宅の建具を眺めてみよう。襖や障子はそれぞれ2枚組み合
わせ(2枚立て)である場合、向かって右を手前にしているはずだ。これを
「右手前」と呼ぶ。その理由を 広島市内の表具店に尋ねてみたが、「2枚
立ての左右を証明するものは見当たりません」。
障子といえば、今は格子状の骨組みに白い紙を貼った「明障子」を指す。
しかし、障子は本来、「遮るもの」の意であり、衝立障子・板障子・衾障子
・明障子などの総称だった。最初は衝立式で奈良時代の文献に記録されてい
る。次いで柱間にはめ込んで固定した板障子が出現した。しかし、これでは
通り抜けることができず不便である。そこで工夫されたのが通り抜け可能な
「鳥居障子」。鴨居と敷居の間に2枚引違いの障子を立てたもので、開閉用
の引き手がつく。衾障子(後に「襖」と書く)ともいい、遅くとも10世紀
前半(平安中期)には現れている。明障子の出現は平安末期であり、障子の
中では最も新しい部類に属する。では、こうした引違いの建具はいつ頃、右
手前になったのか。
時代は下るが、鎌倉末期の絵巻物『春日権現験記』に住まいの様子が克明
に描かれている。そして随所に右手前の襖が確認される。この時代、仮に右
手前が普及していた、とするならば、その背景に何があったのか。空想をた
くましくすれば、着物の合わせ方にヒントを得て建具を「右へならえ」させ
たのでは、と推測される。2枚の建具を着物に見立てれば、右手前は右の襟
を手前にして合わせる着物とそっくりなのだ。
着物の襟合わせは719年の衣服令で、庶民にいたるまで右前にするよう
命じられた。この右前は平安時代に入って徹底する。襖は上記のとおり、平
安中期までに出現した。当時、人々は新顔の襖をどう合わせるべきか、で迷
っていた。そこに願ってもないお手本があった。右前の着物である。模倣は
瞬く間に広がり、やがて襖は右手前が当たり前となる。さらに明かり障子な
ど、ほかの引違い建具も右前に追随していった――。
右手前の誕生について、広島大学大学院の三浦正幸教授(建築史)は17
世紀に発明され、18世紀に普及した雨戸の関与を指摘する。雨戸の普及前、
家の内外を隔てる建具は、外側から順に板戸、板戸、明障子だった。敷居には
3本の溝が通っていた。夜間は板戸で閉め切り、昼間は板戸1枚を繰って片側
を採光用の障子とした。この場合、板戸2枚のどちらを手前にするのか、まち
まちだった。
ところが戸袋に収納する雨戸が広まると、板戸2枚で使っていた、敷居の2
本の溝は1本で間に合う。そこで、障子を2枚組で使用するようになり、部屋
から見て障子のどちらを手前にするかが問題になった。当時既に、着物の左前
は縁起でもない、とされていたため、当然、障子も右手前にしたのだという。
右手前は伝統の建具に限らない。明治末期から本格的に製造が始まった窓ガ
ラスも右手前だ。ヨーロッパの窓は縦長なので引き戸式の場合、上げ下げの形
式をとる。したがって左右に開閉しない。これは建築構法の違いに由来する。
ヨーロッパの建物は石やレンガを積み重ねる組積(そせき)造りで、開口部を
広くとると壁の重みの負担が大きくなるため、窓の幅が制限され縦長になる。
一方、日本の伝統建築は木造軸組構法で柱に梁を架けるため、水平方向に開
口し、窓は横長になる。そこで左右引違いの形式をとる。窓ガラスの右手前は、
舶来モノを日本の流儀で吸収・同化させてきた歴史の一端をも語りかける。
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は?ということに絡んで、わが「縄文ブログ」で「かみあわせ・どっと。かむ」と
いう、人の噛み合わせの由来を訪ねるシリーズを始めました。ぜひご笑覧下さい。
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